第一章 折神流、始動(しどう)
――それから十年。
かつての屋敷跡は更地となり、無機質なマンションが建っていた。
東京・練馬区。繁華街から少し離れたこの場所に、古風な瓦屋根の一軒家が存在していた。
その家こそが、今もなお折神流の本拠地だった。
「遅い……何分待たせる気よ、蓮」
玄関前に立つ少女が、腕時計を睨みながら唇を尖らせた。
切れ長の目と銀色のショートヘア。制服のスカートの下には黒いレギンス。
彼女の名は――東雲 彩。
折神流に属する紙師にして、神代蓮の幼なじみだ。
「悪い、ちょっと紙が言うこときかなくてな」
のんびりと玄関の障子を開けて現れたのは、18歳の青年――神代 蓮。
黒髪を無造作に後ろで束ね、眼差しはどこか人を見透かしたような捻くれた鋭さがある。
だがその目の奥に、幼き日の傷と強い信念が宿っているのを、彩は知っていた。
「……で、今日の任務は?」
「ああ。渋谷で折魂反応が出た。多分、黒折流の残党だ」
蓮は机に広げた紙の地図に、黒い印をつける。
異能の世界では、紙に魂を宿す力を持つ者を紙師と呼ぶ。
その力は流派によって異なり、折神流は“造形”を極め、創造に神を宿す。
一方で、黒折流は破壊と支配を信条とし、かつて多くの命を奪ってきた禁忌の流派だ。
「蓮、俺も行くぜ」
障子が開き、茶髪にピアスの青年が顔を出した。
柴坂 陽斗――ムードメーカーであり、蓮の相棒。戦闘能力は低いが、情報収集や分析、策の立案には長けている。
「つーかさ、また出てきたんだな、黒折流。最近増えてないか?」
「……奴らが動く刻が来たってことだ」
蓮は、机の上にそっと和紙を広げた。
手をかざす。すると紙はひとりでに折れ始め、五秒後には一匹の鷲が姿を現した。
蓮の得意技――
《神造・白翼ノ守》。
折神流・紙神術は、意志を折ることから始まる。
造形に魂を込め、そこに神を宿らせる。それが折神流の極意だ。
「出発する。彩、陽斗、準備はいいな?」
「ああ、いつでも」
「こっちは万端」
蓮は白い鷲を指先にとまらせると、玄関の扉を開いた。
夜の街に吹く風が、三人の紙師を迎えるように流れ込む。
黒折流との闘いが、再び始まろうとしていた。
◆ ◆ ◆
渋谷・道玄坂のビル群。
その一角に、無人の廃ビルがあった。表向きは空室、しかし内部には強力な折魂の気配が満ちていた。
「……いたな」
蓮が手の平で和紙を裂く。
その瞬間、紙は無数の刃となり、空間を切り裂いた。
「おいでなすったか、折神流の坊主どもがよォ」
闇の中から姿を現したのは、顔の左半分を紙で覆った男。
名を――蔵王 錬司。黒折流の中堅構成員。
「てめぇらの紙は甘いんだよ。神を宿す? 笑わせんな。こっちは喰らわせる紙しか折っちゃいねえ」
錬司が紙を放る。それは空中で変形し、狼の姿をとった。
黒折流・技――
《呪折・血喰狼》
「来るぞ!」
蓮が叫ぶ。陽斗が彩をかばい、蓮が前に出る。
「――折神流・技、
《神造・封獣ノ楯》!!」
手の中の紙が変形し、巨大な狛犬が出現。狼の牙を受け止め、火花を散らす。
「やるじゃねえか……だがな、俺の紙はまだ終わっちゃいねえ!!」
錬司が叫ぶ。紙の狼が裂け、内から無数の蛇が飛び出す。
蓮は静かに目を閉じた。
「――行け、《神造・天穿ノ鶴》」
折られた紙が一瞬で“鶴”となり、空気を切り裂いて突き刺さる。
その一撃が、錬司の技の核を貫いた。
「ぐっ……!」
爆ぜる折魂。辺りが静寂に包まれる。
蓮は、紙を静かに畳みながら言った。
「紙は、破壊じゃない。
想いを折るものだ」
紙が舞う。風が吹く。
これが――折神流、始動の刻であった。




