第8話 ギルドへの報告と氷川の訪問と
ダンジョンから逃げ帰った「紅蓮の牙」の三人は、その足でギルドの受付カウンターに駆け込んだ。
リーダーの赤髪は怒りと屈辱に顔を歪ませながら、受付嬢にまくし立てる。
「おい、どうなってんだ。Fランクのジジイに俺たちが一方的にやられたんだぞ」
「はあ……」
「罠をあり得ねえ場所に動かしやがった。あんなのチートだろ。調査しろ、調査」
しかし彼らの訴えはギルド職員たちにまともに取り合ってはもらえなかった。
なにせ「紅蓮の牙」は、格下の探索者への嫌がらせやドロップ品の強奪といった悪評が絶えないチンピラパーティーとして有名だったからだ。
大半の職員は「また何かトラブルを起こしたのか」「返り討ちにでもあったんだろう」と冷ややかな視線を送るだけだった。
ただ一人、その報告に重大な関心を抱いた人物を除いては。
氷川玲奈はオフィスでその騒動の報告を聞き、眉一つ動かさなかった。
だがその頭の中では驚くべき事実が再構築されつつあった。
Fランクの探索者。罠を動かす。
そのキーワードが指し示す人物は一人しかいない。
「サトウ・コウイチ……」
Bランクの戦闘パーティーを一方的に、しかも戦闘不能に追い込む。
それはただの「探査系」スキルでできることではない。彼がこれまで誰も観測したことのない、強力無比なスキルを隠し持っていることはもはや疑いようがなかった。
氷川はこれまでの調査記録を全て見返し、一つの結論に達した。
もはや間接的な調査では限界だ。
彼女はついに自ら動くことを決意した。机の引き出しから一枚の書類を取り出す。
『探索者・佐藤浩一 自宅住所』
公的な権限を使わなければ閲覧できない個人情報。
彼女はギルドの規則を破ることも厭わなかった。
それほどまでにこの謎の男への興味と、その力がもたらすかもしれない影響への懸念が彼女の中で大きくなっていたのだ。
◇ ◇ ◇
その日の夜。
俺は自宅のアパートで娘の美咲と夕食の食卓を囲んでいた。
今日のメニューは奮発して買った国産牛のすき焼きだ。モモをなぐさめるために買った肉の残りである。
「お父さん、最近本当に羽振りがいいね。そんなに儲かるバイトなの?」
「まあな。ちょっとコツを掴んでな」
美咲の問いに俺は曖昧に笑って答える。
まさかダンジョンでBランクパーティーを半殺しにしてきたとは口が裂けても言えない。
平穏な日常。守るべきもの。それを噛み締めながら熱々の豆腐を頬張った、その時だった。
ピンポーン、とアパートの安っぽいチャイムが鳴り響いた。
「あら、誰だろう。宅急便かな」
「いや、時間はもう遅いしな……」
俺は首を傾げながら玄関のドアへと向かう。
特に来客の予定はない。新聞の勧誘か、あるいは何かのセールスか。
俺は無防備にドアを開けた。
そしてそこに立っていた人物を見て、完全に固まった。
「……こんばんは。サトウ・コウイチさんですね」
ドアの前に立っていたのは、きっちりとした黒いスーツに身を包んだ氷のように無表情な女性。
ギルドの受付で俺に鋭い視線を向けてきたあの女性職員、氷川玲奈だった。
「ギルドの者です。少し、お話よろしいでしょうか」
彼女の声は夜の冷たい空気のように静かで、そして有無を言わせない響きを持っていた。
まずい。
非常にまずいことになった。
俺の本能が最大級の警報を鳴らしていた。
俺のささやかな平穏が今、目の前の氷の女によって脅かされようとしていた。