第16話 優しい人ってのは――
セリスまでいったいこんなところで何しているのかと思っていたらその手元にはお盆に乗せられたティーポッドとカップ、作業をしているお姫様への差し入れだろうか?
「政の全てはアンヌ様に最終決定権がありますゆえ、ああして各所から上がってきた書類に目を通し採決を下されるのも王としての公務なのです」
聞いてもいないのにセリスが話す、まぁ実際気にはなっていたことだったので助かると言えば助かるのだがそれはそれとして別の疑問が浮かぶ。
「何をやってんのかは分かったが、何のためにわざわざこんな遅い時間に作業をする必要があるんだよ」
「明日までに対応しなければならない案件が多くございますので」
「だからどうしてそれをこんな遅い時間にやってんのかって聞いてんだよ、作業するにしたってもっと明るい時間に――」
言ってて気づいた、お姫様がその明るい時間に何をしていたのか。
お姫様は今日一日俺に街を案内していたのだ。
お姫様がどうしてこんな夜遅くに作業をすることになったのか、いったい誰の為にこんなことをしているのか、その理由は多分――。
「けッ、だから余計なお世話だって言ってんだよ、頼んでもいねぇことをよぉ」
「そういうお方なのです」
セリスが扉の向こうで今も山の様に積まれた書類とにらめっこをしているお姫様を見る。
「今でこそ多くの民に慕われておられますが最初は身分の違いから距離を置かれる方が殆どで、王族というだけで逆恨みから敵意を向けられることさえありました。ですがアンヌ様はお忙しい中、時間を作っては何度も街へ足を運びそんな人々の声に耳を傾けてこられました」
表情をピクリとも変えず、平坦な声で話すセリスだったがお姫様を見るその目はどこか優しい気配がした。
「城の大臣や領主様の中には民に寄り添うアンヌ様のあり方を権威を貶める行為であると批判される方も多くいられます。ですが分け隔てなく誰もに寄り添おうとするアンヌ様を私めは好ましく思っていますし、そんなあの方にお仕え出来た事は私めにとってなにより光栄であり幸運なことであると心より思っております」
「……なんだよ、今日はよく喋るじゃねぇか。あんたはもっと無口な奴なのかと思ってたんだがな」
真面目な顔してあんまりにこそばゆい事を話すもんだから、つい軽口のつもりでそう言うとセリスは分度器で計ったような綺麗な角度のお辞儀で俺に頭を下げた。
「申し訳ございません口が過ぎました、このお叱りはいかようにも」
「いや別に怒ったわけじゃねぇよ、たくどいつもこいつもめんどくせぇな……あっ! 今のも別に怒ったわけじゃないからな、謝るんじゃねぇぞ」
「かしこまりました、寛大なお言葉ありがとうございます」
抑揚のない声でそう言ってセリスが下げていた頭を上げる。まったく必要以上に敬われるというのも考えもんだ、堅っ苦しくてしょうがない。
「では、私めはここで失礼いたします」
「ん? おいどこ行くんだよ、それお姫様への差し入れじゃないのか?」
「いいえ、湯が冷めてしまいましたので淹れ直してまいります。ご安心ください今淹れてある分は私めの方でおいしく頂戴いたしますので」
別にそういうことを気にしていたわけでもなかったんだが、ともかくセリスはそう言い残し俺の前から去っていった。
セリスの背中が夜闇に消えていった後、俺はもう一度扉の隙間からお姫様を覗き見る。
ちょうど眠気にでも襲われていたのかお姫様は自身の頬を両手で軽く叩き、何やら気合を入れた様子でまた書類の山から一枚取り出し内容を確認していく。
『守護竜様にはこの国をこの世界を好きになってもらいたい、できる事ならこの世界に来てよかったと思っていただきたい。そのための努力をする事こそが守護竜の巫女として何よりの使命であると私は思うのです』
あの時の言葉には多分嘘はなかった、だから今こうして眠い目こすって夜なべしていることもそのための努力というやつなんだろう。
もっと楽をする方法なんざいくらでもあるだろうにあのお姫様はそれをしない、その理由はきっと自分ではなく誰かの為で。
俺の腹のあたりからある言葉がせりあがってくる、一度うっかり口走りそうになって慌てて飲み込んだそれが今度こそ口から零れ出る。
優しい人ってのは――。
「――あんたみたいな人の事を言うんだよ」
俺はそっと開いていた扉を閉めて、気づかれることがないようその場を後にするとお姫様のいない寝室へと静かに戻りそのまま眠りについた。
「おはようございます守護竜様。朝ごはんできておりますよ」
朝お姫様にそんな一言と共に抱きかかえられて目を覚ます。
そのまま食堂に連れていかれてみれば、言っていた通りすでに料理がテーブルに並べられていていつでも朝食を始められる状態になっていた。
俺よりも寝る時間は遅かったはずだろうに疲れた様なそぶりなんておくびにも出さず昨日とおなじ穏やかな笑みを浮かべている。
ただ、その目元にはうっすらと隈が浮かんでいるように見えたがそれは気のせいということにしておくことにした、本人が何も言わないのであれば指摘してやるのは野暮だ。
食堂のテーブルに並べられた朝食は昨日と同様素朴なものだったが、心地のいい落ち着くような味わいも変わらなかった。
「どうですか守護竜様、お口に合いますでしょうか?」
朝食を食べる俺を見つめながら、まるで愛おしいものでも見るみたいな表情でお姫様は懲りもせずまた昨日と同じことを訪ねてくる。
まったく人が飯を食ってるところを見て何が楽しいってのか、鬱陶しいったらない。
……でもまぁ、一言感想を言うくらいならそれほど手間でもないか。
「まぁ……おいしいよ」
それからまた一口、二口と朝食を食べ進めるているとふとあたりがやたら静かなことに気が付く。
気になって顔をあげてみれば鳩が豆鉄砲食らったような顔したお姫様と目が合った。
「?……なんだよ」
「……守護竜様……今、なんとおっしゃられましたか?」
「なにって、別に何も」
「今、美味しいって、そう言ってくださりましたよね。ねっ! セリス!」
「はい確かに、美味しいよ、とはっきりおっしゃっておられました」
「ッ~~~~~~~~~!」
喜びの感情がゆっくりと染み渡るみたいにお姫様の顔が徐々に満面の笑顔に変わり、目じりには涙まで浮かべる。
まったく大げさな、何ががそんなにうれしいっていうのか俺にはまるで理解できないが……でもまぁ、正直それほど悪い気もしな――。
「セリスッ、書記官様を今すぐお呼びして! この出来事を公的な記録として残さないと!」
「ッて、おい! なにをこっぱずかしいことを大々的に残そうとしてんだ、馬鹿かあんたは!」
「かしこまりましたアンヌ様、今すぐ書記官をお呼びしてまいります」
「かしこまるな! 止めろよ、主の愚行を!」
「いいえそれだけでは足りませんね、いっそのこと今日この日を国の祝日としましょう! 守護竜様がご飯を美味しいと言ってくれた記念日です!」
「かしこまりました、では議題提出の手続きを進めておきます」
「ひッ! とッ! のッ! はッ! なッ! しッ! をッ! 聞けッーーーー!!」
前言撤回やっぱりウザすぎる、もう二度と軽々にお姫様の料理を褒めたりしねぇ。
どうにか国家規模の職権乱用を止めた後、俺は胸の内でそう誓った。




