勇者は誰に対しても勇者足り得るようです
その日、ユウキは二週間ぶりに魔王城へと至る道を歩いていた。
魔王を殺すために。
「あいつがこうきたらああして……」
ユウキは生真面目な性格である。
魔王城へ至るまでの道のりでさえも修練を怠ることはない。
これまでの闘いから得た知識を総動員してイメージトレーニングに励みながらその長くない道のりを歩いていく。
「……もしまたジェンガしてたらつっこんだりしないで速攻仕掛けて……」
もっともそのイメージトレーニングも魔王相手ではいろんな意味で通用しないのではあるが。
「――ガルァッ!!」
「――ッ! また!?」
ぶつぶつと作戦を練りながら歩くユウキの前に現れた狼のような風貌をした巨大な生物。
人間の間ではグロウウルフと呼ばれるBランクに指定されているモンスターである。
強さはそこそこと言った程度のものでむろん勇者の才能を持つユウキの敵ではない。
だが問題はそこではない。
ここにモンスターが現れる、その事実自体がおかしな話なのだ。
この魔王城に直通する道は魔王の首を狙う者の為に魔王自らが作り上げたものだ。
その時点でおかしい点しかないのだがそれはともかく……この道には本来モンスターが現れることはない。
なぜなら魔王は魔族領に存在する全ての村にモンスター避けの結界を施しているのだがそれと全く同じ物をこの道にも施しているからだ。
事実、ユウキもこれまで幾度と魔王城を訪れてはいるもののモンスターに道中で襲われるようなことはめったに無かった。
それがこの日に限ってはまだ魔族領に入ってからまだ半分ほどしか歩いていないというのにこれで三度目のモンスターとの遭遇だ。
ユウキにとっては取るに足らないモンスターではあるがこれがもしただの人間ならあっという間にモンスターの餌になっている所だ。
二週間前に魔王城を訪れた際も一度だけモンスターと交戦することがあったのだがその時と比べるとモンスターのランクも上がっている。
ユウキにとっては魔族領のことなど言ってしまえばどうでもいいことではある。
しかし、そうは言ってもどう考えても異常なこの状態に何も感じないような人間ではユウキはなかった。
「……魔王城に着いたら聞いてみようかな」
襲い掛かってくるグロウウルフを両断しながらユウキはそうこぼす。
「――キャアッ!」
「――ッ!?」
王から授かった聖剣についたグロウウルフの血を振り払い聖剣を鞘に納めたユウキの耳に微かな悲鳴が届いた。
本来ならば道に沿うようにして建てられた壁に遮られ聞こえるはずのない悲鳴。
しかし、そんな微かな悲鳴でさえも勇者の才能を持つユウキの耳には届いてしまった。
それが勇者の才能によるものなのか、それとも彼女の性格に由来するものなのか、それはともかく彼女は聞こえた悲鳴を聞き流すことができない。
悲鳴の聞こえた先は壁を越えた先にある森。
ここは魔族領、つまりこの先で悲鳴をあげたのはきっと……
「……そんなの関係ない」
ユウキは壁に向き直る。
そして壁に触れたあとほんの一瞬迷うような様子を見せたのち。
「……まぁこれ壊しても困るの魔王くらいよね。『神焔滅斬』!!」
特にそれ以上戸惑うことも迷うこともなく壁を粉砕して見せた。
壊した壁を修理するのが誰なのか確証はないが壁に施された結界の性質上それはおそらく魔王が直す羽目になるのだろう。
ならば一切躊躇する必要がユウキには存在しなかった。
「さて……」
これまで小バカにされた恨みを軽く晴らしたところでユウキは視線を森の中に向ける。
声の主と見られる魔族の少女は視線の先で血にまみれて座り込んでいた。
そのすぐ目の前でヨダレを垂らし今にも飛びかからんばかりの勢いでグロウウルフがご馳走に唸り声をあげる。
「――グルアッ!」
「おすわり」
その直後、グロウウルフは首から上と下が別れを告げることによってその生涯を終えた。
一瞬の出来事だった。
ゆえに魔族の少女はその顔を鮮血と驚愕に染めたまま微動だにできない。
「……もう大丈夫よ」
そんな少女にユウキは聖剣についた血を振り払いながら言葉をかける。
「あ……えと、ありがとう……」
「気にすることはないわ」
かけられた声にようやく自分が助かったのだと理解した魔族の少女はユウキに感謝の意を示すがそれに対するユウキの返しはそっけない。
元々が敵なのだ。
それを助けたなど仮にこの現場を人間が見ていれば裏切りにも等しい行為である。
それだけにユウキはそれ以上話すことはないとばかりにその場を離れようとする。
実は内心で「助けたあとなにも言わず立ち去る勇者の私。ふっ、カッコイイ」なんてバカなことを考えてはいるのだがそれは彼女の名誉の為にも言わないのが優しさだろう。
「ちょっと待って!」
「…………ッ――!? 伏せなさい!!」
自身を呼び止める声に少し迷ったもののやはり無視はよくないと思い直し振り返るユウキ。
その目が捉えたのは魔族の少女を後ろから真っ二つにしようと巨大な斧を片手で構えるAランクモンスターのミノタウロスだった。
――ギイィィィィン
「くっ……!? 重っ……い?」
鈍い音と火花が散り受けた斧の重さに耐えきれずユウキはガクリと方膝をつく。
ミノタウロスはそのあちこちが筋肉によって隆起した肉体からも分かるように力に定評があるモンスターだ。
その怪力は上位ランクであるSランクモンスターをも凌ぐことがあるほどで人間の冒険者の中にはSランクモンスターの討伐よりもミノタウロスの討伐を避ける者もいるほどである。
ゆえにユウキもその怪力は理解していた。
それでもユウキにはたしかな勝算があったのだ。
彼女の持つ勇者の才能によって底上げされた身体能力を光属性の魔法によってさらに向上させれば力の面でもミノタウロスを凌駕することができるはずだった。
実際に人間の領土内で試したことなのでこれに関しては間違いがない。
しかし、現在ユウキはその驚異的な力を前に片膝を地面につきその驚異的な力をもって振るわれる斧によってなす術なく押し潰されようとしていた。
あり得ない、あるはずのない現実を前にユウキは思考を巡らす。
そして、一つの結論にたどり着いた。
「……こいつ……ロード、か……!!」
ロード級モンスター。
それは本来想定されたそのモンスターの能力を明らかに越えた能力を持つ突然変異種のことをさす。
現れる原因、またその個体数と共に不明となっているがあるモンスター研究家によって提唱された死の淵に立たされたモンスターが生存するために急激な進化を遂げたという突拍子もない論が人間の間では信じられている。
「ぐっ……ぎ……!」
とはいえ、そんなことは今のユウキにとってはどうでも良いこと。
それもそうだ。
少しでも腕に込めた力を抜けば容易く体を真っ二つにされ死んでしまうと言うのにモンスターの起源に興味などあるわけもない。
「ちょっと、あんた離れて……ッ」
死を免れるにはまずこの状況を脱しなければならない。
そう判断したユウキはミノタウロスロードの斧の勢いを逸らすべく魔族の少女にここから離れるように告げようとする。
しかし、それは最後まで言い切るまでもなく不可能であると理解できた。
血にまみれた魔族の少女。
その足はここから離れるどころか立つことさえままならないことが見てとれるほどに傷ついていた。
先のグロウウルフにやられたのか、はたまたそれ以前に他のモンスターにやられたのか。
ユウキには分からないがそこは問題ではない。
問題はユウキが魔族の少女を救うにはこの今にも斧が体に届きそうな絶対絶命の状況で真正面から斧を弾き飛ばすくらいしかとれる手段がないということ。
「やって……やるわよっ……!!」
ユウキの纏う光魔法による黄金のオーラがいっそうその輝きを増し次第にそれはユウキの両腕へと集束していった。
全身の防御を捨てこの瞬間の力にのみに全てをのせる。
それはSランクモンスターを容易く凌駕するほどの力をもつミノタウロスロードの斧を押し返すまでの怪力へと到達した。
「これ……ならっ――!!」
互いに得物を交えながら力をぶつけ合い徐々に押し上げられていくミノタウロスロードの斧。
傍目に見れば勇者の反撃が始まったように見えたことだろう。
事実ユウキも力という一点において優れているミノタウロスロードを凌ぐ力を得たということに勝利を確信していた。
――しかし、ユウキは斧を押し返すことだけに意識を割かれ気づいていなかった。
ミノタウロスロードは斧を片手で振るっていたという事実を。
「――グモオォォオオオッッ!!」
「ガハッ――!?」
ペキリ、と安い音をたてミノタウロスロードの丸太のような左腕から繰り出された拳にユウキの骨はあっさりと砕かれた。
ユウキにとっての世界が歪む。
ほんの一瞬世界から色が消え次の瞬間チカチカと次から次へと世界の色が変わる。
白が黒へと、緑が紫へと、青が赤へと。
訪れた浮遊感に抗う術はなく、ましてや自分の状況を判断することすらできず、歪んで見える世界からミノタウロスロードが遠ざかっていくのを意味も分からず視界に納めるユウキ。
背中に強い衝撃を受けズルリと地面に座り込んだユウキはようやく自分の生きることを否定されているとしか思えない無惨な体の状況を理解した。
それでもこちらを怯えるように見つめる魔族の少女を前にユウキは再び立ち上がろうとまだ辛うじて動く左足に力を込める。
おそらく臓器をやられたことによって口から溢れる血を気にも止めず立ち上がる。
たとえそれが世界の宿敵である魔族であろうとも、自身からあらゆるものを奪った種族であろうとも、助けを求めるその瞳をユウキは決して見捨てない。
背後の木を頼りに左足一本で虚ろな目をしてユウキは立ち上がる。
しかしそこまで。
踏み出そうとした足は持ち主の言うことなど一切無視してそのまま体は前に傾き血に染まった地面がユウキを全身で抱き締めようと迫り来る。
「――ありがとう。ユウキのおかげで間に合った」
そんな前のめりに倒れるユウキの体をふわりと何かが抱き止めた。
「ゆっくり休んでて。すぐに終わらせるから」
そのまま抗う術もなく抱き寄せられ耳元で囁くようにかけられたその言葉を最後にユウキの意識は闇へと沈んでいった。




