5月10日⑥:あの子達が三歳だった春。なおちゃんが大好きなお母さん
あの時、智春は実家に戻っていたんだ
俺も仕事があるし、実家のほうが安心だと思って・・・
けれど悠真が「お父さんと一緒がいい」と言って、智春と一緒に行くことを拒むものだから、あんまり構ってやれないけれど、それでいいならと二人でこの家に残ったんだ
・・・今覚えば、悠真が嫌がったのは俺と離れることじゃなくて、羽依里ちゃんと離れることだったんだけどな
話が脱線しかけたな。戻していこう
で、三人が三歳になる年の五月十日
笹宮家夫妻が家族写真を撮りたいと予約をしてくれてね・・・小さい子供と中学生ぐらいの女の子がいます。四人で、お伺いしますと
どうやら、土岐山中の体育大会の振替休日だったみたいでね・・・平日なのにどうしてなのかなっていう疑問は尚子さんから話を聞いて解消したよ
で、当日に笹宮家の皆さんはうちにやってきてくれたんだ
けれど、その話を聞いた時は、撮影日当日じゃないんだ
どういう風に写真を撮っていくか・・・予定日の前に代表で尚子さんと話をしたんだ
その時に少し雑談も交えて・・・同じ年の息子がいることを知った
そこから色々と話をしてね・・・その話を聞いたのは、この時なんだ
・・
「へえ、同い年の・・・」
「はい。同じ市内だったら学校とか一緒だったかもしれませんね」
「そうですねぇ・・・でも、なおちゃん大丈夫かな」
「大丈夫とは?」
「この子、私にベッタリで・・・お父さんの方には全然いかないんです」
「その時期の子は珍しくない話じゃないですか?うちの悠真もそんな感じですし」
我が家は逆だけど、それでもこうして親にベッタリになる時期なんだろうなぁと軽い感じで話していたと思う
尚介君自身、話し合いの邪魔をすることなく、お母さんの腕の中でウトウトしていたね
服を掴んで、安心しきった顔で眠りかけているあたり・・・本当にお母さんが大好きなんだろうなと改めて感じさせられたね
それに、尚子さんの方も尚介君が倒れないようにしっかり支えていたよ
「この子、意外と人見知りするタイプなんですよ・・・写真撮る時大丈夫ですかね?変に引きつったりしちゃうかも・・・」
「心配には及びませんよ。小さい子供さんって、結構こういうのを苦手にしていますよね。初節句とか、七五三とかで泣いちゃう子もいますし・・・ぬいぐるみで気を引いたりするのですが、好きな動物とかいますか?」
「んー・・・なおちゃん、クジラのぬいぐるみが大好きなんです。くじらさん、います?」
「すみません、クジラは・・・」
「そうですか・・・あ、そういえば・・・なおちゃんはクジラさんを持ってきていますね。一緒がいいというので、鞄の中に入っているはずです」
「ああ。それなら、一緒に撮影されますか?私が持ったら流石に取られちゃったって泣いちゃうかもですし」
「それは嬉しいのですが・・・いいんですかね。こういう、その・・・しっかりした場所での撮影で、ぬいぐるみなんて」
「確かにうちは写真館。それに家族写真のイメージとしてフォーマルさは強いと思います。けれど、それは所詮イメージであり、実際は何だっていいんですよ。その家族らしさが出ていれば、なんだっていいと・・・私は思います」
俺のイメージというか、撮りたいものは・・・カチカチに塗り固められた「その日だけの情景」じゃない
人物専門のカメラマンとしてそして写真館の店主として・・・お義父さんから預かった歴史あるこの場所で撮りたいのは・・・
「家族写真を撮らせていただく方たちの「らしさ」を、私は写真に収めたいんです。緊張はするでしょうけど、普段どおりの、家にいる時のような家族の写真を」
「なるほど。いい考えですね」
「ありがとうございます」
「しかし、そんな五十里さんはどうしてそんな心構えを?何かきっかけが?」
「あはは・・・きっかけは妻ですね。実のところ、私は商店街の中にある饅頭屋の長男坊でして。カメラなんて、中学を卒業するまで触ったことすらなかったんです」
「そうなのですか?」
「はい。というか、カメラに触れたのも・・・写真館を経営している五十里の子だった妻の気を引くためでしたし。そう思うと、不純すぎる始まりでしたね」
いつも饅頭屋にやってきてくれる女の子
俺目当てに来てくれていたことを知るのは、結婚した後ぐらいだったな
ずっと饅頭が好きだと思っていたが・・・まさかそんな事になっていたなんて思いもしなかった
「けれど、五十里さんはこうして写真館を任されるようなカメラマンになれたではありませんか」
「そうですね。どうしても妻と一緒にいたかったですし、弟に取られたくなかったんです。妻が一番可愛い瞬間を収めたくてカメラを初めて、けれどそれだけでは不純だとお義父さんに怒られて、そこから、将来を見据えるようになって・・・色々あってこの考えにたどり着きました」
「いいですねぇ。憧れちゃいます」
「照れくさい話なのでここまでで・・・」
「はい。じゃあ、お礼というか、店主さんの秘密を知ってしまったので私も少し」
その時に、尚子さんと尚美さんの関係を聞いたんだ
尚子さんのご両親は事故で亡くなったそうだ。尚介君にとってはお祖父ちゃんとお婆ちゃんだな
親戚も何もいなくなり、身寄りがなかった尚子さん
年の離れた妹さん・・・尚美さんと二人家族になった尚子さん
それからしばらくして、旦那さん・・・俊哉さんと結婚した時、まだ尚美さんは小学生だったらしい
これからのことも考えて、尚子さんは実の妹を「養子」として迎え入れたそうだ
「尚美にもしもの事があった時、親として前に出られるように・・・姉じゃ、少し弱いでしょう?」
「素敵な考えです。妹さんのこと、大事に思われていて」
「ありがとうございます。あの子は、小さかったから両親のことなんて全然覚えていません。私の妹として過ごすのも構わないのですが、それだと、なおちゃんが産まれた後・・・尚美に疎外感とか出ちゃうんじゃないかなって思っちゃって。家族三人と、家族じゃない私だけ・・・とか。そんなことはないとは思いますが、ないとは言い切れませんから」
「じゃあ、尚介君的には・・・尚美さんは叔母ではなく」
「叔母で姉になりますね」
「なんだか混乱させそうだ」
「大きくなったら伝えますが、絶対困惑するだろうなと思います」
けれど、と彼女は言った後、腕の中でおとなしくしている尚介君の頭を撫でていた
嬉しそうに小さく笑った彼の笑顔と、そんな彼を慈愛に満ちた笑みで包む彼女
対称的なそれらはとても絵になる一瞬だった
「でも「どんな形でも大事な家族だからと」事実をきちんと受け入れてくれると思うんです。なおちゃんにとって、尚美にとって、私達にとって家族がそうなれるように頑張らないといけませんが」
「きっと、そうなりますよ」
「そう言ってくれるのは嬉しいです」
・・
「それから、その後の話もした。これからも、ここで記念写真を撮らせてほしいと」
「でも・・・これだけになった」
彼が三歳の写真だけが、ここで撮影した最初で最後の写真となった
「・・・尚子さんがどうなったのか、俺は知らないよ。けど、なぜか尚子さんがいなくなったのは確かだ」
「やっぱり・・・離婚とか、なんでしょうか。そういう兆候があったとか・・・」
尚介が恐る恐る父さんに聞くと、思い出すように記憶を振り返った父さんは静かに首を横にふる
「んー・・・あんなに仲のいい夫婦、と言ったって夫婦生活っていわば他人との生活だろう?上手くいかない可能性もあって、離婚だって一つの互いが幸せになる手段として考えられる」
「・・・」
「けれど、君が大好きだったこと、そして妹さんだけ残ってる事実・・・それに、あんなに家族にこだわっていた人が、離婚とか考えられないし、もし離婚したとしても君の親権は絶対に取ったと思うし、君と尚美さんもついていっていると思う」
「そっか。俺はともかく、かあ・・・尚美さんは絶対に母さん側について行きますよね。血縁者、なんですから」
「うん。それ以降は知らないけれど、少なくともその写真を撮った当時の尚子さんはそんな人だった。俺が知るのはここまでだ。すまない、肝心なところは全然で・・・」
「いえ、色々と貴重な話をして頂きありがとうございます。母のこと、全然覚えていないので・・・知れただけでも十分です」
「君が前に進むのは、お母さんがどうなったか知ることが大事だと思う。尚美さんに、連絡してみようか?どちらにせよ、君が今日明日泊まることは伝えないといけないし」
「少し、気持ちの準備がいるかも知れませんが・・・俺自身で連絡します。明日、騒ぐかもしれませんが・・・ここを場所として貸して頂けないでしょうか」
「いいよ。思う存分、互いが納得するまで頑張りなさい」
「はい」
また少し、進んでいく
尚子さんの過去を知った俺達が次に進むのは、彼女が今、どうしているかの部分だ
今日進めるのはここまで
今からは心を休めて、明日に備えていくだけだ




