二足の羊と二足だったヒツジ
肉は当然に、毛の一本まで、ただ搾取される家畜の代名詞。
己では何を決める事もできず、四つ足を地について惨めに生かされる。
それが羊だ。
だが、ある一匹の羊が立ち上がった。
まるで人間のように、二本の足で。
そして、人間に言ったのだ。
鳴くのではなく、確かに言った。
「いたダきまス」
◆
その一冊を読み終えて、男はまず鼻で一笑した。
――『二足のヒツジ』。
ただの惨めな家畜でしかないヒツジどもが、人間を捕食し始めると言うアニマル・パニック系のホラー小説。
最終的には作中で【メフィスト】と呼称される始まりの一匹を呼び水に、次々と立ち上がったヒツジたちの群れが人間に取って代わり万物の霊長と成り上がる。そして人間は、ヒツジの家畜へと成り下がる。
物語は「明日はお前を食べよう。さぁ、ヒツジを数えて眠れ。お前たちには悪夢がお似合いなのだから」と言うメフィストの台詞で締めくくられていた。
いわゆる、チープな三文ホラー。雰囲気だけを取り繕ったがらんどう。
百点満点の大衆文芸と言うやつだ。
男は嘲りたっぷりの微笑みを送りながら本を卓上に放り捨て、コーヒーを啜る。
夕食の前にはオシャレなオープンカフェで、ゆったりと読書を嗜むのが、この男の趣味だ。
手に取るのは決まって、本屋で平積みにされている流行小説。
こんな稚拙なものが文学を騙り、大衆が迎合している。
滑稽だ。嗤える。実に愉快じゃあないか。この世のすべてがまるで自分の足元にあるようだ。
高尚な友人たちと並び語らう事はとても楽しいが、優越感は味わい難い。
友人と成り得るのは皆、何かしらに優れていると認めざるを得ない。だからこそ友になった。
しかし、優越は甘味だ。この上は無い愉悦だ。
だから男は、この趣味を持った。
ああ、実に気分が良い。
男は自前のもふもふな顎毛を撫でさすりながら、上機嫌に鼻唄まで奏でる。
つくづく愉快なのは、この小説が映画にまでなると言う帯の一文だろう。
傑作の脚本が駄作の映画になる事はごまんとある。
だが、駄作の脚本が傑作の映画になる事は有り得ない。
どれだけ技術が発展しようと、素材のチープさを誤魔化す事など不可能なのだ。
それでもきっと、この映画化は大成功し、記録的な興行収入を叩き出すだろう。
その数字がそのまま、自分より愚かな人間の数を示すのだ。
今から数字の桁数が愉しみで仕方が無い。
ふと、上機嫌に体を揺らす男の傍らを、ヒツジ売りが通り過ぎていった。
子ヒツジばかりを連れている。
子ヒツジは高級食材だ。
成体と違って肉も臓器類も風味がマイルド。
しかし子ヒツジは小さく、肉も臓器も取れる量が少ない。希少性は自動的に値を吊り上げる。
ヒツジ売りに連れられて這う子ヒツジたちを眺めて、男は改めて鼻で笑った。
文章の世界に現実を求める趣味は無い。それは無粋と言うものだ。
しかし、現実は求めずとも、現実味――説得力と言うものは重要だろう。
あの子ヒツジを見ろ。
四つ足で地を這い、頭にしか毛の生えていない様は実に寒々しい。
首を鎖で引かれるまま、己では何を決定する権利も持ち合わせていない。
あんな惨めな生き物が人間さまに反乱を起こすだなんて、いくらなんでも荒唐無稽が過ぎる。
まぁ、愚かな大衆のバカ舌には、それくらい大味な空想が馴染むのだろう。そう考えれば更に嗤える。
……さて、良い頃合いだ。
帰路へ就くべく、男は二足で立ち上がった。
ひとしきり優越感を愉しんだ後はさっさと妻子の待つ家へと帰り、家族で団らんと共に夕食を摂るのも男の趣味だ。
帰ったらまず、妻を抱き締める。全身の毛がとても滑らかでふかふかな、自慢の妻だ。
次に子供を抱き締める。最近、ようやく蹄が指の形になり始めた。我が子の成長は優越に勝るとも劣らぬ愉しみだ。
そう言えば、今夜はヒツジのハンバーグにすると言っていたか。
コーヒーしか入っていない良い塩梅の空腹も手伝い、男は行儀が悪いとは思いつつも少し舌なめずりをした。
ヒツジ肉を食べる事を考えると、不思議と興奮してしまう。
これは人間の脳の仕組みが影響している。つまりは生理現象だ。
ヒツジは惨めだが、味はすこぶる良い。
科学的な数字にするとそこまで美味なものではないらしいのだが、不思議な事に、我々人間の脳はヒツジ肉を美味に感じるように発達しているのだとか。おかげで、いざとなれば毎日ヒツジ肉だけでも飽きる事なく暮らしてけると言う実験結果もあるそうで。
そんな性質を獲得するだなんて……人間は過去に、ヒツジばかりを食べていた時代でもあるのだろうか?
……まぁ何はともあれ、だ。
今夜、ヒツジの肉をいただくとしよう。




