勇者は手加減なんてしてほしくなかったようです
「え、ちょっ、ユウキ!?」
魔王は軽くパニックに陥っていた。
それこそ腕を伸ばせば掴める距離にいたユウキの腕を取るという発想が出てこないほどには。
崩れ行く城。
これがただの人間であれば絶体絶命だっただろうがユウキはただの人間というカテゴリーに置くにはあまりにもずれた存在である。
この程度の危機ならば危機の内にも入らないはずだった。
なのに現実は無情にもユウキのその華奢な体を地面に叩き付け赤い染みに変えようとしている。
魔王はこれでもかなり先々の事を考え行動している身である。
だからこそ本来ならば起こり得ないハプニングに対し反応が遅れその結果掴めるはずだったユウキの手を掴み損ねた。
「――ッ!!」
重力に従い垂直に頭を下にして落ちていくユウキ。
それに伸ばした魔王の腕は空を裂き落ちるユウキの体を瓦礫が打つ。
身体能力にものを言わせて助けることは可能だろう。
しかし、崩れる瓦礫が彼女につけた傷はすでに消えない。
なにより、身動きを取らない彼女の生死の判断すら魔王にはつかない。
人間の体の脆さを魔王はよく知っていた。
自分も人間だったのだから当然とも言える。
そして知っていたからこそ今必要なのは慌てることでもユウキを抱えてここを抜け出ることでもないと判断した。
今この場において必要なのは全てを無かったことにする。そんな現実離れした力だった。
「……全部消えろ」
魔王は一言そう呟いた。
その頬に歪な形の紋章を怪しく光らせながら。
★★★★★
ユウキは自身が夢を見ているのだと自覚していた。
それもそうだ。
今彼女の目の前で起きていることは全て彼女が一度体験したことなのだから。
家が燃えている。
村が燃えている。
人が燃えている。
鳴き声が聞こえる。
叫び声が聞こえる。
嗤い声が聞こえる。
村長が死んだ。
兵士が死んだ。
近所のおばさんが死んだ。
その息子も死んだ。
薬屋さんのお姉さんも死んだ。
そのお姉さんの事が好きだった幼馴染も死んだ。
両親も死んだ。
殺された。
みんな殺された。
魔族に殺された。
奴らは嗤いながら家を壊し畑を壊し井戸を壊し人を殺した。
私の目の前で、私を庇って両親は殺された。
逃げていく体温が、流れなくなった血液が、私に両親の死を現実として叩き付ける。
勇者だったのに。
英雄になれる『才能』を持って生まれたのに。
私は闘いが怖くて、血が流れるのが怖くて、命を奪うのが怖くて、なにより死ぬのが怖くて。
宿命から逃げた。
だからきっとこれはその罰なのだろう。
ならば甘んじて死を受け入れよう…………なんて思うはずがない。
怖い。
嫌だ。
死にたくない。
許せない。
絶対に許せない。
殺してやりたい。
燃やしてやりたい。
壊してやりたい。
斬り殺してやりたい。
嗤うな。
お前らが幸せそうにするだけで虫唾がはしる。
死ね。
死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。
死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。
死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね。
恐怖がよぎった。
すぐに消えた。
両親だった物の重みがそれを消した。
ふつりと何かがよぎった。
怒りだった。
憎しみだった。
憎悪だった。
すぐにそれが心を埋め尽くした。
けれども、だからと言って何ができようか。
現実はどこまでいっても残酷だ。
いくら殺してやりたいと憎悪を抱こうが実力が伴わないそれに何の意味もない。
どれだけ勇者の才能が強力であっても訓練すらろくにしていない状態では何もできはしない。
下卑た笑みを浮かべながらこちらへと恐怖を煽るようにわざとゆっくり迫る魔族を退ける術はなく、ましてや殺す術などあるはずもなかった。
であるならば諦めるのか。
それも違った。
ユウキは立ち上がった。
殺意に目を濁らせて、憎悪に目を淀ませて。
一歩、また一歩と迫る魔族。
――次の瞬間、魔族の首が飛んだ。
「……もう大丈夫ですよ。私が貴女を助けてあげます」
そう言って聖女が現れたのはユウキ以外の村民が全て殺され事実上村が滅んだ後の事だった。
★★★★★
「……大丈夫?」
目をあけたユウキの視界に入ったのは少し前にも見た天井と心配そうに自分を見下ろす魔王の姿だった。
「触らないで」
熱がないか確かめようとでもしたのだろう。
伸ばされた魔王の手を冷たい言葉と共に振り払う。
「……怖い夢でも」
「なんで?」
「……?」
振り払われた手に一瞬驚くような表情を見せた魔王だったがすぐにいつものように笑みを浮かべ冗談めかしてユウキをからかおうと口を開く。
しかし、それはどこか責めるような口調で遮られる。
「私の意識がなくなる前、私は聞いた。……あれはなに?」
「……それは……」
鋭い眼差しを向けるユウキに気まずさを感じながら魔王は言葉を返す。
見られていたのか、と軽率な行動をとったことを後悔しながら。
「城は崩れたはずだった。私は傷だらけのはずだった。なのにこんなの……まるで、全部なかったことになったみたい」
「…………」
「こんな力がある癖に今まで一回も使ったことないよね。私なんかには使うまでもないってこと?」
「…………それは」
「そんなに楽しかった? 私が必死になってるの見て嗤ってたんでしょ? 手抜かれてるのにもろくに気付けない私はそんなに面白かった!?」
「――ッ! それは違ッ」
「違わない! じゃなきゃ……あんたに私の攻撃なんか当たるわけ、なかった……」
「俺は……そんなつもりで……」
焦りが魔王に言葉の続きを言わせない。
何を言えばいいのかを分からなくさせる。
ただこのままではマズイという事だけを思い知らせて。
「嫌いだ……あんたなんか……!」
ドンッ、とかけるべき声を見つけることができないでいる魔王を押しのけ走り去っていくユウキ。
そんな彼女に反射的に手を伸ばそうとした魔王だったが自分がそうした後に言う言葉を持たないことに気付き手を抑える。
「……うまくいかないな」
そして、淡い青色の光を放つ装飾品を手に取りそう一言呟いた。