68話 拭えずにいる懸念
メリアへの挨拶を終えた後、アナスタシアに俺達が滞在する場所として案内された部屋は、昔姫さんがここに生活していた頃使っていたものだと言っていた。
「では義姉上、満足に歓迎も出来ず申し訳ありませんが、私は公務へ戻ります。もし何か御用向きがあれば家の者に」
「いいえ、そんなことはないわ。今日は忙しい中迎えに来てくれてありがとうアナ、あなたの顔を見れてとっても嬉しかった」
「いいえ、そんな……もったいないお言葉です」
そう言ってアナスタシアは一瞬顔を綻ばせるがすぐにまた表情を引き締め部屋を後にしていった。
アナが出て行き、閉められた扉を少しの間、名残惜しそうに見つめた後、姫さんはぐるりと部屋の中へ視線を巡らせる。
ベットや身だしなみを整えるための鏡やメイク台が置かれた部屋は貴族が使う部屋という割には案外大人しい印象だった。
「懐かしい。あの頃と変わらない」
そんな言葉をこぼしながら姫さんが左手の薬指にはめられた指輪をそっと撫でた。
それは姫さんが先代国王、つまり死んじまった自分の旦那の事を思い出している時にやる仕草で、多分本人にも自覚がない無意識の癖だ。
なにをするでもなくなにかをかみしめる様に部屋を見て回る姫さんの表情は穏やかで、そんな顔を見てもしかして今ならばと俺はあることを提案してみる。
「なぁ、姫さん。せっかくだし少し外を見て回りたいんだが、いいか?」
「だめです」
らしくもないぴしゃりした口調で俺の頼みは却下された。
「大丈夫だって、そんな遠くへは行かねぇしすぐに戻ってくるからよ」
「いいえ、知らない場所で迷子になったりしたら大変です、どうしても言うのであれば私がどこにでもお連れいたします……だから」
諦めず食い下がってみるが姫さんは折れず、俺を抱く力は強くなる一方だった。
ここ最近、姫さんはかたくなに俺の事を放そうとせず、俺が離れることを強く拒否する。
そして何より――。
見上げると、そこには思った通りの顔がある。
つらそうで、今にも泣き出してしまいそうな、そんな姫さんの顔。
そんな顔をされちまったら、俺はもうそれ以上なにも言えなかった。
「……分かった、もういいよ。そういえば、腹減らねぇか? そろそろ昼飯時だろ?」
「本当です、もうこんな時間。申し訳ありません気がつかなくって。今すぐお昼ご飯の準備をしますね。お台所借りなくっちゃ」
嬉しそうにしながら、姫さんは俺を連れたまま少し駆け足でこの邸宅の台所へと向かう、昔住んでいただけにその足取りに迷いはなかった。
「……姫さん、寝たか?」
起こしたりしないよう細心の注意を払いながら俺のすぐ横で眠る姫さんの寝顔へ声を掛ける。
声を掛けても姫さんが目を覚ました様な反応はなく、薄桃色の唇から零れる寝息は規則正しいリズムを繰り返している、どうやら完全に眠っているみたいだ。
俺は絡みつく姫さんの腕からそっと抜け出すと、扉を開けて静かに寝室の外へと出た。
ようやく一人になった開放感からふうと小さく息を吐く、結局今日も一日中姫さんは俺にべったりだった。
部屋の外に出てなんとなく手短にあった小窓から空を見上げると満月が煌々と夜空を照らしている。
そういえばこっちの世界に来たその日の夜も、眠る姫さんの元から抜け出してこうして夜空を見上げたんだったか。
あの日初めてこの世界の夜空を見上げた感動は今でも覚えてる、もっともあの時はまさかこんなことになるなんて事は考えもしていなかったが。
「守護竜様? どうなされたのですか? このような時間に」
ふと声を掛けられて視線を向ければ夜闇の中から月明かりの中へアンヌがその姿を見せた。
いつもは頭の後ろで纏められている髪は解かれて腰の辺りまで伸び、品のいい寝間着を身にまとったその姿は普段の男勝りの様とは違って少し色っぽく見える。
「いや、ちょっと月をな。そっちこそどうしたんだよ、確か寝室はこっちじゃねぇだろ」
「いえ、その……」
チラリと視線が姫さんが眠る部屋を見る。
「無礼を承知でお伺いいたしますが……義姉上の様子に何かお変わりはないでしょうか?」
「なんでんなこと聞く?」
「いえ、そこはかとなく元気がない様子に思えましたので、まるでしなびた華のようだと」
「そっか……あんたには分かっちまうか」
そう、ここ最近の姫さんはどこか変だった。
表面上は言動に変化ないように見えるが、明確に俺へ対する過保護が増したのだ。
少し前までならこうじゃなかった。
俺が一人で行動しようとしても、多少渋ったり口うるさく注意や確認をしてくることはあっても、ここまでじゃなかったはずだ。
でも今はそうじゃない、少しでも俺が姫さんから離れようとすると強い拒否反応を見せるようになった、もし無理に離れようとすれば情緒が乱れて半ばパニックみたいな状態になることすらある。
だからこうして、寝静まったタイミングを見計らわないとても単独行動だなんて出来ない。
俺がこっちに来たばかりの頃も、必要以上に過保護なところはあったがあの頃とも違う気がする。
あの頃はただ俺のことが心配で離れたくないって感じだった。
でも今は何というか、俺が離れることを姫さんは酷く怖がっている様に思える。
お気に入りのぬいぐるみを持っていないと不安でたまらなくなってしまう、まるで小さな子供みたいに姫さんは俺を胸に抱き放そうとしないのだ。
あと一週間もしないうちに戦争になる、果たして今のままで姫さんは俺のことを戦いに送り出してくれるだろうか?
それがここ最近、俺が拭えずにいる懸念だった。
戦争が始まれば最前線にはきっとデインの守護竜が出てくるだろう。
同じ守護竜だから、何よりスバル女王を取り込んだあいつの力を目の前で見たから分かる。
兵を集め準備を進めているアナスタシア達には悪いが、たとえ何千、何万の人間が束になったところであれには歯が立たないだろう。
あれとまともにやり合える可能性があるのは同じ守護竜である俺だけだ、うぬぼれや理屈なんかじゃなく本能的にそう確信できる。
でも俺が本気で戦う為には姫さんの儀式がいる。もし姫さんに俺が戦う事を拒否されたら、きっとフィロール王国はなすすべもなく全滅するだろう。
いくらなんでも国の一大事にそんなことはしないはずだと思いたいが、安易にそう一蹴にすることも出来ない位、今の姫さんは危うい。
最悪戦わずにすむのならと自身の命をあいつらに差し出しかねない、そんな事だけは絶対にさせるわけにはいかない。
だからどうにか姫さんには復調してもらわにゃ困る訳だが一体なにをどうしたもんか。
そもそも一体なにがどうしてああなった?
ネネイルでの事件がきっかけだったことに間違いはない、その中の一体何に姫さんはあそこまで反応している?
できうる限り細かくネネイルであったことを順繰りに思い出していって、そんで気づく。
もう名前は忘れたが保守派のリーダーだったあの爺さんがライレイに打ち抜かれて死んだとき、姫さんの様子は明らかに変だった。
人が目の前で撃たれたんだからパニックになっても別におかしくはない話なんだが、あの時のはそういうのとは違う様な気がする。
元々誰かの死に対して必要以上に敏感な節はあった、今までそれは姫さんのお人好しな性格から来ているもんだと思っていた。
でもあの時の取り乱し方はそういうのじゃない、なんつうかもっと具体的な、そうまるで――。
「何かトラウマでも引っかけたみてぇな」




