第92話 失われた記録
アリシアの保護から数時間後。
優たちは、一時的に移動した地下シェルター内の安全区画で彼女の経過を見守っていた。
室内は静かだった。
だが、空気には張り詰めた何かが漂っている。
アリシアはソファに座り、窓のない天井をぼんやりと見つめていた。
背に浮かぶ霊結晶は、今は完全に沈静化している。
「……具合は?」
優の問いかけに、アリシアはゆっくりと首を振った。
「大丈夫。でも……まだ、全部がぼやけてる。
思い出そうとすると、胸がぎゅっと締め付けられるような気がして」
「記憶の封印。あるいは、外部からの抑制措置」
クロノスが低く分析する。
「霊核構造の安定性は高いが、感情因子に強いロック反応が見られる。
誰かが“彼女に過去を思い出させない”よう意図していた可能性がある」
「それって……夜刃財閥が?」
美月が眉をひそめると、アサクラ・エンジが口を開く。
「夜刃財閥が彼女を封印したことは事実だ。ただ、彼女が作られた“設計思想”そのものは、もっと古く、そして深い」
「もっと古く?」
「彼女は“実験体”ではあるが……同時に、ある種の“写し身”だ」
「写し身……?」
優が目を細めた。
「記録されざる原型。存在しないはずの“霊的座標”。
財閥の上層部すらもそれを把握していなかった。
つまり彼女は、この世界の“観測記録に載っていない何か”の模倣体である可能性がある」
アリシアが、優の方を見た。
「……あなた、のこと。私、知ってる気がする」
「俺もだ」
優は静かに頷いた。
「顔も、名前も、何も覚えてない。でも、
お前を見たとき……“戻ってきた”って、思ったんだ」
室内に、わずかな沈黙が流れた。
そのとき、クロノスが通信回線に割り込む。
「外部データ傍受。新たな教団活動記録を検出」
「アカシャの指の動き……?」
「否。記録されていない存在による接触――別の“幹部”と見られる霊子痕跡」
その報告に、アサクラの表情がわずかに揺れた。
「まさか……“観測されない指”が動いたのか」
「それって……?」
「彼らの中でも、存在そのものが不定とされる実働者がいる。名を伏せられ、記録に載らず、姿も掴めない。
彼らが動くときは、“記録にない歴史”が書き換えられる時だ」
美月が息を呑む。
「じゃあ……アリシアの過去だけじゃない。
私たち自身の“記憶”すら、操作されてるかもしれないってこと?」
誰も、否定できなかった。
真実は、すでに塗り替えられているかもしれない。
記憶の奥底に封じられた何かが、今、静かに目を覚まそうとしている――




