全ては魔王の掌の上だったようです
――それは気づけばそこにいた。
なんの前触れもなく、まるではじめからそこに居たかのように。
「その話詳しく聞かせて貰える?」
そしてまるで旧知の友かのようにジンに話しかけた。
男にしてはあまりにも色白で整ったその美しい顔に笑みを浮かべながら。
「……お前、誰だ?」
そんな自然すぎる不自然を前にほんの少し迷うような様子を見せたジンは言葉を選ぶようにして口を開く。
ジンとてバカではない。
自分が今いる場所は空を飛行するドラゴンの上だ。
そこになんの前触れもなく現れた男に警戒しないわけがない。
とはいえそれと同時に自分がその気になれば一瞬で男を殺すことなど造作もないとも思っているのだが。
「ん、俺? そういやたしかに自己紹介がまだだったか。教えて欲しい?」
しかしそれでも実際不気味ではあった。
ジンの周囲には『暗殺者』の才能を持った女が待機していて彼に近づく者にその索敵能力をもってして気づかないわけがないのだ。
となると考えられる可能性は二つ。
気づいていて対処しようとしたができなかった。
もしくはそもそも気づくことすらできなかった。
どちらにしろ役立たずなのでジンのなかではその女を殺すことは確定事項ではあるのだが殺すまでに必要な情報くらいは引き出しておきたかった。
「おい、ロゼ! この役立たずが! こいつはなんだ!? 俺は万が一侵入者や襲撃者が来たら殺しておくように言っておいたはずだぞ!!」
「…………」
「……物騒だなぁ。そんな手荒な歓迎しちゃってもし俺がただ道に迷ったあげくドラゴンの背に乗っちゃっただけの一般市民だったらどうするつもりさ」
正体不明の侵入者がヘラヘラと冗談なのか本気なのか分からないことをぬかしているがジンがそれの相手をする理由も道理もない。
ましてや自身の支配下にある奴隷の返事が返ってこないのだからなおさらだ。
「……おい! 聞いてんのか!」
ジンは辺りを見渡し叫ぶ。
おそらくロゼという名の女がいるであろう場所に向かって。
「…………」
しかし、返答が来ることは無い。
「……あのくそアマ……! どういうつもりだ!! 返事しろ!」
支配者の才能によって支配下におかれた者は個人差はあれどその命令に逆らうことはできない。
つまりこの時点でジンは気付くべきだったのだ。
これだけ呼びかけても出てこないロゼという名の女は……
「……あのさ」
「あ゛!?」
「いや、そのロゼって人もしかして赤髪で細身?」
首を傾げながらそう尋ねる正体不明の侵入者。
毒気など一切ないその男から紡がれた言葉はまさしくロゼという女の特徴をとらえたものだった。
「その顔を見るにあってるみたいだね。良かった良かった」
「……どこにいるのか知ってるなら今すぐ吐け。ことと次第によったらお前を殺さずにおいてやる」
「へぇ? それは随分と魅力的な提案だね。でも残念だ。教えられないし教えたところで無駄にしかならないよ」
「……は? どういう意味だ?」
下衆な笑みを浮かべジンは提案にすらなっていない提案をする。
それに対しヘラリと笑みを浮かべながら男はそう答えを返す。
「だってさ……」
眉根を寄せ意味が分からないと言った様子を見せるジンに男は凍てつくような笑みを向け口を開く。
「これから消される奴がそんなこと知ったところで無駄だろ?」
そして、浮かべていた笑みの一切を消しそう続けた。
「…………はっ、お前……。なるほど、なるほどね。分かった。よーく分かった」
放たれた言葉にジンは時間にしてわずか数秒、完全にその動きを止めた。
そして、ようやく男の言葉を理解したのかさぞや愉快だとでも言いたげに笑いながら自身に言い聞かせるかのようにそう言葉を吐く。
「うん、あれだな。……殺せ」
そしてパタリと笑いを止ませると淡々とそう言ってのけた。
いや、それには少し語弊がある。
ジンは怒っていた。
目の前の男は身の程知らずにも自分を殺すと言ってのけたのだ。
ふざけるな。
大方あの一人では何もできない愚王に命令でもされた殺し屋か何かだろうがなめているにもほどがある。
俺はたった一人で五千を超える軍勢を相手に蹂躙したんだぞ。
そんなプライドを傷つけられたことによる怒りにジンは怒り狂っていた。
ゆえに自身の支配下の戦士たちに命ずる。
目の前の不快なゴミを今すぐ片付けろと。
それに逆らえるものなどいない。
隠れて様子を窺っていた者も初めからその場にいた者もそのどちらもが男に向かって襲い掛かった。
後悔しろ。
自分が一体誰に手を出したか後悔しながら死んで行け。
もし息があるなら命乞いをさせてみるのも面白いかもしれない。
そんなことを考えながらジンはそれを眺めていた。
「消えろ」
眼前に迫る脅威が理解できないのか。
それともあまりにもな戦力差に正常な判断すらつかなくなったのか。
男はなんでもないように迫り来る戦士達を視界に収めまた笑みを浮かべる。
そして下らないとでも言うように短くそう呟くとそれがまるで何かの儀式かのようにわざとらしく一度指をならした。
――次の瞬間、その場にいたのは男とジンだけだった。
「……………………は?」
思わぬ出来事に呆けた声をあげるジン。
「別にそんな驚くことでもないだろ、支配者君?」
「お前は……いったい何をしやがった……!? 俺の駒をどこにやった!!」
ジンはようやく理解した。
目の前にいる男がロゼを、そしてほんの少し前まで自分の手元にあった駒を消したのだと。
「……ふむ、まぁ説明するのは良いんだけどさ。そういう分からないことを解き明かしていくのも闘いの醍醐味って奴なんじゃない? あ、でもあれか。自分じゃ何もできないから不安でそれどころじゃないのか」
「はぁ!? 誰が……! 俺は!」
「無理するなよ。お前は一人じゃ何もできない雑魚なんだからさ」
スッと目を細め男はジンを見やる。
その目は酷く無関心で心底ジンのことなどどうでもいいと思っているのだということが見てとれる。
「ふざけんな! お前俺が誰かわかって舐めた口利いて――」
「お前こそ、たかが『支配者』風情が『魔王』である俺に勝てるなんて本気で思ってるのか? 思い上がるなよクズが」
怒りが、数多の人間を従えてきた自分に対して向けられたその無関心な目に対する怒りがジンの口を動かす。
しかし男は、魔王はそれすら許さない。
息つく間も与えられず気づけばジンは仰向けに倒され額を指一本で押さえつけられていた。
「お、前……!」
「お前は俺の大事なものに手を出しすぎた。お前が操ったモンスターが、お前が贈った装飾品が、俺の領民を、ユウキを傷つけた。……全部ぶち壊してどん底まで堕として俺の事以外考えられなくしてやりたい? お前ごときが誰にそんなふざけたことしようとしてやがる。死んで詫びろよ。その汚ねぇ肉片の一片たりともこの世界に残せると思うな」
そんな魔王の言葉を最後にその場にはドラゴンと魔王だけが残った。




