王宮に迫る悪魔
◇
偽物軍団との戦いに身を投じている地獄の軍勢、その遥か彼方の赤い大地に浮かぶ球体があった。空に輝く第二の太陽の如く赤々とした星に近しい物。
これこそが地獄世界を統べる地獄王が住まう王宮である。
そこに近付く黒い影があった。
悪魔リーゼスはエティオとネリスを欲した、軍団を王宮へと向かわせている。
それとは別に、ヘルヴェルト中に解き放っていた分身達は双子を狙って集結しつつあった。
思考を共有している、つまり本体が双子を欲しがれば分身にも伝わる。
それらは時間をかけて王宮を取り囲み襲い掛かろうとしていた、その異常に王宮護衛の騎士が発見する。
急ぎ騎士はカーナへと報告をした。
地獄王の謁見の間、そこに留守を預かるカーナの姿があった。傍らには従者のライバーンと護衛騎士カイエルが控えている。
謁見の間に騎士が慌てて駆け付けカーナの前に跪く。
「報告します、王宮を悪魔が取り囲んでいます! 数はおおよそ千!」
「……報告ご苦労。ライバーン、王宮の戦力は?」
「は、護衛騎士が百程かと……」
「ふむ、これは不利ね……王の留守を狙うとは無礼千万だわ」
「どうなされますカーナ様、多勢に無勢、少々骨が折れますわい。もしもの場合、"選定者"を使われますか?」
「……終りはまだ先、まだその時ではないでしょう。これは最後の最後、手がなくなった時の策です。しかし王宮に手を出すこと、これは王に対する挑戦、そんな無礼は許されない……悪魔共は何か言葉を述べましたか?」
報告をしに来た騎士に問うた。
「その……」
「どうしたのです? 言いにくそうにしていますが、無礼なことを言っているのでしょう? 貴方が言っても処罰はしません。一言一句妾に伝えなさい」
「は、はっ! 悪魔はしきりに……双子を渡せと。子供は守らねばならない、そうしないと……その、双子を楽しめないと……惨たらしく殺せないと支離滅裂な事をほざいています」
その時、カーナは手に持っていた扇子を粉々に握り潰した。
「は?」
顔を真っ赤にしながら溢れ出る怒りに身を焦がす。
「エティオとネリスを狙っている?」
可愛い我が息子を奪った憎き死神スミス、その双子を奪い育てることとなった。
当初は思うところもあり複雑であった。
しかし愛らしい双子は時間が経つとともにカーナの愛情を育んでいく。今では目に入れても痛くないほどに可愛がっている。
王族にとって血筋は何よりも尊ぶ。
アフトクラトルの血を継ぐエティオとネリスはまさに宝も同然。
いや、宝以上である。
カーナが双子を狙われた事により激昂するのは当然だった。
「お、おお、おのれぇえええええ! 妾の、王族の血筋を狙うとは万死に値する! ええい、護衛騎士はエティオとネリスを守れ! あの悪魔共は妾が殺してくれる!」
怒り狂うことで口調が変わってしまうカーナ、長年従者として共にいたライバーンは頭を抱えながら少し諦めに似た感情を抱いた。
こうなってしまったカーナを止められる者は地獄王アフトクラトルだけである。
つまりカーナの暴走は止まらない。
「カーナ様、お供つかまつる」
唯一許されたこと、カーナに賛同して守るしかないのだった。
「良いわ、ライバーン、カイエルも来て頂戴! あの悪魔共に地獄の業火を浴びせてやる!」
ライバーンとカイエルは視線を交わす、こうしなければ一人で特攻していくだろうと瞬時に互いは理解した。
ならば近くで守ろう、その視線は長年の信頼が可能とする声なき会話であった。
互いに頷き合う。
こうして王族三体と千にも及ぶ悪魔との闘いが幕を開ける。
王宮より外界へとカーナとライバーン、そしてカイエルが出向いた。四方を黒い悪魔にて囲まれている、千に及ぶ軍団の前にたったの三人が織り立つ。
「……なんて醜い悪魔」
カーナはそう呟いた。
「ライバーン、カイエルあの悪魔に王家の鉄槌を与えなさい」
「は! 承知致しました……カイエル、不届き者に我らの力を見せつけるぞい」
ライバーンの言葉にカイエルは頷く。
黒い悪魔たちで周りは埋め尽くされている。数え切れないほどの黒い影が、まるで津波のように押し寄せてくる。
ライバーンが迎え撃つ。深く刻まれた皺、白く長い髪、背を丸めた姿。だが、その瞳だけは――鋭く、揺るぎない光を宿していた。
「来い」
低く呟くと同時に、ライバーンは右手を掲げた。
刹那、世界が――止まった。
風が、雲が、悪魔たちの咆哮が、すべてが静寂に包まれる。音のない世界。動かない時間。その中で動けるのは、ライバーンただ一人。
だが、代償はすぐに現れた。
白髪が、わずかに黒みを帯びる。皺が、ほんの少し浅くなる。曲がっていた背が、わずかに伸びる。
時を止めるたびに、彼は若返る。
自らの人生を、年を、時間を燃料として使うのだ。
ライバーンは静止した悪魔の群れの中を歩いた。そして両手を構える。空気が震え、彼の拳から赤い炎が吹き上がった。
炎は指先から伸び、鋭い爪の形を成す。
「炎の爪――」
最初の一撃。
停止した悪魔の胸を、炎の爪が貫いた。時が動けば、この一撃は完遂される。二撃目、三撃目。ライバーンは舞うように動き、次々と悪魔たちに致命傷を刻んでいく。
炎の軌跡が、静止した空間に赤い線を描く。
十体、二十体、三十体――。
だが、彼の髪はもう半分が黒くなっていた。皺は消え始め、顔つきは壮年のそれへと変わっていく。
「ふむ、まだやれそうだわい」
ライバーンは再び時を止めた。
また数年分の時間が、彼の体から失われる。今度は背筋がぴんと伸び、筋肉が張りを取り戻した。
時間停止の中、彼は跳躍した。空中で回転し、炎の爪を振るう。十字に、縦横に、螺旋に。
赤い光の軌跡が、静止した世界に幾何学模様を描いていく。
五十体、百体――。
そして、時を解放した。
一気に動き出した時間の中で、すべての攻撃が同時に炸裂した。悪魔たちが次々と崩れ落ち、炎に包まれて消滅していく。
断末魔の叫びが、遅れて響き渡る。
だが、まだ終わらない。黒い波は、まだ押し寄せてくる。
ライバーンは息を整えた。今や彼の姿は、三十代の若者のものだった。力強い筋肉、艶やかな黒髪。
「数だけは大したものだのう」
再び、彼は時を止めた。
世界が静止する。そして老人は――いや、もはや青年となったライバーンは、炎の爪を構えて、悪魔の海へと飛び込んでいった。
彼の髪が、さらに黒く染まっていく。
時間経過を使いすぎると赤子となってしまう、つまりここで打ち止めである。しかし身体は全盛期、若い頃は名を轟かせていた炎の魔人と呼ばれたライバーンとなる。
凄まじい身体能力で敵を瞬殺していく。
黒い悪魔の大軍がまた集結した。地平線まで続く闇の波。無数の咆哮が大気を震わせる。
ライバーンの反対側、そこに騎士カイエルが立っていた。
全身を覆う西洋の鎧は、戦いの痕で無数の傷を刻まれながらも、なお重厚な威圧感を放っていた。
彼は何も言わない、ただ静かに腰の剣に手をかける。抜き放たれた剣身が、鈍い光を反射した。長剣。刃には無数の戦いの記憶が刻まれている。
悪魔たちが動き出す。黒い波が、一斉に押し寄せてくる。
その瞬間、カイエルの背中が裂けた。
鎧の背面が左右に開き、そこから巨大な翼が広がる。赤い、竜の翼。鱗に覆われ、鋭い爪を持つその翼は、まるで生きているかのように脈動していた。
彼の祖先は竜、大昔のヘルヴェルトは様々な次元から多種多様の生物がやってきていた。その中に赤い竜がいた、それは灼熱の炎を操る空の獣。
今ではその血脈は混ざり、竜人となってヘルヴェルトに暮らしている。騎士団長ミラエルもその血族だ。
そう、ミラエルの父であるカイエルが竜であるのは不思議ではなかった。
カイエルは無言のまま、地を蹴った。
赤い翼が一度羽ばたく。轟音とともに、彼の巨体が空へと舞い上がった。悪魔の群れが見上げる。
次の瞬間、カイエルは急降下していた。
一閃。
剣が横薙ぎに振るわれ、三体の悪魔が一度に両断される。黒い血が宙を舞う。着地することなく、カイエルは翼を捻り、空中で方向転換。
再び加速する。
二撃目、三撃目――。
剣技は重く、速く、正確だった。無駄な動きは一切ない。フルフェイスの兜の下から、敵の動きを冷徹に見定め、急所だけを狙う。
悪魔の一体が飛びかかる。カイエルは空中で回転し、その攻撃を回避。同時に剣を振り下ろし、悪魔の頭ごと叩き割った。
さらに翼を羽ばたかせ、上昇。
高度を取ったカイエルは、一瞬静止する。下では、無数の悪魔たちが蠢いていた。
彼は剣を鞘に収めた。
そして、兜の隙間が、赤く光った。
カイエルの口から、巨大な炎の奔流が吐き出された。竜の咆哮とともに、灼熱の炎が地上へと降り注ぐ。
悪魔たちが次々と炎に包まれ、悲鳴を上げて崩れ落ちていく。
炎が途切れる。煙と灰が立ち昇る中、カイエルは再び降下した。
地面すれすれを滑空し、再び剣を抜く。横一線の斬撃。五体の悪魔が同時に倒れる。翼で風を起こし、視界を奪いながら、彼は舞い続ける。
悪魔の巨体が襲いかかる。カイエルは正面から受け止めた。
拮抗、したかに見えた次の瞬間、カイエルの翼が悪魔を包み込んだ。
赤い翼の内側で、何かが燃える音。
翼が開かれたとき、そこには灰だけが残っていた。
カイエルは再び空へ。螺旋を描きながら上昇し、急降下。剣を両手で構え、回転しながら突撃する。まるで赤い竜巻のように、彼は悪魔の群れを貫いていく。
剣技と、飛行と、炎と。
すべてが一つの舞踏のように繋がっていた。
フルフェイスの兜の奥に、何を思うのか。苦痛か、怒りか、それとも何もないのか。
ただ赤い翼が羽ばたき、剣が閃き、炎が吹き荒れる。
沈黙の騎士カイエル。彼の戦いに、言葉は必要なかった。
戦場に響くのは、ただ剣と炎の音だけ。
更に集まっていく悪魔リーゼス、双子を寄越せと声を重ねて反響させた。それがカーナの怒りに油を注ぐ。
完全に憤怒に身を焦がし掌に地獄の業火を出現させる。そして炎を縮小させていく、炎を取り込みながら小さく纏めていく。
「カイエル、ライバーン空に逃げなさい!」
二人はカーナの声にカーナの爆ぜる炎を使うのだと気が付く、カイエルが空から急降下しライバーンを抱えて空へ逃れた。
カーナは手を掲げ限界まで圧縮した地獄の業火を解く。
「ゆけ爆ぜる炎、敵を燃やせ!」
炎が解放される。
圧縮されていた炎は全方向へと爆ぜる、カーナを飲み込みその中心点に炎の柱が舞う。そして衝撃波と炎は絡み合いながら水面に震わす波紋のように炎の波紋が広がっていく。
炎に悪魔が触れた、すると炎が身体に食い込み骨すら残さずに灰にしていく。
地獄の業火は骨すら残さない。
周りを囲んでいた数百の悪魔は瞬時に灰となった。
辺りに静寂が広がる。
炎の柱が消え去ると無傷のカーナが現れる。王族には地獄の業火は通用しない、これこそが王族たらしめる資格であった。
「カイエル、ライバーンご苦労様でした」
空から二人が舞い降りる。
「いえ、カーナ様に助けられましたからのう、こちらは楽でしたぞい、のうカイエル」
カイエルは肯定と頭を下げる。
「全くライバーンの軽口はいつも面白い。それにしてもその姿、久し振りですね、我が夫の無二の親友にして元地獄王の右肩と呼ばれたあの頃のようです」
「うむ、この年代だったのう、あやつとヘルヴェルトを統治していた頃は……」
カイエルはこれから一月の間にまた無くした年をとっていく、その急激な老化は身体に負担をかける。激痛を伴う諸刃の剣だった。
「カーナ様、騒動が終わったら一月休暇を頂きたい」
「そうですね、老化現象に動けませんね。ならその間あの人間をこき使ってやろうかしら、それは面白そう」
クスクスとカーナは愉快そうだった。
「しかしまだ終わりではないようですのう、悪魔共の嫌な気が迫っておる」
「また来るのですか。本当に命知らずね、妾の宝であるエティオとネリスに手を出す事の罪を知らしめなければなりませんね」
更なる軍団が赤い大地の地平線から向かっている、それを感じつつカーナ達は悪魔を待ち構えていた。
大切な子供を守る為に。




