A・B両面 ラスボスは案外忙しい
「物理スラスター見た目は最大! 出力押さえられるところまで低下! 重力スラスター最大で逆方向にカウンター!」
真正面に大きめの小惑星を捉えながら高速接近しつつ、麻紀は即興の欺瞞工作を指示する。
ホクトの主推進機関は二系統存在する。
レーザー核融合によって発生したプラズマ粒子を放出する物理スラスター。
もう一つが重力場発生機関によって艦周囲に発生させた人工重力を用いた重力可変スラスター。
通常はこの二系統の推進機関は連動して、同方向にその力を働かせる。
簡単にいってしまえば、重力スラスターで干渉した方向へと落ちながら、物理スラスターでその方向へと後押しをしている。
他の艦と違い、文字通り物理法則の異なる状況を生み出す二系統の推進機関。
ホクトが初期艦の中では高速機動艦として呼ばれる理由だ。
だが麻紀はあえてその連動機能を解除しトリックの種とする。
あえてレーザー核融合の効率を落とし発生するプラズマ粒子を減少。
さらに発生したプラズマ粒子の噴出方向を揃える偏向調整器に手を加え、追跡者側からはプラズマ炎が最大に吹かされたかのように見せかける。
同時に重力推進機関は出力を最大にしてプラズマ炎と同方向へと重力場を発生させる。
『マニュアル外運行により主機関への負荷増大。されど損害軽微。戦闘機動に問題はありません。ビースト1跳躍』
見た目には長大なプラズマ炎を右舷側に吹かせながら、ホクトは右方向へと横滑りしながら小惑星の表面を舐めるように落ちていく。
敵艦である人狼型可変戦艦『ビースト1』は、麻紀のフェイントに見事に騙され、反対の左舷側へと向かって跳躍をしていた。
その跳躍予測進路を確認し、
「っ! やるわね馬鹿犬!」
もし左舷側に進んでいたらホクトはあの狼の爪に貫かれていただろう。
表示された予測線に冷や汗をかきながら、麻紀は己を鼓舞するために声を張り上げた。
やはり航行可能宙域が限定された小惑星帯での機動性は、敵艦の方が勝る。
瞬間加速で何とか勝っているから回避もできていたが、そのアドバンテージも徐々に無くなってきていた。
相手はホクトの飛行航路を予測し先回りをし始めている。
重力可変による置き石やら、今使ったフェイント等の小細工で何とか凌いでいるが、それでも自力が違う。
『敵艦急速方向転換。小惑星に降り立ち無理矢理に軌道を変更しました。四肢に軽微なダメージ予測』
艦外映像を見れば、脚部スラスターを噴射し宙返りをして180°ターンをした人狼ロボットが、分岐点だった小惑星帯に尾を叩きつけ崩して一部を粒子化させ柔らかくする。
即席のクッションに降り立った人狼は軽微なダメージのみですませ、さらに全スラスター同期をした最大跳躍に繋げ、こちらを即時再追跡し始めていた。
悔しいがレベルが違う。
スキル選択、判断力、決断力、そしてVR操作。
その全てが相手が上回っている。
逃げに徹しているだけだからここまでしのげている。
だがそれでも10分。
たった10分だ。
10分で麻紀は極限まで追い詰められていた。
重力フェイントは今のスキル、手持ち装備で思いつけた最後の手。
麻紀の手元には、これ以上の武器は存在しない。
トリックやフェイントとは相手が知らぬから最大の力を発揮する。
相手がその存在を知っている以上、その効果は半減してしまう。
ましてや相手の自力が段違いで上。
奇手を連発してどうこうなる相手ではない。
もし相手が重力変動探知に気をつけていれば、今のスラスターフェイントもすぐにばれていた。
「航路算出! 先生少しでも時間を稼げそうな場所を見つけて!」
自分が追い込まれていることを自覚しながら、麻紀はそれでも次の手を指示する。
散開させているプローブ群にリンク。
小惑星帯の最新星図を読み込み、少しでも直線が続く航路を選び、敵艦との距離を維持する。
幸い相手は戦闘特化タイプ。
戦闘系スキル等は高いが、妨害系はほとんど取得していないのか、最初のジャミング以外に、追加攻撃は無く、プローブ群との短距離通信リンクには支障が無い。
しかし目と耳が良いからなんとかなっているが、それで麻紀の不安が減るわけではない。
最初に仕掛けられたチェイサーは、諜報や妨害特化系スキルが高くなければ使えないティア3。
それは明らかに別の敵対プレイヤーが存在する何よりの証拠だ。
気にはなる。
だが今の麻紀にそれをどうこうする余力など無い。
ただひたすらに逃げて、耐えるだけだ。
直線を使いながら距離を稼ぎ、その間に生まれた余力で、小細工やフェイントをかましていく。
だが奇手の連発はやはり、正道には敵わない。
徐々に徐々にだが回避距離は縮まり、艦を防御する電磁障壁が削られ、装甲の一部にもダメージ判定がでるほどの近距離を、人狼の攻撃が掠めていく。
掠めるだけでダメージが出るほどの高威力攻撃。
直撃されたなんて考えたくないが、どうしても脳裏をよぎる。
そのひるみが影響したのか一瞬麻紀の意思が鈍り、その一瞬は大きな代償となる。
小惑星を蹴った人狼がまたも大きく尾を振り回し空間を揺らす。
破滅の流星が、電磁障壁が弱くなっていたホクトの右舷を、今までの攻撃の中でもっとも近距離を通過した瞬間、尾が放つ超振動の共鳴破壊効果によりスラスターの一部が砕けちった。
『右舷第四物理スラスター超振動による衝撃波で破損。稼働効率46%まで低下』
「リペアスキル発動! 緊急修理!」
仮想のブリッジが激しく揺れるなか、基本修理スキルを選択して、半減した第四スラスターのステータス回復を始める。
『緊急修理開始。修理終了まで56秒。修理後の稼働効率は90%となります』
即座に修理を開始するが、今のスキルレベルでは最大値までは回復しない。
その僅かといっても確実に起きた出力低下は、逃げを打つだけの麻紀にとっては大きい。
傷つけられた足で必死に逃げる獲物に対して、狩人は容赦しない。
チャージの終わった尾が振られ衝撃波が飛び、その爪で抉られた岩石が高速で迫り、大きく開かれた口蓋に生えた重粒子ビームの牙が電磁障壁の一部をさらに食い破る。
続けざまの連続攻撃は右舷側へと集中していた。
麻紀の動きを見て、どこを攻めるのがもっとも効果的か相手は判っているようだ。
「プラズマ粒子放出最大!」
急速に増えていく右舷側のダメージを確認しつつ、麻紀は右舷スラスターが排出するプラズマ粒子量を増やし即興の防御壁とする。
ダメージが積み重なる右舷をあえて酷使したことで少なくないダメージが算出されるが、連続攻撃を仕掛けていた人狼の気勢を削ぐことができた。
またも積み上げた僅かな時間で、距離を稼ぐ。
「先生! 美月からの連絡は!?」
後幾度それを繰り返せば良いのかと、麻紀は思わず問いかける。
『ミズ美月よりの通信はありません。予測終了時間まであと6分から10分ほどと推測いたします。相互通信を開始して状況を確認なさいますか? 出力の10%を使いますが星間ネットワーク長距離通信ならば情報リンク可能です』
「却下! その余力はプローブの航路検索に回して! あと10分逃げてやるわよ! もう一回同じ分だけ時間稼ぎするだけでしょ!」
既に追い詰められている状況で聞かされた絶望的な数字にも怯まず、麻紀はあえて強気の声で答える。
パーティメンバーである美月の詳細は、ゲート1つ分といっても、初期艦の装備や、今のスキルでは遠距離過ぎて、非通信状態では判らない。
かろうじてどの星系にいて、無事かどうかが判るだけだ。
今のホクトには遠距離通信に割り当てるだけの余力は無い。
それに美月に繋いで催促なんてする気は無い。
調査中の美月の場所が敵にばれるかもしれないリスクは犯せない。
第一だ。確認するまでもなく美月なら、あの心優しい親友なら、持てる限りの全力で何とか早く調査を終えようとしているはずだ。
それに、もし自分がピンチだと知ったら美月のことだ。
躊躇無く非常手段であるフルダイブや、祖霊転身も使うはず。
仕方ないとはいえ、初日で自分がそうそうと切り札を使ってしまったのに、美月にまで使わせるわけにはいかない。
自分達の戦いはまだ始まったばかり。
最悪自分が落とされても、美月が……
「っぁ!?」
高揚感を感じていた脳に、突如氷の柱が突き刺さったような悪寒を麻紀は覚える。
何を思った?
今自分は何を考えた?
落とされても?
死亡しても?
自分はまたしても死を軽く考えてしまうのか?
死んでしまうのに!?
麻紀にとって死はトラウマであり罪。
例えそれがゲームでの死だとしても、自分の罪を思い出し強く刺激するトリガーとなる。
動悸が乱れ仮想の心臓が激しく鼓動する。
無数の映像が脳裏をフラッシュバックする。
『マーちゃんに死んじゃうヒナの気持ちなんてわからないよ……』
大粒の涙をこぼした亡き友が最後に告げた別離の言葉が、耳の奥で重い鐘のように何度も響く。
自分が治してあげる。
大人になったら絶対。
そう何度も告げた親友には、母のホスピスに入院していた人達にはその時間さえ無いと知らず。
ただ無邪気に、無自覚に、何度も傷つけ、絶望させていたと知らずに。
過去の幻覚に飲まれた時間はほんの一瞬。
僅かに意識を奪われ、小刻みに行っていた方向転換が少しだけ単調となる。
普通のプレイヤー相手だったら隙ともいえない僅かな時間。
だが上級者であろう狩人がその隙を見逃すはずがない。
『緊急警報! 敵艦急速接近! ランダム回避開始!』
サポートAIのイシドールス先生が警告メッセージを発しながら、緊急事態でもアクションがない、起こせない、反応できない、プレイヤーに変わり一時的に行う緊急回避行動に入る。
しかしイシドールス先生と呼ばれるAIが特化した能力は情報分析。
並のプレイヤー相手ならば十分だろう回避能力も、戦闘特化したプレイヤーとその搭乗艦には敵わない。
先ほどまで麻紀が見せていたフェイントを入り混ぜた回避と違い、ただ避けるだけの回避行動は人狼を操る敵プレイヤーには良い的だ。
脚部スラスターを最大稼働させた狩人は、その身が誇る最大の一撃である尾を振りあげた。
空間を歪ませるほどの超振動が周囲の景色を歪め、高速の流星がホクトの艦体中央へ、
『水分子機コピー1から10電磁射出。分子構造変化。防御スキルアクアスクリーン発動』
麻紀が待ち望んでいた美月からの通信が、予想外の言葉と共に響く。
小惑星帯の影から飛び出てきたマンタの射出口から、恒星から光を受けきらりと光る半透明の船体を持つ大気圏内用小型プローブの群れが高速で打ち出される。
ホクトとビースト1の間に割り込んだ小型プローブは、尾が放つ振動波によりあっさりと瓦解し崩れる。
しかし微細な水分子によって繋がり構成された機械群は、形が保てなくなっただけで全てが消滅したわけではない。
アクアライドが持つ基本防御スキルの1つである薄く広がる水の盾となって、人狼の尾を受け止める。
しかし最低レベルの基本防御スキルは、高威力攻撃の前では薄紙をかざしたような物。
一瞬で水の膜は破られる。
だがその一瞬で十分。
超高速で行われる宇宙戦闘ではその一瞬が値千金の価値をもち、同時に致命的な破滅を招く。
水分子機械の幕が攻撃を一瞬だけ受け止め、振動を完全に遮断することで、ホクトはその絶望的な断頭台から辛くも脱出する。
ホクトに先行して飛行するマンタからは、次々に水でできたプローブが放出されてその後方へと集っていく。
「っ!? み、美月?」
己の罪悪感が生み出す幻覚に捕らわれかけていた麻紀だったが、その声と立ち上がったウィンドウに現れた仮想世界の親友の姿に我を取り戻す。
アクアライドの特徴である水色の長髪から突き出た少し尖った耳。
首の両脇にはえら呼吸が可能なスリットが入れ墨のように走り、民族衣装でもあるゆったりとした専用衣装から伸びた帯が、ヒレを思わせるようにヒラヒラと舞っている。
そしてその額にはスカイブルーのアクアマリンが青白い光りと共に輝いていた。
その美月の姿はフルダイブ状態であり、その額のアクアマリンが輝くのはアクアライドの祖霊転身が発動した印だ。
『クエストはクリアしたよ。退避コースはこっちで構築済だから付いてきて』
無駄が少ない最低限の情報だけを抑揚の少ない声で告げた美月の様子に、麻紀は美月が盲目的な集中状態に入っていることを察する。
「あ、ありがとう! 先生。パーティ艦と情報リンク! 航路追従モード!」
いろいろと聞きたいことがあるが、今の美月は退避のみを考えているので、それを答えることができないと知っている麻紀は、色々な意味を込めた礼だけをいってその後を追った。
「ホクト通過と同時にプローブで網をお願いします」
『ヤヴォール。第3群展開開始。アクアスクリーンへと分子構造変化』
中型艦のマンタがこの小惑星帯で飛翔できるコースは、小型艦であるホクトより限られている。
美月がその中で選んだのはとにかく最短距離でこの小惑星帯を突破するコースだ。
敵プレイヤーである人狼も二人が取るコースを判っているのか、すぐに追跡を開始したが、追いつこうとする度に小惑星帯の影から、水でできたウンディーネと呼ばれる分子コピー機の一群が集結し、その進路を妨害していく。
その機体は、先ほどと同じく美月が装備していた大気圏用調査プローブ達だ。
基本的には大気圏内用機体なので、宇宙空間でも使用できると言っても、それはかなりの制限を受けた稚拙な飛行能力しか持たない。
その乏しい飛行能力を補うために美月は、ただひたすらに数の暴力を使っていた。
小惑星と小惑星の間の相手が避けられない狭い空間を塞ぐように、コピープローブを展開し網を作り、僅かだが、着実に敵艦を足止めしていく。
伸吾達が集めてくれた情報から見て判ったのは、やはりこの相手には自分では攻撃を当てることは出来無いという単純な答え。
だから当てるのではなく、敵が当たるコースしか使えない逃走経路を選ぶという逆転の発想だ。
アクアライドの使う専用祖霊転身の1つであるウンディーネは、水を元に所有装備を劣化コピーするという、大量の水が必要という制限がかかるが、単純かつ使い方次第では強力な物。
初期状態である美月が使えるウンディーネは、単機種限定で、同時製作可能なのは劣化状態の300機程度。
フルダイブによる能力上昇とその数を持って短時間でクエスト調査を終えた美月は、既に2分前にはこの小惑星域に戻っていたが、逃走経路の確保をしつつ罠を張る時間だけ麻紀を囮にするしかなかった。
死にトラウマを持つ麻紀を囮にした事への罪悪感や、これからの展望を考えれば、普段の美月であれば落ち込んでいただろう。
だが奥底ではともかく、今はただ逃げに徹するだけの美月に表面上の悩みは無い。
ぶつけて消費するしか無い即席特攻兵器に使うには、ウンディーネの元である分子機械コアは稀少。
だがそれでも数は力だ。
そう割り切りながら美月は逃避を続ける。
張り巡らした罠を消費しきる頃には、ようやく小惑星の密度が急速に減少し始めてきた。
古戦場を抜けてさえしまえばこちらの物だ。
併走状態に入ったホクトが重力スラスターを稼働させ、自艦のみならずマンタの前方にも重力場を作りだす。
急速に加速度が増しはじめた両艦は小惑星帯を離脱して、安全宙域である非戦闘指定された近場の拠点星系へと繋がる跳躍ゲートへと向かうルートを選ぶ。
『小惑星帯を突破。最大船速へと移行。敵艦は追跡を諦めたのか離脱コースをとりました』
全天レーダーに反転して小惑星帯の奥に戻っていく敵プレイヤー艦の姿が映っていた。
安全になったことで気が抜けたのか、張り詰めていた神経が急速に戻っていく感覚と共に美月は小さく息を吐く。
それと同時に今の今まで無視していたこれからの展望が美月に重くのし掛かる。
「クエストクリア……でいいのかな」
どうしても実感が湧かない言葉を美月はこぼす。
ゲームスタート直後の初期クエストはクリアは確かにした。
だが連続クエスト発生に失敗した状態でもらえる報酬は、たかが知れている。
それに対して損害は、全戦力をほぼ消費する事になった上に、麻紀のホクトは少なくないダメージを負っている。
少なくともスタートダッシュは完全に失敗している。
このような状態で、自分は、自分達は、このゲームで目的を果たせるのだろうか。
「……普通の手段じゃ、他の人達と同じ事してたら巻き返せないのかな」
心地よい温度の水に満たされたマンタのメインブリッジの中。
戦略の練り直しを余儀なくされた美月の脳裏には、罠だと疑っている招待状の存在がよぎっていた。
「オッケ。戦闘終了と。まずは引き分けって所か。なかなかやるなあの二人」
何とか撃沈せずに逃げた両者に俺は満足を覚え笑う。
元々の才覚もあるんだろうが、あの思い切りの良さと判断は、うちの後輩共の仕込みも多少はあるだろうな。
何より最低限度とはいえ、互いを信頼して、仕事をしてのけたのが偉い。
コンビプレイやチームプレイで大事だったり、必要なのはいくつもあるだろうけど、俺が最重要視するのは1つ。
どこまで任せられるかってのだ。
どんだけ戦術や戦略を練ったところで、実行する奴が出来無きゃ、無意味に終わるってのは俺がリーディアンの現役時代に学んだこと。
どいつがどれだけ動けて、何をやれて、何を考えて、どうすれば一番士気が上がるか。
これらを押さえておけば、細かい指示なんていらない。
こいつにここを任せておけば何とかしてくれる。
あいつらなら、上手いことやってくれる。
MMOはNPCを相手にするゲームじゃない。
プレイヤー同士が繋がり、対立し、時に協力し、時に競い合っていくゲーム。
その一番重要な根っこを知る現役組に、新人プレイヤーの美月さんらの教育を任せて正解だ。
そしてサクラさん側の方もたいしたもんだ。
この騒ぎの中で、着実に情報を収集している。
『引き分けでございますか?』
「えぇ。サクラさんの襲撃も何とか凌いで生き残れたのは良い経験だし、こりゃ上出来ですよ」
相手はHSGOのカリフォルニア州チャンプで世界大会ベスト8のチェリーブロッサムことサクラ嬢ちゃん。
あの攻撃一辺倒な動きを見る分には余力はたっぷりで様子見だろうってのも含めて半分以上遊びだろうが、それでも撃沈されないだけたいしたもんだ。
『美月様、麻紀様が消費した機材や損傷を考えますと、採算分岐点は大きく下回っておりますが』
「初期クエストで赤字だからってそんな落ち込むことないですよ。新人が最初から完璧狙ってもろくな事は無いですからね。それよか良い経験でしょ。ゲームは始まったばかり。先は長いですよ。若いうちの苦労は買ってでもしろって言うでしょ」
疑問を浮かべるリルさんの声に俺は笑って返しながら、足元に広がる会場を見渡す。
会場メインスクリーンの左半分に映るのは、満身創痍の高速艦とその横で肩を並べて飛ぶ魚型の探査艦。
そして右半分には祖霊転身が切れて元の巡航形態へと逆変形していく可変艦が映し出されている。
「サクラ嬢ちゃん達にはこれだけ盛り上げてくれたお礼に、新たなミッションでも送りつけときますか。ミッション名『リアルアタッカー』で行きましょう」
仮想ウィンドウを展開。
この降って湧いた大戦闘騒ぎの最中、クラッキングをかましているサクラさん方の相方へと逆クラック。
初の祖霊転身状態のプレイヤー同士の戦闘が行われたときには、会場中のスクリーンを使って大々的に盛り上げるって内部情報を得て、ネットワーク内の情報量が増大し、一時的に監視網が緩むその隙を付いてきたのはお見事のひと言。
見事に警備を出し抜いて、蒼天内のサーバーへとクラッキングしていた相手に、その報酬として、気づかれないようにしながら美月さん達の個人ファイルが格納された場所へと誘導する。
個人情報の漏洩ってのは運営としちゃ致命的なミスなんだが、これくらいの無茶をしなきゃこの先の展開を引き出すのは難しい。
宇宙じゃ犬猿の仲で、仮想世界でも激しい戦闘を繰り広げた種族同士が手を取り合い、極悪非道な外道マスターに挑むっていう、王道展開を狙うにはな。
「さてと……ついでにデリバリーでも頼んでおきますかね。リルさん。百華堂東京支店のセッさんに連絡して新作菓子の菓子折り1つ頼んでおいてください。ラスボスからの贈り物って事で」
『それでは2つにすることをお勧めいたします。裏ボスのご機嫌伺いをしなければ、ラスボスが叩きのめされかねませんので。緩衝材になっておられた中ボスはしばらくご不在です』
「あー……了解です。しばらくは久しぶりの夫婦水入らずなんでギスギスするのもアレですしね」
リルさんの忠告に俺はしばらく考えてから頷き返す。
そういや、おいたをしてくださったうちのお嬢様はしばらくお仕置き部屋行きにしていた。
創天へと戻るつもりが隔離空間へと飛ばされたエリスにも、真面目にゲームをしてもらわなきゃ、アリスの怒りがこっちにきちまうしな。
「んじゃ地球での仕掛けが終わったらエリスの方に行ってからそっちに戻りますよ。そろそろ泣きそうになってるみたいですし。今何が窓の外いるんですか?」
サブウィンドウに映してみると、その娘様は機械式のウサ耳をびくびくと振るわせて怯えているご様子。
さて俺が借りているアパートを模した部屋の窓に張り付いて、この様子を見ている生物は一体何だろう?
『野生の忍者です』
「あぁ首切り有りの。そりゃ泣きますね」
リルさんの説明と共に映ったモンスターの画像に俺は納得する。
黒装束で身を包んだ忍者の右手には血を垂らす首切り刀、左手には苦悶の表情を浮かべる生首を鷲づかみ。
さらにはその全身の骨格は歪で、手足は蜘蛛のように折れ曲がった奇怪な動きをして壁を這いずる。
お前のような忍者がいるかとか、アレは忍者じゃなくゾンビNINJAだとかいろいろ言われていたのを思い出す。
こいつに限らず、かつてリーディアン内でプレイヤーをトラウマと恐怖の渦に落としいれた数々の凶悪モンスターが溢れている地球に、一人放り出されたエリスはもう半べそだ。
基本的に攻めてるときは強いが、守勢に回ると弱いからなエリスは。
ちょいと荒療治だが地球嫌いを治すには、まずは針を振り切らせてからだな。うん。