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第1話:海に漂う星屑のように

「明けの目に太陽の光が沁みるわ・・・」

くわえタバコ・・・ならぬ、くわえ禁煙パイポで、ぼんやりと呟いた。


横浜市西区みなとみらい地区に位置する臨港パーク。

目の前がバンと海に開かれており、こういう晴れた日は特に見晴らしがいい。


昨晩もまた、事件が立て込み、仮眠はおろか、休息もろくに取れていない俺は、帰る気力をチャージするべく、ここ、臨港パークにて日光浴中だ。


ああああ・・・疲れたあ・・・。


吸うでもなく咥えていたパイポが口から落ちそうになったのを俺は慌てて手で押さえる。なんでこんなもんを咥えているかと言えば、口寂しいからだ。


本来ならくわえタバコをくゆらせたいところだが、残念ながら条例で、この場所は全面禁煙である。俺の立場でそれを破るわけにはいかない。


ああ・・・それにしてものどかだ。


昼過ぎの海はきらきらと陽光を照り返している。俺が寄りかかっている欄干の下に、時折降り立つセキレイが、何があるのかしらんけど、たまに地面をつついてまた飛び去る。


遠くに見える大型船がゆっくりと水平線を滑っていた。


「・・・でねー、あいつがその時言うわけよ」

「なんだ、そりゃ!」

ぎゃははは、と後ろで無邪気に笑っているのは、座るにしては肌寒いこの季節なのに、この場所で腰を下ろして海を見ながら談笑している若いカップル。


その他にいるのと言えば、

時折、欄干によりかかりながら釣り糸を垂れている釣り人

俺と同じように、何が面白いのかぼんやりと海を眺めている若い男性


そんなもんだ。


2月3日、平日の臨港パークは本当にのどかだった。


はあ・・・そろそろ帰るか・・・

あんまりここにいても体が冷えちまう。ちょっと元気も出たことだし、帰ってシャワーでも浴びて、酒のんで寝よ・・・。


そう思って、欄干から体を離した時、バサバサっと俺の頭の上で何かが大きく羽ばたいた。


「どわっ!」


思わず叫んだ俺は、両手で頭を守るようにして、たたらを踏んで後ずさる。

挙げた両腕を何かがバシバシと叩いていた。


何だ!?何なんだ!?


腕を振り払うようにすると、何かに当たった。

そして、その瞬間、後ずさった俺の背中が、また別の何かに当たる。


「うわ!」


後ろで誰かが声を上げるのが聞こえた。そして、俺の腕に当たった、『何か』がバサバサと音を立てて飛び去った。


「カーッ!カーッ!カァーッ!!」


尻餅をつくようにして転んでしまった俺が見たのは、結構大きな真っ黒い鳥・・・カラスだった。どうやら俺は突然、何の理由もなしにカラスに襲われたらしい。


びっくりした・・・


「ああ!」


後ろは後ろで何かを言っている。振り返ると、若い青年が欄干を乗り越えようとしていた。


身投げ!?


咄嗟にそんな言葉が頭をよぎる。俺は慌てて立ち上がると、その男の手首をぐいと掴む。


「てめぇ!離せよ!何すんだ」

「危ねえだろ!」


男・・・というか、青年・・・いや、男性だよな?と、俺は今自分が手首を掴んでいるそいつをもう一度まじまじと見た。


さらりとした髪の毛、色素が薄いのか、透けるように白い肌

掴んだ手首は細く、華奢だった。


深いブラウンのゆとりのあるパンツにくすんだ赤の薄手のセーター

襟の部分から覗くワイシャツは白に近い薄めのブラウンだった。

その上から少し丈が長い黒のステンカラーコートを着ている。


男・・・だよな?

「離せよっ!」

「やめろ、死にてぇのか!」


いや、間違いない男だ。声が男。


その男は、俺が手を離したらそのまま飛び降りてしまいそうなほど体重を前にかけているので、俺の方は必死で引っ張り上げるしかなかった。引き上げたいが、ジタバタと暴れるのでなかなか思うようにいかない。


「いいんだよ!俺の命なんか!!離せっ・・・よっ!」


叫ぶ男。その言葉が俺の中でパチリと何かのスイッチを入れた。


「命なんか?バカヤロー!」

俺は渾身の力を込めて、男の身体を引き戻す。

やっとのことでそいつの身体を欄干から引きずり下ろしたときには、ふたりとも、地面に尻餅をついたような状態だった。


「ああっ!!」


欄干越しに海に手を伸ばし、その男はなにかとてつもない喪失をしたかのような悲壮な声を上げる。ここに来て俺は初めて、そいつが何かを海に落としたことを知った。


「どうしたんだ?」

声を掛けると、そいつが親の敵のような顔で俺を睨みつける。


「どうしてくれるんだ!手紙!俺の手紙が!ああっ!!」


確かに波間に紙が二枚、ゆらゆらと揺れていた。そして、それはちゃぷちゃぷと波立つ海にのまれて沈んでしまいそうになっている。


「あれを取ろうとして?」

「そうだよ!悪いかよ!」


そう言うと、男は右手を額に押し当てるようにする。その隙間から見える目に、光るものがあった。


「最後の・・・手紙・・・だったのに・・・」

「お前・・・」


俺はチラともう一度、手紙を見た。

沈みかけてはいるが、まだ波間に漂っているのが視認できるくらいの水深だ。

いける・・・かもしれない。


「ちょっと待ってろ」


本当はいけないのだが・・・。


俺は、

数メートル離れたところで釣りをしている男性に声をかけた。

警察手帳を示す。


「ちょっとすいません。捜査にご協力願います」

「え?い・・・いきなりなんですか?」


男性はひどく慌てていた。当然だろう。

突然、警察官に声をかけられたんだから。


☆☆☆

クソ!・・・もうちょっと・・・なのに!!


ちゃぷちゃぷと波立つ海、次第に離れていく『手紙』を俺は必死で網で掬おうと試みていた。欄干にロープを結びつけ、乗り越えた先の不安定な足場でもって、ギリギリ身体を乗り出して懸命に釣り人から借りた網で海を掬う。


しかし、手紙はどうやら目に見えるよりも深くに沈んでいるようで、それになかなか網が届くことはなかった。


釣り人も自身の竿などでなんとか取ろうと努めてくれたが、それも徒労に終わってしまった。


と・・・取れねえか・・・!?

クソ、クソ・・・っ!


「えええい!!イライラする!!」


こうなったら!


俺は欄干を乗り越えて、一旦、地面の方に戻る。そして、網を釣り人に差し戻すと、コートと上着を脱ぎ、ズボンのベルトに手をかけた。

こうなったら、俺が飛び込んで・・・


「ちょ・・・お兄さん!」

裸になろうとしている俺を、今度は男の方が止めた。


「なんだよ、あれ、大事なんだろ?」

あれのために、お前自分が飛び込もうとしたじゃないか・・・だったら・・・。

しかし、男は首を振った。

「もういい・・・よ・・・」


俺の服の裾を掴んだまま、彼は小さく言ったきり、黙り込んでしまった。


俺は脱ぎかけたズボンをぐいと、上げる。

そうこうしている内に、『手紙』は、その青をより濃くしていき、ついに海の中に消えてしまった。


☆☆☆

「コーヒーでいいか?」


さっきの騒ぎですっかり体が冷えてしまった俺は、男を誘ってパークのベンチに座った。ついでに、その横にある自販機で缶コーヒーを買う。


プルタブを開けて、飲んだ男が一言、言った。

「苦い・・・」


ブラックコーヒーはお気に召さなかったらしい。

俺は自分がブラックだったもので、つい、同じものを買ってしまったが、好みを聞くべきだったか?


「ブラック飲めねえのか?」

「いや、んなことない」


手を暖めるみたいに、両手で缶を持つその男は、背を曲げて、まるでしょんぼりした子犬みたいに見えた。


「すまない・・・あれ、大事だったんだよな?」

遅ればせながら、まだちゃんと謝ってなかったのを思い出して、俺は男の横に腰を下ろしてそう言った。

「もう、いいって言ってんだろ」


きれいな顔をした男は、割と乱暴にそう答える。

ただ、その目は・・・なんというか、すごく、泣きそうに見えた。

なにか、深い事情が、あるもの・・・だったんだろうな。


なんと言っていいかわからずに、俺は『そうか』とだけ答えて、ベンチの背もたれに背を任せるようにのけぞり、空を見上げた。


ああ・・・タバコ吸いてぇ・・・


男はちびちびとコーヒーを飲んでいる。

そのたびに顔をしかめているところを見ると、本当はよほど苦いのが苦手らしい。


「ありがと」


不意に男が言った。


ん?何がだ?


一瞬何を言われてるかわからなかった。身体を起こして、そいつの顔を見ている。

そいつは、真っ直ぐ前を見ていた。

その目はやっぱりどこか、寂しそうだった。


「なにが?」

つい、言ってしまった。あ、こりゃまたきついお言葉が返ってくるぞと身構えたが、意外なことに、彼は少しトーンを落とした口調で言っただけだった。


「取ろうと・・・してくれた」

ポツリと言う。


そんなところから、ぽつりぽつりと、彼が話を始めた。


 最後の手紙って言ってたな

 うん

 家族のか?

 いや

 じゃあ、なんだ、その、好きな子、とかか?

・・・・・・・

 そう

 だったら、マジ好きだったんだな

・・・・・

 そう


ぽつり、ぽつりと積み重なる言葉。

そこには、深い想いが宿っている気がして。

なんだか、やっぱり俺は悪いことをした気がした。


「悪い・・・ことした。本当にすまん。」

「いいって・・・もう、大丈夫、だからっ・・・」


それは、全然、大丈夫そうではなかった。

たったひとりで雨の中、強がっている

そんなふうにしか見えなかった。


もう一回謝っても、意味ねえよな・・・。


そんなふうに思って、少し息をついた。

手の中の缶コーヒーはとうの昔に飲み終わってしまって、ただのひんやりとした金属の塊みたいになっている。


どうした・・・もんだろか・・・


俺が困っていると、男のほうが声を上げた。


「そんなに言うんだったら・・・さあ、

 今日、一日、俺に付き合ってよ」


そう言って、男はニヤリと笑った。


これが、俺、宗像師月と、

彼、佐倉陽菜多の長い長い一日の始まりだった。


☆☆☆

今、俺の目の前を、陽菜多(ひなた)と名乗った青年が妙に浮かれた感じで歩いている。

俺達が今歩いているのは、臨港パークの端である西口から、南口広場を抜けて、みなとみらいの中心方向・・・あの葉っぱ型で有名なインターコンチネンタルホテルの方へと向かう海沿いの道だった。


まだ昼下がり間もない海辺は、遮蔽物も何もない。2月とは言え、強烈な日差しで日向は暑くてしょうがない・・・とまでは言わないが、ジリジリと太陽の光を感じる程度には暑さを感じる。


『一日付き合って』

なんて言ってたけど、一体どこまでいくつもりだ?こいつは・・・


そんな疑問を持ったが、こっちとしては、陽菜多が何やら大事にしている手紙を海に落とすきっかけを作ってしまったという罪悪感もあるので、黙っているほかなかった。


手紙ねえ・・・


あの様子だと、死に別れた恋人の手紙って感じでもないよな。

最後の手紙と言っていた。

つまりは、振られたか、別れたかしたときの手紙ということになる。


いつもらったのかもわからない。

ずっと昔のことだったのかもしれないし、

今日もらったばかりだったのかもしれない。


でも、そのたった2枚の手紙を、何度も、何度も読み返すほどに、

そして、たとえ死んだとしても、海に飛び込んでも構わないと思うほどに、

彼にとって、その人は大事な人だったということだろう。


手紙か・・・。


瞬間、俺の頭に、嫌な思い出が蘇ってきた。


☆☆☆

一般人にとっては、まだ、警察といえば『刑事』っていう思いがあるだろうが、警察官にとって、刑事はさほど魅力的な仕事ではなくなりつつある。


多くの事件を抱え、一度ヤマが起これば、どんな用事があっても仕事を優先せざるを得ない。何日も家に帰れないことなんてザラだし、やったこと全てが報われるわけでもない。何より一番大きいのは、生活するための時間をろくに取れないことだ。


『サインをお願いします』


白い、四角いメモ用紙に、たった一行、そう書いてあった。

その横には、彼女のサインだけがしてあった離婚届

子どもの親権は彼女、とすでに記載が成されていた。


笑えた


ただ、笑えた。


いったい、これ、何日ここにあったんだよ・・・

そう思ったからだ。


久しぶりに帰った自宅。

社宅の部屋はがらんとしていた。

生活の温度ごと、一切合切、なくなっていて、

ただ冷たい空間だけがそこにあった。


笑って、笑って・・・泣いた俺は、

気づいたら、その手紙を破り捨てていた。


☆☆☆

「お!いいとこ見つけたっ・・・と」

陽菜多が声を上げる。


それは、インターコンチネンタルの横を抜け、女神橋をわたり、カップヌードルミュージアムを横目に見て更に進んだところだった。


海上保安資料館のすぐそばに位置しているそれは『赤レンガパーク』だった。


「おにーさん!まずは、あそこ、あそこ!」

陽菜多が駆け出す。

あ?と思いながら、俺もその後を小走りに追った。


赤レンガパークを知っているだろうか?

もともとは明治末期に建てられた税関施設であり、その後は米軍が使ったり、港湾倉庫として活用されてきた歴史がある。1989年に倉庫としての役割を終えたのだが、その建造物の歴史的価値を残そうということで、2002年に商業施設として蘇ることになる。


正確には、この蘇った商業施設を『赤レンガ倉庫』

その周辺の緑地帯を『赤レンガパーク』と言い、横浜市民の憩いの場であると同時に観光施設となっている。


1号館、2号館とある倉庫の内部は、3フロアに分割されておりショップやレストランはもちろん、ホールやイベントスペースも内蔵する一大商業拠点として機能するに至っていた。


陽菜多はあっという間に、その二号館の方に吸い込まれていく。


「おい!ちょっと待てよ」

こちらの制止も聞かずに、ずんずん倉庫内に入っていく。やっとのことで俺が追いつくと、ショップのひとつ、そのショーケースの前で、こっちこっちと手を振っている。

見ると、彼が見ているケース内にはアップルパイが並んでいる。


そこはGRANNY SMITH APPLE PIE & COFFEE・・・ここ、赤レンガ倉庫に店を構えるアップルパイの専門店だった。


「んーっと、どれにしようかな」

しばらくじっと見つめた彼が指さしたのは、たっぷりのクリームチーズにドライフィグ(ドライいちじく)をのせて焼き上げたアップルパイだった。


テイクアウトで760円、イートインで960円である


「あれ・・・あ!でもこっちも・・・ううん・・・」

もう一つ指さしたのは、たっぷりのナッツが乗って、さらに内部にチョコレートを挟み込んだアップルパイだった。こちらもお値段は同じ。


「よし、決めた!両方買って」

陽菜多がこっちを向いて、そう言った。


「はあ?」

思わず変な声が出る。な・・・こいつ・・・。


「え?だって、悪かったって、思ってるんでしょ?

 こう、ツミホロボシ、ってやつだよね?これ」


あー、俺って優しい、とそこに付け加える。


こ、こいつ・・・たかる気か!


「2つも食えるのかよ」

俺なら2つくらい軽いが、陽菜多の体型で、2つは結構辛いのではないだろうかなどと思ってしまう。


「おにーさんと半分こするからいいんだよ。

 あ、それと、飲み物はねー・・・」


結局、俺は陽菜多にアップルティーとアップルパイを奢ることになった。ちなみに俺にも食えということなので、仕方無しに自分用にまたブレンドを頼むことにした。


こんな甘いもん、コーヒーも飲まずに喰うことなど、できない相談だ。


「うん、おいしい!これ、今の期間限定なんだって」

どうやらいちじくの方は今だけの限定商品らしい。ナッツ・・・正確にはアーモンドだったが・・・の方は、通年で販売されているらしい。


最初に陽菜多がそれぞれを切り分けて、皿に半分ずつのせてくれる。自分の方を多くするかと思いきや、意外にも(?)、ほぼ等分で分けてきた。


それを俺はブラックコーヒーで

そして、彼はアップルティーにたっぷりのミルクを入れて食べていた。


「アップルティーってミルク入れるもんなのか?」

やっぱこいつはおこちゃま味覚のようだ。

さっきのブラックコーヒーは無理していたに違いない。


「こっちのほうがおいしいんだよ。いいんだよ」

なんて言いながら、アップルパイを頬張っている。


はあ・・・


確かに飯を食い損なって、腹も減っているので、少し何か入れたいところだ。

俺もいちじくのパイを口に入れる。


ああ・・・確かに果肉の風味とクリームチーズが良く合っている・・・。

そして、隣りに並んだアーモンドの方。

こっちは、口の中で弾けるアーモンドの歯ざわりが心地良い。ただ、チョコレートが入っているだけ、甘さ的にはこっちのほうが上だった。


「あ・・・甘い・・・」

慌ててコーヒーで口をリセットする。

おいしいはおいしいが、こんな甘いものはやっぱり食べつけなかった。


結局、俺は期間限定の方はなんとか食べきったが、アーモンドの方は半分でリタイアした。その更に残っているパイを、陽菜多がじーっと見つめてくる。


「食べないの?」

「もう・・・ギブアップだ」

「少食?」

「甘すぎる」

・・・・

「じゃあ、ちょうだい」


俺がいいともダメとも言う前に、陽菜多は俺の皿を自分の方に寄せ、あっという間に残ったパイを食べきってしまった。


「あーおいしかった」


そう言って、彼は窓の外を見る。そこからは外に据え付けられたテーブル席なんかが見えた。今日は2月の割にはあったかいからだろうか、そこで店からテイクアウトしたものを食べているカップルなんかもちらほらいた。


まだ口の中が甘ったるい気がした俺は、更にコーヒーを流し込んでいた。


これで、満足しただろうか?

ツミホロボシ・・・とか言っていたがなあ・・・。


窓の外を見ている陽菜多を何となくぼんやりと見ていた。

外の日差しに照らされた色素の薄い彼の顔は、そのまま陽光に溶けてしまいそうにも見えて、慌てて首を振る。

一体、こいつ、いくつなんだ?

背格好からして、大学生か、いってても24~5ってところだろう。着てるものはシンプルだけど、それなりに金をかけている気がする。

顔立ちや皮膚の色だけ見ているとハーフかとも思うほどだが、その瞳は黒・・・ないしは深いブラウンだし、髪の毛も陽の光に当たると若干茶色かかって見えるけれども、日本人でもおかしくない黒色だった。


しっかしこいつ・・・まつ毛、なげーな・・・


まさか女性みたいにマスカラだの何だのってわけでもあるまいから、あれが天然なんだろうな・・・


「なに?」

不意に陽菜多がこっちを振り返ったものだから、じっと見ていたのがバレそうになり、慌てて目を逸らした。


「どうかした?」

「や・・・別に」


別に・・・である。


「そういやお前、仕事とか、学校とか・・・そういうのは?」

ちょっと空気を変えようと、違う話題を振ってみた。

「今日は休講」


休講ってことは、やっぱり大学生かなんかか。

いいな、大学生か。


俺自身も大卒だ。

まあ、それほどレベルの高い大学ってわけではないが、大学生活はそこそこ楽しかった記憶がある。あの頃は、バイトして、レポート書いて、サークル出て・・・


それで・・・恋をして


そういや、こいつを振った女ってのは一体どんなやつなんだろうな。

客観的に見て、こいつはまあ、顔立ちが女っぽいと言えばそうだが、いい男の部類に入るんじゃないだろうか。それを振るってのはなあ・・・。


性格?


ああ、いかん、職業病だよな。

詮索癖ってやつだ。


俺はまた、頭を軽く振った。


きっとそれは、聞いていいことじゃない。

そう思った。


☆☆☆

アップルパイ喰って、終わりか・・・と思ったが、そう簡単に陽菜多は俺を解放する気はなかったようだ。赤レンガ倉庫を下から上まで連れ回され、あちこちの店を覗くのにつきあわされた。


俺自身、仕事では何度かここを訪れたことがあったが、完全オフで、しかも目的もなしにぶらついたのはこれが初めてだった。


彼は、ショップを冷やかしながら、アクセサリーを見たり、アメカジブランドのパーカーの裾を引っ張ってみたりしている。

俺はそれに後ろからくっついて、一緒に歩いている・・・だけだった。


何がおもしれーんだ?


ヴィンテージショップで、ミルクホワイトを基調とした、かすれた風合いのボーダー柄のマフラーを手にとって眺めていた。鏡の前に持っていくと、それをくるりと巻いて、前から、横から、そして、振り返って後ろ姿をチェックしている。


今日はあったかいからいらねーんじゃねえかな?


なんて思ったが、そういや、今週末は寒くなるって予報だったよなと思いなおす。まだ、もしかしたら雪が降るかもなどと言っていたから、今シーズン使う可能性もあるかもしれない。


「これ、どう思う?」

ボケっとしていたところに唐突に言われて、一瞬何を問われてるかわからなくなる。間を置いて、やっとそれが自分にこのマフラーが似合うかを聞かれたのだと思い、『あ・・・ああ』と曖昧に返事をした。


はっきり言って、似合ってるかどうか・・・なんて俺にはわからない。


「んー?」

俺の返事が何やら気に食わなかったらしい。陽菜多が何やら眉間にシワを寄せる。


「マジメにやってよね、おにーさん!」

「おまっ・・・」


言い返そうとするが、すぐに例のあの、ニヤリとした顔に戻る。

「ほれ、ツミホロボシ」


うううっ・・・!


こいつ・・・ちょっと・・・いや、だいぶムカつくぞ!

振られた理由はこれなんじゃねえか?


そんなことを思ったが、なんとか言葉を飲み込んだ。

大人げないと思ったからだ。


「で?どう・・・これ」

くるっと目の前で回ってみせた。


「似合う・・・んじゃね?」

「どこが?」

「え?」

「だから!・・・どこが、どんなふうに、何故、似合うかって、さ」


んなこと分かるか!


たしかに俺は刑事なので、被疑者の人着(いわゆる顔立ちや服装のこと)を瞬時に記憶し、言葉にすることには慣れている。犯人を追尾している時、無線で、どういう人間を追いかけてるかを言う必要があるからだ。


だが、似合う、似合わないなんて、そんな主観的なことを無線で吹く(言う)ことなんてありはしない。

だが、ここで『知るか』なんて答えたら、またツミホロボシがどうとか言うことは目に見えているので、とりあえず必死になんと言うか考えてみる。


どや、という顔で目の前に立つ陽菜多。


黒のステンコートに、くすんだ赤色のセーター


そんな服を着ている、少し色素の薄い顔立ちの彼は、確かに凛とした冬の木立を俺に連想させた。そして、そこに白っぽいふわりとしたモヘアのマフラーはまるで・・・


「雪」

「え?」

咄嗟に言葉が出てしまった。

それは、一晩中降った雪、まだ誰も足跡をつけていない純白のそれに思えた。


「どういう意味?」

陽菜多がなおも食い下がってくる。無自覚なのだろうか、距離が妙に近い。

俺は若干顔を背けがちにしながら、しょうがなく、思ったことを口にした。


「冬・・・の雪みたいだって思ったから・・・」

ああっ!何言ってるだ、俺?

これ、似合うとか似合わないとかってのと話しズレてるだろ。


思ったときにはもう遅かった。

陽菜多の肩が、脱力したみたいに、ストンと落ちた気がした。


あ、また、ふざけんなとか言われるやつか、これ?


そう思って身構えたが、意外なことに、彼はくるりと鏡の方に向き直り、たった一言だけ言った。


「・・・雪か」


そして、端っこに付けられたプライスタグを見ているふうだった。

こ・・・これは!?


ヤな予感が、俺の背筋に走る。

「ちょ・・・」


声を掛ける前に、陽菜多が振り返り、にやりと笑った。


「これ、買って」・・・と。


その笑顔が、なんだか可愛らしいと思ってしまって、

俺はまた、軽く頭を振った。


☆☆☆

「あー、いい買い物した」

赤レンガ倉庫を出た陽菜多は満足気に歩く。その買い物をした結果の紙袋は、目下、俺が従者のように持たされているところだった。


時刻は午後3時を回ろうとしている。

そろそろ俺は眠いのだが・・・。


なんとなく、こいつ、さっきより足取りが浮ついている気がしないでもない。

まさか・・・もっと付き合えとか・・・


「よし!今度はアレ!」

言わないよな?と思った矢先、陽菜多が指さした先を見て、俺は軽いめまいを覚えた。


ソイツの指がぴたりと示していたそれは、みなとみらい地区にそびえる大観覧車、コスモクロック・・・だった。


「戻るじゃねえかよ!」


俺は思わず本音が出てしまう。

そう、俺達は、臨港パークから赤レンガ倉庫まで歩いてきた。

その途中、渡った女神橋や横目に見てきたカップヌードルミュージアム、そのあたりから奥に入ったところが、みなとみらい地区が誇る観光地のひとつ、よこはまコスモワールドであり、その象徴たる大観覧車こそ、コスモクロックなのだ。


つまりは、来た道を半分ほど戻ることになるのである。


「ええ~、イヤなのぉ?・・・」

俺が上げた不満げな声に、更に輪をかけたような不満顔を陽菜多が見せる。

そして、ポツリと


ツミホロボシ・・・


なんて寂しそうに呟く。


だああああ!!

わかった、わかったよ!!

行きゃーいいんだろが!


さすがの俺も、若干キレ気味だったかもしれない。

それでも、行くと言ったとき、陽菜多がした表情はなんとも素直に嬉しそうに見えた。


ううぅっ!


こうして、俺達は、てこてこ歩いて、横浜にあるミニ遊園地、よこはまコスモワールドに向かうことになったのである。


よこはまコスモワールドは、みなとみらい21地区に位置する約30種類のアトラクションを擁する、入場料無料の遊園地である。その敷地面積は22,700㎡であり、例えば東京ドームシティアトラクションズ(昔の後楽園遊園地)よりちょい小さいくらいである。もちろん、某ネズミの国とは比べようもないほど小さい。


ただ、小さいながらも内容は充実しており、コースターや急流下り、メリーゴーランドにお化け屋敷と、まあ遊園地にありそうなものは一応一通りあると言っていい。特にその中央に位置するコスモクロックは、1989年の横浜博覧会の際に建造され、当時は世界一の大観覧車だったという。いまでも、シースルーのカーゴがあったり、夜は美しくライトアップされるなど、『横浜の景観になくてはならない』と称されるほど、この地の象徴として機能しているものだった。


そんな、遊園地に俺達はたどり着いた。


「ええっと・・・最初はー」

陽菜多が入口にある案内マップを見て、思案顔をする。


さ・・・最初は!?


予想はしていたが、こいつ、ここでも俺の財布にたかり尽くす気か!


「よし、あれにしよう!」

陽菜多が指さしたのは、ダイビングコースター・・・この遊園地で最もスリリングな、絶叫マシーン、だった。


☆☆☆

そして、1時間後。


はあ、はあ・・・はあ・・・


俺は笑いそうになる膝を両手で押さえるようにして息を整えていた。


こ・・・これは!!


遊園地なんて行ったの、最後いつだ!?ってくらい行ってない。多分中学、下手したら小学校の時以来かも知れない。


そして、大人になってから乗るコースターの怖いことと言ったら!

なのに、こいつはよりによって絶叫マシンばかり選びやがって!!


ダイビングコースターで、池に真っ逆さまにコースターが飛び込むところで、声にならない叫びを上げ、

急流すべり「クリフ・ドロップ」で落下するときのお腹の奥に感じるゾワゾワとしたくすぐったさに似た感触に身悶えし、

何度も折れ曲がるスピニングコースターのGに顔を引き攣らせ、

VRVバーチャルリアリティビークルのド迫力映像と、急に身体を前後左右に揺らされる刺激に目を白黒させられ・・・。

そして、そんな俺を横目に、陽菜多は平気な顔できゃっきゃ、きゃっきゃと喜んでいた。


クソ、認めたくはねえが、これが若さの違い・・・かっ・・・。


「あー、お腹すいた」

ひとしきり楽しんだのだろう。陽菜多が園内のフードコートに入ろうと言う。一瞬、彼の目がクレープ屋に釘付けになっていたので、慌ててホットドックもあるぞと促した。


もうこれ以上甘いものは勘弁である。


少し考えて、ホットドックで納得してくれたらしい。

彼はノーマル、俺はチリソースバージョンを注文した。


「うえー・・・おにーさん、よくそんなん食えるね」

俺の喰ってるチリ・ホットドックを見て、陽菜多がいかにもまずそうと、ベッと舌を出してみせる。


やめろ、食欲が失せるだろが。


「舌、バカなんじゃね?」

「失礼だな!これが大人の味覚なんだよ!」

「そんなもん?」


おめーがおこちゃま味覚なんだよ、という言葉は一応飲み込んだ。

俺は、大人だからだ。


少しお腹が落ち着いた後、陽菜多が行きたいと言ったのは『コスモファンタジアストリート』・・・いわゆるゲーセンだった。


平日の4時過ぎだ。まだまだがらんとしているので、ゲーム機はほぼ全部が空席の遊び放題だった。その光景に陽菜多のテンションが上ったらしい。


「おにーさん、これで勝負しよう」

そう言って、陽菜多が示したのはレーシングマシンだった。複数プレイヤーで一斉に競争することができるもので、コースとしては都市や砂漠、ジャングルなどが選べる。


席につき100円玉を3枚投入すると、陽菜多がちょいちょいとハンドルを操作して砂漠コースを選ぶ。目の前に砂漠の景色が広がる。赤い自分の車両のフロントガラスを模した画面の左前に、エンジンを吹かしている青色の車両が見える。あれが陽菜多の車両ってことか・・・。


「じゃあ勝負ね・・・。負けた方が勝った方の言う事聞くんだよー」

なんて言うが、今の時点で十分俺は奴隷のごとく言うこと聞いてるじゃねえか・・・と心の中でツッコミを入れた。


言わねえけど、な!


ブオン、とアクセルを踏み込み、エンジンをマックスまで吹かす。画面の景色が後ろに流れ、加速している様子が分かる。俺のマシンは最初の踏み込みが成功したようで、あっという間に陽菜多のそれを追い越してみせた。


「あ、ずりい!」

ずるくはねえだろ!

こちとら一応、警察官だ。レーシングマシンごときで素人に負けたとあっちゃ、沽券に関わるってーもんだ。


その後も、俺の華麗な(?)ドライビングテクニックは冴え渡り、小刻みなハンドルワークで岩を避け、ブレーキとアクセルを駆使して砂丘を乗り越え、市街地のヘアピンカーブをドリフトで曲がり切った。


「これで・・・どう・・っだ!」

ひゅん!とゴールゲートを通り過ぎ、チェッカーフラッグがはためく画像がバックミラーに映る。続いて数十秒後に陽菜多の車がゴールインした。


「あー・・・負けたあ!おにーさん、さすがだね」


へへ、言うこと聞かなきゃだね、俺が・・・


そんなこと言って、陽菜多がハンドルを持ったまま天を仰ぐ。

あれ?もっと子供っぽく悔しがるかと思いきや・・・


意外と爽やかな笑顔だった。


その後も、落ち物ゲームや、懐かしのエアホッケーなどの対戦をした。

十分に楽しんだ頃には、時刻は5時になろうとしていた。


外に出ると、さすがに日が陰り始めていた。


外に出た時、陽菜多が『それ』と言って、俺の持っている紙袋を指さす。

渡すと、中からマフラーを取り出して、くるりと無造作に首に巻き付けた。


確かに、日が傾いてきて、海風が吹き始めてもいた。

若干、空気が冷えてきている気がする。

日中は暑いくらいだったが、やっぱりまだ冬なんだ、ということを思い知る。


空の端っこが夕焼けに染まり始めていた。

もう、ここまできたら毒喰らわば皿までという気持ちもあった。

早く帰ってどうのこうのという気持ちはとうの昔になくなっていたのである。


なので、暮れ始めた空を見上げた陽菜多の視線の先にコスモクロックを見つけた時、俺は、ごく自然に言っていた。


「あれも、乗りてーのか?」

口を覆うくらいにぐるぐるにマフラーを巻き付けた陽菜多が振り向いて、

こくりと、頷いた。


☆☆☆

横浜の空が端から(だいだい)に染まり、そして、ゆっくりと藍に溶けていく。

透明なカーゴは、ゆっくりと100メートルの高さまで俺達を押し上げていった。


初めて乗ったわ、これ。


日没前、まだコスモクロックのイルミネーションが灯っていない時間である。街の光もホームページにあるように『宝石を散りばめた』というほどでもない。


俺と向かい合う席に、陽菜多が乗っている。

例の『雪』のマフラーは巻きっぱなしである。

頬杖をつくようにしてぼんやりと外を眺める姿は、やっぱり俺に冴えた冬の景色を思い起こさせた。


どこか、人を、寄せ付けない、

そんな気配だ。


妙にいたずらっぽく笑って、何かをねだってるときの顔、

アトラクションに目を丸くしながらも、楽しそうにはしゃぐ顔、

ゲームに向き合って、コントローラーを操作する真剣な顔・・・


俺にも気軽に話している、むしろ舐めてすらいるのか、と思うほどでもあるが・・・

やっぱりちげーな、と思う。


なんだろう、勘、みたいなもんだ。

こいつは、やっぱり『独り』なんだ。

なんとなく、そう思った。


「知ってる?」

カーゴが中程まで昇った時、彼が言った。

「何を?」


「これさ、一番てっぺんに来た時、キスすると、そのカップルは結ばれるん・・・だって」


ああ・・・なんだ、よくあるおまじない的なやつか。

学生が好きそうなヤツ。


あ・・・もしかして、こいつ・・・。


「彼女と、来たかったのか?ここ」


そう言ってしまってから、踏み込みすぎたかとちょっと後悔した。

陽菜多はそんな俺を見て、目を細めた。


そうだね・・・


そう言った瞬間、さっきまでより、更に彼が遠くに行ってしまったような気がした。

例えて言えば、まるで、見えない壁が立ちふさがったかのような、そんな感じだった。


なんだ?

今、胸の奥が、ズキっとした・・・ぞ


「あ・・・すまん・・・俺、デリカシーなかった・・・よな」


とにかく、なにか言わなきゃと思って、俺はそう言ってみた。

今のこの空気がとても居心地が悪くて、なんとかしたかったんだ。


軋んだ空気の中、俺があまりにもオタオタしたせいかもしれない。

陽菜多が、くすりと笑った。


お陰で、凍りついたような空気が、和らいだように思えた。


「海・・・広いね~・・・」

いつの間にか、てっぺん近くまで上がったカーゴ。

陽菜多が、また遠くに視線を投げる。


全面ガラス張りのそこからは、確かに彼が言うように、広い海が一望できた。


「ああ」


広い・・・たしかに俺もそう思った。

地上の小さいことがどうでも良くなるほど、それは一種非現実的な光景にも思えた。


そして、俺達を乗せたカーゴは、

観覧車の頂点に達しようとしていた。


一番、高いところから見る海は、やっぱりどこまでも広い・・・

なんて思った時、


「ねえ、・・・キスしよっか?」


不意に陽菜多が言った。


その目は真剣で、

俺に逃げ場を与えないほどのまっすぐさで、

見つめてきていた。


時が、再び凍りつく。


ぎゅっと、心臓が掴まれたような感触。

ドクンと血流が一気に脳に逆流したようで、俺は息を詰めてしまう。


そのまま、カーゴが静かに頂点を通り過ぎた。


ぷっ


陽菜多が吹き出した。


「なーんてね、冗談・・・おにーさん、本気にしちゃった?

 俺、襲われちゃう!?」


わざとらしく自分の身体を抱き締めるようにして、

ははははと彼は笑った。


「あ・・ああ・・・だな。んなこと言ってっと、襲っちまうぞ」


な、何だ今のは・・・

すうっと胸の奥が冷たくなるほどびっくりしたぞ・・・。


なんとか、俺も陽菜多の言葉に合わせることができた。


その俺の言葉にまた、ふふふと陽菜多が笑った。

俺も、笑った。


ぎこちないながらも、なんとか再び動き出す空気。


そんな中、再び遠くの海を見下ろしていた陽菜多が、ポツリと言った。


「冗談・・・ですよーだ」


観覧車はゆっくりと、降りていく。

空の藍が少しずつ、濃くなっていった。


☆☆☆

コスモワールドを出た俺達は、無言のまま、なんとなくブラブラと山下公園の方まで歩いてきた。


日は暮れかけていた。

海に黄昏が落ちてくる。


ぼんやりと欄干に両腕を乗せて海を眺める陽菜多に、

ほれと言って、俺は自販機で買ってきたコーラを渡した。

カラスが、まっすぐに宵闇迫る空を飛んでいた。


「いいな・・・」


ぽつりと、陽菜多が言った。


「何が?」

「カラスだよ」

「なんでだ?」

「自由じゃん」

「そりゃカラスだからな」


俺の頭を理由なく蹴飛ばすのも、自由ってわけだ。

思えがあれが最初だったな。


「カラスになりたい」

「なんで?」

「好きに飛んでけるじゃん」

「やめとけ、餌探すの大変だぞ」


それはあまり気の利いたセリフとは思えなかった。


「それでもいい」


陽菜多は言って、そして、押し黙った。

コーラの炭酸が、そこだけ妙に騒がしく喉を落ちる。


「あれさ、あの手紙」


ようやく陽菜多が再び話し始めた。


「ああ、悪かったな・・・」

「ん、ちがくて・・・あれ、好きな人からもらった手紙だったんだ」

「なんだ、やっぱ、ラブレターかなんかだったのか」

「違う」


言い切られ、ああ、やっぱり・・・と俺は思った。


「お付き合いできません、ていう内容・・・振られたんだ、俺」

「好きだったんだな、その女が」


また、沈黙が流れた。

波間にぴょんと、魚がはねた気がした。

カラスはもう、見えなくなっていた。


「男」

「は?」

「男なんだよ・・・相手」

「え?」

「はは・・・おかしい・・・よね・・・

 カイトも・・・そう思った・・・かな」


陽菜多の目から一筋、涙が流れていた。

それは、かすかに残ったオレンジの陽光を映してキラリと光った。


なんて、言っていいかわからなかった。


「いや・・・おかしくは、ねえんじゃねえか・・・?」

だから、かろうじて、言った。

まるで、木に竹を接いだような、ぎくしゃくとした、言葉だったと自分でも思う。


「無理しなくていいよ」


そんな言葉しか吐けない俺に対して、その言葉は優しくて・・・

あまりにも優しくて。


そして、『独り』だった。


「無理してない」

「いいよ」


陽菜多が目の涙を拭って笑った。

無理矢理笑っているのがよく分かった。


ぽつぽつとあふれる言葉

寄せては返す、波のように

静かに、それでも止まらずに


「昔から、みんなと違った

 好きな色も、漫画も、本も、ゲームも・・・

 同じにならなくて、

 でも、同じフリをしていた」


みんなと同じものが好きなフリ

みんなと同じ感じ方をしているフリ

そして、

みんなと同じように、女の子が好きなフリ


「でも、ダメだった

 どうしようもなかった

 カイトを・・・彼を好きになっちゃって

 隠しても、隠しても、あふれて、とまらなくなって

 それで・・・」


たった一度だけ、言ったんだ


『カイトが好き』・・・って


「そしたらさ、カイトも好きだよって言ってくれて

 だから、俺、嬉しくなっちゃって

 ふたりで色んな所に行ったんだ。

 カイトも楽しそうにしてくれた

 だから、俺、勘違いしたんだ

 ああ・・・カイトは俺の気持ち分かってくれたんだって」


でも

ある日、出かけた帰り道

俺にとっては楽しいデート

カイトにとってはダチとの遊び


今日みたい、こんな日。

夕日がきれいで、空に藍が落ちて、一番星が光ってて

カイトがいて、世界があんまりにもきれいで

俺はとても幸せで・・・。


「だから、俺・・・キスしてって言ったんだ」


瞬間、世界が、反転した。


戸惑ったカイトはその場から走り出した。


「手紙をもらったのは、それから1週間後。

 見るの怖かったけど、見た

 いっぱい、字が書いてあった。

 カイトなりに、たくさん、たくさん俺のことを考えて、

 一生懸命書いてくれたのが分かって。

 でもさ・・・『ダメ』・・・ダメだって・・・」


陽菜多の肩が震えている。

顔はよく見えないけれども、多分、泣いている。


夜が落ちて、暮れなずむ山下公園。

風がさらに冷たくなってくる。


陽菜多が、ぎゅっとマフラーを握りしめた。


それを見て、俺は、

何かを言ってあげたくて、

それでも何も言うことができなくて、


36年も生きてきたくせに、

俺は目の前で震えている、こいつに

掛ける言葉も見つからなくて・・・。


「・・・え?」


だから俺は、

苦し紛れに、自分のコートを、

陽菜多の肩にかけていた。


「大事な手紙・・・だったんだな」


本当に、こんなことしか言えない。

これじゃあ全然届かない。

こいつの・・・陽菜多の孤独に・・・届きなんてしない。


「おにーさんにはわからないよ」


でも、そんな言葉で壁を作ってほしくなくて、

俺は・・・俺は・・・

心のなかからありったけの言葉をかき集める。


「わ・・・分かるよ」

「分からない・・・っ!」

「分かる」


正確には、『分かりたい』だ。

俺は、お前を『分かりたい』。


でも、どうしたらその言葉を、

こいつの心の奥に届けることができるのか、

俺にはわからなかった。


日が暮れる。

空には星、海にはさざなみ。

チラチラ光る港の明かりが、

暗い海に落ちた星屑のように瞬いていた。


波が時を刻み、

星がキリリと空を奔る。


「じゃあさ、キス・・・してよ」


言われて、俺はまた、息を詰めてしまった。


「ほら、無理しないで、」


振り仰いだ陽菜多。

その言葉が終わる前に俺は、

俺の唇で、陽菜多のそれを塞いでいた。


10秒・・・か、

20秒か


1分だったかもしれない。


唇がゆっくりと離れた。


「あ・・・おに・・・さん」

「初めてだ・・・でも、

 唇に、男も女もねーのな」


少し照れ臭くなった俺は、

わざと海の方を見て言った。


「無理・・・しないでいいの・・・に」


陽菜多はそっと人差し指で唇をなぞっていた。

その目からは、さっきと違う涙が流れている。

灯り始めた白銀灯が、その涙を星屑みたいに光らせていた。


☆☆☆

みなとみらい線『元町・中華街駅』

その改札前。


すっかり日が落ちた横浜の街を歩き、俺達はここで別れることにした。


「気をつけて帰れよ」

俺は陽菜多に言った。


そして、

「そういや、名乗ってなかったよな、俺。

 俺は師月(しがつ)だ、宗像師月(むなかたしがつ)

 宗像大社の宗像に、師月は・・・こう書く」

空中に字を書いた。


「あとな・・・ちょっと待てな・・・」


俺は警察手帳にしまってあった名刺を一枚取り出すと、

その裏にボールペンでさらさらと書いて陽菜多に渡した。


「ほら・・・俺からの『手紙』・・・だ。

 代わりになんかならんだろうけど」

「これ・・・」


陽菜多が表を見て、ちょっと驚いたような声を上げる。

そこには、俺の肩書が『神奈川県警横浜北署 刑事課』と書いてあった。


「え?・・・刑事・・・さん?」

「そうだよ・・・変か?」

「うん、見えない」

「余計なお世話だ」


俺が言うと、陽菜多が笑った。

やっぱり、その笑顔はとても俺の好きな笑顔だった。


「なんか、困ったことあったら、いつでもここに来い。

 それから・・・」


くるっと名刺をひっくり返した陽菜多が、とても優しい顔で笑った。


「それから・・・そこにあるように、約束・・・だからな。

 守れよ?」


じゃ!と手を振って、俺は地上へのエスカレーターに向かう。

俺はみなとみらい線じゃ家に帰れないからだ。

そんな俺を見送る陽菜多が、ぎゅっと名刺を抱きしめた。


「師月!」


急に呼び捨てされて、俺は立ち止まった。


んだ・・・名前呼びから、いきなり呼び捨てかよ・・・


こりゃ文句の一つも言ってやろう、と振り返る。


っ!?


俺の唇に、

押し付けられてきた。

それは、陽菜多の唇だった。


「ありがとう」


俺が何かを言う前にそれだけ言って、陽菜多は改札に消えていった。

しばらく固まったようになって、その背中を見送る。


「バカヤロ・・・俺がって書いたじゃねえか・・・」


触れた唇が熱くて、

そして、俺の胸の中も、なんだかとても、

あったかい感じが残っていた。


☆☆☆

近未来的なみなとみらい線の車中。

その扉に寄りかかって

陽菜多は何度も、何度も『手紙』を見つめていた。


「無理・・・しないでいいのに・・・」


とうとう、堪えきれなくなった。

唇が震える。

そしてついに、涙が溢れてきた。

つぎつぎに、つぎつぎに。


せっかく買ってくれたマフラーに、涙がこぼれちゃう


そう思っても、止めることができなかった。


「師月の・・・バカ・・・バカぁ・・・」


こんな手紙もらったら・・・

もう、離れられなくなっちゃうじゃん


陽菜多が大切に握りしめている師月からの『手紙』

そこには、こうあった。


『またキスさせろ・・・約束だからな』

『連絡よこせ

 090-✕✕✕✕ー✕✕✕✕』

『俺はお前が好きだ』

『宗像師月』

と。


走る車窓に、涙でグシャグシャになった俺の顔が映る。


きっと俺は、この先何があっても

今日のことを絶対に忘れない。


彼と一緒に過ごした時間

キスの体温

温かな記憶を


そして、あの夜の海に落ちる光が、

きらきらと星屑が揺れるようだったということを。

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