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第2話:Be My Valentine♪

ああ・・・疲れたなあ・・・


デスクのパソコンでの文書作成が一段落し、俺は、ぐっと伸びをした。

ずっと画面を見つめていた目がしょぼしょぼする。もう、若くねえなーと我ながら思う。


時刻は21時32分。先日逮捕したホシの調書を巻いてたらあっという間にこんな時間になってしまった。

机の上にちょこんとチロルチョコが置いてある。


「あれ、これ何?」

誰に問うともなく言うと、2つ離れた席に座っている後輩の鈴江が律儀に答えた。

「それ、三木さんがみんなにって、ばらまきチョコっすね」


三木とは、前回の異動で刑事課に配属になったばかりの女性刑事だ。最近はこういうのはしないことになってると言ったのだが・・・妙に気を使って、こんなもんを撒いてからに・・・。


そんな風に思ったが、ぐーっと腹も鳴っていた。

気がつけば飯も食わずに調書づくりをしていたわけで、腹が減っててもしょうがない。俺はパッケージを雑に開くと、チロルチョコを口に放り込んだ。


そういや今日は2月14日か。

世間じゃバレンタインらしいが、刑事・・・しかもバツ1やもめの中年デカには全く縁のないイベントだ。こうしてチロルチョコが口に入れられただけで、マシかと思うしかない。


さて、もうひと頑張り・・・

すっかり冷めきったコーヒーを呷ると、俺は再びラップトップパソコンを開いた。


その時、るるるると、内線電話が鳴り、鈴江が取った。

「係長、受付から連絡が来てるんですけど?」


電話口を押さえながら鈴江が俺に言ってきた。


はて、受付・・・?

弁護士かなんかだろうか?


「俺に?」

「そう言ってます」

「分かった、回して」


鈴江が電話機を操作して俺のデスクに電話を転送する。

るるるる、と着信音が鳴った電話を取り上げた。電話の向こうは今日の受付担当らしい若い女性警察官だった。


「あ、宗像係長?・・・なんか、署の前に不審なヤツがいたとやらで、バンかけたら宗像係長を待ってるって言ってて・・・」


この瞬間、俺の背中に嫌な予感が走った。


「何の用?って聞いたら、係長の名刺を・・・」


瞬間、俺は『ちょっと待て!今行く!』と半ば叫ぶように言うと、受話器を叩きつけるように置いた。


「係長?」

「すまん、ちょっと受付行ってくる」

「なんか面会っすか?」

「あ・・・ああ、まあ、そんなもんだ」


横浜北署の刑事課は3階にある。エレベーターホールで下行きボタンを連打し、俺はじっと階数表示を睨む。


早く来い、来い・・・っ!


ちーん


開いたエレベーターに飛び乗り、今度は1階のボタンを激しく連打。

連打しすぎて、一回キャンセルになる


ああああ!


もう一度、落ち着いて押す。


ちーん


扉が開くと走らない程度の早足で署入口にある受付に向かった。

署に入ってすぐのスペースには来庁者用のソファや長椅子が置かれており、そのひとつに紺色のダッフルコートを着込んだやたら色素の薄い男が座っている。


そいつの前で受付担当の佐伯巡査が何やら困った様子で腕組みをしていた。


「陽菜多!」

思わず声に出してから、しまった!と思う。

俺の声に反応して、陽菜多がパッと顔を上げる。


「師月・・・良かったぁ・・・」

パタパタと駆け寄ってきて、ぎゅっと俺に抱きついてきた。途端、陽菜多がまとっていたひんやりとした外の冷気が俺の身体にも染み込んできた。


今日は昼間はあったかかったが、さすがに日が暮れればそうも言ってられない。たぶん、こいつは・・・


「おま・・・な、なんで!?」

「なかなか師月が出てこないから、もう帰っちゃったのかと思ったよ」


抱きついてぴょんぴょん跳ねてる陽菜多は俺に子犬を連想させた。そして、多分、この子犬はむちゃくちゃ長い時間、署の外で俺が出てくるのを待っていたのだろう。


「あ・・・あの・・・宗像係長?」

佐伯巡査がおずおずと声をかけてくる。

その声ではっとして、俺は陽菜多の身体をぐいと引き離した。


「あ・・・いや、その・・・こ、こいつは・・・」

その後が続かない。


知り合い?

友だち?

・・・それとも・・・


「師月が困ったら来いって言った!」

陽菜多が言う。手元で俺の『名刺』をくるくると指先で器用に回転させている。


ひいいいっ!そ、それは!!


「捜査協力者か何かですか?」

慌てる俺と、なんだか馴れ馴れしい陽菜多。そんな状況をなんとか合理的に解釈しようとした佐伯がひねり出した答えがこれだった。


「あ・・・ん・・・そ、そんなところ・・・かな?」

本当はぜんぜん違うけど、俺はその解釈に乗ることにした。語尾を曖昧にしつつ、俺は陽菜多を引っ張ってエレベーターホールに連れて行った。

とにかくこいつは心臓に悪い!


「ちょ、引っ張んないでよ、師月!」

「おま・・っ!」


名前呼びとかするな!


まだ何か言いたげにしている陽菜多を引きずるようにしてエレベーターに押し込む。扉が閉まり、やっと人心地した。


はあ、はあ、はあ・・・


「もう!乱暴だな・・・師月」


別に転んだわけでもないのに、陽菜多はパンパンと服の裾を払ってみせる。俺の方が生きた心地がしなかったわ!


ちーん


エレベーターが屋上階につく。

とにかく人のいないところにこいつを連れてきたかった。


屋上階のエレベーターホールを抜け、両開きの扉を開くとそこは、署の屋上だ。男子寮が併設されている署なので、屋上は洗濯物を干したりするために普通に署員に解放されていた。


「わあ・・・っ!」


陽菜多が小さく歓声を上げた。

それもそうだろう。この署は横浜みなとみらい地区を臨む立地にあり、しかも地上8階だ。その屋上ともなれば相当見晴らしもいい。


真っ暗な屋上から見るみなとみらいの街並み。商業ビル群の窓から漏れる明かり、地上を流れる車のヘッドライトやテールライト、そして、彼方に見える暗い海の上を時折過ぎる商船の灯火・・・。


「すごい・・・星みたい」


確かにそうだ。

仕事に疲れた夜なんか、よくここでタバコを吸う。

そんな時、ぼんやりこの景色を見ていると、なんだか小さいこととかどうでも良くなる気がした。


せっかくだからタバコでも・・・そう思ってポケットに手を伸ばしかけたが、目を輝かせて屋上の柵を掴んだまま街を見下ろしている陽菜多を見て、それをそっと引っ込めた。


「お前、なんか困ってるのか?」


そういえば、『困ったら来いって言ってた』とか受付で言ってたよなと思って尋ねてみた。

何かあったのだろうか?


「あ、うん・・・困ってる、困ってる」


そう言いながら、陽菜多は背負っていた小さいリュックを下ろし、その中からきれいにラッピングされ、リボンのかかった箱を出してきた。


ま・・・さか?


「はい、師月の分」

赤地に小さな茶色のハートがいくつもあしらわれた包装紙にくるまれたそれは、明らかに・・・


「これ・・・チョコレート・・・か?」

「うん」

「こ、これ渡しに?」

「そうだよ?」

「な・・・」


言葉が、続かなかった。


佐伯巡査は5時ころから陽菜多が外にいたと言っていた。今はもう10時近い。いるかどうかすらわからない俺を待って・・・って・・・お前・・・。


「電話・・・すりゃいいのに」

ポツリと声が漏れた。

「ええ!だって、師月が仕事中だったら迷惑かと」

「バカヤロ、お前・・・風邪引いたらどうすんだ!」


言うと、ああそうか、とそこで初めて気づいたような顔をしていた。


「大丈夫だよ、慣れてるから」


そう言って、陽菜多は空を見上げた。


「俺、天文学専攻なんだよね。ほら、こういう寒い日の方が星見えるから、よく寒空で観測してるからさ」


だから大丈夫、と。

そして再び俺の方を向いて、チョコを指さして続けた。


「あ!それ・・・食べてみてよ」

「ん・・・、ああ・・・」


陽菜多からもらったチョコレート。

なんだか、開けるのがもったいない・・・なんて、柄にもなく思ってしまっていたが、本人に促されては仕方がない。俺はケースを裏返して、包装紙を丁寧に剥がしていった。


箱を開けると中が9つに区切られていて、それぞれにいろんな形の小さいチョコレートが収まっていた。


「好きなのひとつ、とって」

言われた俺は、少し迷って、真ん中にあったピンク色のハートのチョコレートを選んだ。口に入れ、噛むと、中に何かが入っていたようで、口いっぱいに甘酸っぱい味が広がった。


「おいしい?どんな味だった?」

チョコ自体はとても小さいので、すぐに口の中で溶けてなくなる。少しのチョコレートの苦みを追いかけるように酸味が広がってきて、後味は爽やかだった。


ベリー系かな?などと言おうとした矢先、

ちょっと背伸びした陽菜多の唇が俺の唇を塞いだ。

舌が入ってきて、俺の舌を少しだけなぜる。


「あ・・・クランベリー」


チョコを食ったせいかもしれない。陽菜多が唇を離すと、唾液が糸を引いて二人の間でぷつりと切れて落ちるのが見えた。


「なっ!!お前っ・・・」


俺は慌てて唇を押さえたが、後の祭り。陽菜多が満足そうに笑っていた。


「お返し・・・もう、もらっちゃった・・・」


へへへと笑う。

その顔を見たら、なんだか俺も身体の力が抜けた気がした。


しょうがねえやつだ・・・。


「チョコありがとうよ。済まねえな。いくら慣れてるからって言っても、身体冷えるだろう?もう少し仕事があるから、中で待ってていいから・・・」


言ったが、陽菜多が首を振る。


「もうちょっとだけ、ここで一緒にいちゃだめ?」

くいと袖口を引っ張られ、俺達は横並びで横浜の夜の街を眺める。


「きれいだよね・・・」

「ん・・ああ・・・」

「ねえ」

「ん?」

「ちょっと・・・気障なこと言っていい?」

「なんだ?」

「さっきさ、寒いほうが星がよく見えるって言ったじゃん?」

「ああ」

「寒いとさ、空気がじっと止まっているんだよね。それで、星の光がまっすぐ届くんだ。宇宙の果てからの光が、俺んとこまでまっすぐ届く」

「そうなんだ」

「人も同じだった」


どういう意味だ?と思って彼の方を向くと、陽菜多はそのままキラキラとした街の光に目を向けている。


「寒いほうが、師月のあったかさが、まっすぐ伝わってきた」


そう言って、こっちを向くとにっこり笑った。

期せずして目が合う形になり、俺のほうがなんだか恥ずかしくなってしまった。不覚にも顔が赤くなるのを感じて、目を背けてしまう。


「確かに・・・気障だな」


そう言うのが精一杯・・・だった。


やっぱり気障だった?


こちらの胸のドキドキも知らないで、陽菜多が無邪気に笑い声を上げた。


本当に・・・こいつはっ!


さっき、受付で陽菜多に抱きつかれたのを不意に思い出した。

人の身体を温かいと感じたのは、いつぶりだったろうか。


こいつといると、なんだかいろんなものが溶かされていく。

そんな感じがした。


当の陽菜多自身は、きっと、俺の胸をここまでかき乱している自覚なんて、ねーんだろうけど・・・。


それがなんだかちょっと腹が立つというか、

やられっぱなしで悔しいというか、

なんだかそんな不思議な気持ちがむくむくと湧いてきてしまった。


「陽菜多」

「何?」


だから俺は、彼の名を呼ぶ。

今度はこっちの番だ。


突然呼ばれて、無防備に立つ彼をぎゅっと抱きしめる。


え?・・・と一瞬固くなる陽菜多の身体

そして・・・


「約束だ・・・守れよ?」


驚いたような顔をする彼

その顎をくいと少しだけ上げ、

深い・・・深い・・・

キスをしてやった


背後に広がる横浜の街明かりが

まるで海のように俺達を包んでいた。


☆☆☆

「ごはんまで奢ってもらっちゃって」


みなとみらい駅改札口前

時間はもう23時を回ろうとしていた。


「大したもん食わせたわけでもねえ」


あの屋上のキスの後、俺は陽菜多を待合に押し込むと、猛烈な勢いで仕事を終わらせた。そして、まだやっているチェーンのうどん屋で一緒に食事をしたのだ。


「でも、うどんもおいしかったよ?」

そう言って陽菜多がまた笑った。なんだか、彼の笑顔を見ると、安心する。


「今度来るときは電話してから来い。そしたら予定を伝えられるから」


今日、署でまたせてやったのは特別だからな?と釘を差した。

また今日みたいな形で突然に尋ねて来られたらたまったもんじゃない。


「え~いつでも来いって言ったのに~」

ぶーぶーとわざとらしく頬を膨らませて不満そうにしてみせる。

「会わねえとは言ってないだろが!」

「そうだけど~」


まさかこいつと、あらぬ想像をしてしまう。


「お前まさかとは思うが・・・そ、その・・・名刺の『裏』を、見せてねえだろうな?」


もし、そんなことされたら、恥ずかしすぎて、明日俺はどんな顔で出勤していいか分からなくなる。


「え?これ?」


そう言って、ポケットから取り出した定期入れから、ひらりと俺の名刺を引っ張り出してみせる。


「むやみに取り出すな!」


あのときはなんとなくテンション上がって書いてしまったが、

出した後のラブレターほど恥ずかしいものはない。

やめろ。


陽菜多がずいっと顔を近づけてくる。胸には俺の名刺を抱きしめたままだった。


「見せないよ・・・だって、これ、俺がもらった大事な・・・『手紙』だもん」


そう言いながら、また、陽菜多の唇が俺のそれに押し当てられた。


またやられた!


そう思ったときにはすでに陽菜多は、踵を返して改札口に走り込んでいた。

よく見たら、終電が到着する時間になっていた。


手を振りながら、改札口に消えていく。


「またキスしてねー!!」


そんなこと、でけえ声で言うんじゃねえ・・・


そう思いながら、彼を見送る。

唇に残る、陽菜多の体温。


知り合い・・・じゃない

友だち・・・でもない


なんとなく、この間、出会ったときから、予感していた。

どうしようもなく、惹かれていた。


知り合いじゃない

友だちでもない


認めざるをえなかった。

俺は陽菜多を・・・恋人・・・だと・・・思っていることを・・・。

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