都市型地域
都市部でも、地方都市の場合は、農村型の特徴をまだ残している。なので出身地などの生まれで持って、仲間かどうかを判断する。しかし、大都市部においての差別教育はより深刻だ。共同作業が少なく、流動性もある。生まれなどの個人の持っているものを指標にはできない。
地域教育が行なえない。地域での評価基準のようなものないために、いきなり国単位のような学校教育に移行してしまう。
このことは、絶対的な一つの価値感で他者を評価するようになる。実はもっとも恐ろしいのが、この点だ。人や物には多様な価値感のあることを学ぶことなく、単一の価値感でのみ評価される。一度社会的評価がなされれば、それがどこまでもついてくる。
農村型であれば、地域への貢献度という価値感があった。しかし、大都市ではそれがない。さらに悪いことに地域への貢献度は個人への貢献度と解釈されてしまう。今の日本で言えば、国会議員が地方へともって来た公共事業が、特定の企業のためのものと解釈されるようなことだ。
地域というコミュニティは意識から消失し、個人と国家が直結された世界観が生まれている。
そして、これに拍車をかけたのが、SNSの普及だ。SNSによって地域という意識がさらに薄まってしまった。