第36話 旅路に沈む影
空は澄んでいた。
だが、世界はまるで靄がかかったように、淡く濁って見えた。
都市の喧騒から離れ、優は一人、旧街道を東へ歩き続けている。
オモイカネが示した試練の地は、地図にも載らない未開の山間部。
人の記憶からも忘れ去られた領域だという。
「……本当に、こんな場所に“試練”があるのかよ」
誰に向けるでもなくつぶやき、優は肩越しに背後を見やった。
影の中に潜む死霊たち。
ヴァルガル=ノワール。
フェンリエル。
アミュナ=リリス。
ヴォラク=グリード。
そして、未完成の融合体、ザグエル=ドラウス。
かつて命を賭して倒した者たち。
今は、優と共に歩む影の従者。
《現在地:都市圏より約15km離脱。魔力濃度の微弱な上昇を検知》
オモイカネの冷静な報告に、優は目を細めた。
(もう……この空気だ)
道は舗装が剥がれ、ところどころに草が割り込んでいる。
道路脇の標識は傾き、文字は風雨に削られて読めなくなっていた。
小川を渡る小さな橋は半ば崩れ、枯れた森が道を覆い隠している。
空気は異様な静けさに満ち、鳥の囀りも、獣の気配すらもなかった。
ただ、肌を撫でる微かな風だけが生を主張している。
「……静かすぎる」
声に出してみても、返ってくるのは無音。
そんな中、微かに鼻を突く、金属のような匂い。
(風が、腐ってる……?)
優は警戒を強めた。
「まだ敵の気配はない。けど、何かがおかしい」
死霊たちは静かに影をうねらせ、いつでも応戦できる体勢を取っていた。
フェンリエルが、耳をそばだてるように首を傾け、ヴォラク=グリードは地面を舐めるように警戒している。
この重苦しい空気を、彼らも確かに感じ取っている。
やがて、開けた場所に出た。
優の視界の先に、朽ちた集落が現れる。
崩れた家屋。
黒ずんだ井戸。
折れた鳥居。
すべてが、かつて人がいたはずの証。
けれど今は、ただの骸にすぎなかった。
「廃村……か」
誰もいないはずなのに、どこかに“何か”がいる気配。
影がざわめく。
背筋が粟立つ。
それでも、優は足を止めなかった。
(強くなるって、こういうことだ)
恐怖を振り払うように、無言で一歩を踏み出す。
ふと、道の先に、人の営みが見えた。
小さな町。
ぼろぼろになりながらも、灯りを残す建物たち。
「……一度、寄っていくか」
情報を集め、身体を休める。
それもまた、戦いの準備の一つだ。
優は再び歩き出した。
その背後で、森の影がゆっくりと蠢いた。
誰も気づかない、深い深い闇のざわめきと共に――




