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地獄世界のヘルヴェルト  作者: 生獣屋 芽怠
第十一章 追憶
51/75

シュウエン

 

 世界中で起きた謎の消失現象、日本以外は全て消失してしまった。

 そんな世界で私は峻くんと絆を更に深め、二人で生き抜くことを誓った。だけどこれは何の冗談なの?

 謎の女達が連れて来たコワレカケと呼ばれた者は思考を凍結させるには充分な威力を秘めている。


「キヒヒヒヒ、ほらコワレカケ、初めましては? 同類が目の前にいるよ?」


「……ドウルイ?」


「そうお前と同類なんだし、キヒヒヒヒ、昨日はメイディアと楽しんだんだってコワレカケ? どうだった?」


「ドウダッタ? ドウダッタ、ドウダタ……ワカラナイ、ワカラナイ」


 壊れたように片言でワカラナイと繰り返す。それがコワレカケと呼ばれる理由なのだろうけどそんなことはどうでも良い。

 コワレカケは人間だと思うがしかし人間らしからぬ扱いだった、服は無くただ許されているのは首輪のみ、鎖で繋がれまるでペットそのもの。立つことも許されないのか四つん這いにされている、定まらない瞳、体には様々な傷が生々しく住み着く。

 コワレカケと名の“彼女”は自我を忘れてしまったようだった。

 コワレカケはどうして……。


「キヒヒヒヒ、同じ存在なんだからよく見なよコワレカケ、キヒヒヒヒヒヒヒヒ」


「アウ……オナジ……オナジ……」


 どうしてコワレカケが似ているの?


「なんだよこれミ、ミナコが……?」


 どうしてコワレカケが私に似ているの?


「キヒヒヒヒ、こいつの名前はミナガワマコト、でも今はコワレカケ。でももう用無しだから名前とか要らないし、キヒヒヒヒ」


 私がいる、コワレカケと呼ばれているのは違う私? 何これ、何がどうなっているの?

 落ち着いて私、ただそっくりなだけじゃない、同姓同名のそっくりさんじゃないか。ただ違うのは向こうのミナガワマコトは髪が背中まで伸びていて長いところか。


「ねえ皆川真、お前は持ってる?」


 ロゼリアと名乗った少女からの質問の意図が分からない。

 持ってるって何を?


「キヒヒヒヒ、面白いくらいに訳が分からないって顔してるし、でも大丈夫、ワタシ達はずっとお前を見て来た、そして可能性は確信へと変わった。皆川真、お前はちゃんと持ってる、それが渡り歩く鍵でありゲート」


「もうロゼリアったらそれでは意味が分かりませんわよ?」


「そう? じゃあ簡単に言ってあげるし。皆川真、お前は『横』において鍵、ゲートの役割を担っている」


 理解出来ない事態、意味不明な話、何なのだろうこの人達は。

 私に似たコワレカケと呼ばれた彼女は意思を持たないかのように静寂で、あまり動かない。


「『横』とは多元化された世界のこと、ワタシ達はそこを渡り歩いてここまで来た。その『横』において皆川真は多元世界を渡り歩く力を持っている……このコワレカケはとある世界のお前だし。力を使い過ぎて自我が崩壊してしまった、だから代わりがいるんだよ……キヒヒヒヒ、ねえ皆川真、お前は持っているんじゃないの? 多元を行き来する力」


「訳が分からない……貴女達は何なの?」


「ワタシ達は悪魔だよ、ただ純粋とは程遠いけどね」


「ふふっ、確かにロゼリアは純粋と称するのは見当違いですわ」


「メイディア、お前喧嘩売ってるの? ……まあ良いや、そろそろレイス様が来るだろうし」


 何をバカなことを言っているんだ、別の世界の私? 悪魔? この人達は頭がおかしいに違いない、関わったらろくなことにならない。


「ミナコ、隙を見て逃げるぞ……バカバカしい話に付き合っていられるか」


「うん……」


 でも、コワレカケと呼ばれた私に瓜二つの女性がとても気になっていた。あんな格好をされて、まるで私が仕打ちを受けているようで羞恥心が宿る。


「ねえメイディア、こいつら逃げるつもりらしいし」


「そうですわね、逃げられると面倒臭いですわね……ロゼリア、貴女何とかして下さいます?」


「ワタシが? 何でわざわざメイディアに言ったと思うんだよ、面倒だからだ頼んでんのに」


「わたくしも面倒ですわ。ほら、コワレカケの鎖を握っているのは誰ですの? わたくし手が塞がっていますわ」


 瞬間、異音が這う。私達の周りに蠢いている。


「片手があるだろうにさ……はぁ、仕方がないな、ワタシの蟲で退路を無くすよ」


「初めからそうして欲しかったですわね」


 不快な音の正体が姿を現した。それは見たことがないナメクジのような黒い蟲。壁、天井、床と私達を囲むように居座っている。

 何これ、何なのこれ。


「動かない方が良いよ~、そいつらはワタシの子宮を苗床に産まれて来たしもべ、みたいなものだし。一度噛み付くと皮膚を食い破り内蔵まで潜って行き、全てを食らう。キヒヒヒヒヒヒヒ、想像できるぅ? 異物が腹の中を駆け回る感触をさ、動く度に激痛が伴って、お腹にはくっきりと蟲の形が浮き出てる……発狂しそうになるけど激痛が意識を戻してしまってまた地獄を見る。その繰り返しの果てに失禁して、脱糞もして、本当に惨めな姿になりながら“皮”だけになるの……キヒヒヒヒ、実体験だから間違いないよぉ、キヒヒヒヒ」


「気色の悪いお話ですわね」


「メイディアの数千の兵士に輪姦される話よりはマシだし」


「そうですか? まあわたくしは…………あら、どうやらレイス様がいらしたようですわね。皆川真の顔面蒼白な姿に欲情しかかっておりましたがお預けですわ」


 異端だと認識した彼女達、だけどそれは序章でしかなかったのかも知れない。だってそいつは異質であった。けど、更に異質、いや異質何てものを凌駕する。

 言葉が見当たらない、そこにいる何かは明らかに人間ではないと本能が理解した。

 敢えて何かと言うならば“黒”だろうか。

 ぽつりとそこに佇んでいた、蜃気楼のように、幻想のように。

 現れたその“黒”は人の形をしていたけどただ模しているだけ、何故かそう思った。


 異端な彼女達の後ろに現れたそいつは心そのものを鷲掴む如く、畏怖を孕ませた。それが育つ頃に全身に汗が噴き出して硬直化する体に気が付く。

 影のような人を成す“黒”はただ単に私を見た。

 それだけで息が止まりそうになる。


「大丈夫ぅ? レイス様を見るだけで精神が磨耗してるよ、キヒヒヒヒヒヒヒヒ」


「あ……ああ……」


 何故言葉が外界への進出を拒むのか、許されないと言付けられた子供のように佇むだけ。苦しい、時間が私を除け者にして勝手に行ってしまうかのよう。

 それは私だけではなく、峻くんもそうだった。


「レイス様どうでしたか? なかなかに楽しんでたみたいでしたけど」


 黒は何も語らない。しかし彼女達は理解する、楽しげに話しかけていた。


「じゃあそろそろ始めますかレイス様? キヒヒヒヒ、皆川真の力を引き出してみようか」


 異端を称する者達の視線が私に集まる、このままじゃいけない、逃げなきゃ、逃げなきゃ。

 でも体が動かない、動こうとしない。

 焦りが圧迫し始めた刹那、私の前に壁が。


「何が何だか訳が分からないが……ミナコに手を出すって言うなら俺は許さない」


「峻くん……」


 声が出た。


「まあ、勇敢な方ですわね」


「勇敢? キヒヒヒヒ、違う違う、こう言うのは蛮勇って言うし。なぁに、ワタシ達と遊びたいの? 良いよおいでおいで、蟲に食われても良いならおいでよぉ」


「ふざけやがって」


 蟲さえいなければ何とかなるかも知れない、けど数が多すぎる。それに素手だし、私何かドレスを着ているから動きづらい。

 それでも諦めない。

 私はようやく幸せを手に入れたんだ、それを諦めるなんて出来るわけがない。


「あっれーー、おかしいな、何か逆に闘士に満ちた目をしちゃってるし、これじゃつまんない」


「ふふっ、絶望は自我を砕くスパイス、ですが思考展開次第では希望を見いだしてしまいますわ……だったら更なる絶望を上乗せさせてみてはいかが?」


「……キヒヒヒヒ、なぁるほどぉ、今の状況を知ったらきっと……キヒヒヒヒ、ねえ新婚さん、ここから逃がしてあげようか?」


 そう言った瞬間に私達の周りにひしめき合っていた蟲が何処かへと姿を消した。そして入口を開け放つ。


「ほら道を空けてやるし。行って良いんだよ?」


「な、何を考えていやがるんだお前ら、明らかに罠じゃないかよ」


「罠? ……ん~まあ罠って言えば罠なのかなぁ? キヒヒ、でもさ、いつまでもこの中に居るつもり? 逃げ場のない場所でワタシ達になぶられてみるぅ? それよりも外に出て逃げた方が生存率はあがるよ? キヒヒヒヒ、どうするぅ?」


 このまま教会の中に居ても何も出来ない、逃げることだって。


「じゃあこうしよう、今から鬼ごっこをしよ? 新婚さんは逃げ切れば助けるし、どう? お前らが外に出たらワタシ達は一分間ここを動かないから」


「……それを信じろって言うのかよ」


「信じるか信じないかの問題ぃ? これが逃げ出すラストチャンス、逃げないならそれでも良いよ、何もしないままここで地獄を見るんだし、キヒヒヒヒヒヒヒヒ」


 悔しいけど少女の言う通りだった、このまま何もしないまま終わるなんて嫌だ。これからもっと幸せになるんだ、幸せに暮らしたいだけ、それだけが私の望み。


「峻くん、逃げようよ」


「だが、罠かも知れないんだぞ?」


「分かってるけど、けど……」


「埒が明かないなぁ、だったら逃げなきゃならなくなるようにしてやるし!」


 異音が復活した、今度は後方から。振り向くと姿を隠した筈の蟲がこちらに迫ってきていた。


「ほぉら逃げないと食べられちゃうよ~キヒヒヒヒ!」


「くそ!」


 彼が私の手を取って走り出した、迫る蟲、佇む悪魔と名乗る者、そして逃げ出す二人。少女の横を通過するとき何かをされるかと構えたが何もない、拍子抜けのように入口へ。

 外へ駆け出す。


 薄暗かった教会を飛び出して一目散に逃げ出す、あいつらは人間じゃない。あの“黒”がその証拠、その仲間と言うのなら少女も女も人間じゃない筈。

 逃げなきゃ、私達に何をする気なのだろうか。そして、コワレカケは本当に別の世界の私? なら私もあんな風にされてしまう? コワレカケにされてしまう?

 嫌だ、嫌だ嫌だ嫌だ!

 私は峻くんと幸せになるんだから。


 走って、目を見開き今の世界を眼中に納めた。早く逃げなきゃと進言する気を消滅させる光景が広がっていた。まるで置き去りにされた感覚、これが目的?

 これを見せる為に逃がした?


「な、何だよこれは……」


「嘘……あれ、だってさっきまで……あれ……何で……」


 絶句、そこには空白しかなかった。


「最初の男と女の名前って確かアダムとリリスだっけ?」


「違いますわよ、リリスはアダムの最初の妻。最初の女の名はイヴですわ」


「ふ、ふん、そんなのはどっちでも良いし! とにかく……今の状況理解できてるぅ? 今まさにアダムとイヴと対極になっているのがお前等だし、ただしこの世界での話だけど。どう? 感想とかないかなぁ? キヒヒヒヒ、絶景とは思わない? 建築物が人類の文明を代表するならこれは絶望を代表するんじゃないかな? 創造の逆転とでも言うのかな? しかしここから築き上げて行くのが人何だよね。でもぉ、その心配は無い、だって不可能だし。アタシの話聞いてるぅ? ま、無理な話かな。言っとくけど夢や幻と呼ぶのなら愚鈍にも程があるし。キヒヒヒヒ、ねぇ悲鳴はまだぁ? 泣き叫んでよ、ほらほら、たった二人の世界なんだから、キヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒ!」


 全てが空白。在るべきものは無の彼方へ、無味無臭のような感覚。


「い……嫌……嫌あああああああああ!」


 教会を残して、風景は地平線だけを上映する。

 町が……無い。

 嘘、無い、無い無い無い、町が無い。風景は地平線だけ、まるで別世界に放り出されたような情景。足が笑い膝が地に落ちる。


「……か、川上先生……けいちゃん……みんなは……? ボスさんや峻くんの仕事仲間は……」


「キヒヒ、そうだよそう、お前等は最後だし。最初の人間がアダムとイヴなら最後の人間はお前等二人のこと。等々終わりになるね、この世界も……」


「ふふっ、もう終わりですわね。また新しい場所へ」


「ふん、ようやく終わったか」


 今まで姿を消していたらしいニメートル程の大男が現れていた。


「リーゼスもう良いの?」


「うむ、パルテスは始末した。騙し討ちだったがな」


「キヒヒヒヒ、パルテスさえ居なければもう自由だし」


 無い、全て無い。私達が暮らした町が無い。大切な人達もいない。


「何なんだよお前等は、何をしやがったんだ!」


 吼えるように峻くんが奴らを睨み付ける。


「ワタシ達は数多の『横』を渡り歩きながら世界を破壊して来た。ただ一つの感情を満たすために」


「それは快楽ですわ。破壊による快感を満たすために……レイス様は純粋な悪魔なのです、ふふっ、わたくし達紛い物とは違ってね」


「……遊んでないでさっさと済ませたらどうだ?」


「何だよリーゼス、今からが面白いんじゃんか、キヒヒヒヒ、仕方ないよねぇ、さて今回の世界で何人の子供が死んだのかなぁ」


 一瞬、息が詰まり掛けた。男から放たれた殺気が私達まで震えさせた。


「ロゼリア、貴様……」


「なぁに? 怒っちゃったぁ? キヒヒヒヒ、リーゼスとワタシは違うからね根本が。ワタシの意思、思想の全てがレイスと同等……ワタシは純粋な悪魔に一番近い存在だし!」


「お止めなさい。リーゼス、貴方の気持ちは分かりますわ、でも逆らうことは出来ない」


「キヒヒヒヒ、メイディアだってリーゼスに近いよねぇ?」


「わたくしは大人ですのよ? それくらいでは己を乱しませんわ」


 どうしてこうなってしまったの? 私が何か悪いことをしたとでも言うの?

 何もない、何も……。


「無駄話はもう良い、事を済ませたらどうだ」


「はいはい、苛立ちをワタシにぶつけたってしょうがないじゃないかよリーゼス~。じゃ、ちゃちゃっと始めるかな、メイディアはそっちを頼むね」


 驚愕たる事実に茫然自失だった為に反応が鈍く、近付く存在に気が付かなかった。背の高い女が素早く私の腕を背に回し動きを封じられ、地に押し付ける。


「あっ!」


「ふふっ、いい娘ですから暴れないで下さります? 綺麗な肌、羨ましいですわね」


「や、やだ、離して!」


「ミナコ! てめぇ、ミナコに触るんじゃねぇ!」


「うるさいなぁ、あんまり騒ぐと殺しちゃうよ? リーゼスそいつを押さえておいてよ、ワタシはコワレカケを連れてくるから」


 別世界の私、それがコワレカケの正体、目の前に連れて来て何をする気なの?


「これは毎回ワタシの楽しみだし、キヒヒヒヒ、ねえ皆川真、自分と同じ姿の自分がいたぶられる姿はどうだったぁ? まるで自分がされているような感じがしなかったぁ? キヒヒヒヒ、例えばさ、こんな感じ……」


 赤が飛び散る。


「ヒギィイイイイ!」


 コワレカケの悲鳴、そして目の前にそれが落ちていた。


「痛みで少しは正常に戻るかもよ、キヒヒヒヒ、ほらほら、滅多に見られないものだよ~」


 眼下に捉えたそれは視界そのもの。その名は眼球、コワレカケの左目がえぐり取られた。


「きゃああああああ!」


「まあまあの悲鳴、でもまだ足りないなぁ、もっとショックを受けて欲しいんだよ。キヒヒヒヒ、コワレカケはもう役立たず、だからおもちゃなんだし。キヒヒヒヒ、ほら次行くよ、次は××を引きずり出すよ? 次は×××、そして×をすりつぶし、××をカラッポにしてギリギリ生かした状態で××××にするし、キヒヒヒヒ!」


「イタイ……イタイヨ……」


 コワレカケが嘆きの声を漏らして苦しみを訴えている。


「ナンデ……コンナコトヲスルノ? ワタシハタダ、シアワセニ……クラシテイタイダケ……ナノニ……」


「正常になったねコワレカケ。幸せに暮らしていたいだけ? お前さ、それがどれだけ高望みか理解してんの? 幸せって何? コワレカケ、お前の幸せってなに? まさかお父さんとお母さんと弟がいるだけでいい、それに友達や最愛の人が側にいれば言うこと無し? ああ苛つく。お前……いや、人間何か幸せになることが許せない、自分が幸せなら他はどうでも良いの? 幸せに暮らすって難しいって気が付いてる? キヒヒ、高望みじゃんか。他人を考えてない望み、そして普通を維持する難しさを知らないガキめ。

 だから余計に腹が立つんだよねワタシ、ぬくぬくと育った奴の台詞だしそれ。みんながみんなお前みたいな訳ないだろうが! もしお前みたいな奴ばかりだったらパパは……パパは…………ああもうイライラするし!」


 そしてもう片方の光を奪う、悲鳴と共に。


「ギャアアアアアアアア!」


「キヒヒヒヒ、痛い? 痛い? キヒヒヒヒ……」


「や、止めて! その人を苦しめないで!」


 あまりの悲惨さに声を上げずには言われなかった、だって自分と同じ顔、姿の女性が苦しめられている。

 人事には思えなかった。


「ありゃ? 怖がるどころか噛み付いて来ちゃったね……案外この皆川真は精神が強いらしい。だったらこれ以上痛めつけるよりも……キヒヒヒヒ、レイス様、お待たせしました、どうぞ」


 佇んでいた“黒”がゆっくりとコワレカケに近付いて行く。


「タスケテ……ママ、パパ、シン……タスケテ……タスケ……」


 消えた。

 眼前からそれが消え去った。


「あ、ああ……嫌ああああああああ!」


 “黒”に大きな口が現れて、助けを求めていたコワレカケに噛み付いた。

 無い、無い、無い、首が……無い。

 食べた、“黒”がコワレカケの頭を食べて、そして……。

 笑う。

 笑って噛み砕く。

 わざわざ口を開けながら噛み砕き、すり潰し、肉塊へと変えて行く。お腹の中身を地面にぶちまけて嘔吐した、あまりの残忍さにどうにかなりそうで怖い。

 ふと、鋭き衝撃が心に抉り込んで何かを揺さぶる。刺激されたそれは大気を震わせ、常識をいとも簡単に食い破り生誕し始めた。


「よしよし、やっぱり力を持ってたね、今次元の壁が震えた。しかもコワレカケよりも性能は良いらしい。キヒ、これなら次の段階で覚醒するし。キヒヒヒヒ、またおもちゃが出来るわけだね」


「確かに素晴らしいですわね……しかしわたくし思うのですけど、これほどの力を持っているのに使い捨てにするのは勿体無く感じますわ」


「……まあ言われてみれば確かにね。毎回毎回探し出すのも大変だし……レイス様に相談してみるかな」


 ロゼリアは“黒”と何かを話している、会話を終えると“黒”はこちらを睨むかの如き眼差しを突き刺して来た。

 コワレカケが食べられた、なら私も食べるつもり?

 嫌だ、死にたくない、死にたくないよ!

 逃げ出そうとしても押さえつけられていて身動きが取れない、その間にも“黒”が近付いて……。


「や、止めろ化け物! ミナコに手を出すな!」


 リーゼスと呼ばれる大男に押さえつけられていた峻くんが吼えた。


「キヒヒ、強気な男だよね。レイス様に叫ぶなんて……でも残念、お前はしてはならないことをした」


「全くですわ。貴方気が付いてませんの?」


「何を言って…………え?」


 それは蛇を連想させる、長々と這い、蠢いてそこに。

 それは針を連想させる、長々と這い、蠢いてそこへ。


「……う、うそ……だろ?」


 一本の黒い触手が峻くんのお腹を貫いていた。


「レイス様の楽しみの邪魔は死を意味する、ま、手間が省けたよ、どうせお前はそうなる予定だったんだから、皆川真が目覚める為に……キヒ、さようなら人間」


 我が目を疑った、だって峻くんが、峻くんが……。


「キヒヒヒヒ、よぉーーく見てるんだよ皆川真、お前の大好きな大好きな人間の末路をさ」


「や、止めて……峻くんに酷いことしないで……止めて!」


「ミ、ミナコ……生き……」


 瞬時、数百もの針が内より湧き出し生えた。黒い針、全身のあらゆる場所から生えた針は彼から人の形を失わせる。バラバラに弾けて、霧散して、血潮を撒き散らし、そして……。


「嫌ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!」


 私の心を打ち砕く。


「キヒヒヒヒ、ああ堪らなぁい、その顔その声……人間の悲鳴って本当に良いよ、これこそ鎮魂曲だし!」


「確定ですわね、この皆川真には多元を行き来する力がありますわ。ほら、彼女の周りが歪んで今にも次元の壁を砕きそう」


「……ならば『横』で彼女は次元を開ける力を持つ役割なのだろうな」


「キヒヒヒヒ、さあレイス様、どうぞ召し上がれ」


 “黒”が近付いて来る、無数の触手らしきものを体中から生やして私に絡め、食す。

 体に触れた“黒”の部分から激痛が。

 心も体もボロボロで、何もかもがどうでも良かった。

 彼が居ない世界に幸せなんか無い。

 全身に纏わり付く“黒”が私を覆い尽くす瞬間、悲鳴を忘れた。


 体が無くなる。


 精神が磨耗する。


 魂が捕らわれる。


 そして私は死んだ。








 

 触れ、根を這わせ、束縛する。

 もがき、逃げ回り、ここで泣く。

 叫び、嘆き、吠えた。

 嘔吐に似た苦痛が目まぐるしく彷徨い、皮膚を剥がされたかの如く寒い。内臓を引きずり出されたような激痛、ヘドロに擬態したのかいつまでも離れない。


 ここは何処だ?


 何もない、ただの空間。黒一色で光は皆無。全身に何かが噛み付いていると誤認してしまう怖気、それから逃れる術は無いらしい。


 これが死?


 虚無の放浪者にして生の対極。


 何も見えない。


 体さえあるのか分からないまま。もしかしたら眼球を抉り出されたのか。

 腕が上がらない。もしかしたらもぎ取られたのか。

 足が地を感じない。もしかしたらへし折られたのか。

 ただ在るのは一つ。

 この痛みだけ。


 気持ち悪い。


 何かが入ってくる、穴という穴に侵入して体に巣くう。体内で蠢き、全てを黒へ染めてゆく。それらは魂まで絡め取る。


 気持ち悪い。


 誰か助けて。そう叫ぼうが声を奪われた人形。もがこうが嘆こうが体は静止して眠るだけ。気の遠くなる時間を遊泳し苦痛に耐えていたその時だった、見えぬ筈の眼で何かを見た。

 窓か扉か、何かが目の前にある、虚無なる世界で見つけた希望、それに手を伸ばそうとした。意外にも手が動いたのだ。

 それを掴みたくて、それに恋い焦がれて、手をそこへ。

 ああ、安らぎがそこに。


 しかし、至った果てに得たのは後悔だった。そこにあったのは穴、何処までも何処までも深淵へと誘う領域。


 落ちて行く、更なる闇へ。


 光は無い。


 光は彼方。


 光の忘却。


 私は堕ちた。









 夢か現実か、その境界線を理解するのは難しいだろう。

 数秒か、それとも数年か、穴に堕ちて続けた時間は。感覚の麻痺は次第に晴れて行き、気が付けば冷静に先程の体験を考えている自分に気が付く。

 痛みはない、気分も悪くはない。

 夢だったのだろうか?

 瞼が重い、随分と眠っていたらしい。やっぱりあれは夢なんだと認識しだすと凄く楽に感じて安堵する。世界が無くなってる、悪魔と名乗る奴らに出会し、峻くんがバラバラに弾けた。

 そんな馬鹿なことがあるものか、非現実過ぎるじゃないか。

 今までのは夢、そう夢なんだ……。


「……た……だね」


 声が聞こえる。


「おいミナコ、目を覚ませよ」


 峻くんの声だ、目を覚まさなきゃ。


「峻くん……」


 安らぎを感じさせてくれる彼の声が今の光、私は不幸ではないと証明してくれるみたいだ。瞼を開くと先ず太陽が視界に生え、次に自由漂う雲、そして蒼天なる空。

 変わらない日常を示す。

 だが、悪意とは陰謀と隠蔽を得意としている。


「よく寝ていたなミナコ、お前疲れてんじゃないのか? 眠いならまだ寝ていても良いぞ? ん? どうしたんだよそんな顔してさ、俺の顔に何か付いてんのか? あ、そうか寝起きで寝ぼけるんだろうお前、大食らいバカ女……ってありゃ? いつもみたいに怒れよ、調子が狂うだろう?」


 見開く。


「気分悪いのか……? 顔色が悪いぞお前、病院に行くか?」


 疑問、理解不能。


「ミナコ? おーーいミナコ、返事しろよ……そんなにショックなのかよ」


 どうして?


「まあ分かる気もするけどな……でも一瞬だけど安堵しただろ? 覚えておけよミナコ、一度安堵してからの衝撃って奴が一番きついらしいんだぜ? 良い勉強になったな、まあ想像した通りだったけど」


 そして『彼』が笑う。


「“キヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒ!”」


「……何で……あんたが……」


「佐波峻の声で囀るのか、でしょ?」


 彼の姿は無い、そこにいる『彼』は佐波峻出はない。

 悪魔と自称する少女ロゼリアが笑う、いやらしく。


「キヒヒヒヒ! どうだったぁ? お前の大切な男の声、安らいだぁ?」


「何で……峻くんは何処? 峻くん!」


 体が重いと感じるがそんなものはどうでも良かった、最愛の人を探す。それが動力となる。立ち上がり見回すが彼がいない。

 何処にいるの?


「峻くん! 何処にいるの!? 峻くん!」


「ふふっ、可愛いですわ。一途な彼女に欲情してしまいそう……」


「……哀れな」


「リーゼス、哀れって思うなら何とかしてあげればぁ? キヒヒヒヒ! 良いね良いね、現実逃避みたいだね……おいミナコ、忘れたの?」


「ミナコって呼ばないで! そう呼んで良いのは峻くんだけ!」


「キヒヒ、ラブラブだったみたいだねぇ。可哀想に可哀想に、でも現実から目を逸らして夢の中にいる居心地は良いだろうね……キヒヒヒヒ、でもワタシ的には面白くないから目を覚まさせてやるかな……ねえ皆川真、これ、何か分かる?」


 何を言っているの? 


「ほら、少し崩れてるけど形は綺麗でしょ? これで現実に戻ってこれるかな」


 意味が分からない。

 ロゼリアが持つそれが何なのか理解出来なくて眺めた、情報を粗食、噛み砕き、取り出す。解明出来る頃、私は現実に目覚めた。

 嘗てのあなたの面影を残した塊。

 大好きなあの人の……。


「……あ、あれは……夢じゃ無いの……? 嘘だよ嘘……私は信じない……」


「信じないならこれは何に見えるの? お前の大好きな佐波峻の頭じゃないの?」


 頭? あれが頭? 作り物じゃなくて?


 峻くんの……頭?


「キヒヒヒヒ、良いねその顔。せっかく生まれ変わったのにそれだけは変わらない、ま、それが嬉しいけど」


 生まれ変わった?


「ほらワタシの手鏡貸してやるよ、今自分がどうなっているのか見てみなよ」


 投げ渡された手鏡を落としてしまい割れ散らばる、そこを覗くと黒髪の女がこちらを見詰めていた。


 誰こいつ。


 ホントウニシラナイ?


 知らない。


 ホントウニシラナイ?


 知らないったら知らない!


 ホントウニシラナイ?


「……え?」


 これ、私?


 鏡に写っている奴と視線がぶつかる、知らないはずだったのに目を逸らしてただけ。栗色だった髪が黒く染まっていた、何これ?


「ふふっ、おめでとう皆川真、貴女は今日からわたくし達のお仲間ですわ」


「キヒヒ、これで探さなくてもいいねこれからさ」


「……仲間って何を言ってるのよ」


「まだ分からない?」


 混乱の中ふとある違和感を覚えていた、顔形は確かに私なのに何故か自分じゃないような感覚が蔓延し、それが視界に入った。綺麗な手の平を眺めた、傷一つもなく、何もない只の手。

 それがおかしい。

 小さい頃誤ってカッターナイフで手の平に深い傷付けてしまい後が残っていたはずなのに、それが見当たらない。初めから無かったかのように綺麗な手、まるで新品みたい。


「皆川真、お前の肉体は一度レイス様に喰われたんだよ、そして魂だけになり本当ならそのままあの世に行くんだけど、レイス様は異質なる魔力を使い、新たな肉体を作り上げた。それが今のお前の器。お前は悪魔になったんだ」


「悪魔……? 何を言って……」


「証拠を見せようか?」


 ロゼリアが散らばった鏡をおもむろに拾い上げ、私目掛けて投げつけた。

 左腕に掠り、切り口を付けた。


「……え?」


 傷口から黒い血が出ていた。


「血が黒い……そんな……」


「ワタシもメイディアもリーゼスも、元々人間だったんだ。レイス様は『横』を渡り歩き、世界を破壊して来た。その途中でワタシ達と出会い、悪魔の体を与えた。レイス様は純粋なる悪魔、嘗てとある世界で世界そのものを喰らった。レイス様の快楽は只一つ、それは破壊。形在る物の破壊を好む。破壊とは物を壊すだけではない、人間の感情の破壊もまた同義。例えば今のお前がそれだよ、最愛の男を失った。幸せの崩壊、つまり破壊だよ。

 キヒヒ、世界だけじゃなく人間の感情や理性、思考、意思、決意、あらゆるものを破壊する。それだけがレイス様の全て。メイディアやリーゼスがどう思っているかは知らないけどワタシはそれに同意して従っている。

 ワタシの復讐とレイス様の快楽は類似する。キヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒ、悪魔となって苦痛に感じているリーゼスだけどワタシは嬉しい! さぁて、お前はどっちだろうね、絶望するのか歓喜するのか」


 悪魔?


 私が悪魔?


「早くその体の使い方になれるんだね、そうじゃないと役立たずで魂ごと食べられちゃうし、キヒヒヒヒ」


 歪む、ぐにゃりぐにゃりと。


「ふふっ、貴女のような可愛い子なら大歓迎ですわ」


 幸せは何処へ逃げた?


「……そうなっては受け入れるしか無い、抗うなぞ無駄だ」


 奪ったのは誰だ?

 誰だ?

 決まっている、あの“黒”が全ての元凶、溢れ出すのは怒り。


「キヒヒ、ほぉら最愛の男の頭部だよ」


 投げ渡された『彼』を受け取ると悲しみが沸き上がり頬を濡らす。

 もう彼はいない、奪われた。

 悲しみを飲み込み怒りが居座り、新たな動力へ。

 幸せのに恋い焦がれ、努力して掴み取った。幸せこそ生きる源だったのに。

 許さない。


「許さない、殺してやる、殺してやる!」


 憤怒を糧に気持ちを爆ぜさせ、慣れぬ体を突き動かし元凶へ。この手で殺してやる、何もかもを奪って嘲笑う奴が許せない。

 一度私は死んだらしい、悪魔の体を与えて利用するつもりだろうけどそうはいかない、後悔させてやる。


「あ、言い忘れてたけど生まれ変わったばかりの体はまだ母体に繋がった赤子に等しい。その呪縛から解放されるのはまだ先の話だし」


 要領得ない説明は聞くに値しない。だけど、それは私の意見だ。操り人形を連想させる、体中に糸を付けられて人形師の意志で動かされる道化。

 それが今の私、逃れられる術はない。

 体が動かない。


「今はまだお前の体はレイス様の一部、どんなに拒絶しようが意味はない。キヒヒ、憎むべき相手と同類、いや、レイス様そのものさ」


 世界を滅ぼし大切な人を殺しそして私の自由すら刈り取ると言うのか。ただ己が欲望を満たす為だけに壊す。

 それに私の髪はお母さん譲りの栗色だったのに、それだけが家族との繋がりだったのに、黒髪に染められた。

 微かな繋がりすら壊してしまうの?

 “黒”は楽しげに笑う。

 赤子を彷彿させる。

 ただ楽しい。それだけの感情で破壊を尽くす純粋な悪意の権化。私もコワレカケのような末路を辿るのだろうか。

 そうなる前に必ず殺してやる、今は従うしかないけど。

 それでも必ず殺してやる、もう何もない。

 私には何もない。

 只一つ生まれた感情は復讐のみ。

 いつか必ず殺す。


「キヒヒヒヒヒヒヒヒヒ! よぉく見ときなよ新入り! 世界が終わる瞬間をさ!」


 レイスが世界を喰らう。

 そして次の世界へ。

 以後、数百年それを繰り返す。


 




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