第2話 やけくそのダンジョンと絶体絶命のゴブリン
自宅に帰る気にはなれなかった。
こんな顔で美咲に会うわけにはいかない。
俺は雨宿りを兼ねて駅前のネットカフェに逃げ込んだ。薄暗い個室のリクライニングチェアに深く体を沈める。
何をすればいいのか何も考えつかない。
ただ無為に目の前のモニターに表示される求人サイトを眺めていた。四十代、未経験者歓迎。そんな都合のいい仕事がそうそうあるはずもない。
その時、サイトの隅に表示されたバナー広告がふと目に留まった。
『日雇い探索者、未経験者歓迎。必要なのは勇気だけ』
……胡散臭いにもほどがある。
だが今の俺には、その言葉が妙に心に引っかかった。
三年前、世界の主要都市に突如出現した謎の建造物――通称【ダンジョン】。
【スキル】に目覚めた者たちが一攫千金を夢見て挑む魔境。
政府や科学者がどれだけ調査しても、その発生原因も構造も一切不明。ただ一つ分かっているのは、内部に【モンスター】と呼ばれる異形の生物が跋扈し、【魔石】や【ドロップアイテム】といった現代科学の常識を覆す産物が眠っていることだけだ。
ダンジョンから産出される【魔石】は新たなクリーンエネルギー源となり、素材は医療や産業に革命をもたらした。今やこの世界は【ダンジョン】を中心に回っていると言っても過言ではない。
そして、その恩恵を人類にもたらすのが【スキル】に目覚めた【探索者】たちである。
もちろん誰もが英雄になれるわけではない。トップランカーは億万長者だが、その下には日銭稼ぎに命を懸ける底辺の【探索者】がごまんといるのだ。
俺のスキルは【配置換え】。戦闘力ゼロのどうしようもないクソスキルだ。
だが……もうどうだっていいか。
会社をクビになり社会的な居場所を失った。このまま無為に過ごすくらいなら、死ぬ前に一度くらいテレビの向こう側だった世界をこの目で見てみるのも悪くない。
それに万が一、何か【ドロップアイテム】でも拾えれば今日の宿代くらいにはなるかもしれない。
そうだ、やけくそついでだ。
俺はネットカフェのPCで、一番簡単だと書かれていた初心者向けの【ダンジョン】「ゴブリンの森」の場所を調べた。幸い電車で数駅の距離だった。
◇ ◇ ◇
ダンジョンの入り口はまるで巨大な洞窟のように、街の一角にぽっかりと口を開けていた。
周囲には俺と同じように一攫千金を狙うのか、あるいは日銭を稼ぎに来たのか様々な人間が集まっている。その誰もが剣や杖、あるいは防具といったそれらしい装備を身につけていた。
翻って俺の装備は、家から持ってきた軍手に百均で買った懐中電灯と水筒。あまりにも場違いだ。
だがもう引き返す気はなかった。
俺は意を決してダンジョンの入り口へと足を踏み入れる。
一歩入った瞬間、空気が変わった。
ひんやりと湿った空気、土とカビが混じったような独特の匂い。そして肌をピリピリと刺すような明確な殺気。
テレビで見たのとは違う。ここは本物の死地だ。
すぐに後悔した。こんな場所に来るべきではなかった。
引き返そう。そう思った、その時だった。
通路の先から複数の醜悪な声が聞こえてきた。
しまった、と思ったがもう遅い。
曲がり角から現れたのは、緑色の肌に棍棒を手にした三匹のゴブリンだった。
テレビで見たマスコット的なモンスターとは似ても似つかない。濁った目に浮かぶのは明確な殺意と食欲。
ゴブリンたちは俺の姿を認めると涎を垂らしながら、じりじりと距離を詰めてくる。
逃げ場はない。
終わった。そう直感した。
リストラされた日にこんなところでゴブリンに食われて死ぬのか。なんて締まらない人生だ。
死を覚悟した俺の脳裏に美咲の顔が浮かんだ。
「ごめん……」
その絶体絶命の瞬間。
やけくそだった。どうせ死ぬなら何でもやってやれ、と。
俺は心の中で、あのクソスキルの名前を叫んだ。
【配置換え】。
すると視界に変化が起きた。
目の前のゴブリンたちが青い光で縁取られる。「ゴブリンA」「ゴブリンB」「ゴブリンC」。
それだけじゃない。通路のあちこちがハイライトされている。「石ころ」「木の根」……そして少し離れた場所にある黒い染みのような地面に「落とし穴の罠」という文字が浮かび上がっていた。
考えるより先に体が動いていた。
目の前のリーダー格らしき「ゴブリンA」の足下と、視界の端にある「落とし穴の罠」をイメージする。
そして心の中で念じた。
『入れ替えろ』
次の瞬間。
目の前にいたはずのゴブリンが甲高い悲鳴と共に忽然と姿を消した。
そしてゴブリンが立っていたその場所に、ぽっかりと深い落とし穴が口を開けていた。
穴の底からゴブリンの断末魔がくぐもって聞こえてくる。
「……え?」
何が起きたのか理解が追いつかなかった。
俺はただ目の前にできた穴と、呆然と立ち尽くす残りのゴブリンを交互に見つめることしかできなかった。
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