1話 まだ俺が人間として生きていた頃の話
何がどうしてこんなことになったのか。
少し前まで俺は、こんなんじゃなかった。
歯向かうやつは誰だろうとぶっ飛ばし、喧嘩を売ってくる奴は全員叩きのめす。
俺を縛るものな何もなく、一睨みくれてやればそれだけで誰もがビビり上がって逃げ出し近寄ろうともしない、俺はそう言う硬派な人間だった。
それがどうして――。
「よしよし、いいこいいこ」
――どうしてこんな女の膝の上に乗せられて頭よしよしなんて軟派なことになっているのか。
「ええい、だからそれはやめろつってんだろうが!」
頭をなでる鬱陶しいその手を尻尾を使って払いのけ不満を籠めて睨み付ける、こんなことを俺さっきから何度も繰り返している。
「あらあらまたそんな乱暴な言葉遣いをなされて、いけません、めっ!」
「めっ♡ じゃねぇんだよ馬鹿にしてんのかテメェ!」
「馬鹿にするなんてそんなことはありません。それより守護竜様、お腹はすいておられませんか? おねむじゃないですか? してほしいことは? なにかあれば遠慮なさらず甘えてくださいね」
だぁークソッふざけやがって! もういい、もう女だろうが容赦しねぇここは一発ガツンと食らわして!
「よーしよーし、いいこいいこ、ふふっ」
……本当に何がどうしてこうなったのか。
甘ったるい猫撫で声で懲りずにまた俺の頭を撫でてくる手を払い除け心の中で嘆く。
事の発端は今から少し前。
まだ俺が元の世界で人間として生きていた頃の話しだ。
✣
俺はいつも苛ついていた。
何に? と言われれば、なんでもかんでもにだ。
人でも物でもなんでも目についたもの全てに腹が立った。
誰かが舐めた態度を取ろう者なら片っ端から叩きのめして力ずくで分からせてやった、それでも俺の苛立ちは消えることはなかったが、そんなことをしている内に周りの連中は俺から距離を置くようになった。
学校の連中は俺にビビって近寄ってこねぇし両親だってそうだった、でも気にしなかった嫌われて恐れられようと構いやしないなれ合いなんて気色が悪いだけだ。
俺に構うな、寄るな、哀れみも同情もクソ食らえ、他人なんざどうでもいい、俺は一人で構わないそう思って生きてきた。
その日も俺は仕返しに来たという不良グループに喧嘩を売られ、人目のない裏路地でそいつらを軽く捻ってやった。
自分から喧嘩を売ってきた癖にてんで相手になりゃしないそいつらをあらかた片付けて、ようやく静かになったと思ったその時、背中が急に熱くなった、どうしたのかと触れてみたら、その手が血に染る。
遅れてきた痛みにようやく自分が刺されたんだってことに気が付いて、誰かが慌てて逃げていく足音が聞こえた。
刺した奴の顔を見ることは出来なかったが多分不良グループの誰かだろう、そうじゃなくても恨みを買った心当たりなんて掃いて捨てるほどある、別に誰がやったって不思議じゃない。
刺された箇所を手で押さえてみたが、そんなものなんの意味もないことはすぐに分かった、切ったり刺されたりなんてのはこれが初めてじゃなかったが、今回ばかりは当たり所が悪かったらしい。
傷口から血と一緒に何か大切なものが抜けていって、手足が冷たくなっていくような感覚がする。
ああ、これは死んだな。
本能的にそう確信した、きっともう自分はどう足掻いても助からない。
顔も知らない奴に刺された挙げ句、誰も見ていない路地裏でひっそり死んでいく、それが俺の最期。
死にたくない……とは別に思わなかった。
どうせ俺みたいな奴が死んだところで誰かが困る訳でも無い。こうなったのも自業自得、望んだのは俺自身だ今更生きながらえたいなんて思うような未練なんて無い。
……だけど……。
「……チクショウ」
弱々しい声でそう毒づいた後、俺の意識は暗い闇の中に溶けていって、そして何も感じなくなった――。
――ここは何所だ?
気が付くと暗闇の中だった。一片の光りも無く、自分が目を閉じてるのか開けてるのかもわからない。
俺は死んだのか?
今自分がどんな状況に置かれているのかよく分からない、深い眠りから覚めた直後みたいに意識がはっきりとしていなかった。
ぼんやりとした意識のまま、その場で身じろぎをすると、それだけで体が何かにこすれる感触があった、どうやら殆ど身動きが出来ないほど、狭い何かの中に自分はいるらしい。
「――」
声が聞こえた。
「――様――う様」
声はまるで、壁の向こうから聞こえてくるようにくぐもっている。
ただ不思議とその声を聞いていると、ぼんやりとしていた意識がはっきりとしてくる気がした。
「お目覚め――守護り――様」
誰かが俺を呼んでいる。
何を言っているのかわからないのになぜだかハッキリとそう思った。
行かないと。
ぼんやりとした意識のまま、目の前にある壁を押してみると、それは思いの他もろく手が突き抜けてしまった。
突き破り開けた穴から光が差してその明るさに思わず目を窄める。
開けた穴を広げるように、自分を包んでいた何かを崩し、外の世界へと脱出を果たしたその瞬間。
「「「ウォォォォォォッ!」」」
「なんだぁ!?」
突然の大歓声に度肝を抜かれ思わずそんな声が漏れるが、そんなものあっという間に掻き消されてしまうほど辺りは沸きに沸いていた。
一体全体こいつらはなんだ?
困惑しながら辺りを見回す。
何やら神殿の様な場所の祭壇の上に俺は乗せられ、そして目の前には辺りを埋め尽くすほどの人、人、人。
その視線の全てが、自分に注がれている、一体全体これはなんだ? 突然の出来事に俺の頭がパニックになりかけたその時。
「守護竜様」
声が聞こえた。綺麗で穏やかな、聞いた人の心を落ち着かせるようなそんな声。
暗闇の中で呼びかけてきていたあの声だ。
咄嗟にその声がした方へと視線を向けると、そこに立っていたのはまるでおとぎ話の中にいるお姫様の様な女だった。




