第32話 逃走、そして誓い
「こっちだ、美月!」
優は美月の手を引きながら、入り組んだ路地を駆ける。
だが――音もなく、後ろから追いすがる気配がある。
足音すらない。けれど、確実に“殺気”だけが背後から近づいてくる。
「こんなの……おかしい……!」
美月が息を切らしながらも口にした。
優も同じだった。死霊たちの妨害を仕掛けても、それをものともしない敵。
――クロノス。
元S級ハンター。だが今はマガツカミと融合し、人の枠を超えた存在。
「アミュナ、毒の道を引け。ヴォラク、背後の視界を抑えろ!」
優の命令に、死霊たちが即座に応じる。
地面に毒の霧が漂い、背後の通路には錯乱の視界が走る。
けれど。
ガシャンッ!!
一歩で毒霧を抜けたクロノスが、建物の屋上から無音で飛び降りた。
「くっ……!」
重装のヴァルガル=ノワールが体当たりを仕掛けるも、受け流された勢いで優の肩を掠める。
そのまま、壁ごと抉られた。
「……ちょっとでも躓いたら、死ぬぞ」
優は美月を抱えるようにして脇道に滑り込む。
だが進んだ先の通路も、クロノスの“読み”で先回りされていた。
暗い横道、屋根の上――至るところから気配が迫る。
まるで、逃げ道を一つずつ塞がれていくようだった。
「くそ……!」
路地裏の交差点に出た瞬間、真上からクロノスが降ってくる。
目を見開きながら、優は右手をかざした。
「フェンリエルッ!!」
影が突風のようにクロノスを押し返す。
一瞬の空白。その隙に路地を横切る。
(何かないか――。まだ、できることは……!)
オモイカネ、今のこれは試練なんだろ? だったら――
《試練継続中。条件未達。対象の安全と主の生存が同時に満たされる必要あり》
(そうか、逃げるだけじゃ足りない。守りきってこそ……!)
視界の先に、影が深く伸びている路地の分岐があった。
「アミュナ、ヴォラク、ここを抑えろ!」
影が拡がり、死霊たちが再び追跡を妨害する。
優は両手を前に出し、地面の影に集中した。
「オモイカネ――力を貸せ。ここを越えなきゃ、何も変えられない!」
《条件達成確認。試練完了。報酬:影流――影を介して短距離跳躍可能。逃走・攪乱に効果大》
「影流――発動!!」
影が弾け、二人の身体が黒く包まれた瞬間、空間がねじれる。
刹那、彼らは瓦礫の裏へと瞬間移動していた。
すぐさま次の影へと飛ぶ。
転移、転移、転移――
死霊たちが時間を稼いでくれた一瞬のうちに、優は五つの影を飛び越え、ようやく気配の届かないエリアに抜け出した。
崩れたビルの地下。
そこには、もう敵の気配はない。
「……逃げ切った、の?」
「――ああ。死霊たちも、よくやった」
優は汗を拭いながら、美月を支えて腰を下ろす。
闇に包まれた小さな空間で、ふたりだけの呼吸が響く。
「……あの人、本当にクロノスだったのかな……?」
「顔は同じだった。けど、魂が違ってた」
「どうして、あんな……」
「わからない。けど、俺たちは狙われてる。生き残りたければ――戦うしかない」
その声は静かだった。だが、燃えるように強かった。
優はそっと拳を握りしめ、天井の見えない暗がりを見上げた。
(次は、逃げない)




