始まりが終わるようです
「どうしたの? 早く話しなさい」
「私、は……。……っ!? ……なんで? 何が、起きて……?」
ユウキは困惑した。
それと同時に恐怖した。
えたいのしれないそれに恐怖した。
「……包み隠さず全てを話しなさい」
「……私は魔王に……っ……グッ!? なんで、勝手に……?」
意志とは、本来他者が容易く介入できる領域には存在しない。
策を弄し、言葉を弄し、時を重ね、そうしてじわじわと他人の意思を捻じ曲げていくことはあれど、言葉一つで容易く捻じ曲げられるものではない。
それは如何に聖女であろうとも変わらぬはずだった。
聖女はユウキにとって恩人で、なおかつ聖女はありとあらゆる奇跡の力を持ってはいるのだけど、それでも他者の意思を捻じ曲げるようなことは聖女と言えどできないはずだった。
たしかにユウキは聖女に対して不実をはたらくことに抵抗を感じてはいた。
しかし、それでもたしかに彼女の意思は、彼女の思うことを決して聖女に言わないと固く決めていたはずだったのだ。
だというのに、その意思に反した行動を他ならぬ自身が取っていることにユウキは困惑し恐怖し、そしてこれまでに一度たりとも感じたことのなかった不信感を感じた。
頭は冴えていて、意識ははっきりしていて、自分の考えはあって、体は隅々まで自由に動く。
全てはいつも通り。
にも関わらず。
ユウキの意思を無視して口は開き、舌は動き、喉は震える。
それがユウキにそれらの感情を与えた。
それらを前にしていつもと変わらない微笑を浮かべ、変わらず問い続ける聖女がユウキにその感情を与えた。
「……私に、何を、したんです、か……?」
理屈は分からない。
理論も分からない。
筋も通ってはいない。
しかし、自らの体を蝕む得体のしれない不気味な何かは聖女によって与えられたものなのだという確信めいた予感。
それがユウキの唇をそう震わせた。
「……成長していますね。それも急速に。私の見込み通りです」
それに対し、変わらぬ微笑をそのままに、そんな的外れな返答を聖女はする。
いや、違う。
返答とは誰かの問いに答えるからこそのものであって、決して誰に対しての言葉でもなく、強いて言うのなら自分自身のために存在する言葉に使われるものではない。
だから、聖女がしたのはユウキの絞り出した質問に対しての答えの提示ではなく、目の前の勇者の存在を無視しての独り言に過ぎない。
聖女の目に、ユウキは映っていたが映っていなかった。
「……聖女様」
失望、嫌悪、憎悪、軽蔑、侮蔑。
ありとあらゆる負の感情を帯びた目を向けられてきたユウキだったが、聖女がユウキに向けるそれはこれまで彼女が一度も向けられたことのないものだった。
もちろんこれまで聖女がユウキに向けてきたそれとも違う。
だから、ユウキは彼女の意思が彼女にそうさせる前にひとりでにそう呟いた。
恐怖はあった。
知ることへの恐怖はあった。
しかし、それ以上にこのまま知らないままでいることへの恐怖は強かった。
「これまでの貴女なら、疑うことも抵抗もなく私の質問に答えていたでしょう。そして、そのことすら記憶から消えていた」
「……?」
聖女の目にユウキは映っていない。
そのことを再度証明するかのように聖女はユウキの声を無視してそう続けた。
「蔑まれ多くのものを失った選ばれし者の覚醒とも呼べる成長。本当に良い兆しです。きっと我が主も御喜ばれになるでしょう」
「何を言って……」
聖女の目にユウキは映っていない。
そんなことユウキとて理解はしていた。
しかし、それでも唇が勝手に言葉を刻むのだ。
言い表しようのない不安と無理解が言葉を刻ませるのだ。
そうでなければ、何か決定的な悪意に侵されてしまいそうになるから。
「薄幸の美しい少女が強大な悪に立ち向かう。ただそれだけでもこの箱庭の物語としては十分に我が主を楽しませることのできるものではありましたが……想像以上の逸材ですよ、貴女は」
聖女はようやくユウキを見た。
そして、これまで絶えずその顔に貼り付けられてきた微笑とは違う笑みを浮かべた。
美しく、神々しい、そんな笑みを浮かべてユウキを見た。
「……っ」
それを見てユウキは思った。
どうしようもないほどに「あぁ、気持ち悪い」と、恐怖と憎悪と嫌悪が入り混じったようなユウキ自身の知らなかった感情を知った。
誰がどう見てもそれはきっとこの世の何よりも美しいに違いないのに、それに関してはユウキも同意できるはずなのに。
なのに、どうしようもないほどに――それは、気持ち悪かった。
「……貴女、魔王に親愛に近い感情を抱いてますね」
「――ッ!?」
「顔が良かったからですか? 貴女を愛してくれているからですか? 優しくされたからですか? 貴女を認めたからですか? それともそれとも……その全部?」
「何を……! 私は……!」
「自分に嘘はつけない」
「……っ」
突拍子もない話。
否定を許さないその言葉を否定しようと声を張ったユウキに浮かべた笑みを消し、これもまたこれまで浮かべたことのない能面のような感情のない顔をして聖女はユウキにそう突きつける。
「勇者を愛す魔王。ただそれだけでも盛り上がるというのに、それに加えて許されない愛。その先にあるのは光に満ちた安息の未來か、それとも血にまみれた絶望か。とても良い物語ですね。もっとも我が主の好みはバッドエンドですから結末はすでに決まっているのですが」
「……」
ユウキには何も理解できなかった。
聖女の言葉の一片たりともユウキには理解できなかった。
「まぁ、それはともかく。今はまだその時ではありませんね。また、記憶を消しておかないと」
あり得ないほどコロコロと変わる聖女の表情も、目の前の神々しい程の恩人に対して感じる不快感の正体もユウキには分からなかった。
「……や、めて……!」
しかし、伸ばされたその手に掴まれてはいけないということだけは分かった。
理屈も理論も理由も何もわからないけれど、第六感が凄まじい勢いで警鐘を鳴らしていた。
「逃げるな、動くな、ただ従え」
しかし、それらの一切を否定するかのごとく、聖女の口から発せられた冷たい声がユウキの体の自由を奪う。
「期待していますよ」
そして、言葉の意味すら分からぬままに成す術なく近づく手を眺め――
「おい、汚い手で誰に触れてやがる。殺すぞ」
伸ばされた手が吹き飛ばされるのをよく聞いた声を聞きながら目で追っていた。




