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2020年 春文集『転寝』

倦怠期

作者: 龍神・倦怠期

2020年 春文集 『転寝』

 土曜日の昼下がり、暇な私はストーリーズをぼんやり眺めていた。ある広告が流れてきたとき、あっと声を上げた。とあるライブ配信アプリの広告に出てきたのが、私の推しの配信者だったからだ。

 登録者数が二桁の時からの古参ファンな私は、推しがアプリの顔のような存在になった喜びをかみしめた。

 その時、バイブレーションが鳴る。

「今時間ある?」

 彼氏からだった。送られてきたメッセージを見るために通話アプリを開いた。

「今暇」とでも送ろうかと思ったがやめた。そんなこと送ったらなんて返事が来るかわからない。雑談? それともこれから会おう? なんだか気乗りしない。未読スルーすることにした。

 最近、彼のことが好きなのか嫌いなのかよくわからなくなってきた。いわゆる倦怠感ってやつなのだろう。半年近く付き合っているし、そういうものなのかもしれない。

 今度は違うSNSを開いた。色々な内容がタイムラインに流れてくる。しかし、たいていどうでも良いリア充アピールや愚痴とかだ。何だかだるくなってきた。

 私のSNSは全然更新されていない。人付き合いで何となく入れて緩くつながっているだけだ。積極的に何か発信する気にならない。

 一年前に姉のハワイでの結婚式のことを投稿してからまったく更新されていない。個人情報の観点から、鍵をかけている。だが、スクショして拡散することなんてできるわけだ。不用意なことは載せられない。

 そもそも、リア充アピールばかりしていたら嫌われるだろう。自分の私生活を晒してまでハートを求めない。

 彼のも全然投稿されていない。もしかしたら裏垢でも持っていて元気に動いているかもしれない。けれども、それは推測に過ぎない。

 倦怠期といったが、嫌なところがよく目につくようになった。もちろん、長所もあるのだが悪い部分ばかり気になってしまう。

 一番嫌なのは趣味に理解を示してくれないことか。

 私が男性アイドルのライブに行くと結構嫉妬する彼氏。推しを勧めた時、露骨に嫌な顔をしたのをよく覚えている。

 恋愛の好きと推しの好きは別物。どうしてわかってくれないのだろうか。はぁ、とため息が出る。

 その時バイブレーションが鳴った。今度は友達からだった。

「明日の日曜、遊ぶの楽しみだね!」

 そう、明日遊ぶ約束をしていた。春のトレンドを取り入れた洋服に髪にと準備に抜かりない。

女友達と遊ぶときは彼氏と会う時よりおしゃれに気合が入る。この気持ちわかってくれる人はいるだろうか。



 友達とはお互いの家の中間地点辺りにいい感じにある、大きな駅の改札口前で待ち合わせた。

 集合は十二時。十分前に到着する電車に乗って、時間通りに来た。

 駅ビルのお店だと、二千円ぐらいあれば十分美味しいランチにありつける。今からお昼を一緒に食べる予定だ。

「ひさしぶり~」

 友達が嬉しそうに駆け寄ってきた。

「ひさしぶりっ」

 あーウキウキする。今日は良い日になりそう。

「今日はお肉な気分」

と牛タン丼を頼んだ。

「ランチに三千円は出せないよね」

友達がそう口にした。

「それな」

私もうなずく。

金銭感覚が似ている人と付き合うのがベストだと大人になってよく思うことだ。

友達とはお互いの近況を報告しあった。

十分ぐらいたって料理が運ばれてきた。

 お肉の厚みとジューシーさに舌鼓を打つ。

 普段はバラ肉ぐらいしか食べない。だから、こういうたまの贅沢が最高なのだ。

「彼氏とは今二ヶ月ぐらいかな」

友達は恋バナを始めた。

「一番ラブラブな時期じゃん」

私は手を叩いて喜ぶ。

「そうなの。でも私けっこう束縛するタイプだったから今回は反省して気を付けてるんだ」

「へえー」

「友達と遊んだりして彼氏に依存しないようにって」

 なんだか成長したな、私はお冷をゴクリと飲む。

 この子とは中学生の時から友達だ。お互いのことはよくわかっている。友達は、彼氏とは一年続いたことがない。

「四人目だっけ?」

「そう。今まで一気に盛り上がって嫌がられたり、冷めたりだったからね、なおさら」

 その顔は悟りを開いたかのような顔だった。

「あんたはどうなの、もうすぐ半年でしょ」

「うん」

 やっぱ私のこともきかれるよね。

「半年って長いよね」

 友達にとって半年は長いに入るらしい。

「そうかな」

「元カレは三ヶ月で別れたでしょ」

からかうように言う。

 この言葉はぎくりとする。

「あの時は『なんか思っていたのと違う』って言われて、しかも浮気されていたし」

 あの時のことを思い出すと胸が苦しくなる。

「そうだったね」

「彼の方から付き合ってって言われて、まあ嫌じゃないし彼氏欲しいし良いかって軽い感じで」

「なるほどね」

「元カレは私がすごく好きでアタックして。なんとか合わせよう。好かれようって意識しすぎていた。無理してばかりでしんどかったから」

「うん」

「今の彼氏とは、ベタに合コンで会って。好かれてるなって何となく気づいて、追いかける恋より追われる恋の方が幸せになれるかなって」

「今はどんな感じ?」

「なんか最近マンネリ化してるのかな。少し冷めたっぽい。昨日から返信してないし」

「てか、私ってまったく相談相手に向いてないんじゃない。短命よ。交際人数でマウントなんかとれないわ」

「あはは」

 私は笑った。

「あの子の方が良いんじゃない」

 共通の友人の名前を口に出した。私とは幼稚園の時からの付き合いで、いわば幼馴染だ。

「あの子は二年付き合っててしかも同棲までしてるんだから。あの子の方が良い恋愛してるわ」

「確かに」

 ほんとに世の中のカップルたちはどうやって危機を乗り越えているのか。

 食事を終えた私たちは、映画の時間になるまでの間、ぶらぶら雑貨を見て回った。

 そんな時、自分の視界にぱっと入ってくる人がいた。

 なんとさっき私の予感が見事に的中したのか。推しの彼がそこにたたずんでいた。

 どうしよう、別人の可能性もあるし……。

 ゴクリとつばを飲み込む。

「噓、どうしよう……」

 頭の中が軽くパニックになる。

 ファンならそっとしておくべきか。それとも千載一遇のチャンスと声をかけるか。ああ、どうしよう。胸がドキドキする。

 すると友達が

「あっ、彼氏だ」

と言って手を振った。

 えっ、誰々? 私は手を振った先を見渡す。すると、なんと推しがこっちに手を振ってきた。

「実は付き合ってる彼ってこの人なの」

「えっ、噓」

 友達の彼氏が私の神推しだったなんて。

「へー、そうなんだ! すごいね。どこで知り合ったの」

「高校の同窓会で。同じクラスで元カレだったんだけど。復縁したんだ」

 いろいろ情報が多いよ。

「そうなんだー」

平静を装って相槌を打つ。

 推し、もとい友達の彼氏が近づいてきた。

「お疲れ。友達?」

真白な歯を見せて爽やかな笑顔を振りまいてきた。

「あの、もしかしてライブ配信アプリの……」

「えっ、もしかして俺のファン! 嬉しいな。そうだよ」

 まだ最後まで言ってない。けれども、本当に私の推しのようだ。

 実物は想像より長身だった。平均身長を優に超えているだろう。

 キレイ系なコーディネートで、テーラードジャケットに黒のスキニージーンズ、白のスニーカー。

 おしゃれだな~。

「あのっ、よかったら握手してください!」

「オッケー」

 そう言って右手を差し出す。高級感のあるブレスレットをしていた。

 ガチガチに手を震わせながら私は握手した。手はほんのりあたたかい。

「ありがとうございます」

「いつも応援ありがとう」

 にっこり微笑む推しに心がときめく。

「あのー」

「うん?」

「よろしければ連絡先を教えていただけますでしょうか」

おずおずと尋ねた。

「うん、良いよ」

 爽やかなスマイルを浮かべてあっさりと了承してくれた。

今すぐ飛び跳ねたいほど嬉しい。

推しは私と友達の顔を交互に見て

「二人で遊んでるんでしょ。邪魔したら悪いからじゃあね」

と言った。

「うん、じゃあまた」

 友達はあっさりした口調で言う。

 えー、噓。もうお別れか。残念だ。

「今度、連絡するね」

「いいんですか!」

「そのために連絡先を教えたんでしょ」

「あ、ありがとうございます」

「じゃあまた」

 たとえ社交辞令だとしても嬉しい。

 推しがくるりと背中を向ける。雑踏の中へ歩いて行く。その背中がかっこよくて、人ごみに紛れて見えなくなるまで眺めた。

 その後は、映画を見て、洋服を買ってと充実していた。




 帰りの電車に乗った。運よく座れたので、うとうとしていた。電車でまどろむのは気持ちいい。寝過ごさないように毎回気を付けているが、寝過ごしたことは一度や二度じゃない。それでもやめられない。

 推しに会えたことが一番の驚きと喜びだった。

 ぱっちり二重で小顔で笑った時に見せるきれいな歯。甘い低音ボイス。バックやアクセサリーにも気をつかっていてとてもおしゃれだった。

 時間を確認しようとスマホをつける。通知が目に入る。

 ああー。まだ返してなかったな。面倒に思って、また放置した。代わりに幼馴染に「相談があるんだけど、時間あるとき教えて」と送った。





 家に帰りついたのは七時を過ぎた頃だった。すっかり空は暗くなっている。

 荷物を片付けてスマホ片手にベッドに腰かけた。

 今日の出来事を反芻する。

 推しの彼女が友達……。なぜだろう。すごくモヤモヤする。

 友達の幸せは私の幸せ。推しの幸せは私の幸せ。そんなこと頭の中で何度も唱えてみても、頭のモヤモヤは晴れない。

 気を紛らわそうとテレビを付けた。週間天気予報が流れる。

 住んでいる地域の明日の天気は曇りだ。

「暖かくなって晴れたら公園でも行きたいよな」

彼が以前こう言っていたのを思い出した。それとまだ彼氏に返信していなかったのも。

「返信遅くなってごめん。今日、友達と遊んでた」

 そう返すとすぐスマホが震える。一分もたってないだろう。

「そうなんだ! 楽しかった?」

 返事がマメなのが何だか嫌に思える時がある。今日はまさにその時。

「自分も同じように即レスしなきゃいけないとでも」

苦々しくつぶやいた。全然返してくれない、と悩む人もいるけど、早すぎてもプレッシャーだ。お互いぽんぽん返して、盛り上がりたいときの波が一緒なら、すごく幸せだろうな。

 唇をぎゅっとかみしめて、スマホをテーブルの上に叩きつけるように置いた。そしてベッドにダイブするように寝転がった。

「ほんと疲れたな」

 大きなあくびを出した。涙がこぼれた。急激にぐったりとした疲労感が襲ってきた。

 やばい眠い、取り敢えずカラコンだけでも外さなきゃ。あとクレンジングして……。



 気が付いた時にはもう三時間もたっていた。目は乾燥でバキバキに痛む。こんな時にカラコンを外すのは苦行だ。

 クレンジングシートで拭きながら考えた。

 推しとつながるのはファンとしてどうなんだろう。

 思い返せば自分自身でも腰が砕けそうなぐらい驚くことに、大胆にも推しにプライベートの連絡先を交換した。実名で登録された名前に飼い猫のトプ画。

「推しと付き合っているなんて……」

 うらやましい、そんなこと口にしたら、何かが壊れそうな気がした。

 私は短気な方だと思う。シートをぐしゃっと丸めてゴミ箱に投げ捨てた。

 再びベッドに腰を下ろす。スマホを手にして「楽しかったよ」と返した。一分待ってみたが返事はなかった。

 今のうちにとシャワーを浴びる。お風呂を沸かす気力は起きなかった。ロングヘアーなのでドライヤーで髪を乾かすのに十分近くかかる。

 スマホをチェックするとまた通知が来ていた。

「再来週の土曜日空いてる? 水族館に行きたいんだ」

 水族館か……。大人になってから一度も行っていないな。

「うん。行こう」

と返した。

 水族館は子供の時から大好きだった。だから、少しは楽しめそうだと思えた。

 その時、電話がかかってきた。幼馴染からだった。

「もしもし、今大丈夫?」

遠慮がちに尋ねてきた。

「家にいるから大丈夫だよ」

「相談があるっていうから、いてもたってもいられなくて電話したの。だってよっぽどのことがないと相談しないから」

「うん。実は彼氏のことなんだ」

「何かあったの?」

 心配しているような声だった。

 私は彼氏に不満を持っていることを洗いざらい話した。幼馴染はうんうんと聞いてくれた。しばらくして

「一番大切なこときくよ」

「うん」

「彼氏さんのこと本当に好き?」

「えっ」

 どうなんだろう。

「正直言って、よくわからない」

「うん。そこが一番大事だと思うよ。大体今ごろが相手のことわかってくる時期で、嫌なこともたくさん見えてくると思う。それでも一緒にいたいって思える相手じゃないと、無理して続けてもうまくいかなくなる。長引けば長引くほど、情がわいてきて余計に離れられなくなるからね」

「そうだね」

「今度会う時に、好きかどうか確かめたら良いんじゃない。すぐに結論を出さなくてもいいと思うよ。一旦別れたら簡単には元通りにならないんだから」

「そうだね。再来週に会うんだけど、私の気持ち確かめようと思う。ただ長く続けば良いってものでもないと思うから」

「うん。今日はもう大丈夫?」

「うん。とっても助かった。ありがとう」

「また何かあったらいつでも連絡して。じゃあね」

「じゃあまた」

 私は明るめの声で答えて電話を切った。




彼は基本的には土日祝日は休みなのだが、繁忙期には休日出勤が当たり前にある。忙しい合間を縫って時間を作ってくれたのだろう。

 二週間後、約束通り水族館に行った。お昼から待ち合わせだったので適当にランチを食べた。

 おしゃれな料理が運ばれてくる。きっとこういうのが映えるのかもしれない。一応記念として写真だけはとる。でも面倒なので加工は一切しない。写りがどうのこうのより、早く食べたい。美しさより食欲。これは彼も同意見だった。

 定番だがイルカのショーは迫力があった。無邪気にはしゃげた。水が飛んでくるのも楽しい。ライブで水をぶっかけられるのが楽しいが、あれに似ている。

 クラゲを見ている時に彼がこう口にした。

「実は、水族館に来たの初めてなんだよね」

「そうなの! 珍しいね。子供のころに来なかったの?」

「あー、親は忙しくて、なかなか旅行とかできなかったんだ」彼は寂しげな表情を浮かべた。

「そうなんだ、ごめん……」

 もしかして地雷を踏んでしまったのかな。まだまだ知らないことが多い。そういえば家族のこととか子供の頃の話とか聞いたことなかったかもしれない。

「あっ、気にしないで。よく聞かれるから」

「うん」

「ちょっとごめん」

 そう言ってスマホをチェックし始めた。

「ごめん、電話してきてもいかな。大事な連絡が来てて」

「良いよ」

 私は近くのベンチに座った。写真をあさった。フラッシュをたかなければ撮影可だったので色々撮ったのだった。彼用のアルバムに追加した。

上へスクロールすると色々な画像が現れる。

 懐かしいな、そんな感慨にふける。

 彼は十分ほどして帰ってきた。

 それからもまだ彼氏は何故だかスマホをよく見ていた。

 急にある不安が押し寄せてくる。

 もしかして浮気か?

 自分は冷めたなんて思っていた。でも浮気されるのは許せないのはなんで。元カレのトラウマを引きずっているのか。それとも好きってこと?

 自分の気持ちはよくわからない。

 海の生物を観賞しながら感想を語り合った。だが、彼の挙動が気になって、どこか上の空だった。

 水族館を出た後、彼のマンションへ行った。

 しばらく映画をみた。

 彼氏がお風呂に行ったすきにスマホを取った。ロックがかかっている。まず彼氏の誕生日を入れた。ハズレ。次に私の誕生日、これもハズレ。

「うーん、何だろう。何かヒントは……」

 私は頭をかいて周りを見渡してみた。壁にかけられたカレンダーを見つけた。四月八日に赤丸がしてあって、ママBDと書かれている。


 いれてみた。するとどうだろう。ロックが解除された。

「母親の誕生日よね。まじか」

 もしやマザコンか。それより今は浮気チェックだ。何となく青い鳥マークのSNSを開く。

 ぱっと見ですぐに何か分かった。それは彼氏の愚痴垢だった。よく覗いてみる。その時、ガラガラと部屋を開ける音が耳に入った。

 やばいっ、慌てて切って置いた。

「ボディソープ詰め替えるの忘れてたんだよね」

 そういいながら入ってきた。

「ねえ、四月八日ってなんかあるの」

「ああ、誕生日なんだ、ママの」

 ママ呼びに背筋がぞわっとした。ママ呼びイコールマザコンな私は、わずかながらの愛情が急速に冷えていくのを感じた。

 彼は私がどんびいた様子をすぐに察知したのか慌てて

「もしかしてママっていうのに幻滅したのか。いや実は理由があって……」

「もういいよ」

私は首を振る。

「それに裏垢で私の悪口言ってるんでしょ。前から別れようかなって考えてたし。マザコンってわかって未練なくなったわ」

 そう一気に淡々とした口調で告げた。彼の顔は見れなかった。

「ちょスマホ見たのかよ。ふざけんなよ。こっちだってお前となんか願い下げだ」

 お前呼びも、怒った所も初めてだった。でも、関係ない。もう他人なんだから。

 私はすぐに立ち上がって彼の部屋から足音をたてて出ていった。



「彼には幻滅した。まさかマザコンだったなんて」

友達に電話で報告した。幼馴染は忙しいのか繋がらない。

「マザコンは耐えられないよね」

友達も嫌そうな声を出す。

「今のうちに見抜けて良かったよ。ズルズル付き合っててもしょうがないしね」

 そんなこと話して電話を切った。

「きっとこれで良かったんだ」

 とは言っても涙があふれてきた。

 そんな時、彼からメッセージが届いた。

「さっきは怒鳴ってごめんなさい。ちゃんと直接会って話し合う機会をくれないか」

実に私は未練がましい性格だ。言い方を変えると粘着質なのかな。だっていまだに、最初に付き合った彼氏とのプリクラを大切にしまっている。誰が女は上書き保存だなんて宣ったのか。私に一般論は当てはまらない。それとも初めての人は特別な存在なのか。

どちらにせよ、さっきの出来事を悔いていないと言えばうそになる。

 彼氏が水族館でイワシの大群を見た時に「人間みたい」と嫌そうな顔をしていた。群れるのが嫌だと解釈した。前ならへ、回れ右って団体行動する様が嫌ってことかな。でも私は「助け合って生きている」だなんてわざと前向きな発言をした。ポジティブ人間を演じているだけ。自分をよく見せようとした。

 ティッシュで涙を拭う。

 その時、推しから「今話せる?」とメッセージが来た。

 心臓が早鐘を打つ。震える手で「もちろん」と送った。

 それから私たちは一時間近く話した。

生まれた町が同じであることが分かった。他の中学に通っていたそうだ。まさか同じ空気を吸って生きていたなんて。

 推しのトークは面白い。こっちの話もよく広げてくれて話しやすい。テンポよく会話が弾む。いつしか沈んでいた気持ちも明るくなっていった。

 やっぱこういう人ってすごくもてるだろうな。ふと、彼の浮気疑惑を思い出した。何の証拠もなく疑ってしまった。

 そもそも論、浮気の定義なんて人それぞれ。私は体の関係を持ったらだと思っている。元カレはそうだった。私たちが今やっているように異性と連絡するのもダメな人たちもいる。

 推しは女の子のファンが多い。それに実際にもてるだろう。束縛気質な友達が、あれぐらい悟りを開いた目をしていたのも合点がいく。あの子は昔から付き合った人には、異性の連絡先を消させるタイプだった。

 彼は異性と連絡することにどう思うんだろう。聞いたことなかった。

「束縛か……」

 スマホを勝手に見たのはまずかった。自分にも悪いところがあった。いや……。

「私が悪い……そんな馬鹿な」

 怒りの炎がふつふつとまた再燃してきた。湯沸かしポットのように急速に湧き上がる。こぶしを握り締めてテーブルをドンドンと叩いた。痛い。肌が赤くなる。

 傍からみたらきっと、ものすごく情緒不安定な人だ。そんなこと自覚しながらしゃくりあげて泣いた。

 ティッシュの箱を懐に寄せた。何枚も取り出して涙を拭き鼻をかんだ。

「どうすればいいかわからないよ」

私は頭を抱えてうずくまるように椅子の背にもたれかかった。ティッシュ箱が落ちた。拾う気にもなれない。そのままひくひくしゃくりあがるのが止まるのを待った。

 一旦、冷静になった方が良いなと判断して、ハーブティーを飲んだ。

しばらくして「一旦別れたら簡単には元通りにならないんだから」という幼馴染の言葉を思い出した。

 私の腹は決まった。彼とよく話し合おう。





 次の日カフェで話すことになった。

「実は俺の母のことなんだけど。最後まで聞いてくれないか」そう言って彼は頭を軽く下げた。

 いいというまで黙って聞いていろということか。

「分かった」

「俺が小学生の時に病気で死んじゃったんだ」

「えっ」

 驚いて変な声が出た。

「ちょうど母の誕生日に亡くなったんだ。誕生日が命日なんだ。だから、母の誕生日に一日中連絡とらなかったのは、墓参りに行っていたからなんだ」

 知らなかった。そんな大事なこと。一方的に怒ってしまった。

「小さい頃からママ呼びだったから、カレンダーもママって書いてたんだ」

 なるほどそういうことか。

「あっそうだ写真もあるよ」

 そう言うとスマホを見せてきた。お墓に花が供えられていた。

「この前スマホばかり使ってたのは、墓参りの打ち合わせと仕事の調整だったんだ。よかったら見る?」

「そっか……いや、もう見せなくて良いよ」

「マザコンって言われたとき、そうかもしれないって思った」

「えっ」

「母親の記憶がぼんやりとしかないからさ、どこかで追い求めてるのかなって」

「それは悪いことじゃないでしょ」

「まあね。マザコンが嫌がられるのは、母親の言いなり、過干渉なところだろ」

「うん。いないからそういう問題関係ないじゃん」

 言ってからあっと気が付いた。今の発言はまずいのでは。

「あははっ」

 彼は声を上げて笑った。

「たまにぐさってくること言うよね」

「ごめんなさい」

 彼は真剣な表情に戻った。

「この際だからさ、お互い不満に思ってるところとかちゃんと話し合いたいんだ」

「不満なんて……」

「ないなんて嘘だよね」

 じっとこちらを見てくる目はまっすぐで、ごまかしはきかないんだぞと言っている。

「うん、じゃあ……すごく些細なことかもしれないけど、芸能人にかっこいいとか好きとか言うことに対して怒るのやめてほしい」

「俺、外見に自信ないんだよね。だからちょっと嫉妬してしまうんだ」

照れくさそうに頭をかいた。

「趣味を制限してたってことなら謝るよ」

 それからお互いの不満を話し合った。彼は人の話によく耳を傾けてくれる。付き合い立てに連絡が遅いと怒っていたのは私の方で、お願いしてなるだけすぐに返してくれるようになったのだった。それなのに、最近、マメじゃなかったのは私の方だ。

 私たちはお互いに些細だと思っていたことが実は大切なことで、遠慮しあって窮屈になっていたことを知った。

「塵も積もれば山となるって言うけど、本当にそうなんだね」

 彼はすっきりした表情で笑った。

 彼のアカウントは消してもらった。不満を言い合えるならもう必要ない。

 彼はそういえばさと切り出した。

「シングルファーザーだから水族館に行ったの本当に初めてだったんだよね。友達とはそういう場所に行かないし。なんかいっぱい出かけてたくさん思い出増やしていきたい」

 そう言ってクシャっと笑った。全然かっこよくない。それでも愛おしい。私は彼のちょっぴり不細工な笑顔が好きだ。

 このまま解散なんてもったいない。

「暖かくなって晴れた日に公園行きたいって言ってたよね。今から行かない?」

私は言った。

「良いね。天気が気持ちいいし。うん、行こう」






 空は雲一つなく青く澄み渡っていた。暖かな風が吹いて、長い髪がそっと揺れた。


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