あなたとわたし
綿氏は最狂――。
綿絮乃は常々、
「わたしはちゃんとした人間だからさ。尊敬して欲しいなっ」
と周囲に触れ回っているのだが、彼女を知っているるほとんどの人間は、
「あいつは気が触れている」
と評している。
「自分が正気であることを主張する必要がある時点で、正気ではないのではないだろうか?」
「なになに、絮乃とお話したいの? 仕方ないなぁ。絮乃もほんとは忙しいんだけどさ、あなたがおしゃべりしたいならしてあげてもいいかなぁ。5分だけだからね」
鴉納多の呟きに耳聡く反応した絮乃が、体をくの字に曲げて鴉納多の顔をまじまじと覗き込んできた。
あなたとわたし。
――閑話休題。
「綿さんとおしゃべりしたいけど、後でがいいな」
絮乃の視線から逃げるように顔をそむけ、鴉納多はため息まじりに囁いた。
鴉納多の視線の先では、倫理・政経の教師が潔いくらいに我関せずの態度を貫いている。今は授業中だというのに、彼は絮乃の奇矯な言動を咎めることはない。
いや、4月の入学直後は教師たちも彼女に注意をし、叱責をし、諭し、宥めていたのだが、ようよう諦めの境地に至ったのだった。
――彼の高校教師としての職業倫理は一体どうなっているのか?
諦めんなよ!
鴉納多の中の熱血漢が叫ぶが、その声は教師には届くものではない。
教師の職責に関して鴉納多の抱く疑問に、教師が説くソクラテスは答えてくれない。
そういえばソクラテスは仕事もしないで日がなブラブラ、著名人に論争を吹っかけていた高等遊民だったかしら?
ついでに言うと、この教師は一切の板書をしないため、生徒たちはノートを取るのに忙しい。この辺りもこの教師は、一切の著述をしなかったというソクラテスをリスペクトしているのかしらん。
熱心にノートを取っている学級委員長とガリベンくんは、いずれプラトンかクセノフォンか。
――閑話休題セカンド。
「あなた、どうしたのかな?」
それはこっちの台詞だという言葉を鴉納多は飲み込んで、
「綿さんとおしゃべりしたいけど、後でがいいな」
繰り返した。
――彼女を知っているるほとんどの人間は、「あいつは気が触れている」と評している。
――「ほとんど」の人間は。
ただし、一人だけそう思わない人間がいる。気の触れた絮乃のふるまいが、心に触れた男子がいたのだね。
それは、あなたです。
愛ゆえに