33.
レジおばさん口裂け女が、剪定バサミを曽音田美杏から私へと伸びる髪にあてがう。だけど、どういうわけか切れない。三つ編み上に髪を束ねて強度を増してるんだ!
「ロエリくん。おここに埋もれているのはレインくんか」
突然現れたとぼけたような声。
レインの埋もれた画材棚にそろりと控えめに現れたのは、鍋を持っている引田先生。お、遅いよ。
「待たせたなロエリくん! まずは挨拶だ!」
それ、敵に言うセリフ混ざってない?
先生は映画でやるように瓶に火をつけた。まさか、火炎瓶? 瓶に燃える液体を入れたらできるんだっけ。「よい子は真似しないでね」案件じゃない。
私の口内へと侵入している髪をおばさん口裂け女の剪定バサミがなんとか駆除してくれた。
げほおっ。だめ、吐いても吐いても出てくる。
曽音田美杏の舌打ちする声がする。すかさず、先生は曽音田美杏に火炎瓶を投げつけた。
無音。からの、パリーンッボウッ!
大きな音が鳴った。
「熱っ」
エタノールの薬液の臭いがする。視界も崩れた商品棚と白煙で見えない。
「さあ、終わらせよう」
先生は、白煙を見据える。
「せ、先生遅かったですね」
「これが固まらなくて」
「え、えええ? べっこう飴に何したんですか!」
先生は自慢げに答える。
「ゴキジェットの殺虫成分を溶かして作った。食べれば確実にゴキジェットの成分でやつもくたばる」
「そ、そうじゃなくて、それ、本当にべっこう飴なんです?」
「美術教師を馬鹿にするなよ?」
そ、そうだった。心霊系、迷惑ユーチューバーの側面ばかりが濃いから、本業の美術部のことすっかり忘れてた。
先生の鍋の中にはべっこう飴色の釘が入っていた。そして、先生は鍋だけでなく釘打ち機を持っていた。先生はべっこう飴をただ作るんじゃなくて、発射することができる釘の形状にこしらえてきた!
「さあ、ぶすっといくぞ!」
ゆらりと起き上がる。曽音田美杏。白い顔は醜く歪んでいる。髪も焦げているみたい。
「ねえ、あなたたち覚悟はできてるわよね? 私、今綺麗かしら? ねえ正直に答えなさいよ」
今の容姿はヤマンバみたいでとてもじゃないけど、綺麗とは答えられない。
「えーと……なんていうか」
先生は釘打ち機にべっこう飴釘を装填する。
「ねえ? 綺麗かどうか聞いてるのよ?」
「えーっと。先生なんて答えましょう」
「あー、そうそう。配信の準備するね」
「今!?」
「はーい。全国の怪人キラードSのファンのみなさんお待たせ。今日のエースはわけあって顔見せできないよ。その代わり、紹介しよう。こちらが本物の口裂け女だ! 顔、白!」
自撮り棒に取り付けられたスマホが曽音田美杏に迫る。
「だから、綺麗かって聞いてんのよお!」
「たぶん、このままの戦略でいくともっと醜くなるかもしれないです」
私はあんんまり見たくないなーと思いながら答える。
曽音田美杏の眉間に怒りのマークが浮き出たように見えた。その顔に容赦なく先生は――。
ブツッブツッとべっこう飴釘を撃ち込んだ。
「ぎ、ぎゃああ!」
顔を覆う曽音田美杏。べっこう飴釘の刺さった部分から蒸気が立ち昇っている。
「先生、配信を止めて下さい!」
「そこは、「カメラを止めるな!」だろ」
「それ言うと手持ちカメラ系の映画は、止めろって言われても意地でも止めない映画ばかりじゃないですか!」
ひいっ……ひいっ。と喘ぐ曽音田美杏。
「あ。曽音田美杏の白い顔が普通の肌色になった。それでも、口は裂けているけれど。同時に、レジおばさん口裂け女がぐったり倒れる。
「大丈夫? ……あ」
裂けていた唇が塞がり始めている。やった! ついにやった! レインは?
画材道具に埋もれたレインを掘り起こす。先生は、曽音田美杏に「降参しろ!」と今度はチュッパチャップスの持ち手に針を埋め込んだもので、脅している。確か、べっこう飴だけじゃなくてチュッパチャップスも効くんだっけ。でも、針取りつけるなんて悪趣味。
「うう」
レインのうめき声。
「レインしっかりして!」
ペンキ缶だけでなく木材にも埋もれていた。私一人で持ち上げてたら時間がかかる。レジおばさんを揺り起こした。
「な、あ、あなた。ありがとう」
「もう一つだけお願い聞いてくれます?」
口裂け女だったときの記憶はあるみたい。おばさんは少しこっぱずかしい感じで黙ってしまう。
掘り起こしたレインは気を失っている。ところどころあざだらけだけど、息してる! そして、口は裂けてない!
「ねえレイン!」
「ん? ロ、ロエリ?」
「そうだよ! 良かった!」
レインは怪訝そうな顔をする。
「よ……良くねえよ。頭ズキズキするなぁ。ゴキジェットクソまずいぞ。あれは、人に向けて……使うもんじゃねえ」
「そうだ、すみちゃんとすみちゃんのお母さんもこのフロアにいるから、助けないと!」
「ん、ああ」
レインも恥ずかしそうに口元が裂けていないか確認している。
「すみちゃん!」
ごめんね! 頭殴ったり、ほんとさんざんだったよね!
床で倒れたままになっていたすみちゃんとすみちゃんのお母さん。二人とも元の人間に戻っている。
「すみちゃん!」
すみちゃんは、ぼうっとしていて私と目が合うと……なんとも言えない気まずい顔をした。
「ごめんね。すみちゃんが口裂け女に一番初めに気づいてたんだよね? ごめんね」
何日も口裂け女になっていたすみちゃん。最初の犠牲者で、一番長い時間口裂け女だった。酷いことをしてしまった。
ペンキまみれで臭いもすごいし、須美ちゃん一人だけこんなペンキまみれ。髪の毛から土のう袋を引き離すのにも苦労した。何本髪の毛抜けちゃってすみちゃんが、びくっとした。
「ご、ごめん」
「ロエリちゃん。なんや、泣かんといてよ。うち、泣きそうやわ」
すみちゃんが泣いている。
「ほんまありがとう。助けてくれるって信じてたわ」
私がすみちゃんと抱き合うと、すみちゃんのお母さんとレインもちょっと照れ臭そうにしていた。ほんとそうだよね。あり得ないことばかり起きて、誰かを叩いたりした後に抱き着いて泣き合って。感情が追いつかないよ……。
「なんか、うち一人だけクリスマスみたいな色になってんやけど」
「ほんと、このことに関して、取り返しつかないよね。今すぐ、お風呂行こう! 私の家のお風呂使って!」
「そうさせてもらおうかな。でも、これやと切った方が早いんとちゃうか?」
すみちゃんのボブカットがボブじゃなくなっちゃうなんてやだ!
「ねえ、なんとかならないかな」
「もう、ロエリちゃん。心配し過ぎやわ」
「でも、毛先も傷んでるし、色も取れるか分からないし、私、すみちゃんの頭殴っちゃったし」
「ロエリちゃん!」
びしっと言われた。
「助けてくれたんやから、うち、なんも怒ってへんわ。な、みんな疲れてんやし。ロエリちゃんの家にこんな汚い恰好で行ってもいいんやったら遠慮せず行くから。な?」
すみちゃんは、何にも変わってなかった。こんなに大変だったけど、全部分かってくれていた。すみちゃんのペンキまみれの服に抱き着いていたから、私の服も一足早いクリスマスカラーにべっとり染まっていた。お母さん、びっくりするだろうな。




