強さの果てとは、つまる所、神である。
初めましての方も、久し振りの方も、こんにちは。
時折、エッセイに出没する露出狂なろう作家なる者であります。
本日は、『強さ』という物について由無し言を考えたので、これを晒していこうかと思います。
事の始まりは、一つのまとめ記事を見つけた事だ。
納得できる強さの理由は何ぞや?
という記事である。
まぁ、内容はタイトルそのものよ。
物語の登場人物には、様々な強い理由というものがある。
それは、血統であったり、努力の結果であったり、多種多様だ。
その中で、どんな理由なら「そら強いわな」と思えるのか、という話だ。
で、まぁそれはともかくとして、だ。
個人的には、某ハンター漫画のネテロ会長みたいな、極めたが故の強さが好きな訳だが。
そんな話はさておいて。
そもそも、強いって何なん?
という根元的な方向に思考が飛んだ内容を書き散らす。
さてさて、ここで強い奴の一つの例を出してみよう。
とっても凄い聖剣だか神剣だかを手に入れた人物がいます。
彼がこの剣を振るえば、敵勢は弾け飛び、敵将は死亡確認となる訳だ。
もう強いよね。無敵だよね。最強だよね。
でもさ、これはその剣が強いのであって、持ち主が強い訳ではないよな?
これは、なろうでよくあるチート能力も同じ事だろう。
その能力が強いのであって、持ち主が何処の誰であろうと構わないとなる。
なんなら、そこら辺の虫でも良いとなる。
それはそれで強いのだが、じゃあその武器やら能力が無かったら、お前は何なん?
と思った。
なので、更に一段階進めてみよう。
特別な武器や能力を捨てて、技を鍛えていこう。
なんか凄い流派を修得して極めていきました。飛天御剣流よ、火を吹け。
だが、しかし。
当然、技が凄くなれば、それに耐え得るだけの武器が必要となる。
名刀? 業物? そうしたもので無ければ、鍛え抜いた技に耐えられないのだ。
バトル系にはよくある表現だと思うのだが、しかしそうすると、やっぱり武器に頼っている。
先の聖剣・神剣の例と同じだ。
じゃあ、それがない本人は何なのよ、って。
思う存分に振るえない技に何の意味があるのか。
という訳で、今度は武器を捨ててしまおう。
やっぱり生まれ持った肉体こそが至高だよね!
極限まで鍛え抜いた肉体と、それによって実現される素晴らしき武の技。
これこそが強いという事だ!
文句無しに強いよな!
が、しかし、である。
肉体とて不滅ではない。
戦いの結果、四肢が欠損する事態もあるだろう。
老齢によって、肉体が衰えてしまう事だって当たり前だ。
では、もはや肉体を捨てるしかないな。
その魂一つで、全ての敵を殲滅せしめるのである。
死ぬが良い。相手は死ぬ。
これこそ本当に最強無敵である。
誰にも文句の付けようのない、強さの果てだ。
で、思ったんだけど、もうこれって神だよね、って。
人間と同じステージに立ってないよな、って。
以上、滔々と考えた強さの果てという物への思考でした。
異論は認める。
まぁ、こんな感じな思考をしている為、筆者は割と神対人間という話が好きじゃない。
特に、人間が勝つという結果に終わる場合は。