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新米GMの資質

 東京からリニアで新大阪。そこから岡山をへて高松へと。

 香川県高松へと到着したのは、すでに夜の帳が辺りを覆う夕刻5時過ぎだった。

 会社の方にはお客様の為だと伝えたら二つ返事で了承が出た。

 うちの会社のいい加減さがこういうときは逆に頼もしい。

 移動時間が結構あったのは逆に僥倖。

 行きの道中で俺は兎にも角にも情報を集め方針を練って基本攻略ラインを考える時間を設けることができ、ユッコさんもデザインを考える時間に当てることが出来た。

 享保の改革のサトウキビ栽培奨励を発端とする和三盆は、四国東部の伝統特産品としてすでに250年以上の歴史を持つ。

 昔ながらの人の手による研ぎと押し船を繰り返して作られる和三盆は、くどくない甘さと舌触りの良さを持つ。

 そのまま固め干菓子として茶会などの席に供されたり、原料として和菓子はもちろん洋菓子にも用いられ、安価な上白糖と比べて手間と人手がかかるために値段は割高だが、品質の良さから根強い人気があるブランド品。

 その和三盆を使った和菓子を売りとする和菓子屋。『百華堂』が神崎さん御用達のお店にして今回の交渉相手。

 創業は明治3年。

 四国の玄関口である高松で200年営む京都の老舗和菓子屋にも勝るとも劣らない伝統を誇る老舗中の老舗。

 もうちょっと軽いところならまだ容易かったかもしれないが、よりにもよってといった所だが逆にそれが面白い。

 商品のラインナップは時代の移り変わりに合わせてか、ちょこちょこと洋菓子も取り入れているが、主戦軸はやはり和菓子であり四国の名産たる和三盆の風味をそのままに味わえる干菓子が代表格。

 店のホームページのトップを誇らしげに飾る和三盆を色取り取りの花に見立てた干菓子の詰め合わせが、屋号の由来だろうか。

 そんな百華堂の店主は御年七〇を超える9代目香坂雪道。

 しわだらけの顔に頑固な職人らしい目つきの鋭い相貌が印象的な老人だ。

 この御仁、ざっとプロフィールをあさってみると、和菓子屋店主として以外の顔もいくつか持っている。 



 讃岐文化保存会名誉会長。


 伝統工芸伝承委員会会員。


 郷土文化保護運動理事。


 並んでいるプロフィールから見るに地元とそこに伝わる文化が大好きな爺ちゃんといった所か。

 調べれば調べるほどますます和三盆干菓子をVRデータ化させてほしいといっても、すんなりと通るとは思えない無理ゲーのような気もするが、逆にこれだけ凝り固まっているとなると攻め所も判りやすい。

 駅前で捕まえたタクシーで和菓子屋までの移動中に俺とユッコさんは最後の打ち合わせを始める。







「基本方針は短期展開じゃ無くて長期展開でいきます。ユッコさんの名前乱発して拘束時間が長くなりますけどすいません」



「構いませんよ。私のお友達のためですもの。目新しく面白い仕事は私の糧にもなりますから。それに一過性のブームではこのような方では不快に思うかもしれませんからね」



「はい。ですからこの人の志向に合わせた言葉を元に案を用意しました」



 相手は伝統を守り続けてきた老舗和菓子屋とその矜持を持つ店主。一筋縄ではいかない。

 一時流行るだけのブームを提示しても難色を示すだろう。

 だから相手の琴線をくすぐる姑息ではあるがどっかりと腰の据えた長期案。

 和三盆干菓子を伝統の安売りのように流行らせるのではなく、価値をプラスして商品意義を高める方針だ。



「でもとうの昔に忘れられた言葉なんでしょ。上手くいくのかしら」



 あまりに楽天的すぎる俺の計画をユッコさんが憂慮するのも当然と言えば当然。

 俺が掘り出してきた概念はとうの昔に廃れた物だからだ。



「だからこそです。ノスタルジーを攻め所にして一気に落とします。それにユッコさんが書き上げてくれたラフ画もあるから十二分に勝算はあります」



 地元への愛着と伝統の担い手としての矜持。

 俺はここを対百華堂の基本攻略線に定め、その方針に合わせてユッコさんには第1弾となるラフ画を書き上げてもらってある。



「内は花咲き乱れる春をイメージして、外側はなるべく華美にならず落ち着く雰囲気でしとやかな気品でしたね。マスターさん位の若い方には外が地味に見えそうですけど気に入ってもらえたなら良かったわ」



「さすがですよ。俺の想像以上です。まだ絵に描いただけなのに目を引くんですから」



 素人目からみても上品で心に残るデザインと才色は、さすがに三島由希子といったところだろうか。

 ましてや対戦相手は繊細にして技巧の粋を尽くした和菓子職人。例え分野は違えど俺以上にその心に訴える物はあるはずだ。



「ふふ。ありがとうございます。ではやはり私の職業はご挨拶の時は言わない方針で?」



「それが一番効果的だと思います。だから最初に俺が全面に出ます。ユッコさんは後ろで構えていてください。ばらすタイミングはお任せしますので」



 デザイナー三島由希子の名は知られているが、その業界の人間で無ければ顔まではそうは把握していないだろう。

 先入観無しの純粋な目でまずはユッコさんのデザインを見てもらうのが一番効果的という読みが当たれば良いんだが。



「リーディアンと同じ配置ですね。マスターさん達が前衛を纏めて、私が後衛組の指揮……久しぶりのパーティ戦ですね」



 ユッコさんは懐かしげに言葉を漏らす。

 リーディアンはボス戦や婚礼システムからも判るとおり、ソロプレイよりもパーティ戦を重視したゲームデザインだった。

 戦闘の自由度を高める為に作り出された数多くのスキルは、各パーティやギルド毎に特色のある戦法を生みだし、うちのギルドの場合は血気盛んな前衛が突っ込んで引っ張ってきたMOBに後衛陣の魔術で殲滅する釣り撃ちを得意としていた。

 ユッコさんはその釣りの名手。

 こちらが範囲魔術に巻き込まれない一番効果的なタイミングを狙うその手腕に、調子に乗った俺やアリスが釣りすぎて死にかけていたときに何度助けてもらったか。



「そういった意味ではユッコさんと組むのは3年振りですね。最後はアリスのギルマス就任記念狩りで……あっ」



 ……やべぇ。そういえばアリスの事を伝えてなかった。

 アリス本人から口止めされていた訳では無いが、仕事が忙しすぎたのと他にいろいろ考えていた所為で、まだユッコさんにすらアリスと連絡が着いたことを伝えてなかったことを今更ながら思い出す。



「……あーすんません。伝え忘れてたんですけど、アリスと年末にようやく連絡が取れました」



「まぁ! アリスちゃん元気でしたか!? 何があったんですか!?」



 驚いた顔を浮かべたユッコさんの声にはアリスの安否を気遣う成分が過分に含まれている。

 ギルドマスターだなんだかんだいっても、実質アリスの場合はギルドのマスコットみたいな存在で、他のギルメンも無事かどうか気にかけている連中は多かった。

 忙しすぎて忘れていたのは、なんか非常に申し訳ない。



「えと……まぁ、実家の家業の方でなんかいろいろあったらしくて、手が空かなかったそうです。俺もはしりだけでそこまで詳しい話は聞いてないんですけど、まだ困っているみたいです……あぁでも本人は元気そうですからとりあえず心配は無いです。再会早々いろいろ文句言われて愚痴られました。落ち着いたら掲示板に顔を出すように言っときますから、しばらく待っててください」



 惑星改造会社やらアリスが宇宙人だったという、真顔でいったら明らかにアレな話はごまかしつつ事情を説明する。

 アリス本人に生存報告をギルド掲示板に書き込ませれば良いんだが、どうにもその本人が忌避している。

 このまま会社を潰して地球を売り払うことになったら、皆に申し訳なさすぎて会わせる顔が無いと二の足を踏んでいるらしい。

 気持ちは判らなくも無いが、なんというからしくない。



「ふふ。それを聞いて安心しました。良かったですね。マスターさんにもアリスちゃんにとっても」



 ため息混じりの俺の言葉に、なぜかユッコさんは楽しげな笑みをこぼす。

 連絡がついたことを喜んでいるのだろうが、後に続いたアリスも良かったという言葉からして、意味はそれだけではなさそうだ。



「俺の方は連絡ついて一安心って所ですけど、アリスの方はちょっと洒落にならないみたいですよ」



 なんせアリスの会社が潰れたら、もれなく地球人類も終了というかなり理不尽かつ無茶苦茶な悪条件。

 アリス本人のプレッシャーも相当酷いみたいなんで、何が出来るかは判らないが早めにこっちの仕事を安定させて何とかしてやりたいところだ。



「でもマスターさんの事だから何かしようとしてるんじゃ無いですか? だからアリスちゃんも連絡を取ったんでしょうから」 



 判ってますよと言いたげなユッコさんの笑顔。

 実際何かしようとしているんだから反論の余地は無しか。

 VRMMOゲームで結んだ絆は世間一般の常識に当てはめれば、軽い関係と思われるかもしれない。

 何せリアルの相手の顔も本名も知らないで仲間だ友人だとやっているのだから。

 でも俺もアリスも廃人と揶揄されるくらいに填まり込み、長く濃密な時間をゲーム内で過ごしてきた。

 それがリアルで結んだ関係に劣るとは思わないし思いたくない。



「そんなに判りやすいですかね俺……アリスは俺の相棒ですから。互いのピンチは何とかするって約束もしてるんで」



 ここ一番にしか使わないキーワード『相棒』を口にしリーディアンオンライン内で交わした約束を思い出す。

 ちと恥ずかしいことを言っているなと頭を掻いたときタクシーが停車した。

 タクシーが停車したのは目抜き通りから一本奥まった街路には復元された石造り灯籠型の街頭が立ち並んでいる。

 おそらくは昔の城下町をイメージした観光スポットなのだろう。



「お客さん。着いたよ。降りてすぐ左側の建物が百華堂さんだよ」



 運転席と後部座席を仕切っていたシールドが降りて顔を覗かせた中年の運転手が指さした先には、百華堂と彫られた看板を堂々と掲げる趣のある大きな店が一軒。

 うん……HPで見て外見は判っていたが、実物を目にすると思ったより威圧感がある。

 建物自体が築200年ということはあり得ないが、その過ごしてきた年月にふさわしい店構えだ。

 和菓子屋で威圧感を感じるというのもおかしな話だが、不躾なお願いをするという事で、気後れしているのかもしれない。


 

「運転手さんありがとうございました。カードでお願いしますね」



 僅かに飲まれている俺と違ってユッコさんは落ち着いた物だ。

 後部シートに設置されていたスロットにクレジットカードを通して料金を払い終えると、開いた扉からささっと降りてしまった。

  


「ありがとうございました……ユッコさん。俺がタクシー料金を持ちますんで後で支払い回してください」



 俺も運転手に礼を言ってからユッコさんの後を慌てて追ってタクシーを降りる。

 ユッコさんには無理なお願いしているのに、これ以上迷惑をかけるのは申し訳ない。



「高松駅までの交通費はマスターさんのお支払いだったでしょ。これくらいは払わせてくださいな。それにしても大きな店ですね。マスターさん」



 店を見上げていたユッコさんはやんわりと断り、俺に何かを言いたげな目を浮かべながら自分の右手をあげた。

 その仕草は覚えがある。ありすぎる。

 年明け早々ですでに暗くなっていると行っても時刻はまだ夕方。

 観光客らしき人が結構いるのが、ちと恥ずかしいが萎縮している自分自身に気合いを入れるには丁度良い。



「相手にとって不足無しですよ」



 ユッコさんの差し上げていた右手に俺は自分の右手を打ち合わせる。

 ハイタッチの爽快な音が宵闇に響きわたり、辺りの観光客がこちらへと視線を向けた。 周囲からの奇異の視線を無視してさらに俺とユッコさんはそのまま拳を作り重ねて再度打ち合わせた。 

 戦闘前には互いの健闘を祈り、戦闘後は互いをたたえ合う意味を持たせた拳礼はボス戦でよく交わしていたギルドの挨拶。

 これだけで先ほどまで感じていた心の重しが消し飛ぶのだから、とことんまで廃人思考だ。



「おかーさん。あのお婆ちゃんとおじさんなにしてん?」



「しっ。いかんよ。あんまりじろじろ見ちゃ」


 

……周囲の目は気にしたら負けだろう。













「ただいま主人を呼んできます。しばしこちらでお待ちください」



 店に入って従業員に名前と用件を告げるとすぐに奥の客間へと通された。

 ちゃんと話は通っていたようでまずは一安心。

 今日中に行くというのを本気にされず、いたずら扱いで門前払いされる可能性も少なくなかったので、第二関門も無事突破といったところか。

 通された10畳ほどの客間には、艶のある重厚な木製の座卓が一台。

 一段上がった床の間には掛け軸が3幅かけられている。

 海沿いの塩田で働く人々。

 一面の綿畑で綿摘みをする女性。

 木で組まれた器具を使って何かを絞り出す職人。

 掛け軸それぞれに描かれている図柄は一つ一つ違うが、俺はそこに共通点を見いだす。

 奇しくもそれは俺が攻略の切り札として選んだ物だ。

 


「やはりこちらのご当主は郷土愛の強い方のようですね。あの掛け軸。マスターさんの読み通りですね」



「そうみたいですね」 



 掛け軸に描かれた絵柄にユッコさんも気づき笑顔を交わし合う。

 後はいかに持って行くか。

 話の持って行き方を想定していると、廊下側の襖ががらりと開き一人の老人が姿を見せた。



「待たせたのぅ。ワシが百華堂9代目店主の香坂雪道や。ほんまに関東から来たんかあんたら。質の悪い悪戯さやと思っとったんやけどの」



 今も仕込みの真っ最中だったのか粉のついた作務衣を着た老人は鋭い目線で俺とユッコさんをじろりと睨んだ。

 友好的ではないその目は胡散臭いバッタもんを値踏みするような目だ。



「昼間は電話で失礼いたしました。ホワイトソフトウェアの三崎伸太と申します。こちらは我が社のクライアントの三島様です」



 俺は立ち上がって老人へと深々と一礼をしてから、同じように立ち上がっていたユッコさんを紹介する。



「三島由希子です。このたびは突然お伺いして申し訳ございません。百華堂様にどうしてもお願いしたいことがございまして訪問させていただきました。どうかお話だけでも聞いていただけませんか」



 やんわりとした笑みを浮かべたユッコさんは香坂さんの険しい視線を軽々と受け止め頭を下げるてみせる。

 やはり場数という意味ではユッコさんは俺の数倍、下手したら数十倍以上踏んでいるのだろう。

 その立ち居振る舞いは堂々とした物だ。



「うちの菓子をVR化させたいとか巫山戯た金儲けな、へらこいその根性おがっしゃげたろうとおもうとったがちゃうんかの? 座ってくれや。聞かしてもらうわ」 



 ユッコさんの真摯な態度に感じる物があったのか、香坂さんが少しだけ険を納めると対面にどっかと腰を下ろすと俺たちにも着席を勧めてきた。

 ちと方言がきついんで判りにくいがとりあえずファースト攻撃としては十分か?

 俺が座るとユッコさんが横から視線を飛ばしてきた。

 任せますという合図だろう

 ……戦闘開始。



「私共がVR化させていただきたいと不躾なお願いをしたいのは一人の女性のためです…………」



 神崎さんの事情を早すぎず遅すぎず滔々と話していく。

 雑用で会社外に行かされることも多いのでそれなりに敬語は使う機会は多いが、どうにもいまだに慣れないのでちと緊張する。

 香坂さんは腕を組んで目をつむり何も言わず、ただ俺の語りに耳を傾けてくれている。

 難病にかかりすでに手の施しようがない末期状態となっていること。

 こちらの百華堂の和三盆干菓子のファンで、毎月取り寄せているが自分では食べることは出来ず見るだけしか出来ないが、それでも喜んでいること。

 1週間後にある最後かもしれないVR同窓会の席でこちらの干菓子を是非神崎さんに召し上がっていただきたいと考えて急遽尋ねてきたこと。 



「私共はこちらの商品をVR化させていただいてもVRデータとして販売する気は毛頭ございません。一時……ただ同窓会の時だけでも神崎さんに召し上がっていただく為にVRデータ化のご許可をいただきたいのです。どうかお願いいたします」



 敬語を使うことに気を遣いすぎて、機械的でクソ丁寧な心の籠もっていない声にならないように抑揚を意識しながらこちらの事情を説明し終えた俺は、最後に額がテーブルに着くぐらいに深く下げる。

 黙って任せてくれていたユッコさんも倣って頭を下げる。

 艶のある光沢を放つ座卓の表面に映る自分の顔を見ながら香坂さんの反応を待つ。

 香坂さんの…………反応は無い。

 情だけですんなりと通るとは思っていないが、無反応も予想していなかった。

 何らかのリアクションがあれば対応するが、このままでは次の動きがしにくい。

 顔を上げて香坂さんの様子を観察したい誘惑にとらわれるが我慢する。

 駆け引きを楽しんでいることは否定しないが、神崎さんの為にもというのは紛れもない俺の本心。

 いまだに残る子供っぽさを社会人としての理性で抑える。 



「…………今の嘘は無いんやろうの」



 長く感じた時間の果てに香坂さんの真偽を確認する声が静かに、だが強く響く。

 俺は顔を上げて香坂さんの鋭い視線を受け止め、同じ強さで反しながら答える。

 

 

「毎月月初めに神崎さんは北関東にあります西が丘ホスピス宛で、百華堂さんの商品を注文していらしゃるそうです。注文台帳をご確認いただければ、私共の話に嘘は無いと信じていただけるかとおもいます」



「…………………長いことご贔屓してもろとるお客さんのことやこし調べんでも判る。めんどげな病気になっとるとは思わなんだわ。何ぞしときたいが……ちょっと待っとり」



 眉間にしわを寄せた香坂さんはふらりと立ち上がると部屋の外へと出て行った。

 上手くいった…………とは思わない。

 香坂さんが浮かべる表情には苦悩が見て取れたからだ。

 こちらの事情は理解してもらえたようだが、色よい返事がもらえるような雰囲気では無かった。

 俺とユッコさんは目を見合わせるが二人とも不安は無い。

 ここでの反応は織り込み済みだからだ。

 他の和菓子であればまだ反応が違ったかもしれない。

 おそらく俺の予想が当たっていれば和三盆干菓子故の特徴が香坂さんの苦悩の理由だろう。

 3分もせず香坂さんは盆を持って戻ってきた。

 盆の上には湯飲みが二つと、深い緑色の葉皿が一枚。

 葉皿の上には赤白黄色と色取り取りに着色された花形の干菓子が並んでいた。

 


「食んまい。ワシの答えだ」



席に戻った香坂さんは座卓の上に盆を置くと俺たちへと食べてみろと静かな声で促す。



「いただきます」



 勧められるままに一つ手に取り囓る。

 当然と言えば当然だが昼間神崎さんからいただいたのと同じ味。

 糸がほどけるように口の中でほぐれた和三盆のくどさの無い甘みが口に広がる。

 砂糖の塊だというのに後味もすっきりとしている。

 少し渋めの茶を一口啜ると次がまた食べたくなるほっとする味だ。 



「美味いか? あんたら」



 香坂さんの問いかけに俺が答えを返そうとすると座卓の下でユッコさんが制してきた。

 どうやらユッコさんはここで勝負に出るつもりのようだ。



「えぇ……とても美味しいです。恵子さんがまだ普通に食事を取れた頃にご馳走になったお味です。このお店のが一番好きだとよく言ってました」



 ユッコさんの言葉はおべっかでもお世辞でも無い。

 おそらく今より少し昔に本当に交わした会話だと気づかせる響きが篭もっていた。

 


「そう言ってもらえるんは職人として誉れやけど、ワシの手柄でないで……和三盆があってこその味やけん。この干菓子は和三盆そのもん。讃岐の誇りと伝統じゃ。やけんよ。ワシの独断では、よおわからんもんへの許可をだせん。製造元や他の職人に迷惑はかけられん」



 やはり……そうか。

 香坂さんの躊躇は俺の予想していた懸念だった。

 和三盆の干菓子とはつなぎをいれ固めた和三盆を型抜きして着色した物であるが、味そのものは和三盆である。

 干菓子をVRデータ化するとは、和三盆の味をデータ化するのと同意。

 セキュリティに気をつけてはいるがもし万が一データが外部へと流失、拡散すれば、問題は百華堂さんだけでは収まらなくなる。

 和三盆を製造している製造元。

 さらにはその取引先で同じような干菓子を製造している他の和菓子屋にまで影響が出る事になる。

 そりゃ渋るよな。大規模な問題に発生する可能性があるんだから。



「香坂さん。こちらをご覧いただけますか」



 ユッコさんが横に置いていたバックから二枚の紙を取り出し卓の上に並べる。

 それはここに来る途中でユッコさんが書き上げた二つのラフ画だ。



「これは……」



 ラフ画を目にした香坂さんの目が驚きで広がる。

 華やかな花が舞い散る反物をイメージしたデザイン画はデザイナー三島由希子渾身の和三盆干菓子の図案。

 花びら一つ一つが細かい装飾を施されているのも華やかであるが、それ以上にすばらしいのは全体で見たときの調和だ。

 躍動感あふれる図案は強烈な印象を残し、春の息吹と気高き花の香りすら感じさせるほどだ。

 この道数十年の熟練和菓子職人の心にも響く物があるのだろう。

 服飾と和菓子。

 畑違いの分野といえど、ユッコさんの世界を相手に出来るデザインセンスは通用するはずだという読みは当たる。



「……こちらもどうぞ」



 ユッコさんは最初に見せたラフ画の下に隠していたもう一枚のラフ画を取り出す。

 先ほどの華やかさから一転して純白の木綿布に華美にならない程度に細かな刺繍を施した包み布のラフ画だ。

 由希子さんの話ではこちらのイメージは冬。

 雪が溶け百華咲き乱れる春が訪れるというコンセプトの包み布と干菓子を組合わせている。

 この強烈なギャップは包み布をほどいたときの驚きと喜びをお客に与えることが出来るだろう。

 ラフ画を提示した由希子さんは俺を見てにこりと微笑み、右手の拳を軽く握って見せた。

 トドメのクリティカルをお願いしますという合図。



「香坂さん。三島様は世界的にも名の知れた服飾デザイナー三島由希子先生です」 



 ユッコさんが用意してくれた武器を手に俺は詰めの交渉へと突入する。

 三島由希子が持つその高名を香坂さんが知らずとも、その才能を感じさせる鮮烈なデザインが否定できない真実味を持たせる。



「私共は今回のVR化にご理解とご許可そしてご協力をいただけるのならば、そのお礼といたしまして四季折々に合わせたユキコブランドのデザインをご提供する用意があります」 



 その威を借りた俺は遺憾なく乱用し一気に本丸へと迫る。

 うちの佐伯主任では無いが、すばらしいデザインが目の前にあれば実際に作ってみたいと思うのは職人の本能だろう。

 職人気質が強ければ強いほど制作意欲を刺激される嵌まる罠。

 

 

「…………ワシ一人ではよう決められん」



 罠にはまりかけた香坂さんはラフ画を手に取りつぶさに見ようとしたが、何とか思いとどまる。

 しかしそれは指先だけ引っかけて耐えているような状態。 



「ご安心ください。香坂さんのお気持ちは判っております。私共のコンセプトは『讃岐三白』です」


 

 俺は床の間の掛け軸を指さす。

 ここにあの掛け軸があったのは本当にラッキーだとおもうしかない。

 かつてこの地が讃岐と呼ばれていた頃の名産品を描いた三幅の掛け軸。

 東部の和三盆。

 瀬戸内の塩。

 そして西部の綿。

 白物三種類を纏めて呼ばれていた死語となって久しい概念を武器として俺は掘り起こしてきた。

 商業的な塩田はとうの昔に途絶え、観光用の復元施設があるだけ。

 綿花作りも前世紀には安価な輸入品に押されて衰退し、極々一部で栽培が続けられる細々とした物となっているらしい。

 未だに根強い人気を誇る和三盆はともかくとして、他の二つがこの現状だというのはちょっと調べればすぐ判った。

 絵に描いた餅のような計画を元に譲歩を引き出すというのは限りなく詐欺に近いような気もするが、そこは勢いでごまかす。



「包み布には讃岐の綿を使った木綿を使い、和三盆の干菓子はもちろんとして、塩田の復元施設で販売されている瀬戸内の塩を使った和菓子を香坂さんに御考案いただければ讃岐の誇りであった讃岐三白を全て網羅した商品が完成いたします。讃岐三白の復活です」



「何とか! 讃岐三白の復活やと!?」



 香坂さんの目の色が変わった。

 地元の名産品の大々的な復活。香坂さんのように郷土愛の強い人間には弱い言葉だろう。



「はい。ただ百華堂さんだけでは讃岐三白といっても盛り上がりに欠けるかもしれません。ですので香坂さんが名誉会長を務めている讃岐文化保存会や和三盆生産者の方。他のお店の方にも協力要請していただきたいのです。ご協力していただけるのならば他の方々にも三島先生のデザインを格安で提供させていただく用意がございます」



 広範囲に迷惑がかかる恐れがあるなら…………いっそ全部を巻き込む。

 それが俺の出した答えだ。

 かってに格安を確約して仕事を取るのだから、ユッコさんの個人事務所の方にあとで怒られそうな気もする。

 まぁ本人が乗り気だからオッケーか。



「讃岐三白の復活………………ちっと時間を貰えんか。ワシはおもっしょい思うけんど、寄っりゃいして皆に訊かないかん。あんたら急いとるんは判るが、1~2日待ってくれんかい? そん間はうちんく泊まってくれてかんまんけん」



 香坂さんが深い息を吐いて立ち上がった。その目はぎらぎらと輝いている。

 火付け成功か。

 


「ではお世話になります」



 俺が返す返事もそこそこに聞いて香坂さんはどたどたと部屋の外に出て行った。

 おそらく他のメンバーに連絡を取りに行ってくれたのだろう。

 後は他の人らの説得が出来次第、会社に連絡してデータ化を開始してもらおう。

 やることはまだまだあり日時も少ないがとりあえずの難関は突破したと思って良いだろう。 



「相変わらずマスターさんは人を煽るのが上手いですね。私も張り切りがいがあります」



 ユッコさんは呆れと感心交じりな声で笑いながら右手を差し上げた。



「そりゃまぁこれでもGMなんで。イベントを盛り上げてなんぼの商売ですから」

 


 ユッコさんが差し出した右手に右手を打ち合わせてとりあえずの勝利と互いの健闘を称えあった。



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