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地獄世界のヘルヴェルト  作者: 生獣屋 芽怠
第十三章 深層より原初が来たりて
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地獄の中の地獄


 吐き気がする。


 頭痛に苛まれて気持ちが悪い。全身から噴き出している汗が服を濡らして貼り付かせている、それが余計に不快さを生む。

 涙目から垣間見れる世界は洞窟の様な岩の内部だった。地面と左右の壁、そして五メートル程の天井まで凸凹な岩で構成されていた。


 不思議と視界は明るい。どうやらこの岩そのものが赤く発光して暗闇を追い払っていた。


 ここはどこだろう?


 どうしてこんなところにいるのだろうか、過去にアクセスするもそれは拒否された。

 思い出せない。

 不安が込み上げる、そんな中ふと自分自身は覚えているのかと心配になり改めて記憶を掘り起こす。


 私の名前は皆川真だ。

 良かった、自分の名前は忘れてはなかった。

 こんな風に自分の生まれた街、家族、恋人、友達など思い出せるだけ記憶を捜索した。

 どうやら私に関することは忘れてない。


 悪魔と色々あって今は地獄世界ヘルヴェルトに来てしまっている、スミスちゃんやリリリちゃん、フェイちゃんに死神王様のお陰で助かった。

 そして王宮で監禁状態だった。悪魔達の潜んでいる場所に騎士団と死神達、そしてしゅーが向かった。その後急いで戻ってきたしゅーに連れられて悪魔から逃れた筈だ。


 あれ、私はしゅーと一緒に逃げていた筈なのにどうしてこんな洞窟みたいなところにいるのだろう?


 そこだけが思い出せない。

 

 とにかくこのままじっとしていても何も解決はしない、私はゆっくりと洞窟の壁に手を付いて立ち上がる。

 足が笑っている。身体に力が入らない。呼吸を荒らげて震える足、腕を気力で押し留めた。

 微速だが壁を伝いながら先へ進む。

 この先にあるのはなんなのか。


 どれだけの時間を掛けたのか分からない、けれどそのおかげで出口を見付けた。

 洞窟を抜け出る。

 すると私は誤解していることに気が付いた。


 洞窟を出ても外ではなかった。


 まだ洞窟の中なのだ。

 しかし洞窟と言う表現は違うだろう、眼前には巨大な穴が空いている。

 一つの街が落ちてしまいそうなほどに広大な穴、恐る恐る深淵を覗いてみると底が見えない。


 螺旋状に人二人位が立てる足場が壁にそって存在していた、それは道のように下へと続いている。

 人為的なものに思えた、ならばこの穴そのものは誰かによって作られたのかもしれない。


 途方もない。人間には作ることはできないだろう。


 ふと見上げてみた。

 螺旋は上へと続いている、しかし空は果てしなく極小だった。

 小さな光がぼんやりと浮かんでいる。


 巨大な穴の中にいる。


 想像を絶する巨大な穴の中、壁の足場には横穴が何ヶ所もありそれが私がいた洞窟だと気が付いた。

 底すらも見えず、地上は遥か彼方。


 ここから抜け出すには上を目指さなければならない。体力は持つのか、弱り切った身体には酷な話だった。

 それでも向かわなければ、状況はよくわからないけど、しゅーと合流しないといけない。

 壁を伝いながら頂上を目指す。

 足元は偶にひび割れたり欠けていたりする、足を踏み外して穴に落ちてしまったら助からない。


 それにしてもここは気温が高い、体感だけど三十度以上くらいの暑さだ。こんな気温なら汗だくで目覚める訳だ。

 水浴びしたいな、服も着替えたいし、それにお腹も空いてる。

 ヘルヴェルトは木の実が主食だ、ただあんまり美味しくはない。料理なんて概念すらない世界だ。

 もしも色んな実を砕いて混ぜたりしたら味変できるかもしれないな。

 

 そんなことを考えて気を紛らわせていた。


 ふと嫌な予感が駆け抜ける。全身が鳥肌に侵食された悍ましさ、高温の穴の内部で寒気を感じた。


 それは後方から来た。視線を後ろへやると異端と視線が合う。壁の足場を利用して下よりそいつはやって来た。


 植物を思わせる生物、四足歩行の獣の身体はどす黒く植物の蔓で覆われている。何本もの触手を自身から生やしてゆらりと身躯を揺らす。

 頭部全体が眼球であり、赤い瞳はこちらを標的と捉えた。


 逃げなきゃと思ったが判断が遅かった。


 化物は跳躍し一瞬にして数メートルの距離を零にした。赤い瞳に反射して私の顔が映る。

 恐怖に染まっている、絶望に苛まる、呼吸が止まる。


 これは嘗てヘルズゲート事件で対峙した感情だ、目の前にいるこの化物は地獄の住人だと理解した。

 化物の触手が両手両足に絡み付いて動きを奪う。

 

「い、嫌っ!」


 暴れようが触手から逃れられない。

 不意に化物から一本の細い触手が私目掛けて伸びてくる。触手の先に口が付いていた。そこから覗く歯が餌を食べようとしていると理解させられた。

 腹に触手が触れる。


「ひっ!」


 痛みはない。

 噛み付いてこなかった。

 しかし触手は身体を小突ながら何かを探しているように感じだ。上へと小突きながら登ってくる、そして私の口へと辿り着いた。

 咄嗟に口を閉じる。

 口内へ侵入しようと閉じた唇を押してくる。


 口の中に入ろうとしている。それだけで悍ましさが鳥肌を誘発する。

 先端の口、歯がついたものが中へと入りたがる。

 まさか、体内に入って内臓を食べるつもり?


「むぐっ! むぅ!」


 入らせないように固く口を閉ざす。

 触手の力が弱いのか突破されることはなかった。


 少し安堵したが化物の本体からもう一つの細い触手が生やされ私に向かってくる。

 同じように先端に口がついている、そして餌の腹に触れた。

 そして触手は下半身へ向かう。


「むぐっ!」


 小さな刺激が段々と下がってくる、気持ち悪い。

 動ける範囲でくねらせ抵抗した。だがやつの触手は恥部へ迫る。


「むぐぅ! ふぐうっ!」


 悍ましさに身体が震える、離せと叫びたかったがそんな事をしてしまったら触手の侵入を許してしまう。

 服の上から弄られる、気持ちが悪い。

 身体の中に侵入できる場所を探している、こちらの不愉快さを知らずに。


 服が壁となって下の触手は四方を彷徨う。

 口はどうにか阻止できている、後はどうやって逃げ出すか。


 だが両手足の触手は解けそうもない。


 どうにも出来ないと思い知らされた頃に奴の体から無数の触手がわらわらと姿を現した。

 そいつらは上半身、下半身、背中に至るまで触手の先端で突く。

 不快さは倍増した。


 執着のように身体を探られた結果、服の隙間から触手の侵入を許した。

 それと同時に口を攻めていた触手が身を引く。

 諦めたのかと思ったが攻める対象を変えた。


 細い蔓が首を締め上げる。


 息が、出来ない。


「かはっ!」


 強制的に開く。

 無数の触手が口を標的にする。


 服の隙間から侵入した触手は蠢きながら肌を這い回り下着に到達し、内部に入り込む。


 絶望に、感情が爆ぜた。


 嫌だ、こんな最後は嫌だ!


 解放された口内へ触手が侵入する。


 その刹那。


「そろそろ助けてやるかな、食われたら困るし。キヒヒ」


 侵入する異物が喉に入り込んだ頃、化物は突如として現れた黒い蟲に襲われた。

 触手を噛み砕きながら化物に群がる。化物にとってあまりの痛さだったのだろう、触手は私を解放した。

 触手が離れ、身体、口から離れた。


「がはっ! げほっ、げほっ!」


 呼吸が正常化するまで暫く掛かった、まともに息が出来た頃にようやく化物を視界に収めた。

 黒蟲に全てを食われて跡形もなくなっていた。


「キヒヒヒヒヒッ! まさかリアルに触手プレイしている奴を見るなんて思いもしなかったし。キヒヒ、どう? 気持ち良かったぁ? もう少しで中身が空っぽの死体になるとこだったねぇ? キヒヒヒヒヒッ!」


 青い髪の小柄な少女が笑っていた。こいつは悪魔のロゼリアだ。


「……なんでここに貴女がいるの? そもそも、ここはどこなの?」


「なぁに? ワタシに質問してるのぉ? キヒヒ、まあ額の陣が発動している間は意識はないし覚えてないか」


 額の陣?


「キヒヒッ、まあ良いか、ワタシは優しいから教えてやるし。ここはね赤い大地の地平線の先に見付けた大穴だよ。まあ穴って言っても何キロにも及んで巨大なんだけどね。よく分からないけどここを取り敢えずの住処にしたんだし。最初入るのが大変だったし、結界が張ってたからね。まあそんなの壊せるけどね、キヒヒッ。この辺りには気持ち悪い生物がうじゃうじゃしてたからね、快適に暮らしたいから殺して回ってたけど漏れたのが触手プレイするなんて面白過ぎるし! キヒヒヒヒヒッ!」


「赤い大地の地平線、その先……」


 この話、聞いたことがある。私が王宮で軟禁されていた頃、死神のフェイちゃんからヘルヴェルトの色んな話しを聞かされた。

 その中にここの場所の話しがあった。


 地獄世界ヘルヴェルトは初代地獄王が戦いの果てにヘルヴェルトの統治することとなった。

 言葉を話し知識が高い地獄の住人をランクSとして管理した。

 だけどそれよりも低いランクの住人は肉食の住人が多く、地獄の住人同士で共食いを行った。


 ランクSが村を作り暮らしているが低ランクの住人が襲い村が全滅することもあったらしい。

 王宮かは騎士団を派遣して対処したが手遅れになることもあったとされている。


 そんな殺伐としたヘルヴェルトで新たな地獄王がその問題解決に乗り出した。

 二代目地獄王は巨大な穴を大地に創り上げた、果てしなき奈落。

 そこへ共食いを行う住人を閉じ込めた。長い時を使い地獄の住人同士で共食いをしない種だけが栄えた。


 言うなれば異端とされた住人を閉じ込める牢獄。


 名をアビス。


 地獄世界の中の地獄の穴、それがアビスだと教えてくれた。


「……貴女達はヘルヴェルトをどうしたいの?」


「ん? 壊すんだし。ずっとそうやって『横』を渡って来たからね。まあ『縦』だろうとその目的は変わないし。世界を壊して人間の絶望する姿を見る、キヒヒヒヒヒッ! 『縦』にもきっと人間は居るはず! ああっ、それがワタシを安らかせるの……人間なんか滅んでしまえ」


 最後の言葉だけは凄みを纏わせていた。それが願い、悪魔の目的。

 『縦』とか『横』とかよく分からない単語が出てきたけどヘルヴェルトを滅ぼそうとしているのだけは理解できる。


「キヒヒヒヒヒッ、人間がいないからここの生物を殺したりしたけどあんまり面白くない……だから殺した死体を操ってこの世界にばら撒いた! キヒヒヒヒヒッ! ここの生物が殺し合うのは暇潰しには丁度良かったし! ついでに死体に細工して奴らの見た映像はこっちに分かるようにしたよ、だから直ぐに王宮とか見つけられたんだし! キヒヒヒヒヒッ!」


 上機嫌でロゼリアが笑う。


「キヒヒヒヒヒッ…………まあ取り敢えず皆川真、お前はさっきいた横穴に戻れ。また気持ち悪い生物に襲われるかもしれないし、お前に死なれたらワタシ達が困るし」


「い、嫌! 私はここを抜け出してみんなの所に帰る!」


「ふーーん、何だか生意気だし。大人しく言う事聞かないと虐めちゃうよぉ? キヒヒッ、ワタシのイジメはきついよぉ?」


 嫌らしく口角を食い込ませる姿に恐怖が支配していく。

 怖いけど、ここで出会ったみんなは命懸けでこいつらと戦ったんだ、しゅーだって私の為に。


 怖くても言いなりになりたくない。


「お、脅したって……わ、私に危害を加えて死んじゃったら貴女達は何もできなくなるよ!」


 これが精一杯の抗いだった。


「…………キヒ、キヒヒヒヒヒッ、いいねその抗い、ちっぽけな反抗。確かにワタシ達がお前に制裁を加えようとしたら直ぐに死んじゃうねぇ。まあやり方は色々あるんだけど、例えばここで親しくなった奴を目の前で痛めつけたら言う事聞くでしょ? お前さ、他人が傷付くことが無理な感じでしょ? 見てれば分かる。そうだなぁ、誰か連れてこようかぁ? 誰がいいかなぁ、あ、お前をレイプしそうになったルトだったっけ、そいつ連れてきて……嫌、それは面白くならなそう。死神のフェイロットとか面白そう、それともリリリって奴? 騎士団の誰かでもいいし……お前の愛する者とかでも良いよぉ? キヒヒヒヒヒッ!」


「あっ……だ、駄目……それは、やめて……」


「ほぉらもう反抗の意思が揺らいだし! キヒヒッ、肉体的じゃなくても精神を攻撃すればお前は言う事を聞くし。で? ワタシに何か言うことがあるんじゃない? 反抗してワタシを困らせた。言うこと分かるよね?」


「ご、ごめん……なさい……」


「キヒヒヒヒヒッ! ちっぽけなお前には何も出来ないし!」


 私は無力だ。何も出来ない。反抗も出来ない。


「ごめんなさいって言われたら誰かを連れてこようって提案は白紙に戻してあげるし……何か言うことはぁ?」


「あ、ありがとう、ございます……」


「そうそう、お礼を言えるのは美徳だし、キヒヒ」


 許されたと安堵している自分がいる、情けなくて涙が出てきた。私の決意はこんなにも脆い。

 何も出来ない無力に打ちのめされた。


「……ただ」


 不意にロゼリアが語る。


「ワタシがムカ付いたからイジメてあげるし、ワタシの好きなやり方で今からイジメてあげるし!」


 ロゼリアが近付いてくる。目と鼻の先で止まりしゃがむ。

 私と視線を交わし頬を高揚させて述べた。


「ワタシは目で見たものに色々な術を掛けられる……まあ幻を見せることが出来るんだし。だけど五感の神経を刺激してリアルな幻を見せられる……例えばそうだなぁ……キヒヒッ、さっきワタシが助けたけど、触手生物があのまま死なずに続きをしていたらどうなってたかなぁ? キヒヒッ、見せてあげるよ……さぁ、幻の中で溺れておいで?」


 髪で隠された右目を晒す。眼球はどす黒く、瞳孔は赤く光り輝く。異端の目が私の目を見詰める。

 瞬時、視界が歪む。






 気が付くと私は触手の化物に捕らわれていた、両手足を触手で縛られ動けない。

 無数の触手が化物から這い出て私を覆う。


 首を絞められる、中へと異物が入る。

 喉、腹を通過し胃を突破する。

 鼻腔からも食事に参戦する為に潜り込む。

 腹の中で動き回る、中身は食料と化す、激痛と共に。

 膣口より侵入し子宮を突き破り食事に合流する。

 直腸の開口部に入り込み食事に合流する。

 眼球より内部へ。

 外耳孔より内部へ。

 膀胱より内部へ。


 腹を掻き回す。






「嫌ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!」


「キヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒッ! どうだったぁ? 中身を食べられる感覚は!? 痛いでしょ? お腹の中を這い回る異物に気絶しそうになるも痛みで起きてしまう、絶望の果てに糞尿垂れ流しながら絶命する感覚……堪らなく嫌でしょう? キヒヒッ、実体験してるから気持ちが分かるし! キヒヒヒヒヒッ!」


 本当にされたように感じた、お腹を激痛が掻き回して何も考えられなくなった。

 気持ち悪い、吐き気がする。涙と鼻水と唾液を流しながら嘔吐した。全身から大量に汗も発生する。

 呼吸が乱れる。


「キヒヒヒヒヒッ! きったなぁいし! 色んな汁でぐちゃぐちゃだしぃい! キヒヒヒヒヒ、汗臭いしゲロの匂いもヤバいし。この姿のまま佐波峻の前に連れて行ってあげようかぁ? キヒヒ、絶対に顔をしかめて汚物を見るような目をするだろうねぇ? キヒヒヒヒヒッ!」


「……そんな、こと、ない……」


「へぇ、まだ反抗するんだぁ……あんな幻を見て吐いてるのに意外と元気だし。良し、また幻を見せてあげるし!」


「ひっ! や、やめて! ご、ごめんなさい! もう口答えしないから!」


「キヒヒヒヒヒッ、だぁめぇ。佐波峻が大事らしいからいい幻を見せてやるし! さぁ、幻の中で溺れておいで?」


 視線が絡む。

 視界が歪む。







 気が付くと学校の教室にいた、外は夕刻を刻み世界を染め上げている。私の目の前にしゅーがいる、優しく微笑んでくれている。

 教室に二人切り、安らかな時間が流れる。


『まこちゃん』


 私を優しく抱き締める。


『ずっと言いたいことがあったんだ』


 吐息が掛かる距離に優しい彼の声に包まれた。

 耳元で彼が言の葉を述べた。


『ずっと……嫌いだった』


 浮遊感、視界が回転し、衝撃で理解が追いつかない。教室の机、椅子をなぎ倒しながら私は地面に蹲る。

 何が起きた?

 記憶に問う、すると両の腕を突き伸ばす彼の姿が理解させる。

 私を突き飛ばした。


『し、しゅー……?』


『いい加減にしてくれよ、まこちゃん……いやまこと、俺はお前が嫌いなんだよ……お前のせいで俺の人生はめちゃくちゃになったんだよ、お前が変な力を持っていたから俺が肩代わりして地獄を見た!』


『あ、ご、ごめんなさい……』


『謝れば済むと思ってるのか? ふざけんな!』


 次の瞬間彼の右拳が私の左頬を貫いた。

 痛い。口の中に鉄の味が広がっていく、優しい彼が私を拒絶している。

 つまらないものを見るように彼が舌打ちをした。


『服に血がついた、きたねぇな、どうしてくれるんだよ! ああっ!』


 腹を蹴られた、激痛が思考を凍結させ腹の中を床にぶち撒けた。


『汚いな、気持ち悪い』 


『ご、ごめ……なさ…………わた、し、のせいで…………ごめ……』


『はっ、上辺だけ謝っても何も感じないんだよ……こんな奴の為に俺は、俺は……ちくしょう!』


 彼が馬乗りになり力いっぱい私を殴り付ける。


『この! ふざけやがって!』


『や、やめ……ゆる……し……』


 拳が顔に降り掛かる。

 憎しみの顔がそこにあった。

 何度も、何度も拳を赤く染めていく。


 どれ程経っただろう、永遠のような時間は彼の疲労で終わる。


 彼は息を荒げながら殴る行為を止めた。


 顔の形が変わっていた。


 痛みで動けない。


 不意に服を脱がされた。

 そして私を汚す。

 全てが終わると私に唾を吐いた。


『惨めな姿だな、お似合いだよクソ女』


 最期に靴底で顔面を踏み付けた。










「ごめんなさい……ごめんなさい、ごめんなさい、許して、しゅー、許して…………」


「キヒヒヒヒヒッ! どうだったぁ? 愛しい男からの拒絶は? 生意気な女にはお似合いの幻だったでしょ?」


 幻は終わった、でも蔑みながら私を殴る彼の顔が頭から離れない。


 記憶が勝手に蘇る。


 その度に心に罅を生む。


 ――ずっと嫌いだった。


 止めて。


 ――お前のせいで。


 止めて。


 ――汚いな、気持ち悪い。


 嫌だ。


 ――惨めな姿だな、お似合いだよクソ女。


 しゅー、私を拒絶しないで!


 馬乗りになりながら拳を振るう彼が再生される。


 一発、また一発と血を巻き上げる。 


 彼が言う筈のない言葉がナイフのように心を抉る。


 もう、嫌だ。


 私を汚す、愛情のない行為に不快さを覚えた。


 こんなの嫌だ。


 幻でも彼に拒絶された。


 それが心に深い傷を残した。


 顔を踏み付けにされた。


 ああ、もうダメだ。


 そして心が折れた。


「もう……嫌……こんなの、嫌…………」


 大声で泣き喚いた。


「キヒヒヒヒヒッ! 大声で泣いてみっともなぁい、心が折れちゃったあ? キヒヒッ、ああ、ワタシの心が満たされていく……人間なんか滅べばいい」


 子供のように泣き叫ぶ。


「……あれ、虐め過ぎたかも、なんか幼児退行して泣いてるし……これ以上幻を見せても反応が面白くならないし……せっかく佐波峻に見られながら不良に集団レイプされる幻を見せてやろうと思ったのに…………つまらないし」


 頭を掻きながら私の腕を掴む。


「お前さっきの場所で大人しくしてるし、後でメイディアに見せて精神を元に戻してもらうか……壊すのは得意だけど治すのは不得意だし」


 無理矢理引っ張られ最初に来た横穴に連れて行かれた。その間も癇癪を起こした子供のように泣く。


「ああもう! いい加減に泣きやめだし! はぁ、しかたない暫く眠らせよう」


 ロゼリアが右目を使い眠りへと誘う。

 電池が切れたおもちゃのロボットの様に地面に倒れた。


 意識が遠のく。















 




 暗い世界、何もない世界。


 その世界で膝を抱えて宙に浮いていた。


 親指を口に含み瞼を閉じている。


 何も知らない。


 何も見たくない。


 もう嫌だ。


 どこにも行きたくない。


 怖いのは嫌。


 拒絶は嫌。


 殻に閉じ籠もる、何重にも層を重ねた壁が上下左右に展開され箱となる。


 箱の中に隠れた。


 孤独に一人で。

 

 私は永遠にここにいる。


 誰にも会いたくない。


 声を掛けないで。


 私に触れないで。


 心の壁を築き、暗闇に一人でいる。

 

 そうすれば彼に殴られることもない、罵られることもない、人が変わったような彼を観なくていい。


 希望もない、絶望は要らない。


 現実は辛いことばかりだ、ヘルズゲート事件さえなければ、私にゲートの力さえなければ。

 ただの人間だったならこんな思いはしなかったのに。


 ヘルヴェルトの危機?


 知らない。


 みんなの安否?


 知らない。


 本物の佐波峻の現在?


 知らない。


 何も知らない! 何も考えたくない! 


 全てを拒絶した。


 自分の心ですら拒絶した。


 何も考えたくない。


 永遠に自問自答を繰り返しながら閉じ籠もる、もう無理だと頑張れないと更に奥へと引っ込む。


 そんな繰り返しの中で声が聴こえた。 


『本当は気になってしょうがないんだよね? 皆のこと、ヘルヴェルトのこと、佐波峻のことを』


 誰?


『ごめんね、助けに来たのに遅れちゃった……』


 女性の声。


『助けてあげるからその箱から出ておいで?』


 優しい声、あたたかな声。


『あのクソガキに刷り込まれた恐怖を追い出してあげる、貴女に掛けられている術を解除してあげる』


 箱に触れる声の主、すると箱が消え去り私が姿を現す。彼女は私の頭に両手で触れる。


 触れた手が虹色に光り始める。


 子供と化した精神は元の自分へと回帰する。


 開ける思考、靄が晴れた様に清々しい。


『これでよし、あのクソガキの術は幻を見せるだけじゃない。自身の分身を精神世界に侵入させて思考を壊していく。本来の貴女ならあれが幻だと立ち上がれる強さを持っている……これまでの経験が心を強くしているんだよ』


 そう言って彼女が笑う。


 貴女は……誰?


『私は始まり、合わせ鏡の様に広がる『横』世界に於いて始まりであり眺め続ける者。私はね、『観測者』であり、数多の貴女と言う存在の原初……』


 よく分からない。


『あ、ごめんね言い回しが分かりづらいってよく言われる。私なりに分かりやすく名乗ったのだけど……まあ、つまり』


 一呼吸置いて、彼女は簡潔に述べた。


『平行世界にいる一番最初の皆川真です。始めまして! 『横』を破壊しているバカタレ共をどうにかしたいからやって来ちゃった! ま、向こうもチート使ってるようなもんだし、こっちもチート使ったって良いでしょう! 異端の力が相手なら異端の力をぶつけるだけだよ!』


 唐突過ぎて混乱していた。


『あはは、分かんないよね? 大丈夫、ちゃんと説明するからね! 全く、こんなに可愛い私を虐めるなんて許せないな、観測が使命なんだけど、やっぱり観測が苦手なんだよね私。それに苛めちゃダメだってことを教えてあげないとね。まあそんな訳なので私に協力してね?』


 私が私と出会う、それが何を意味しているのだろうか。

 陽気な私はハニカミながら胸を張った。




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