4月20日③:いつだって、信じている
一方、バス停
俺は羽依里が落ち着くまでのんびり隣に腰掛け、その時を待っていた
「ねえ、悠真」
「なんだ、羽依里」
「私は、さっき朝ちゃんから「はっきりしないのが嫌い」って、言われたんだ」
「そんなことを言ったのか・・・」
「朝ちゃんのいう通りだよ。はっきりせずに、ずっと先延ばし。朝ちゃんが怒るのも仕方のない話・・・私が全部悪い」
隣の羽依里をふと見ると、無言の間では何度も傾けていたペットボトルを両手で持ち、しっかりと押さえ込んでいる
まるで何かを伝える意思を固めたと言うように・・・
それから、体を傾けて俺の方へ目線を向ける
俺もそれに合わせて羽依里と視線を合わせた。そうしなければいけない気がしたから
「悠真。私にはね、二つ言いたいけれど言えない事があるの。聞いてくれる?」
「ああ。もちろんだ」
「落ち着いて聞いてほしいの」
胸元を押さえて、意を決したように口を開く
けれどそのトーンは低く、風の音しか聞こえないような静かなバス停にはよく響いた
「・・・私は、私の病気はよくなってない。むしろ悪化してるの」
「・・・」
「むしろ、今年一年頑張れば大往生だって。だから、お父さんとお母さん、それに先生は最期ぐらい普通の生活をさせてあげようって・・・それで」
「それが、言えなくて言えなかった事なのか?」
もっと深刻なものが飛んでくるかと思えば、そうではなかった
ああ、だから色々と気にしていたのかもしれない。後一年で死んでしまうと「思い込んでいた」のだから
「・・・そうだよ。後一年で」
「羽依里は死ぬのか?死んでしまう「かも」なんだろう?心臓だし・・・移植ができればどうなんだ?」
「そう簡単にドナーが見つかるわけが・・・順番待ちだってあるし」
「だから、そうじゃなくて。ドナーが見つかって、移植ができれば羽依里はどうなるんだって俺は聞いているんだ」
「生きられる。でも、もう時間がほとんど・・・」
ああ、どうして羽依里はこう後ろ向きなのだろう
俺が言えた義理ではないけれど、昔の羽依里は前向き思考だったはずだ
死に近い病院という環境が、近いうちに死んでしまうかもしれないという宣告がこうしてしまったのかもしれない
かつての俺は前向きな思考を持っていた羽依里に救われた
まっすぐと手を伸ばして、道を示してくれたことを俺は今でも忘れていない
なんせその時こそ、俺が彼女を好きになった瞬間なのだから
「羽依里」
「何?」
「まだ、可能性はあるじゃないか。時間だって、一年「かも」で確定じゃない。その先だって羽依里が生きていられる可能性だってあるんだ。羽依里が生きているうちにドナーが見つかれば、羽依里はこれから先も生きられるんだ」
「・・・でも、見つかると思う?」
「見つかるかも、いいや、見つかる。何事も気の持ちようだぞ、羽依里」
それでもと後ろ向きすぎる彼女が、これ以上後ろに行かないように抱きしめる
一回り小さな体が驚いたように小さく動いた
昔は羽依里の方が大きかったはずなのに今じゃ俺の方が大きく、時の流れを改めて痛感する
もう昔には戻れない。昔のままでは、いられないし・・・いたくない
「羽依里、何度でも言う。俺は羽依里のことが好きで、これからも一緒に生きていたい」
「悠真・・・」
「答えはいつかじゃなくて今聞かせてくれ。羽依里がどう思っているのかを俺は今聞きたい」
「・・・今?」
「そう、今」
「・・・じゃあ、離して」
「あ、ああ」
身体を離して、再び向かい合う
羽依里の目にはもう迷いはない
「私は病気がなければいいなと何度も思った。早く治りたい。でも、治らない。いつ死んでしまうか、わからない。凄く、怖い」
「うん」
「それに、死んでしまうかもって思ったら踏みとどまってしまうことがいくつもあって」
「うん」
「自分の中にあること、全部言っていいのかな。全部、叶えていいのかな。一年後にはこの世にいないとしても」
羽依里の目から一粒それは流れていく
滅多に泣くことがない羽依里の涙を指先で拭いながら、彼女を安心させるように声音を少しだけ高くして、彼女の頬に手を添える
「ばか、いるんだよ。一年後にも、羽依里は俺と一緒に生きている」
「一緒に?」
「ああ。それに、羽依里の願いは、ノートに書いてくれた羽依里のやりたいことは俺が叶える。なんでもいい。一人で死ぬのが怖いなら心中だって叶えて見せる」
「そんなこと・・・!」
「羽依里は病気でなんか死なない。俺はそういつだって信じている。心中は叶える気はない。けれど、それぐらいのことだって、叶える覚悟があることはわかってほしい」
涙が消えた頬から手を離して、今度は彼女の手を握りしめる
両手とも、もうどこにも行かないように
「ねえ、悠真」
「なんだ」
「私が死んでも、後追い自殺だけはしないでね」
「約束する。絶対に羽依里は死なないから、約束は無駄になると思うけど」
けれどもし、そういうことがあったとしたら・・・
その時は、俺は羽依里の願いどおりに受け入れて、羽依里のいない時間を生きることになるだろう
そうだな。生きている間は、たくさんの思い出を持って寿命が尽きたら会いに行こう
そうでもしないと、会ってくれなさそうだから
「・・・あのノートの最後は意味がないページになったのは、いいことだね」
「どういうことかわからないけれど、いいことがあったのは喜ばしいことだな」
春風が間に吹き渡る
止まっていた何かを押し出すように、暖かいそれはゆっくりと流れていった
「ねえ、悠真」
「なんだ」
「私は死にたくない」
「うん」
「これからも、悠真の隣で生きていたい」
「うん・・・ん?」
俺の隣で、と聞こえた気がした
聞き間違いじゃないかと思い、羽依里を凝視する
俺の驚く表情とは真逆に、羽依里の表情はとても澄んでいた
「二つ目のこと、話していい?」
「あ、ああ・・・もちろん」
「私は全部諦めないといけないと思っていたの。体は弱いし、移植しないといけないほど重い病気を持っているから」
「そうだな・・・でも」
「でも、諦める必要なんてないじゃない?まだ、可能性は残っているし、私だって生きたい・・・生きていてほしいと言ってくれる人の為に生きていたい」
「そう思えるようになってくれて、本当によかったよ」
「ねえ悠真。私はもう諦めなくていいの?」
「ああ。諦める必要がない。むしろ欲張って生きればいい。その方がきっと、心労がない分負担は少なくなるだろうから」
「そっか」
羽依里は小さく笑った後、俺の手を握り返してくれる
それから、複雑そうに顔の表情をコロコロ変えていく
「羽依里?」
「逆に心臓壊れそう・・・」
あわあわしている羽依里を見るのは滅多に機会がないので、ずっと眺めていたいけれど、そろそろ話を聞かなければいけないような気がしなくもない
「羽依里、落ち着いて。俺は逃げないし、ちゃんと聞くからさ」
「あ、あのね・・・」
「あ、ああ」
「私の中で、一番踏み留まっていたこと。諦めないといけないと言い聞かせていたことがあるの」
「そんなことがあるのか・・・?」
「うん。私の、一番大事な人に伝えたい一つのこと。聞いてくれる?」
「ああ。どんなことでも」
羽依里は何度も深呼吸を繰り返す。なかなか準備が整わないらしい
一体何がくるのかと俺もつられてそわそわしてしまう
「・・・・ふう」
「大丈夫か、羽依里」
「悠真、凄いね。毎日これをやってのけるんだから・・・私にはなかなか難しい」
「へ?」
羽依里が少しだけ距離を詰める
今、これからくる言葉をなんとなく察したのだが彼女が語るまでもう少し待っているべきだと感じながら俺は静かに彼女の言葉を待ち続ける
「確か、一昨日ぐらいだったかな。いつか、私が悠真をどう思っているのか聞きたいって聞いてきた日」
「それぐらいだった気がするな。なんとなく、それ以上に感じるけど」
「忙しかったもの、仕方ないよ。それでね、その答えを今、言わせてほしいの。貴方が願う通りに」
「ああ」
羽依里が前置きした後、俺は羽依里の答えを静かに待つ
その言葉が来るのは、意外と早かった
「私は、ずっと悠真のことが好き。これからも一緒に生きていたいと思うぐらいに」
「っ・・・・・」
「忘れたことないんだから、あの日の、子供の戯言を。今も真剣に思い続けてる」
やっぱりと思うと同時に、嬉しさと申し訳なさを覚えた
羽依里が断り続けた理由は、病気のことがあったから
優しい羽依里のことだ。自分が死んで俺が悲しむのが嫌だったんだろう
後追いだって、その可能性がないと言い切れないほど彼女に不安を与えた・・・
それを知らずに俺は八年間も何をしていたのだろうか
本当に、呆れてしまう
でも、そのことを踏まえていくと、呆れを超えて嬉しさの方が勝るのだ
なんせそれは、羽依里が前を向いた証拠だから
羽依里が生きたいと前向きに考えられるようになった。その証拠が、羽依里の告白で表に出てくれた話なのだ
「悠真?」
「・・・嬉しい以外に言葉が見つからないんだが」
「それは、よかった」
安堵した羽依里を再び抱きしめる
今度は彼女の方も腕を回して抱きしめ返してくれた
「羽依里、これは夢じゃないんだよな?」
「夢じゃない。夢だったら私が困る」
「俺も、凄く困る」
腕時計がちょうど目に入る。名残惜しいが、もう少しでバスが来る時間のようだ
「羽依里、もう少しでバスが来る頃だ。残念ながらここまで、続きはまたいつか」
「そっか。じゃあ、また今度?」
「ん。それとさ、羽依里」
「なあに?」
言っておきたいことは俺にもある。けれど朝と合流してしまえばそれは上手く口には出せないだろう
もう俺たちは生まれた時から一緒の幼馴染ではないのだから
これまで通りにとはいかない
「羽依里、これからも末長くよろしくお願いします」
「こちらこそ。よろしくお願いします、悠真」
なぜか敬語になりながら、今度は手を差し出して、手を繋ぐ
いつも通りのはずなのに、どこかいつも通りではなくて・・・変な緊張をしてしまう
「・・・なあ、羽依里」
「何?」
「今日から、俺たちはお付き合いをしている恋人でいいんだよな?」
「そうだと、思うけど・・・何か基準があるのかな!?」
「俺、そのあたりわからないんだけど・・・羽依里何か知ってるか?」
「私たちがそうならそれでいいと思うの。今日から、その・・・こい、びと・・・で」
「わ、わかった・・・」
バスがちょうどやってくる
二人して変な動きをしながらバス停の前に足を進めた
「ね、ねえ。悠真」
「なんだろうか、羽依里」
「私、絶対に元気になるからね」
「ああ。俺もちゃんと支えるからな、羽依里」
「ありがとう。本当に、何もかも・・・小さい頃からずっと、ありがとうね」
バスの扉が開く
その音で羽依里の言葉がうまく聞き取れなかったが、また後で聞こう
焦らなくていい。俺たちにはまだまだ時間があるのだから
終わりはまだ遠い。一年後ではなく、八十年後ぐらい先のことだと信じながら俺たちは新たな関係で進んでいく
向かう先は、先に行った妹が待つ場所
その道中、昔話をしながら羽依里と共に過ごしていく
羽依里が打ち明けてくれた隠し事は、病気の事と俺への想いのことをしみじみと考えていると・・・ふと、腹が痛んだ
俺はまだ羽依里に二つの隠し事をしている
羽依里の写真を撮れないこと、そしてこの腹の傷
いつか打ち明けなければいけないだろう。彼女のように
しかしまだその時ではないと思い、俺はその秘密を箱の中に押し込める
いつかその箱を開く時が来る日まで




