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1 贈り物の準備と大事な存在

 ――少しのあいだ旅に出てきます。あなたへ贈る花を入手するためなので、探さないでください。

 そう伝えたときの伴侶の顔を思い出し、歩きながら口もとを淡く緩める。

「あら、よさそうな店でも見つけた?」

 目ざとい友人がその変化に気づく。リヴェレークは首を振った。

「いえ、今朝のことを少し――」

 静謐の魔女らしい、ぞっとするほどに深い水底の色が、花の香りを含みだした凍て風にさらわれていく。

「わたしにこういった経験が不足しているというのは言うまでもありませんが、ルフカレドも大概だなと」

 どういうことかと首を傾げるクァッレに、手が早いようで意外と無垢な面も持つ伴侶のことを教えてやると、彼女はふはっと吹きだした。

「核心的なところじゃあ、そうよねぇ。人間のほうがよっぽど気まぐれに相手を変えるのだもの。人外者(わたしたち)に、真に大事な相手はふたりといないのだから」

 豊かな黒髪を揺らして歩くクァッレは嵐のような美しさで、相変わらず惚れ惚れする。

 その正体は明星に連なる古の竜。

 ともに世界の黎明期を築いた仲であり、もう長いこと一緒にいる。大事な友人だ。

 それでも今のリヴェレークには、婚姻によって結びを得たばかりの、しかしなによりも大事にしたい伴侶がいた。

(そして、ルフカレドにとっても、大事な存在はわたしなのだ)

 軟派で、女性関係もなかなか派手だった戦火の聖人であるが、彼は、大事なひとに花を贈る冬の終わりの習慣――花贈りを経験したことがないのだという。

 これまでは恋人関係にある相手であっても仕事があるからと躱してきたらしい。そういうところが女性に命を狙われやすくなる原因なのではと思わないでもないが、自分が初めてなのだという事実は悪くない。

 当然のように自分の心を満たす独占欲を、リヴェレークは穏やかな気持ちで受け入れた。


 見つけた花屋に到着し中へ入る直前、クァッレは念を押すように「本当に店で売られてるお花でよかったの?」と聞いてくる。

「あなたなら、静謐をまとわせた特別な花を咲かせられるでしょうに」

 クァッレの言うことは正しい。だがこれは夫であるルフカレドとも話しあって「購入した花を」と決めたのだ。リヴェレークはどこか張り切ったようすで影から一冊の本を取り出し、クァッレに見せつけた。

「この街が舞台の恋愛小説です。主人公が花贈りの日に花を買う店は明記されていませんが、結晶化した季節の花の看板に、押し花のタイルで囲われた花壇、赤い花びらで葺いた屋根……ここに違いありません」

「……そういうことね」

 書庫の番人とも呼ばれるリヴェレークは、物語を余すことなく楽しむことに全力を注ぐ魔女だ。そして最近は、物語を物語だけのものにせず、現実でもなぞってみることに熱中しているのである。

「それに基本から始めることは重要でしょう。実用書ではよく鉄則として書かれていますし、自伝では『最初に基礎を固めていれば』と悔やんでみせる著者も多くいます」

「あなたは本当になんでも読むわね……」

「本は読むものですから」

 入りますよ――色鮮やかな硝子張りの引き戸を開ければ、濃密な花の香りがふたりを包んだ。


「贈るのは、何本くらいが妥当なのですか?」

 店内は空間を魔法で拡張しており、大きな温室のようになっている。いくつかの区域ごとに似た性質の花が植えられており、その場で店員が切り花にしてくれる仕組みらしい。

 花贈りの定番ということで広く売り場を設けられた薔薇の区域に、リヴェレークたちもいた。

「二、三本といったところね。特別な一本を選ぶという手もあるけど、とりあえず初めてなのだし、数本、好きな組み合わせで選んだらいいと思うわ」

「組み合わせ……物語の主人公も、先に決めた色にあう花がなかなか見つからず苦戦していました」

「そうやって悩む時間を楽しむもの、というのは物語で読んだのでしょう?」

「はい。そのつもりできました」

「ちなみに男側は花束にするのが一般的よ」

「それも楽しみです」

 物語と同じように薔薇妖精のおすすめを聞きながら、ふたりは自分たちがそれぞれ求める薔薇を探した。

 定番の赤や白にもたくさんの種類がある。

 はっとするほどに鮮やかな色、他を引き立てる控えめな色。繊細な心を表現するような色の滲みが美しいものもあれば、花芯に集まる影が不思議に揺らぐものまで。

(互いの色なら無難だろうか)

 伴侶の燃えるような暖色や、自分の潜むような寒色に似た薔薇を見つけながら、けれど、とリヴェレークは別の色あいが集められた区域へ目をやった。

 そこには、豊穣のきらめきを宿した瞳でじっと一点を見つめるクァッレの姿。

「トーン・クァッレは、ルファイへ贈ることにしたのですね」

「……決めてはいないわ」

 無言で続きを促すと、秋を導く明星黒竜はぼんやりと笑う。

「彼は人間だから……私から言ってしまえば、それは強制になるの。だからこれは、ただの備え。明星(わたし)の信奉者から贈られる捧げ物のお返しに一律で配るのとは違う、特別だと思うからこそ、慎重にいかなきゃいけないのよ」

(そうか、魔女と聖人みたいに、種族として対等ではないから)

 なかなか険しい恋の道をゆく友人には、ぜひに幸せを掴んでもらいたいものだ。


 と、そこでリヴェレークは、先のクァッレの発言からあることに気づいた。

「……なぜ今まで気づかなかったのでしょう」

「リヴェレーク?」

 木の高さに目線をあわせ、その奥にクァッレが見えるよう顔を向ける。

 暗色ながら華やかに咲き乱れる薔薇のなか、標のように佇むトーン(明星)のなんと美しいことか。

「今年はルフカレドだけにしたいのでやめておきますが、来年からは、友として大事なあなたとも、花を贈りあいたいです」

 大きく目を見開いたクァッレに追い打ちをかけるように、リヴェレークは目の前の花びらを指で触れた。

「これは魔女の強制になりますか?」

「……あら、私があなたに強制されるとでも?」

「いいえ」

 ふふっと笑いあう魔女と竜は、にこにことようすを見守っていた店員にそれぞれ決めた薔薇を渡し、綺麗に包んでもらったのであった。

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