VRの可能性
「失礼します。どうです。お楽しみいただけていますか?」
入り口近くのテーブルで話を弾ませているユッコさん達へと、メニューを渡すついでにリサーチ目的の営業トークを始める。
開発者が気づかない、気づけない些細な見落としや不備をお客様が感じていないか洗い出すのも接客役の俺らの仕事だ。
「もちろん楽しんでるわよ! 大昔のことなのに結構覚えてるもんね! カスタムアルバムの方もたくさん撮ってきたわよ」
恰幅の良い美弥さんがその体格に似合った大きな声で笑いながら、俺の体をバンバンと叩く。
所謂あれだ親愛を込めたボディータッチングの一種だろうと思うが、痛覚レベルがリアル水準でなくて良かったと思う。
大磯さん情報だと、美弥さんは国際結婚されて海外在住歴が長いとのこと。
見た目は日本の典型的なおばちゃんだが、メンタル的にはもうあちらの方なのだろうか。
組み込んだオリジナルアルバム以外にも、この仮想世界の光景や今の自分たちの姿での写真や動画を撮るカスタムアルバム機能も好評のようで何よりだ。
「よ、喜んでいただけましたなら何よりです。神崎さんはいかがですか。車椅子の具合とか問題は有りませんか」
「えぇ、大丈夫ですよ。ちょっと最初は浮遊機能に慣れなくて苦労しましたけど、やってみると面白い物ね。でも動かすのが楽しくて、あまりトリガーを見つけてなくて、由希子さんと美弥さんに頼りっぱなしよ」
美弥さんにちょっと押され気味な俺を見て楽しげに笑みを浮かべていた神崎さんは、満足げに頷いた。
オリジナルである校舎は車椅子を使わなければならない神崎さんの活動範囲が限定される古い構造となっていた。
その対策のためにスロープ構造を付け足すという手もあったのだがそうなると、大がかりな変更となりオリジナルとの雰囲気が変わってしまう。
お客様は神崎さん一人では無いので、そちらは避けたい。
そこで俺らが取った手は、昔取った杵柄と言うべきか、所謂『魔法』だ。
空中浮遊機能、通称フライトシステムを構築して、人や騎乗生物が自由に空を駆け回るのはもちろん、大型ダンジョンでもあった浮遊都市をリーディアンで提供していたホワイトソフトウェアからすれば、車椅子の一つや二つを宙に浮かすなんて朝飯前。
神崎さんが利用しているロボットアーム付き車椅子のVRデータをちょちょいと改造し、神崎さんの手元のレバー操作に従い階段や段差手前で浮かび上がり、人が歩く程度の速度で前後左右に移動できる設定になっている。
『ただ浮き上がるだけじゃなくて、高速空中戦闘機動も可能な車椅子を拵えれるんだけどね』
開発部の佐伯主任が反対され却下された案を悔しそうに言っていたのが印象深い……良識を持つ社員が俺だけじゃ無くて良かった。
「恵子さん楽しそうでしたもんねぇ。ふふ。私も初めて空を跳んだときを思い出すわ。びっくりしたけど、すごく気持ち良かったから。私も久しぶりに飛びたくなってきます。ねぇ、マスターさん。リーディアンと同じ肉体操作感覚のようだけど、ここでは飛べないのかしら?」
神崎さんの車椅子をうらやましげに見てユッコさんが懐かしむような顔を浮かべた。
その表情に、空を飛ぶのは開放感があって好きだとユッコさんがよく言っていた事をふと思い出す。
リーディアンが廃止してからすでに半年近く。懐かしむユッコさんの気持ちはよく理解できるんだが、
「あー。お客様側の仮想体制御にリーディアンのシステムを流用はしてはいますけど、飛翔関連はオミットしてます。最初は空中からも散策可能にしようかって案もあったんですけど、初心者の方も多いんでちょっと操作が難しいから却下に」
ベテランVRMMOプレイヤーのユッコさんには申し訳ないが、今回は我慢してもらうしか無い。
VRMMO初級者が中級者と呼ばれる頃ぶつかる壁は、どのゲームであっても浮遊飛翔関連のフライトシステムだといわれる。
空を自分の意思のままに自由自在に飛ぶ。
人類が太古の頃より憧れてきた夢をVR世界は可能とするが、正直そんな甘い物じゃ無い。
なんせ今までに体験したことの無い世界と感覚。
制作時間短縮のためリーディアンのシステムをそのまま流用しているが、ゲーム内最低レベルのフライトシステムでも丹念な練習は必須だ。
高度を落とそうとして地上に急降下やら、パニックでコントロールを失い暴走、はたまた飛んでいるうちに上下左右の感覚があやふやになりVR酔いになったりと、数え切れない失敗の末に、ようやく自在に操れるようになる。
今日のお客様はこの同窓会のためにナノシステムをいれた方や、感覚補助として脳内ナノシステムをいれただけで、あまり活用していなかった方もいらっしゃる。
そんな初心者相手に下手にフライトシステムをいれれば、制限時間の2時間を無駄に浪費しかねないので、さすがに導入を見送っていた。
しかしだ……改めて思うが、娯楽目的におけるVR制限2時間が目の上のこぶだ。
VRMMOを復活させるにしてもフライトシステムに限らず、魔術関連やら製造関連にしろ凝ったシステム仕様にすれば、どうしてもお客様に長時間プレイでコツを習得してもらう必要性が生まれてくる。
だからといってそのために、一日二時間しかない貴重な時間の大半をつぎ込むようでは、お客様のフラストレーションはたまる。
対策としてはもっと簡易なシステムにするという手はある。
それこそ前世紀と今世紀初頭のクリックゲーと呼ばれていた頃の初期型MMO仕様ならものの数分で慣れることも出来るだろうが、あれは飽きが早い。
何せどのスキルを使うにしてもボタン一つでお手軽発動。
ちょっと凝ってもコンボタイミングに変化をつけたりするくらいで、今のVRとは比べものにならないほど単調なゲーム仕様となるのは避けられない。
国内VRMMOが全滅に近いからと、海外で絶賛稼働中のVRゲームに繋いでいるゲーマー連中もいるくらいだから、それらと比べられて苦戦となるだろう。
二時間をいかに上手く最大限に使うか。ここがゲーム構想の最初の壁。
うちの会社が考えているVRMMOと旧式のディスプレイタイプMMOとの融合作という手法も、VR側の時間制限が思った以上のネックだ。
当初の俺がどうとでもなると思い描いていた安易な考えを反省するしか無い。
「マスターさん良いのよ。気にしないで。歩いてみてるだけでも十分以上に楽しんでますから。無理言ってごめんなさいね」
全く関係ない物思いに耽り沈んだ表情を見せてしまっていたのか、気がつくとユッコさんが申し訳なさそうに頭を下げていた。
……ミスった。少しだけ場のテンションが下がった
まだ影も形も無い先のゲームよりはこの場は同窓会を成功させること。それに全力だ。
「いえ、こちらこそすみません。そこら辺も今度は考えておきますから……さて、ご注文は何になさいますか。古今東西全てを網羅とまではいきませんが、ちと懐かしい菓子、料理、ドリンク類を豊富に取りそろえていますけど」
気を取り直して口調を軽くして場の雰囲気をあげながら、隠し球であるスペシャルメニューをあえて言わず、されど目立つ位置に配置してテーブルの上にメニュー表を広げてみせる。
「これこれ楽しみにしていたのよ、いくら食べても太らないんだから、今日は甘い物をたくさん食べようと思ってたのよ」
美弥さんがメニューに並ぶお菓子の山に嬉しそうに声を上げる。
何せ味やら食感はリアルと同じでも、所詮はVRデータ。脳は満腹感を得られるが体にはなんの影響も無い。
メニュー欄の横に、洒落でいれたカロリー0表示は伊達じゃないといったところか。
「もう美弥さんらしいわね……あらマスターさんこれは何かしら。他のは商品名なのに、これだけ『スペシャルメニュー』という表示ですけど」
はしゃぐ美弥さんの様子をあきれ顔で見ていた神崎さんがテーブルのメニューに目を落としすぐに本命の隠し球に気づく。
「ちょっとユッコさんの方で面白そうな仕事が有りましてその副産物です……本日のアルバムをリアルでお渡しする際にお付けする和菓子をVRで先に味わっていただこうという企画ですよ。ではあちらにご注目くださいな」
多くは語らず簡潔に神崎さんに答える。
何せこれから出てくる香坂の爺さまは俺の百言よりも、たった一つの干菓子で全てを語れる名人だ。
『作業スペース展開完了。周囲空調の調整も忘れるな。風を無風状態にしておけよ……よし三崎良いぞ。大磯は全館アナウンス頼むぞ』
中村さんから準備完了の合図を受け取ると同時に俺は右手を大きく振るい、東屋の隣を指し示す。
俺が指さした場所にポンという軽い破裂音と共にスモッグが焚かれて、また一瞬視界が遮られる。
その霧が晴れるとそこには新たな東屋が出現していた。
だがあちらは椅子やテーブルの設置された休憩所然としたこちらの東屋とは違い、下に冷蔵庫が設置されたコールドテーブルの作業台を中央に設置し、調理器具を置いた棚を背後に置いた実用一辺倒の作りとなっている。
簡易ながらも配置や高さを再現した百華堂の厨房内には、眼光鋭い香坂さんがすでに待機済み。
気合い十分といった風貌はVRはほとんど初体験というのに頼もしさを感じるほどだ。
『本日はご来場いただき誠にありがとうございます。お楽しみいただけていますでしょうか。ただいまよりグラウンド休憩所横におきまして、四国は讃岐の名店和菓子屋百華堂9代目御店主香坂雪道様による和三盆干菓子の制作実演と試食を開演させていただきます。こちらの百華堂様の干菓子は本日のアルバムとご一緒に、後日お客様の元へと贈らさせていただく商品となっております。リアルで味わう前に一足先にその銘菓をお試しになられたい方はどうぞ休憩所まで』
作業場の展開タイミングに合わせ大磯さんの軽やかな鈴のような声が全館放送で響いた。
当初はVRデータでの再現だけのつもりだったのが、いつの間にやらアルバムと一緒にリアルで干菓子の詰め合わせを付け加えることになっていたのは、なんというかうちの社長のノリだ。
リアルでの懐かしの駄菓子類を引き立て役にするのを避けるために、試食という形を取りつつ、この同窓会プランの商品価値を高めるという方針だ。
まぁ、社長の思いつきをどうにかして形にしろと現地にいる俺に百華堂さんとの交渉は丸投げされたが、結構すんなり通ったので結果オーライだろう。
一生物の記憶に残るアルバムを飾るにふさわしい華やかさと品格を持つ銘菓で有ることに間違いは無い。
「百華堂さんって……由希子さん。マスターさんこれは」
放送で流れた内容に驚いて目を丸くして戸惑っている神崎さんが俺とユッコさんの顔を見つめる。
全くの予想外だとその顔にはありありと浮かんでいる。
そりゃそうだ。俺が神崎さんから百華堂の干菓子をいただいたのは、つい1週間前の事。
普通ならそこからいろいろ企画を立案し、完成しているシステムに無理矢理にねじ込むような真似はしない。
しかしホワイトソフトウェアは良くも悪くも普通の会社じゃない。
お客様の為。
そのためなら労働基準法やら私生活なんぞいくらでも踏み越えていくブラック企業だ。
「ふふ。偶然ですよ偶然。たまたまです。ね。マスターさん」
「まぁ極希にある偶然って事で。神崎さんには特別にVRデータでの和三盆干菓子詰め合わせをお贈りさせていただきますから。ご安心を……さてどうです皆さん。作っている所を近くでご見学なさいますか?」
だがあえてその苦労や成果を声高に語るまでも無い。
ユッコさんの朗らかな声に肩をすくめつつ同意して、俺はご婦人方へと誘いをかけた。
料理の味は何で決まるか?
素材となる材料か。
それとも調味料?
はたまた調理法か。
いくつもの答えが存在するので、一概に言うのは難しいと思う。
VR世界においてもそれは同様。
まず基本にして最も重要なのは、何はともあれ元となった料理とその再現率。
構築したデータが分析再現を完璧に出来ていれば、リアルと同じ味を、しかも無数に生み出す事が出来る。
ただしこれは数値上での話。理論としてのお話。
現実にはそう上手くはいかない。
なぜならVRといえど俺たちが相手をしているお客様はリアルに生身を持つ人間様。
色鮮やかに綺麗に盛りつけられた料理データと、無個性な錠剤タイプの料理データ。
どちらもデータ的には同じ物で味は同一のものだとしても、だがどちらを人が美味しく感じるかなど聞くまでも無いだろう。
要は手段はどうあれ、いかに美味しそうに人に思わせるか。そこに尽きる。
その観点から行くと百華堂9代目店主香坂雪道は、まさに説得力の塊だ。
しわが目立つ手は慣れないであろうVR世界でも一切の迷い無く和三盆を大胆に掴む。
篩にかけてボールにいれ、水飴を混ぜた水を霧吹きで吹きかけ軽く混ぜ合わせもう一度、篩にかけ、そこに紅や黄色の着色料を水に溶いた物を少し加えて色を出す。
使っている着色料は10種類ほどだが、それぞれを掛け合わせ、量を調整することで、数十類にも及ぶ絶妙な色加減をもつ生地を香坂さんは作っている。
それら複数の色を付けた和三盆を、花を模った二枚重ねの木型に詰めて押し込み、形を作りしばし間をおいてから、上板を外し、下板をひっくり返せば、色鮮やかな花が咲き誇る。
この干菓子の色合いには、キャラ作成の時に使う髪や肌色の色彩調整システムを流用し、着色料の量による色彩変化もリアルを忠実に再現しているデータを、社長の伝手で食品メーカのVR広報研究班から借り受けてきている。
つまりはリアルと変わらない色加減を生み出せると同時に、極めて微細な量の調整が必要となるのだが、この爺さまのすごいところは、和三盆を取ったときもそうだったが水加減にしろ着色料にしろ全く量を計っていない。
長年の勘と経験で思い描いた色彩を自由自在に作り出す。まさに一芸に生涯をかけ精進を積み重ねた者だけが至る名人芸という領域だ。
さらに木型は百華堂さんで使われている物をスキャンさせてもらい寸分違わず、メインとなる和三盆を含め他の材料も開発部に無理矢理に間に合わせてもらい、香坂さんにも納得してもらう出来となっている。
だからそれ故にこれらのデータ管理は厳重にならざる得ない。
仮想世界全体の管理で他の社員が忙しい事もあるが、複数の人間が管理するよりもさらに機密性を高めるために、香坂さんからの要望もあって俺が一人で材料や機材のデータを管理させられている。
香坂さんに全てのデータを預けていただけるほどに信頼していただけたのは光栄と思うべきだろう。
そんなリアルと遜色の無い材料と器具によって、百華堂店主香坂雪道の手によって作り出される和三盆干菓子は、百華堂の品そのもの。
もっともここはVR世界なのだから、どう適当に作っても、AとBを合わせればCが出来るというシステムなので、生み出すアイテムの質は替わらない。
さらにいえば完成品のデータをコピーし生み出せば一瞬で完成だ。
和三盆を混ぜ合わせ一つ一つ手間をかけて模る。
この一見無意味で無駄とも言われかねない、手間をかけている理由はいくつかあるのだが、大本は香坂の爺さまの拘り。
例え仮想世界の物であれ、どう手抜きをして作っても同じ物になるとしても、百華堂の和三盆干菓子を名乗るならば、自らが一つ一つ精魂を込めて作らなければ許可しないという職人としての矜持だ。
この職人としての拘りに加え、今回だけかもしれないこの企画のために脳内ナノシステム構築手術を行い、未知の世界に飛び込んでくる思い切りの良さは、この御年ですごい爺さまだと感心する。
香坂さんにはナノシステム持ちで和菓子職人として修行中の俺と同年代のお孫さんもいるので、実演はそちらの兄ちゃんでも良いと思ったのだが、香坂さん曰くまだまだ一人じゃ百華堂を名乗らせることは出来ないとのこと。
一応手術や構築が期日通りに終わらなかったときに備えて、お孫さんの仮想体の準備をしていたのだが、無駄骨に終わった。
この頑なまでの意地と誇り。そして矜持を持つ職人の技術によって生み出される、和菓子がどれほど美味に見えるか等、今更多くを語るまでも無い。
この見事な腕には一見の価値がある。
俺個人の感想だけで無く万人が思うことだろう。
その証拠に作業台を設置した東屋の周りには、噂を聞きつけ探索を一時切り上げたお客様も集まってきて、人だかりが出来ているほどだ。
この数、ひょっとしたらお客様、全員がここにそろっているんじゃないだろうか。
……これは時間配分をミスったかもしれん。作り置きを出す形にするべきだったか。
いやしかしそれだと香坂さんが納得しないし、お客様の感動も薄れる。
ここらのイベント時間調整も今後の課題か。
「はぁぁぁ。すごいわね。現実で来ても食べるのが惜しいくらいだわ。でもこういうのケーシーが喜びそうね……ねぇお兄さん。写真を撮っても良いかしら? 孫がお花好きだからこうやって作ってたのよって、贈ってもらうお菓子と一緒に見せてあげたいんだけど」
朱塗りの盆に広がっていく百花繚乱に感嘆の息をもらしていた美弥さんが、おそるおそるという感じで、改善点や改良点を考えていた俺に小声で尋ねてきた。
干菓子一つ一つに入魂し作っている香坂さんの気迫は、この仮想空間でもピリピリと肌にくるくらい鋭いので、気圧されているのかもしれない。
「こんな年寄りでえんなら、好きに撮ってくれてかんまんぜ」
考えに没頭していて僅かに反応が遅れた俺が答えるよりも先に、黙々と手を進めていた香坂さんが口を開いて、写真を撮る許可をだす。
ひょっとしたら結構こういった形の実演に慣れているのかもしれない。
「まぁ、ありがとうございます。じゃお邪魔にならないように失礼します」
思いのほか愛想良く答えが返ってきたことに安心したのか美弥さんが声を弾ませると、早速両手の親指と人差し指でフレームを作って、そこをのぞき込みながら写真を撮り始めた。
「と、俺も撮っておくか。うちのカーちゃん。最近茶道に嵌まっているからこういうの好きなんだよ」
「なんか小学校の頃の社会科見学に来たみたいね。私も撮らせていただこうかしら」
撮影を始めた美弥さんを見て周りの人たちも、物珍しさもあるのか我も我もと一斉に撮影を始める。
うん。詳細な範囲設定を出来るが煩わしいコマンド選択式のSS方式にせずに、簡易な指の動きだけで撮影可能にしたのは成功のようだ。
VRに慣れてない人でも簡単に撮影することが出来るシステムという狙いは当たりだ。
欠点は自分の姿は撮れないことだが、そこは互いに撮り合う形で周りの人にフォローしてもらえば十分だな。
満足げな美弥さんを初めとしたお客様の顔を見渡して一つうなずき、ついで今回の大本命たる神崎さんへと目を向ける。
「……………………」
作業台の真正面で車椅子に腰掛けて出来上がっていく和菓子をただ見つめている神崎さんには言葉はない。
他の人のように写真を撮るでもなく、歓声を上げるでもなく、ただ出来上がっていく干菓子を見つめる。
その瞳には驚きと喜び、そして不安の色が混じっているように感じる。
目は感情を表現する重要な要素の一つ。
だからVR世界で用いる仮想体の目やその周囲は力を入れて制作しているメーカーも多く、リアルと比べても遜色は無い。
だからこそ今神崎さんが抱いているであろう気持ちも何となくわかってしまう。
しかし、この表情とそこから感じ取った感情は俺の予想外だ。
何か不安を与える要素があっただだろうか。
材料、調理器具はもちろんとして、できあがりの干菓子も香坂さんから了承をもらうほどの出来に仕上がっている。見た目もリアルと遜色がない。
それなのに神崎さんの目からは不安の色が消えない。
むしろ出来上がる干菓子が増えていく毎にその色が強くなっていくようだ。
……これはまずい。読み違えたかもしれない。
神崎さんにとって、俺が想像していた以上に、干菓子に思い入れがあったのか。
安易にVR化して食べてもらおうという考えは失敗だったかもしれない。
ひょっとしたら神崎さんは試食すらもしないかもしれない。そんな表情にみてとれる。
どうする。どうするべきか?
表情に出ないように不安を隠しながら、頭を必死に動かすが思いつかない。
原因。神崎さんに不安を浮かばせている要因。足りないのはその情報。
この状況で神崎さんに不満があるかなんて聞くような真似は出来ない。
ならば……
(ユッコさんすみませんお楽しみの所。神崎さんがどうして干菓子を好きなのか知ってますか?)
右手を細かく動かして仮想コンソールを叩きユッコさんへと個人チャットを送る。
相手はユッコさんといえど今日はお客様。そのお客様に尋ねるなど下策。
総合管理室にも俺の動きや会話、チャットは全てモニターされ伝わっているのでバレバレのあとで始末書物の違反行為。
だが情報を集め今打てる手を考えないと失敗しかねない。
それを察したのか中村さんからも咎める声は無い。
(マスターさん? 大事な事みたいね……ちょっと待っててください)
さすがユッコさん。いきなり目の前に浮かび上がった1:1チャットウィンドウに多少驚いたようだがすぐに返事を返すと、軽く目を閉じて記憶を探り始めてくれる。
こうしている間にも香坂さんの手は次々に干菓子を完成させていく。
そして全てが出来上がったときはまず最初に神崎さんへと差し出し、ご試食をしてもらう手はずとなっている。
だがこのままでは上手くいかないと、就職して3年と短いとはいえお客様を楽しませてきたGMとしての勘が告げる。
(そうそう。まだ病気が発症する前に家族旅行でご両親と四国へいった時に、今と同じように和三盆の干菓子を作るのを見て感動したそうです。若い職人さんが魔法みたいに次々に花を生み出していくと、言っている事はよく判らなかったけど、出来たてを食べさせてくれてすごく美味しかったと…………ご両親が亡くなられてから急にその頃を思い出して、それで取り寄せるようになったそうよ。お役に立てたかしら?)
(十分です。ありがとうございます)
ユッコさんに礼を返しながらも俺は自分の読みの甘さを痛感する。
神崎さんは和三盆干菓子を見ているだけで気分が華やかになると言っていたが、つまりは幸せな思い出の記憶に直結していたという事か。
VR再現した和三盆干菓子は香坂さんにも許可をいただけるほどの高い再現度ではあるが、神崎さんにとってはさらにそこに思い出もプラスされた味。
もし今目の前にある和菓子の味が思い出とずれていれば。
自分は二度と本当の味を楽しめないのでは無いか。
そんな不安を抱かせているのかもしれない。
しかしユッコさんの情報には鍵もあった。
ネックは思い出の味…………ならば思い出すらも再現する。
リアルでは不可能でもVRだからこそ出来る方法。
VRが持つ可能性に活路を見いだした俺は仮想コンソールを叩く。
(親父さん! 香坂さんのお孫さんの仮想体データ。あれ香坂さんに適用できますか)
リアル、仮想、どちらの社内へも伝わる全社内チャットで、稼働中のシステムから細かなバグの発見をしその都度修正するという綱渡りで忙しい須藤の親父さんへと無茶振りをする。
仮想体は基本的に共通規格で作られているが、個人毎に操作性は大きく違う。
だから大抵はリアルの自分と同様の姿とすることで操作感覚がずれないようにしている。
無論仮想体操作に慣れてくれば自分とは違った体格や、手足の長さでも操作に支障は無く、それどころか存在もしない尻尾や羽があっても自由に動かすことは出来るのだが、ずぶの素人である香坂さんに、孫とはいえ他人の為の仮想体を適用するのは無茶も良いところ。
だが須藤の親父さんの腕と作業スピードならリアルタイムで調整をかましつつ適用できるはずだ。
『三崎。てめぇは軽く無茶を言うな。ほんと社長に似てやがるな……待ってろ。二分でやる。佐伯と開発部。手伝え』
軽い舌打ちをもらし面倒そうに言いつつも、一流の魔法使い級プログラマである須藤の親父さんだからこそ可能となる時間で答えてくれる。
『あいよ。三崎。あんた打ち上げで全員に一杯奢りだよ。ほんと次から次に仕事を増やしてくれるねぇ!』
佐伯主任は実に楽しげな声で、会社で一番ペーペーの安月給な俺に対して恐ろしいことを言ってくれた。
(酎ハイかソフトドリンクにしてください。ポン酒は勘弁ですよ。中村さん。最後の全体記念写真に取っておくつもりでしたが奥の手発動いいですか?)
『ったくお前は。親父さんらがすでに動いていて良いも悪いもないだろ。対象は神崎さんと香坂さんの二人だけだ。こっちの調整が追いつかん』
事後承諾も良いところだが中村さんは俺の考えを読み取っていたのかすでに動いてくれているらしい。
頼りになる上司群はこういうときには本当に頼もしい限りだ。
最後にお客様全員で校舎をバックにした記念写真を撮影する予定になっているが、そこで使うつもりの奥の手をここで使う。
出し惜しみ無し。ここが今回の同窓会が成功か失敗かの分岐点だ。
問題は二つ。
香坂さんがいきなりで対応できるか。
若いときの香坂さんとお孫さんの立ち姿が似ているか。
前者は須藤の親父さん達を信じ、後者は祈るのみ。
自分に出来ることが少ないのが歯がゆく、この状況を先読みできなかった未熟さがちと悔しいが、今の最善を尽くす。
(香坂さん。すみません少し手はずが変わります。基本の流れは変わりませんが香坂さんのお姿だけお孫さんへと変えます。驚かずにお願いします。こちらでサポートはしてますので普段の感じで動いてもらって問題有りません)
「!?」
目の前で浮かび上がったチャットウィンドウに、VR世界に慣れていない香坂さんは目を丸くして作業の手を止めて顔を上げると、チャットウィンドウの文字を素早く読んでから不審げに眉をひそめて俺を見た。
細かな説明をしている時間は無く、判断を信じてもらうしかない俺はその鋭い目線を受け止めて、軽く頭を下げる。
これで伝わってくれると良いんだが……
「ん」
香坂さんは小さく頷いてくれた。
よしあとはこっちの準備だけだ。
『香坂さん神崎さん二人の仮想体変更準備は出来た。親父さんらのスタンバイも出来ている。タイミングはいつにするんだ?』
中村さんからのWISに俺は思考をまわす。
奥の手は一発のインパクト勝負。タイミングがずれれば、効果は半分以下になるかもしれない。
一番効果的に使うには…………神崎さんの目の前に干菓子が差し出された瞬間。
不安を感じる間もなく、神崎さんが思わず干菓子を手に取り口に運んでしまえばこちらの勝ち。
(香坂さんが盆を出したときにお願いします。一気に二人とも。映像は荒くなっても構いませんから)
動いている状態で仮想体の変更をすれば、今のVR技術ではノイズが走ってしまうが、それも一種の驚きを伴う効果が期待できるはず。
兎にも角にも流れの勢いで神崎さんの不安を期待と希望へと一気に持って行く。
『判った。変化にお客様がざわつくだろうから大磯は説明を任せるぞ、三崎は神崎さんがパニックになったときのフォローも忘れるなよ』
(はい。あ、三崎君。あたしウーロンハイで良いからね)
(了解。他の方々のリクを纏めといてくれるとありがたいです。金の準備しておきたいんで)
大規模イベントの打ち上げやら新年会の飲み会は会費制がうちの会社の流儀だが、今回は一杯だけとはいえ奢らされるのは確定事項。
なるべく安い店になる事を祈ろう……
そんな間抜けな願いを俺がしている一方で、ついに和三盆干菓子が完成する。
完成していた最後の木型を外して出来上がったばかりの干菓子を朱塗りの盆の上へと移していく。
明るい黄色の山吹。
大輪を咲かせる牡丹。
薄いピンク色の桃。
そして王道たる堂々と咲き誇る桜。
その他諸々の春を代表する花達が百花繚乱に咲き乱れている。
一つ一つが素晴らしい造形を描き、さらにその華やかさと気品を高めている。
「お待たせしたのお客さん。どうぞ試してみていた」
腰に吊していた布巾で手を拭いた香坂さんは朱盆をざっと見渡して満足いく出来だったのか息を一つを吐くと、くるりと盆を回転させて神崎さんの前へと差し出す。
「申し訳ありません。わ、私は遠……ぇ!?」
その申し出を神崎さんが躊躇し断ろうとしたその瞬間。香坂さんと神崎さんの体の表面に電光のようなノイズが走った。
さすが中村さん。ベストタイミング。
全身を走るノイズは二人の姿を一気に変化させていく。
香坂さんは縮んでいた背が伸びて、真っ白だった髪は黒々と染まり、若い青年の姿へと変化する。
そして神崎さんは、背が縮まり、病的な肌色は健康的な肌色へと変わって、顔はまだ幼さの残る小学生くらいの可愛らしい黒髪の少女へと変わる。
姿が変わった香坂さんと神崎さん……いや神崎さんの場合は戻ると言うべきか。
香坂さんはお孫さんの姿だが、神崎さんは紛れもない昔の、まだこの校舎が存在していた頃、小学生として通っていたときの姿だ。
ここはVR世界。
思いのままに姿を変え作ることの出来る仮想の世界。
過去の肉体を再現してみせるのも造作もない。
今の自分で過去の思い出に浸っていただき、過去の自分の姿で追体験すらも出来るプラン。
それがVR同窓会が目指している最終形だ。しかしこれは未だ未完成。
何せ過去の姿を再現するといっても、データがあるならともかく、写真や動画からデータを起こして再現し、違和感が一切無いように厳密に作ろうとすれば、個人個人毎に調整しなければならず、どうしてもデータが膨大になってしまい、時間も金もかかる。
だから現状ではそこまでは望めない。
最後の最後。あまり体を動かなくても済み、映像の不具合やぼろを感じさせない最後の一枚の記念写真にサプライズとして投入する。
これがホワイトソフトウェアが提供するVR同窓会における最後の隠し球。
俺が企画提出したとっておきの手だ。
「はっ!? えぇぇぇっ!?」
「おいおい!? どうなってんだこれ!? 子供の時の神崎だよな? 座ってるのは神崎本人なのか?!」
姿が変わり若返った二人を見て慌てふためく周囲のお客様。
うん。驚いているな。
いきなり別の姿に変わるなんぞVRMMOのライカンスロープなんかの獣人変化スキルやら見慣れていないと驚くわな。
ユッコさんは目を丸くしていたがすぐに面白そうな顔を浮かべている当たり、やはり俺と同類のゲーマー側だと改めて思う。
自分の体にノイズが走り目線が低くなった上に、いきなり目の前の香坂さんが別人のように変わったことに、何が起きたのか判っていなかった神崎さんも周囲の声で己に起きた変化の意味に気づく。
「えっ! そうですけ……って声までかわってませんか!?」
本人かと尋ねられた神崎さんは答えようとして、何時もと違う感じで聞こえたであろう声に驚き口元に手を当てた。その声は高い少女のものだった。
はい。正解。変わっております。
うちの開発部佐伯主任は度を超した凝り性なんで、動画に残っていた皆様の声を一人一人篩い分けてサンプルを回収し音声再現しております。
企画者の俺はそこまでこだわるつもりはなく、外見だけのつもりだったのだが、やるなら徹底的にと言って、有言実行で残り1週間からの新規企画だというのに、何とか納期に間に合わせてきた。
うちの会社幹部の無茶苦茶なスキルには未だに驚かされる事が多い。
一方で肝が座っているというのか、事前に聞いていたとはいえ香坂さんは落ち着いたものだ。
自分の姿が変わったというのに何もなかったかのように、改めて干菓子ののった盆を目を白黒させて変化した自分の手を見て顔を触っている神崎さんへと差し出した。
「百華堂和三盆干菓子『春華』になるぜ……しゃんしゃん食べてみぃまい」
「…………そ、その言い方。あの時のお兄さん?」
特徴のある讃岐弁が強い香坂さんの物言いに、神崎さんがはっと驚きの顔を浮かべた。
あぁやっぱり若い職人って香坂さんか。
訛りがきつくて俺も何を言っているか聞き取るのに苦労してるくらいだ。当時小学生だった神崎さんも判りづらいだろうな。
しかし若い頃から結構廃れた方言を使ってたのか。どんだけ地元好きだこの爺ちゃん。
まぁそれに感謝。だからこそ今回の隠し球を一気に使う決断を下せた。
「ほれ。食べて見ていた。間違いなしにうちの店の味になっとるけん。保証するぜ」
香坂さんの方は姿を変えた意味をよく判っていないので軽く首をかしげかけたが、もう一度神崎さんを促し自信の篭もった深く強い声で断言した。
これは百華堂が誇る干菓子であると。
その声はざわめいていた周りのお客様もついつい黙ってしまうほどに力強い。
周囲が静寂に包まれ、誰もが神崎さんの答えを待つ。
「…………」
神崎さんは無言だ。
しかしそろそろと腕を伸ばして、小さな干菓子を一つ手に取った。
神崎さんが取ったのは学校の校門で咲き誇っていたような桜を模った干菓子。
不安が残る目のまま干菓子を一瞬見つめてから、おそるおそる口へと運び一口分だけ囓る。
カリカリと干菓子をかみ砕く音が静寂に響き、その音が鳴り止むと神崎さんが顔をうつむけた。
そのまま………反応はない。
思い出の味の方が強かったか?
ここからフォローをいれるべきか?
次の手を考えるべきかと焦りかけた俺だったが、
「………………っぅ……ふふ………っ。美味しい…………ずっと……覚えてた味です。諦めてたのに。また……食べられると思っていませんでした」
それは杞憂に終わる。
神崎さんは目尻から涙をこぼして少しだけ嗚咽を漏らしながらも、楽しげな笑い声をあげた。
「ほら……みんなも召し上がってみて。本当に美味しいのよ。百華堂さんの御菓子は。私のおすすめなの。ほら美弥ちゃんも好きでしょ甘いの。ユッコちゃんも食べ比べてみて同じ味なのよ。すごいわよ」
嬉し泣きする小学生姿に戻った神崎さんは固唾をのんで見守っていた同級生達に声をかける。
ユッコさんや美弥さんに対する呼び方が少しだけ変化している。
ひょっとしたら肉体に意識を惹かれたのかもしれないな。
「ふふ! 言われなくても。もらうわよお兄さん! 本当に美味しそう」
「美弥。一人で食べないでよ。あくまで試食だからね」
「もう失礼ね。判ってるわよ」
今までで一番大きな声と嬉しそうな笑顔で答えた美弥さんは、若返った香坂さんに声をかけると先陣を切って干菓子を手にとり、その勢いに試食だって忘れるなと笑い声がおき、場の雰囲気が一気に明るくなっていく。
笑い声の絶えない明るい光景。
これこそが俺がプレイヤーを引退してGMとして生きることを選んだ原初にして、ホワイトソフトウェアがいかなる苦境であろうとも、困難な状況でも諦めず、進み続ける原動力だ。
お客様に楽しんでもらう喜び。
その成果を実感できるこの光景に俺はようやくこの同窓会が成功すると確信に至り、ほっと息を吐くことができた。
今回でVR同窓会編は終了となります。
今の話の裏ではいろいろ社長が次の手に向けて動いたりしてますが、それらは先々に。
そこらは三人称の外伝的な物で書こうかと思いつつも、そんな時間は無いなとw
全てはVRMMO復活に向けた布石へと繋がる形になればと模索しております。
さて次は宇宙ですが、テンションやら方向性が一気に違う方向へ行くので上手くかければ良いのですがw
お読みくださりありがとうございます。
ご指摘ご意見有りましたらいただけますとありがたいです。
8/23追記
本文中の讃岐弁を変更いたしました。
讃岐弁監修を行っていただいた香川在住の緋喰鎖縒様。
この場を借りて改めてお礼申し上げます。ありがとうございました。。