85話 声が聞こえた
「――」
声が聞こえた。
「――様――う様」
綺麗で聞いた人の心を落ち着かせるようなそんな声、姫さんの声だ。
「お目覚め――お願――す――守護り――様」
姫さんが俺を呼んでいる。
やたらと重く感じるまぶたをどうにか開くと、そこにはキレイな顔が涙でぐちゃぐちゃになった姫さんの顔があった。
どうして姫さんは泣いている、何がどうなった。
霞が掛かったみたいに判然としない意識の中で記憶を辿る、そうだ、俺は奴の攻撃を全身で包み込んだのだ、爆発を少しでも押さえ込むために。
その結果がどうなったのかはよく分からないが、少なくとも姫さんに怪我は無いらしい、良かった。
安心して胸をなで下ろすがこうしてはいられない、またすぐに奴の攻撃が来るかもしれない、そう思って体を起こそうとするがどういうわけか上手くいかない。
痛みはない、でも力が入らない。不思議に思い体を見下ろすして気づく。
体の前半分が無い。
具体的に言えば胸から腹の辺りに掛けて肉がごっそりえぐられなくなっている。
猛烈な眠気にも似た脱力感、体から何か大事な物が抜けていくようなこの感覚前にもどっかで感じたような気がする、いつだったろうか?
……ああ、そうか思い出した。
こっちの世界に来る直前、元いた世界で俺が死んだ時だ。
あのとき俺は一人だった。
誰にも看取られる事も無く、ただ一人消えるように死んでいく、それが俺にはお似合いだと思った。
死ぬことに恐怖はない。生きたいと思える程の未練も、俺の死を嘆き悲しむ人もいない。
でも――でも本当はほんの一瞬思っちまった。
さみしいって。
誰も側にいてくれない事がさみしかった、本当は誰かに側にいてほしかった。
そう思ってしまったことが悔しくてたまらなかったことを思いだす。
強烈な眠気が俺をまどろみの中へ沈めていく、まぶたの重みが増してもう開けているのがつらくなって来た、このまま目を閉じれば心地よく眠れそうな気がする。
姫さんが俺の事を読んでいる、涙で顔をぬらしながら何度も何度も何度も何度も。
あの時の俺は一人だった、でも今はどうだ? こうして俺の死に涙を流して悲しんでくれる人がいる。
ここにはいないがセリスやルリルの奴もちょっとくらいはさみしがってくれるかもしれない。
碌でなしの最後にしちゃ上々だ。
だからもういいんじゃないか?
もう眠いんだ。
もうこれで――――。
――いいわけねぇだろッ!
まどろみの中に沈みかけてた意識を引き上げる、楽になろうとする軟派な俺を頭から叩き出す。
このまま死んだら姫さんはどうなる! 生きて帰るって約束はどうなる!
こんなところで死んでたまるか! 立て! 立って戦え! 根性見せろクソ野郎!
自分の事をぶん殴る位の気持ちで立ち上がろうとしてみるが体に力が入らない、そもそも感覚が無いから動かせているかさえ分からなかった。
「あはは、へぇまだ生きてるんだ。さっすが兄さんしぶといね」
奴がすぐ側に降り立った気配がする。でもその声は俺の耳にはもうあまり届いていない、視界もかすんで世界がだんだんと曖昧になっていく。
それでも俺はもう一度立ち上がろうと体に力を込めるが上手くいかない、むしろやればやるほど体に残った何かか抜けていく様な気がする。
逃げろと姫さんに言いたかったがもう声も出ない、その代わりにもうほとんど見えなくなった視界の中で姫さんを探す。
言葉は出ない、それでも姫さんはまるで俺の言いたいことが分かっているみたいに首を横に振った。
「いやです、言ったじゃありませんかあなたの側を離れたりしないと」
姫さんの声が聞こえた。
何もかもが曖昧になった世界で、不思議と姫さんの声だけははっきりと聞こえる。
「たとえあなたがなんて言おうと私はお側にいます、離れたりなんてしてあげません、最後まで」
柔らかで優しいけれど頑なな声。
ああそうだよな、姫さんはここで逃げるような事はしないよな。
普段は甘やかそうとしてくるくせに、どれだけ俺が突っぱねたって俺の側から離れようとなんてしなかった。
お人好しで普段のほほんとしているくせに意外と頑固物で言い出したら人の話なんて聞きゃしない。
そんな人だ、そんな人だから俺は。
「守護竜様――」
不意に姫さんが俺に顔を寄せて囁く様に。
「あなたを心から愛しています」
その時、姫さんの唇が俺の頬に触れた。




