8-4.信じる心が縁を紡ぐ。
リプテルは午後、馬車に乗ってアカシア本邸に帰って行った。
見送りから戻ったサクラは、玄関をくぐり、扉を閉め。
そうして奥の部屋に進もうとして……足を止めた。
「来ると思っていたわ。さては一度紹介してもらってここに来たのは、このためね?」
ゆっくりと後ろを振り返る。
奇しくも……かつて初めて対峙したときと同じ位置に、二人は立った。
(一度客として入ってるから、いくつかの魔道具が反応していない……。
革命軍としてここに連れてきてもらったのは、これを見越してのことね。
やはり慎重で、油断ならない男)
サクラは引かず、前を見て胸を張った。
だが――――――――体の奥からは、小さな震えが湧き出ている。
「不法侵入されて驚きもしないとは。最初にがたがた震えていた女と同一人物とは、思えないな」
金髪碧眼の男。ドラール。
腕には青い腕章を巻いておらず、黒いマントを羽織っている。
「宝玉工場に侵入した時、闇の魔法は使っていたし、潜入が得意なのは見て取れたもの。
王城の地下にまで潜り込めるやつに、警報なんて敷いておいても無駄だわ」
そう言いつつ構えるサクラは……ドラールとの間に、見えぬながらも確かな縁を、感じていた。
そして。
(こいつは王城地下で、エランに〝魔石の製法〟を聞いていた。その前に魔術師マリンにも近づいていた。
最初から、狙いは魔石の大量生産法。エランたちが捕まって頓挫した、魔石の入手。
これまでの動き、そして状況から推理して、こいつがここに来ることは分かっていた。
その目的は……二つ)
サクラは静かに、告げる。
「この屋敷のどこかにあるとみられる、ルカインの隠した〝魔石の製法〟。
そして無限に魔石を産みだせる、私の体が目的ね?」
「フン、お見通しか。ルカインの立ち寄った場所はすべて調べた。
だがどこにも、奴の研究資料はなかった。あと調べてないのは、ここだけだ」
「そもそもあの魔法、父親のマリンの方のものらしいけど?」
「マリンの製法は調べたが、あれは普通の人間相手じゃクズの魔石しか生成できない。
品質が悪すぎて使えないんだとよ。息子が人体実験繰り返して編み出した魔法がどうしてもほしいとさ。
もちろん、お前を連れてけば解決なんだが」
「他人事ね。やる気がないの?」
ドラールは自嘲気味に、顔を歪めた。
「本気なわけあるかよ。
この髪と目のせいで、俺の人生は滅茶苦茶だ。どこに行っても利用しようとする輩が出てくる。
悪党やってたほうが、まだ気楽なだけだ」
諦めたような少年の言葉に……サクラは眉を潜めた。
気楽――――それは、エランが道を踏み外した、キーになる心の一つだ。
(同じ。だけどこいつはたぶん……エランとは逆。
境遇がよくて性根が腐ってたエランと違って、根はまっすぐなのに境遇が悪い。
けど、血なのかしらね? 道の踏み外し方は一緒。
正してやる義理はないけど……見過ごすのも、後味が悪いわね)
自分が闇の底に落とした男を思い出し、サクラは冷酷に告げる。
「馬鹿な男。その製法を持ち帰ったら、あんたは一躍大悪人よ?
気楽どころか、どこまでも善悪両方の人間につき回される、最悪の人生になる。
責任と宿業から、一生逃れれなくなる。寝ても、覚めても、永遠に」
「そんときゃ野垂れ死ぬさ」
「だから馬鹿だっていうのよ。あんたの目の前にいるのは、エランに死ねない地獄を与えた女の片割れよ?」
ドラールの顔色が、変わった。
サクラは。
左手小指を右手でそっと押さえ、色が抜けようとする赤い糸を、留めた。
(今日は、皆の力は借りない。これは、私一人で越えなければならない試練。
そうでなければ――――ミモザに、並び立てない!)
「構えろ、女」
サクラに対して半身になり、曲刀を抜いたドラールが告げる。
「震えているだけだった貴様が、あの方の弟子だと?
エランに地獄を与えただと?
その与太話が本当か、確かめてやる」
彼の妙な言い様に、サクラは興味を押さえ切れず、尋ねる。
「あの方? まさか、ミモザのこと?」
ドラールは目を見開き、口元を歪めた――――笑っている。
「俺と同じ血で滅茶苦茶やりやがった奴を、女だてらに葬った!
興味を惹かれて会ってみれば、信じられないほど強かった!
しかも俺を見下さねぇ! 見上げもしねぇ!
――――もっと早く会えりゃよかったのによ」
「……希望の光を見た相手に、弱い私がくっついてるから、気に食わないと。
そういうことね」
「そうだ! エランの代わりに俺を担ごうとした奴らだって、あの人の活躍で大わらわだった。
そんな人に守られて、ひよひよしてるだけのお前に敵わないなんて……納得できねぇ。
お前を乗り越えて、俺は前に進む!」
(そんなんで難癖付けられても、困るんだけどね……人の気も知らないで)
サクラはそっと息を吐きながら、腰の後ろに手を回す。
そこにあるのは、二本の愛刀。
(理解はできない。そう思うならまっとうになれよと思うし。
でも悪事に手を染め、引き返せないと思うところまで来ているのなら。
それなら、私は――――)
山刀二本が抜き放たれ、すかさず柄が打ち鳴らされ、そして構えられる。
キーンという音叉のような波紋が、広がり続ける。
(準備完了――――状況は、すでに詰み。
一手、遊んであげるわ……!)
サクラはそっと……目を閉じた。
光無き音の世界で。
余計な震えが、止まる。
「構えなさい、ドラール」
「舐めてんのか? さっさと来やがれ! 真っ二つにして――――」
その声は、サクラの後ろから聞こえた。
(―――― 一手、王手! 信じていたわよ、ドラール!)
サクラは身を横に捩じりあげ、逆に回し、コマのように跳ねた。
猛然と前方に跳び、両の刀で浴びせるように斬り付ける。
「が、ぐあ、ぐぉぁ!?」
激しい金属音、苦鳴、そして……鈍く肉を切る音。
すべてがサクラの後ろから、立て続けに聞こえた。
サクラはゆっくりと、両の眼を開く。
鮮血の降る中、曲刀が床に落ち、ドラールが膝をついた。
山刀を腰の鞘に戻し、曲刀を蹴り上げてサクラはその手の中におさめる。
「感想戦など、いかがかしら?」
そしてドラールの首筋に、刃を突きつけた。
「読んでやがったか……ご丁寧に、両手両足の腱を切りやがって。
さっさと首を落とせ」
「私の目的は、黒幕のあんたを突き出すことだけ。
その上で――――さぁ、選択しなさい。ドラール」
サクラは身を離し、曲刀を構えた。
「これからも魔石の売人として製法を追い求め、極悪人となって名を刻むか!
その髪と目に向き合って、自分の人生を掴むか!
ミモザに光を見たというなら! お前がどうあるかを、今ここで決めろ!」
サクラが見据えるのは、少年の碧の瞳ではなく。
彼との間にある――――見えない糸。
果たして、彼は。
「――――――――死ねない地獄に落とされちゃ、敵わねぇ。連れてけ」
敵を。サクラを……信じた。
「治してあげるから、自分で歩いてくれる?」
サクラは口元を歪め、満足げに応えた。
「あと――――――――魔石の製法なんて。とっくに見つけて、焼いてあるから」
「はぁ……? ――――ぷっ」
金髪碧眼の、少年は。
傷が痛むのか、悶え苦しみながら。
豪快に、笑った。
治しにくいと、サクラに文句を言われながらも。
思い出すように何度も、子どものように笑った。
森の外の町までドラールを連れていき、アカシア領兵に引き渡した後。
サクラが屋敷に戻ってきたのは、そろそろ夕暮れという時間だった。
玄関の扉を開ける前に。
(あ、ミモザいるし)
赤い糸が屋敷の中に続いているのを見て、サクラは師の帰宅を悟った。
「ただいまー」
ドアノッカーを鳴らし、声をかけてから扉を開ける。
意外なことに……ミモザは入ってすぐ、玄関広間にいた。
「おかえりなさい、サクラ。出かけていたのですね」
「はい。ドラールが襲撃してきたので、突き出してきました」
こともなげにサクラは言うと、ミモザの口が半開きになった。
「もう……怖くないのですか?」
「はい。信じてますので」
「そう、ですか」
サクラは誰を、とは言わなかったが。
ミモザは少し、嬉しそうにほほ笑んだ。
「ミモザは、本邸に行ったんでしょう? リプテル様が言ってたし。
何のご用事だったの?」
サクラが聞くと、師の表情は暗くなった。
彼女は右手で、左手を強く握りしめてから。
顔を上げ、一歩。サクラの方に向かって、踏み出した。
「アカシアと――――――――縁を切って、来たのです」




