4-3.師は魔道においても達人
馬に乗って二人が出向いたのは、アカシア伯爵が来た道とは逆の方。
すなわち、サクラが「人里に繋がっていない」と考えていた方角……東だ。
東方国境に出る道だが、セラサイト王国の東は人がほぼいない。国境線も曖昧であった。
セラサイト東は、大型の魔物が跋扈する領域なのだ。
こちらに用向きがある人間など、サクラが伝え聞いた範囲では魔法省の職員くらいなものである。
彼らのうち「外勤」と呼ばれる遠征・戦闘に従事する者たちが、王国に魔物が押し寄せないよう、たまに間引きを行っているらしい。
ほとんど獣道のような細い通りを一日ほど行き、屋敷周辺の森から出る。
そうしてさらに一日ほど、街道無き草原や荒野を渡り。
三日目。何もない景色に、サクラが飽きてきた頃。
「…………そろそろかもしれませんね」
ミモザが馬上で、ぼそりと呟いた。
「もうつくの? そろそろ休んだ方がいいと思うけど、もう少しがんばる?」
サクラは、表情も姿勢も変わらないが、少しの疲れが見える師を気遣う。
ミモザも相応に鍛えてはいる方であったが、サクラに比べると少々体力がない。
旅装に身を包み、数日馬上、かつ野営の旅。
ミモザの疲労の蓄積を見込んで、今日のところは早めに休もうとサクラは考えていた。
森でなるべく動物を狩って食料を得ていたのでそちらにはまだ余裕はあるが、水源は探しておきたいところだ。
「頑張るのは、頑張らなくてはなりませんね」
「ん?」
ミモザのずれた返答に、サクラは少し首をかしげる。
思ったより疲労が溜まっているのかと心配したところ。
「目的地はもう少し先、ですが。
〝縁の糸〟が、一切なくなりました」
「…………は?」
ミモザが妙なことを宣った。
ブロッサムの魔女が見る、人の縁を繋ぐ不可視の魔力線〝縁の糸〟。
魔女は自身と繋がっている糸からは、多数の情報を得ることができる。
そして繋がってはいないものも、見ること自体はできるのだ。
その糸を手繰って人里に辿り着いたりすることもできると、サクラは習った覚えがある。
では。〝縁の糸〟がまったくない、ということは。
(人がいない……あるいは、何かいる)
サクラは魔女の技を習ってはいたが、今〝縁の糸〟が見えない。
左手小指にすべての縁が集中した赤い〝縁の糸〟が発現しており、この影響である。
ミモザがそろりと馬を降りたので、今一つ判断のつかないサクラもまた、それに続いた。
「えっと、まさかもう国境超えた? 魔物が出るあたりに……」
「国境はまだ先ですが、魔物はいますね。馬をお願いします、サクラ」
「はい先生。…………えぇ!?」
手綱を預かったサクラが、思わず声を上げる。
預けたミモザは、すーっと岩場を歩いて離れて行った。
スカートの長い裾はまったく揺れず、頭を上下させないままミモザはかなりの速度で移動していった。
(え、あれ? あの動きって確か、ドラールの時にやってた……戦闘態勢ってこと!?
ほんとに魔物が来るの!?)
サクラは慌てながらも、二頭の馬を岩陰に引き込む。
そして荷物から一本の棒を抜き取って、大きめの岩に当てた。
少しの魔力を込めると、先端の樹脂の中、碧の石から魔法が発動。棒が岩に引っ付く。
反対側からは半透明の返しが出た。サクラは棒に、二つの手綱を手早く結びつける。
「……! ほんとに来た!」
地面が、小刻みに揺れ始めている。
結び目を確認し、腰の鞘から二本の山刀を抜きながら、サクラは岩陰から出た。
サクラのいる岩場からはかなり距離をとって、ミモザは周囲を警戒している様子だった。
サクラが加勢しようか迷いながら、ゆっくりと歩み出すと。
揺れが一瞬、止まった後。
ミモザのそばの地面が、大きく割れた。
(あれは、サンドロック!?)
割れた大地から飛び出してきたのは、甲殻類を思わせる赤い外皮に覆われた巨大な魔物。
小山のような大きさのそれは、砂岩と呼ばれる大型分類の危険な種だ。
サクラも実際に目にするのは初めてだが、その存在は知っていた。
貴族学園の講義でも、危険生物として紹介されていた上。
(ゲームじゃ中ボス相当の強敵だった! ミモザ一人じゃ……いやむしろ私が足手まといだこれぇ!?)
転生者・サクラは、この世界そっくりのゲームでサンドロックをよく知っているのだ。
ゆえ、自分の持つ二本の山刀では文字通り歯が立たないことを、瞬時に悟った。
サンドロックの体は、硬さと柔らかさを併せ持つ不思議な外皮に包まれている。
その外皮とハサミを使って固い地面でも潜り進める、らしい。
そして、斬撃はそれこそ体の下の腹くらいにしか通らない。
打撃も効きづらいので、巨大なハサミやそこから噴射する汚泥を躱しながら、魔法で倒すのがセオリーである。
「まぁミモザなら素早いし、魔法も……ってダメじゃんここ〝縁の糸〟がないって言ってた!?」
安心しかかったサクラが、考えを口に出して慌てる。
魔法は、呪文を詠唱したり印を結ぶことで〝象り〟の見立てを行う。
現実を抽象化したイメージを世界に投影し、魔力でもって入れ替えるらしいと、サクラは理解している。
本人がイメージできさえすればいいので、印を道具に刻んで使ったり、踊りや歌で発動することもできる。
ミモザはサクラの前で幾度か、声も動作もなく魔法を使っている。
サクラはそれが、〝縁の糸〟を使った見立てによる発動だと考えていた。
(ダメでしょこれ! 加勢しない……と?)
駆け出そうとしたサクラは、不思議なものを見た。
まず、ハサミを振りかぶって襲い掛かろうとしたサンドロックの鼻先に、火球が炸裂している。
轟音と僅かな熱波が、遠くサクラのところにまで届いた。
そして低空を飛んでいるかのように、ミモザが岩場を移動している。
「…………はい?」
移動の方は詳しくは分からないが、ミモザが魔法を使っているのは確かだ。
火球の音がちゃんと届くくらいなので、詠唱をしていたら聞こえる距離である。
手元で印を結んでいる様子もないが、ミモザは立て続けに二度、三度と火球を放った。
サンドロックは業火を浴びながらも、そのハサミの間から砲弾のような泥を放つ。
ミモザは蛇行するように躱そうとし――――
「ダメ! 大きく避けて!!」
サクラは思わず叫んだ。
声が伝わったか、際どい頃に……着弾。
汚泥が粉塵を巻き起こして、大爆発を起こす。
サンドロックの泥は中にガスを含んでおり、衝撃で引火、爆発するのだ。
「ミモザ!!」
迫りくる粉塵から腕で目元をかばいつつ、師の無事を祈り、遅ればせながらサクラも駆ける。
業火を払って健在のサンドロックに向かって、岩場を飛ぶように進み。
――――――――高く響くような、足音を聞いた。
(え?)
サンドロックの巨体がサクラに気づき、そちらを向き始めていたが。
サクラはそれに構わず、足を止めた。汚泥には警戒するが、それ以上に。
近づいてはならない、そう強い警告を感じたのだ。
サクラは無意識に前に出した左手の、小指をそっと見た。
そこから出る赤い糸は、まだ少し遠い粉塵の中に伸びている。
(…………ミモザ?)
立ち込める土埃の中から、かかとで床を踏み鳴らすような音が、連続で聞こえる。
節をつけた足音が、曲のように一節、奏でられ。
粉塵が一気に、晴れた。
「ミモザ!」
スカートを翻し、踊り構えるミモザ。その身が、碧の魔力光に包まれている。
彼女を警戒したのか、サンドロックがハサミを素早くそちらに向ける。
だが、汚泥が噴射されるよりも先に。
「【火 日 爆 瀑、雷 禮】!!」
魔女の呪文が響き渡り、その手が打ち鳴らされた。
大地から天に、一瞬ぱりっと細い光が伸び。
次いで花開くように、業火が立ち昇った。
顔にはっきりと熱波を感じ、肌をびりびりと刺激する震動、圧力を伴う轟音を受け、サクラは思わず下がる。
(きれい、だけど……正直ドン引きだわ)
火柱は果てが見えないくらい高く上っており、螺旋を描きながら燃え続けている。
(準戦略級魔法、だっけ?
確かこの上はもう、人間業じゃないってやつと。
絶対不可能って魔法しか、ないって習ったけど……)
「すみませんサクラ。やはり体に堪えていたようです」
すーっと岩場を戻ってきたミモザの言葉に、サクラはぎょっとする。
「え、どっかケガした!? 大丈夫?」
「怪我はありません。ただその」
ミモザがそっと、頬に手を添えている。表情は変わらないが、何か恥ずかしそうである。
「逃げられました」
「……………………はい?」
言われて見てみれば、轟々と燃え続ける火柱のふもとに、割れた地面がある……ようでもある。
「あれ、六元連結魔法とかいうやつだよね? それ食らって、生き残れるの?」
「先ほどのサンドロック、赤かったでしょう。炎に耐性があるのです。
それを忘れてました。判断を誤るあたり、少々疲労が溜まっているようです」
揺れるようにサクラの横を通り過ぎ、ミモザが岩陰の方に向かう。
サクラも慌てて後を追い、師が馬に乗ろうとしているので手綱の結びを解いた。
綱をミモザに手渡した上で、魔法の杭をおさめ、サクラも自分の馬に乗る。
「脅かせはしたようですし、しばらくは出てこないでしょうね。
大型の魔物を討伐すると魔法省に文句を言われますし、良しとしましょう」
「…………いやそうだろうけど、いいのそれ。人に危害とか」
「この辺りに人は住んでいませんし、大丈夫。すぐ討伐に来ますから」
「はぁ」
馬首を巡らせ始めたミモザに、サクラも続く。
豪快な火柱を見ながら。少し肩透かしを食らったような気分で、荒野を進み始めた。
そして小一時間ほど行ったところで。
「旅の人とは珍しいね!」「別嬪さんが二人とは嬉しいねぇ」「よければ泊っていきなよ! あまり物はないが、歓迎するよ!」
「…………はぁ?」
二人は荒野のど真ん中に唐突に現れた町に、迷い込んだ。
サクラは何人もの町人たちに囲まれて……何かひどく、化かされたような気分になった。




