少しの希望
中年男に切られたと思っていた右足は実際には大した怪我ではなかった。
向こうも焦っていたのか、足に当たったのは刃ではなく剣の側面の部分であったようで、怪我はただの打撲であり魔法を用いて治癒する必要もない程度のものであった。
試合が終わると翔太はすぐに部屋に戻され治療を受けた。
趙が翔太の体の隅々まで調べ、同部屋の男達がそれを見守る。
「大丈夫だ、大した怪我はないよ」
そう趙が言うと、男達が歓声をあげた。
「おめでとう!」
「良くやったな!」
「これでお前も仲間だ!」
男達は今まで我慢していたかのように口を開き始め、熱烈に翔太を歓迎し、傷口を気遣いながらもバシバシと翔太の体を叩いて喜びを示した。
日が暮れると、翔太達の持ち主から勝利に対するねぎらいの言葉と、正式に剣闘士になったことを祝う言葉が贈られ、同時にお祝いの品が部屋に運ばれた。
それは大きな肉の塊と箱いっぱいに入れられた酒であった。
肉は牛肉に似た味のロースト肉で、1kg以上はあっただろうか。
味付けこそ単純な塩味であったが、ホロホロになった肉とトロトロの脂身は実に美味で、翔太に生きる喜びをいくらかは思い出させるにはじゅうぶんであった。
酒は酸っぱいにごり酒であったが、穀物の甘みが奥行きには感じられて、とても飲みやすいものであった。
翔太は同部屋の男達に惜しみなくそれを分け与えると、部屋はちょっとした宴会となり、男達は久々のごちそうに舌鼓をうった。
「今まであまり話しかけずに悪かったな。新人戦を勝ち抜かないとそこでお別れになるからあまり情を移したくなくってな」
「普通はここに入れられるとすぐに新人戦になるのだが、お前は療養期間があったから今日まで長かったな」
「明日からは俺達が戦い方を教えてやるぞ」
同部屋の男達は振る舞われた肉と酒に気分を良くしたのか、陽気に翔太に話しかけてきた。
皆が大体打ち解けてきた頃、翔太はずっと気になっていたことを趙に質問した。
「趙さん、貴方、戦う、まだ見ない。貴方、私達、違う?」
そうなのだ。趙はこの部屋を比較的自由に出入りしている。
寝床もここではないらしく、夜間は基本的にはここにはいない。
昼に不在であった時も、戦って帰ってきた様子はない。
彼は剣奴ではなくて世話役なのだろうか。
「私もね、昔は剣奴だったんだ。でも勝ち進んで稼いだお金で自分自身を買って剣奴ではなくなった。そしてそのままここに残って働き始め剣奴の面倒を見る仕事をしているんだ」
「えっ、勝つ、お金ある?」
翔太が驚きの声を上げると、男達は顔を見合わせ、そして大声で笑った。
「当たり前じゃないか。フェイロー様は剣奴を戦わせる賭博によって莫大な金銭を稼いでらっしゃる。その分け前は勝者にも与えられ、それが我々剣奴のモチベーションになっているのさ」
「それがなきゃ絶望して誰も真面目に殺し合いなんかやらないぞ」
「俺達は稼いだ金を趙さんに預けて外の物を買うことも出来るし、やろうと思えばここに娼婦だって呼べる」
好色そうな髭男がニヤニヤとつぶやく。
「まぁ、そういったわけで、私は彼らの使い走りのようなものなのさ」
やれやれといった感じで趙は首をすくめた。
なつかしい、見慣れた元の世界の仕草だ。
「みんな。物ない。お金もない。思った」
翔太がそう言うと男達は再び大笑いをする。
「そりゃおめえ、俺達は外には出られないから良い服なんて買わないし、暮らしていける最低限の物があればじゅうぶんだ」
「俺達は物はいらない。金を貯めて、いつか自分を買い戻す」
「そうだ、自由になる」
「家に帰る」
男達は口々にそう言うと少し涙ぐみ、しんみりした雰囲気になった。
「剣奴が貰えるのは賭けの儲けの数百分の一。新人の頃は賭けの倍率が高いから、勝つと沢山分け前が貰える。でも強くなればなるほど倍率が落ちて実入りが少なる。だからベテランほど贅沢はしないのさ」
「それでもコツコツ貯めていけば、いつかは趙さんの様に自由になれる。だから俺達は戦っていられるんだ」
そうか、抜け出す道はあるのか。
翔太は死ぬまで戦わされる事をおぼろげながら覚悟していたのだが、衣食住が保証され、治療も受けられるし、意外と絶望的な状態でもないのかなと考えを改めた。
「彼らみたいな帰るところがある者は自由になれば帰ればいいし、私みたいな者はここに残ってこうやって働くことも出来る。生き残ってさえいればいつかはね」
趙が少しさみしそうに言う。
「趙さんはな、現役の頃は無敵の剣奴でな、特別に黒い鎧兜を与えられて黒旋風って呼ばれていたんだよ」
「よせよ、昔の話だ」
「よく言う、今でもやったら誰よりも強いだろ。最後の方は賭け試合にならなくて、観覧試合としてチケとを売って金を儲けてたもんな」
そうか、趙さんはそんなに強いのか。
確かに趙は大柄だし、膂力はとても強そうに見えた。
そして一見着痩せするが、時折見える肉体は素晴らしい筋肉に包まれており、戦士の体とはこういうものなのだなと翔太に納得させるものがある。
その趙が明日から剣奴としての訓練を施してくれるという。
人を殺したその日の夜だというのに、翔太はなんだかここでやっていけそうな気がしてきた。
やがて酔が回ってきたのか皆大声で好き勝手な事を話すようになり、その日は奮発して油を使って明かりを灯し、夜遅くまで宴は続いた。