86話 古今東西、今も昔も――
心地の良い温もりが頬から全身に広がって、なんだか体が軽くなっていく様な感覚がした、どうやらとうとう迎えが来てしまったらしい。
ああクソここまでかよ、チクショウ……。
どんどんどんどん体は軽くなって、俺はついに目蓋を閉じてその時を迎える覚悟をした。
……。
…………。
…………あれ? どうした?
目を閉じていくら待っても、なぜだかその時が一向に訪れない、それとももうここは既にあの世なのか?
不思議に思いながら目を開けてみると、そこはやっぱりあの世なんかではなくさっきまでと同じ場所だった。
それどころか周りを見回して見れば姫さんやその警護をしていた兵士が数人、終いには奴の姿まであって、そしてどういうわけかその全員が一様に驚いた様な顔をしている。
はて? 一体何がどうなったんだ?
「……何だよ、何なんだよそれは!」
奴が突然そう叫ぶが、そんなこと言われても俺も何が何だか分からない。
「守護竜、様? そのお姿は一体?」
は? 姿?
なぜだか困惑したている姫さんの声を聞いて俺は自分の体を見る。
そこには見たことがない、いや違うか。
むしろ見覚えのある懐かしい姿がそこにはあった。
五指のそろった両手、大地を踏みしめる二本の脚。
竜の鱗は鎧に、翼は外套に。
絵本に出てくる騎士か何かみたいなその姿は、俺がまだ向こうの世界にいた頃の体だった。
「なんだよって聞いてるじゃないか!」
半狂乱になった奴が俺に向かって飛びかかる。
正直そんなことを言われても困るとしか言いようがない、何がどうしてこんなことになっているのかなんて俺にだってさっぱりだ。
だけど。
「とりあえず、場所変えんぞ」
「えっ?」
飛びかかってくる奴の首をひっつかみ、そのまま誰もいない場所へ向かって思いっきり放りなげ飛ばす。
あっという間に彼方へ消え見えなくなった奴の後を追おうとするが。
「守護竜様……」
後ろから、姫さんの声が聞こえた。
さすがに理解が追いついていないのか酷く困惑しているようだった、まぁ無理もないだろうが。
――そういえば戦いに出る直前、あの時もこうして姫さんの声に呼び止められた。
「姫さん」
言いながら姫さんへ振り返る。
あの時はなんて答えれば良いか分からず黙って言ってしまったが今なら言える、何の変哲もない当たり前の言葉だが。
「行ってきます」
そう言うと姫さんはちょっと驚いた様な顔をした。
でもすぐいつもみたいに優しげな笑みで。
「はい、いってらっしゃいませ守護竜様」
そう返してくれた。それで十分、これ以上の言葉は必要ない。
背中の外套を再び翼へと変えて俺は奴を投げ飛ばした方向へ飛ぶ。
さっきまでとは比べ物にならない速度で空を駆け数秒も経たないうちに奴の姿をとらえる。
派手に吹き飛びこそしたが奴はピンピンしている様子で怪我をしている気配はない、さすがにただ投げ飛ばしただけじゃダメージにもなら無いか。
「油断したよ、いや取り乱してたかな? 何にしても今みたいなラッキーはもう起きないよ。たとえあんたの姿がいくら変わろうと僕の力は絶対だ、それは何も変わらないっ!」
奴の目の前に降り立ったその時、大地が凹む程のプレッシャーが俺に襲いかかった。
この感覚には覚えがあるルリルの奴がよく使っていた重力を操る魔導、ただしその威力はあの時とは比較にならない。
「へぇこれに耐えるのか、人間なら一瞬で地面のシミになるんだけどね。でもそこから動くことは出来ないだろう? もう飛ばせやしない、このまま今度こそ確実にとどめを刺してあげるよ」
そう言って奴はもう一度口内にさっきと同じ青白い火をともして俺へ狙いを定める。
「消えろ!」
青白い破滅の火が俺へ向けて放たれる、辺り一面を焦土へと変え、そこにいるなにもかもを焼き尽くし消し去る破滅の一撃。
俺自身全力で押さえても体半分を消し飛ばされた、それほどの一撃が放たれたはずだった、でも。
「……はぁ?」
奴の口から間の抜けた声が漏れた。
なにも起きなかった。
辺り一面を焦土に変える様な絶大な魔導、それがまるで最初から何も起きていないみたいに跡形もなく消えた。
俺はなにも特別な事はしていない、ただ放たれた魔導の主導権を奪い無効化させただけ、向こうも今まで散々やってきたことだ。
この世界の魔導、その根源となる魔素を操る能力の差はそのまま力と才能の差。
一度放たれた魔導の主導権を奪われる、この世界においてそれが意味するもの、それは埋めようもない程の――。
圧倒的な実力差。
「そんなはずはないだろう!」
奴は雄叫びをあげて俺に向けて魔導をたたき込んだ。
炎を風を大地を氷を木を光を、ありとあらゆる魔導を放つが全てが俺には届かない。
初めて覚醒体へ変身したとき俺は強い高揚感を感じた、力があふれてくるような充足感と無敵にでもなったような万能感が体中を駆け巡っていた。
でも今は不思議とそういったものは一切感じない。ひどく落ち着いていて、おごりも高ぶりも恐怖すらなく心はただ静かに凪いでいる。
ただそれでも一つだけ、はっきりと分かる事がある。
それは予感だとか確信だとかそういうもんじゃなくて、水が上から下に流れたり太陽が昇っては沈んでいくみたいに当たり前なただの事実。
多分俺はもう誰にも負けない。
「もうよせ、無駄だ。お前だって分かってんだろ」
「黙れ! 二人の巫女を取り込んで僕は神にも等しい力を手に入れたんだ、昔の弱い僕じゃない強い存在に生まれ変わったはずなんだ! なのに……なのに何なんだそれは! その姿は! その力は! 一体何なんだよ」
「何って、そんなもん俺だって知らねぇえよ。だがまぁ、考えるまでもないだろ」
そう、なにも不思議な事じゃない、それはその辺のガキだって知っている様な当たり前の事だ。
「古今東西、今も昔も――」
たとえそれが異世界であろうとも。
「――お姫様のキスってのは、奇跡を起こすもんだろが」
「ふざけるなぁぁぁぁぁ!」
奴がまた魔導の為に膨大な力をためる、とてつもない魔素が集約されたその威力はさっきの比ではないだろうが今の俺にはなんてこと無いように思えた。
そういえば俺がこっちに来たばかりの頃、姫さんから聞かされた事がある。
それは国に伝わる昔話。フィロール王国、首都ドラグニルその名の由来について。
大昔、まだ三匹の守護竜と巫女という存在が世界に姿を現したばかりの頃、この世界の始祖ともいえる初代守護竜が飢饉にあえぐ人々を見かねて一振りの槍を生み出した。
竜がその槍を大地に突き刺すと不毛だった大地は生命があふれる豊な場所となった。人々はこれに感謝し、その槍の名を土地に刻み代々と受け継ぎ後世へと残すことにした。
と、そんな話を就寝前の読み聞かせに姫さんから聞かされた。
まぁ、もちろん寝る前のお話なんて軟派なもんこっぱずかしくてまともに聞いちゃいなかったが、なぜだか今ふと思い出した。
今はそれどころじゃないだろうに、我ながら呑気なもんだがその話が頭をよぎったのはなんだか運命的なもんを感じた。
始祖達は世界を創り変える為に槍を生み出したそうだが、俺にはそんな大層なもんは必要ない。
奴の魔導が放たれる瞬間、俺は右腕を引いて力を溜めて拳を握り、引き絞られ矢を放つように俺はそれを前へと突き出した。
放たれた拳は奴の魔導を、まるで寄り合った糸が解かれる様に霧散させながら進みやがて奴を被う鱗を貫き、その内にある肉を抉る。
「神竜槍拳」
その瞬間目の前で雷が落ちた様な轟音が辺りに響いた、衝撃波が烈風となって大地をなでて最後には不気味な程の静寂だけが辺りに残る。
久々に感じる、誰かを自分自身の手で殴る感触それは記憶に残っていた以上に。
「……気分がいいもんじゃねぇな」
独り言ちながら俺が土手っ腹に深々とめり込んだ拳を引き抜くと、奴は呆気ない程静かに崩折れて地に伏した。
フィロールとデイン、二つの国の戦争、その決着が今決した。




