第1話 退職勧奨とクソスキルの目覚め
重苦しい沈黙が見慣れたはずの会議室を満たしていた。
目の前には長年世話になった上司、鈴木部長。その視線は机の上の書類と俺の顔との間を行ったり来たりしている。ああ、これはもう確定だな。
「佐藤くん。会社も今、非常に厳しい状況でな」
出た。お決まりの枕詞だ。
俺は黙って次の言葉を待つ。抵抗したところで何かが変わるわけでもない。
「つきましては……早期退職優遇制度を利用してみる気はないだろうか」
早期退職。事実上のリストラ宣告だった。
俺、佐藤浩一、四十二歳。二十年勤め上げたこの会社でのキャリアは今日この瞬間に終わりを告げた。
「分かりました」
絞り出した声は自分でも驚くほど乾いていた。
頭に浮かぶのは大学生の娘、美咲の顔だけだ。すまない……。心の中でそう謝ることしかできなかった。不甲斐ない父親で本当にすまないと。
◇ ◇ ◇
私物を詰めた段ボールを抱え、俺は会社のビルを出た。
見送る者は誰もいない。それが俺の会社員人生の結論というわけか。
空はどんよりと曇り、やがて冷たい雨がぽつりぽつりとアスファルトを濡らし始めた。傘なんて持っていない。
駅へと向かう道すがら、絶望感で足元がおぼつかなくなる。
ふらりと体が傾いた。その瞬間だった。
「うわっ」
思わず声が出た。
目の前にゲームの画面のような、半透明の青いウィンドウが突如として現れたのだ。
辺りを見回すが誰も気にした様子はない。どうやら俺にしか見えていないらしい。
ウィンドウにはこう表示されていた。
【名 前】サトウ コウイチ
【年 齢】42
【職 業】なし
【スキル】???
……職業、なし。
ご丁寧に現実を突きつけてくれる。余計なお世話だ。
これが三年前に世間を騒がせた【ステータス】というやつか。なぜ今さら。
いや、もしかしたら今まで気づかなかっただけかもしれない。仕事に追われ、自分自身を顧みる余裕もなかったからな。
俺はかすかな、最後の蜘蛛の糸にすがるような思いで、ハテナが並んだスキル欄を凝視した。
頼む。何か、何か一つでもこの状況を打開できる力が……!
祈りが通じたのか、ハテナの表示がゆっくりと文字に変わっていく。
【スキル】:【配置換え】
……配置換え?
人事異動みたいなものか。
すぐに詳細な説明文が下に現れた。
【効果】:同一フロアに存在する「モンスター」「罠」「宝箱」の位置を、任意に入れ替えることができる。使用回数に制限あり。
俺はウィンドウに表示された文字を何度も何度も読み返した。
……は?
ただそこにあるものの「位置」を変えるだけ。
攻撃魔法が出るわけでもなければ身体能力が上がるわけでもない。戦闘能力はゼロ。
一体これが何の役に立つというんだ。
「これじゃ……何の役にも、立たないじゃないか……」
愕然と呟く。
会社をクビになり、手にしたスキルは使い道も分からないガラクタ。
人生のどん底にさらに追い打ちをかけられた気分だった。
降りしきる雨の中、俺は濡れるのも構わずただ立ち尽くした。
二重の絶望を抱えどこへ向かうべきかも分からずに、アスファルトの冷たさだけが足元から這い上がってくるのを感じていた。