第55話 次なる影
──廃倉庫に、静寂が戻っていた。
割れた床、焼け焦げた壁。死闘の爪痕は残るが、今そこに敵の気配はない。
天城優は、戦いの余波を引きずったまま静かに腰を下ろしていた。
その背後には、ザグエル=ドラウス。
そして──死霊と化したクロノスが、影の中に控えている。
「……本当に、倒したのか……」
仮面の男が、ぽつりと呟いた。
美月もまた、目の前の光景がまだ信じられないように立ち尽くしていた。
「……優くん……」
声をかけても、その背に届いたかはわからない。
けれど、今までと明らかに違うものが、彼の背中にはあった。
──何かを超えた者だけが持つ、絶対的な“静けさ”。
そのとき、美月はそっと視線を隣に移した。
彼──仮面の男。
死闘の最中に、彼は確かに言った。
「妹だけは守る」と。
その言葉が、今も耳に焼きついて離れない。
「……さっきの、“妹”って──」
美月は口を開いた。
自分でも戸惑うほど、声が震えていた。
仮面の男は、一瞬だけ動きを止める。
「──ああ。言ったな。口が滑ったよ」
「それ……私のこと、ですよね?」
彼の表情は読めない。だが、黙ったままの時間が、それ以上の答えだった。
美月は一歩、踏み出す。
「……私には、兄がいた。でも──死んだって、ずっと言われてて……」
「……」
「ねえ、答えて。あなた……まさか──」
言いかけたその瞬間、仮面の男はふっと口元だけで笑った。
「さあな。どうだろうな」
「はぐらかさないで!」
声が少し強くなる。
「あなた……私のことを知ってる。ずっと、ずっと前から──」
仮面の男は、しばらく黙っていた。
やがて、少しだけ目を伏せて言う。
「……言いたいことは山ほどある。でも、今はまだ……話せない」
「どうして……っ」
「話せば、おまえが狙われる理由も──俺の存在も、全部繋がる。だからこそ、今は……もう少しだけ、黙らせてくれ」
その声には、苦悩がにじんでいた。
(──もしかして、この人……お兄ちゃんなんじゃ……)
頭に浮かんだその可能性に、自分で戸惑う。
でも、彼の声も、背中も、あの言葉も……全部が、“そうじゃない”とは言い切れなかった。
優の声が、それを断ち切るように響いた。
「クロノス。夜刀財閥のログ、解析して。残ってる情報があるはずだ」
「了解。……橘重工──複数の関与記録を確認。夜刀との共同開発履歴あり。だが直近は完全に遮断」
「動いてるな、橘も」
優は立ち上がる。
「夜刀の空白を、今度はそっちが埋めようとしてる」
「先に動くつもりか?」
仮面の男が問いかける。
「情報を取りに行く。夜刀が使ってた旧研究所のひとつ。まだ何か残ってるかもしれない」
「で、ひとりで行く気か?」
「──いや。さすがに今は、誰かが背中を見てくれた方が助かる」
優がふと視線を向ける。
「当面は、三人で動こう」
「おいおい。ようやく俺たちを“仲間”扱いか?」
仮面の男が笑い、美月も少しだけ口元を緩めた。
•
その頃、橘重工 本社ビル 最上階。
銀のスーツに翡翠のネクタイを締めた男──橘 隼斗が、タブレットを操作しながら笑っていた。
「なるほど……あれが“天城優”。噂以上だ」
背後では無言の強化兵たちが静かに立ち並ぶ。
「拾う価値はあるな。こちらから仕掛けるか──それとも“誘導”してやるか」
その目には、冷酷な好奇心が宿っていた。




