帰って来た男
彼の笑顔が好きだった。
彼の隣りが居場所だった。
彼の腕の中は私だけの世界だった。
いつか彼と一緒の道を歩くのだ、永久を信じて左の薬指を意識する。きっと子供が出来たならもっと幸せが溢れて溺れてしまうだろう。
でも良いじゃないか、幸せに囲まれているなら溺れても良いじゃないか。
そんな話しを彼にしたら笑われたっけ、どうせ幸せが溢れているなら溺れないで泳ごうと。
幸せを渡り、更なる幸せを掴もうと言ってくれたのだ。
ウエディングドレスなんて初めてで、歩きにくくて……でもこれを着れた嬉しさが吹き飛ばす。
これから二人で寄り添い合うのだから早く行かないと。
――どうして。
悪魔はそれを奪うの?
記憶とは嫌なものだ、あの出来事を思い起こすのだから。嫌な記憶程強く焼き付いて悩ませる。
またあれを夢で見るなんて。
「おねえたんおきた!」
「オバチャン!」
不意を打つ声が聴覚を撫でた、眼球に映るのは幼い双子。
ネリスちゃんとエティオくんか、心配そうに覗き込む姿を捉えた。
「……ああ、そっか、気絶してたのか。あれからどれだけ経ったかな?」
「にゅ……3じかんくらいねてたよ?」
「そう。ありがとう」
ゆっくりと上体を起こすとやはり痛みが生まれるが、さっきよりは楽になった。少し怠さを感じるけど何とか歩けそう、でも何処へ向かえばいいと言うのか。
ヘルズゲートは壊された、リーゼスを倒したがそんな事をしたって何にもならない。失ったものは元に戻る訳が無いのだから。
「……これからどうしようか?」
「にゅにゅ、う~ん、えっと、わかんないよ~。エティオ、どうしよう?」
「わからないよ。ぼくはべつのばしょにゲートをつなげてでてきたけど、ここがなくなったらそのばしょもきえちゃう」
万事休す、か。もう手が無い、佐波くんが居ない世界でただ指を銜えているしかないなんて。
どうすれば良いんだこれから。
「おねえたん、どうすればいいかわかんないけど、おねえたんはキズをなおすのがさきだよ!」
「うんうん、オバチャ……あ、マギサはキズなおさなきゃ!」
「……そうよね、怪我人のままじゃ何も出来無いもんね」
今は安静にするしかない、もしかしたら打開する何らかの方法を思い付くかもしれない。
ここは目茶苦茶だから寒くて仕方ない、移動しよう。
「ここにいても何にもならないわ、移動しましょうか」
「オバチャンどこへいくの?」
「オバチャンじゃない! ……そうね、またホテルに泊まろうかしら」
あのラブホに行く? こんな子供を連れて? そんな事したら犯罪者になりかねない。私にはそんな趣味は無い。ま、ホテルなんてそこら辺に一杯あるから何とかなるだろう。
「にゅにゅにゅ、ねぇおねえたん、いまきがついたんだけど……」
「どうしたのネリスちゃん?」
「めちゃめちゃになったこのおへやをみたら、おにいたんにおこられるんじゃない?」
一瞬思考が活動を休止し、部屋を観察する。
簡潔に結果を述べよう、原形をとどめていない。炎に焼かれたりして真っ黒、鉄骨が向きだし、穴だらけ。
「や、やり過ぎたみたい」
見なかった事にしよう。そそくさとかつて部屋だった場所を後にした。建物の外へ出ると不思議な光景を目の当たりにした、あれだけ暴れ穴だらとなったのにマンションは無傷のままだった。
どうやらこのマンションに展開する結界が内部を遮断し、外見を綺麗に映しているのだろう。やはり普通の場所じゃなかった、佐波くんはこんなところに住んでいたのか。
「……にゅ~、おにいたんにあえないのかな?」
「おかあさまにもあえないのかな?」
「大丈夫! きっと会えるわよ!」
自分に言い聞かせる様にまた会えると言葉を述べ、萎えた精神を奮い立たせる。
ここで諦めて堪るか、私はレイスを殺す目的を捨てられない。そして佐波くんを助け出す。
「きっとあなた達のママにも会えるわよ、諦めたらそこで全部終わるわ」
「にゅ、そうだよね、あきらめちゃダメだよね!」
「あきらめちゃダメ、うん、わかったよオバチャン!」
「だからオバチャンじゃないの!」
どうすれば良いのかは分からない、だが何らかの方法がきっとある筈。
それにはまずキズを癒さなくては。
体を休める場所を求め彷徨った、その間ネリスちゃんとエティオくんからヘルヴェルトの話を聞いた。滅多に会えない母を求めて人間界に来た話しを。
「ちょっとすいません」
不意に第三者が後方より声を掛けて来た、振り替えるとそこには男が笑顔で歩み寄る姿を捉える。
黒色をした短髪、顔は多分二十代後半から三十代前半くらいだろうか。印象は優男と言ったところか、グレーのコートを纏い、旅行鞄を持った男。
深夜、寝静まった無音と思わせる世界で何故かその男が異端な存在に思え、警戒させるのだった。ただの住宅街を横切る道が異なる世界に変貌した様な感覚を味わう。
誰だこの男は?
「……私達に何か用?」
「嫌々、僕は怪しい者では無いよ……と言ってもダメか、充分に怪しさを漂わせてしまっているか」
「私、貴方とお喋りしたいとは思って無いわ、用が無いなら行くわよ?」
笑顔を絶やさない男だがうさん臭さが漂っていた。関わり合いにならない方が良いだろう。
「あ~待って待って! 聞きたい事があるんだ!」
「一体何なのよあんたは、私達は忙し……」
「君達、人間じゃ無いでしょ?」
本の一瞬だったが、男の眼光が鋭くこちらを睨む。
しかし直ぐにまた笑顔へと変貌を遂げた。
「……貴方頭は大丈夫?」
「はぐらかさなくても良いんだよ、人間とは別の気配を感じるよ……多分、お姉さんは分からないが、そこの子供達は……『縦』の者じゃないかな?」
「にゅ!」
「ほぇ!」
馬鹿な、私達の正体に気が付いているなんて。こいつは何者だ? あの眼光はただ者では無い事を物語っていた。はぐらかし続けるか? 嫌、こいつには何を隠しても無意味だろう。
ならば正体を突き止めてやる。
「貴方は誰?」
「ああ申し訳ない、自己紹介がまだだったね。僕は『横』を管理する……“パルテス”だ」
「なっ! パルテス!」
「なる程、パルテスを知っているんだね? それなら話しが早い」
まさかこいつがパルテスだと! そんな、やばいこのままじゃ私は囚われる。
逃げないと、私じゃこいつにかなわない。そうしなければ私の目的が果たせない。動揺が思考を乱雑にし、狂わせてゆく。癒えていないこの体で逃げるだと、無理に決まっている。それにこの子達が居るじゃないか。
ならば戦う?
何を血迷った事を考えているんだ、相手はパルテス、敵うものか。
「……私をどうする気? 今直ぐに“囚える”つもり? 悪いけど私はまだ囚われる訳には行かないのよ! 私は、私は!」
「よくわかんないけど、おねえたんのジャマはダメーー! わたちおかあさまとおにいたんにあうまで、あきらめないもん!」
「ぼくもそうなんだよ! オバチャンにへんなことしたらおこるぞ! いっぱいいーーっぱいおこるかんね!」
決意の表れを言葉に含ませ風に乗せた。そんな中パルテスと名乗った男は頭の裏を掻きながら難しい顔をしていた。
「やれやれ、これは参ったな。僕達の評判てそんなに悪かったのか……落ち着いてくれないかな? 僕は別に強制的に“囚える”つもりは無いんだよ?」
「……え?」
「つまり訳を訊かないで無理矢理囚えるのは理不尽だって事だよ。君達がどうして“此所”にいるのか分からないが、話しを聞こう。それから対処しても何の問題も無いんだよ。それがパルテスの仕事だからね……丁度近所に僕の家がある、怪我をしているみたいだし、家で傷を癒したらどうだい? 話しはそれから聞くよ」
拍子抜けとはこの事なのだろうか? 男の笑みに醜悪さを感じない。それに騙すメリットがない、現時点で強制的に囚える事が出来るのだから騙す利点が見当たらない。
とりあえず信用しても良いのだろうか?
手傷を負った私と子供相手に今さら何をすると言うのだ? それに今の私では何も出来ない。
それに何の打開策もないのが現状、ならば。
「……良いわ、貴方の家に厄介になろうじゃない。但し、変な事したらただじゃおかないから」
「では決まりだね、なら僕に付いて来て」
男を先頭に無言で歩いた、やはり不安なのは当たり前だ。どうなってしまうのだろうか、助けに行けるのか佐波くんを。
そしてレイスを……。
「ああここだよ僕の家は。嫌々久し振りだ」
指差する場所に視線をやると、信じられない場所を示す。何故ここに来るのだ。もしかしてこいつは、嫌、この人はまさか。
「遠慮する事は無いよ、悪い様にはしないから」
そこへ男は入って行く。
「ただいま!」
住宅に男の声が反響しながら奥へと消えて行く。すると現れた人物がいた。可愛らしい犬のキャラクターが描かれたパジャマを纏った女性、ショートの髪で美しい人。
「あらあら! お帰りなさい空人さん! 遅かったですね」
「ちょっと手違いがあってね、新幹線乗り遅れちゃったんだ」
「あらあら、それは大変でしたね……あら? そちらの方は?」
女性は私に気が付き不思議そうに覗き込む。
その数秒後、驚きの声を上げた子がいた。
「にゅにゅ!」
「あらあら? 確か……ネリスちゃんだったわね? どうして空人さんと一緒にいるのかしら?」
「あれ? 真美はこの子を知ってるのかい?」
私の予感が確かならば、この人は……。
「貴方の名前は何て言うの?」
「ああそうか、名前を言ってなかったね。僕の名は皆川空人だ」
間違いない、この人は皆川真の父親だ。
まさかこの男が皆川真の父親だったとは誰が思うだろうか。
この家も、この女性、皆川真美もこの男が父親だと証言している様なものだ。
「……貴方が皆川真の父親」
「え? 真を知っているのかい?」
「あらあら、何だか良く分からないけど上がったらどうです? 玄関で話すより中の方が温かいですよ?」
それはそうだ。こんな寒いところで話すよりは中が良いだろう。
ネリスちゃんやエティオくんはどうやら疲れが堪っているらしい、眠そうな顔をしている。
「……ん?」
何だろうか、今妙な違和感を感じたのだが気の所為だろうか? はて、一体何が気に入らないのだ私は。
「そうだわ、みんなお腹空いて無いかしら? 丁度カレーライスがありますよ」
「にゅ、そういえばおなかへった」
「ぼくも……」
「真美の手料理は久し振りだよ、楽しみだな」
「直ぐに用意しますね」
違和感が消えぬまま皆川真の父親を交えて遅い晩餐と相成った。
皆川真の母親が作ったカレーライスは絶品だった、文句無しに旨い。
「お味はどうですか?」
「おいちいよ!」
「うん、うまいうまい!」
子供達も大絶賛だったらしい、次々と口の周りをカレーだらけにしながら舌鼓を打つ。
不意に母親と視線が絡んだ。
「お口に合いましたか?」
「え、ええ、凄く美味しいわ」
「それは良かった、まだまだ沢山ありますから遠慮しないで下さいね」
「ありがとうございます……」
優しそうな母親だ、それが第一印象だった。
笑顔が似合う人だな。
「そうだ真美、子供達はどうしている? あ、もう夜遅いから寝てるか」
「子供、達……ですか?」
「ん? 歯切れが悪いな、どうかしたのか?」
「いえ、その……空人さんが子供“達”って言ったのが引っ掛かって。“一人しか子供が居ない”のですから“達”はおかしいですよ」
「……一人しか子供が居ない?」
カチリと妙な違和感のピースが埋まった。そうだ何故今まで気が付かなかったのだろうか、あの性悪娘に記憶を操作されているのだ。それなのにこの男は知っていた、皆川真が自分の娘だと言う事を。
待て待て、今日一日本当に色々あり過ぎて自分の頭が付いて行ってない。こいつは自分をパルテスと名乗ったじゃないか、ならば記憶操作が利かない可能性だって考えられる。
「真美、真と心、どっちを忘れている?」
「え? まこ……と?」
「……どうやら僕が居ない間に何かあったらしい」
皆川空人は先程まで笑顔を振り撒いていたが一呼吸の間に真剣な表情を呼び出す。
そのまま立ち上がり、皆川真美の瞳を覗き込んだ。
「真美、僕から目を離さないでくれ」
「え? えっと……はい」
「ゆっくりと深呼吸をしてごらん?」
瞬時、この空間が妙な違和感に埋め付くされた。
嫌な感じではない、むしろ温かい。
「真美、君には子供がいる、名前を言えるかな?」
「私の子供は……心です。皆川心です」
「良く思い出して? もう一人いた筈だよ?」
「もう……一人? もう一人……もう一人……あ、れ? 私何か忘れている様な……あれ? 私……私には……む、娘が……娘……」
記憶を遮っていた見えざる力が決壊を果たす。
「あ、ああ! ま、まこ……と、まことさん……! わ、私はどうして忘れて……ああっ!」
「もう無理に思い出さなくて良いよ。大丈夫、僕が何とかするから、だからお休み……」
指を鳴らした瞬間、皆川真美は瞼を閉じ、まどろみへと包まれた。力が抜け、眠りについた皆川真美は皆川空人に抱かれ倒れずに済む。
そのまま家の奥にお姫様抱っこをしながら連れて行き、しばらくして戻って来た。
「後で心も元に戻してやらないとな」
「今何をしたの?」
「記憶に何らかの細工が施されていた、それを元に戻しただけだよ……それよりこの細工は真に関わる全ての人に効果があるらしい。ならば、君は何故真を知っていたんだい?」
こうなったら全てを話すしかないだろう。今は何をして良いのか分からないのだ。
ならば唯一の希望に全てを託すのみ。
「……良いわ、話す。そして出来れば……力を貸して」
「内容しだいかな、僕も真がどうなっているのか心配だからね……」
今までの事を話して聞かせる。新たな道が開けると信じて。
丁寧に話したつもりだ、レイス達はとある目的を成す為に皆川真の力を欲し拉致、パルテスに見つかるのを恐れ皆川真に関わる人全てに記憶の改竄を行った。
しかし佐波峻と言うイレギュラーが生まれた為、排除を実施するが私がそれを阻止した、皆川真を救出すべく向かった場所で彼女の力が暴走し、二人がヘルヴェルトへ。
ネリスちゃんとエティオくんは自分の母親に会いたい一心でヘルズゲートを抜け、人間界へとやって来た事を伝える。
こうやって話を整理するとごちゃごちゃだったものがスッキリする。
「……そうか、真の力を狙って来たのか」
「娘さんが力を持っていた事を知っていたんですね?」
「ああ……何故ならパルテスである僕が父親だから、だから真は異界への門を開ける様になったんだ……『横』ではなく『縦』なのは驚いたけどね」
これで一つ謎が解けた、それは何故平凡な少女に異界への門を開く力があったのかと言う事だ。
父親が“パルテス”なら遺伝の関係で発現したのだろう。
「パルテスの貴方がどうして家族を作ったの? それは禁じられているんじゃない?」
「……そうだ、僕は禁忌を一つ犯してしまった。罪だと知っていた、だけど……彼女を、真美を愛していた、どうしようも無い程に…………その、罰だったのかもしれない、真が力を持って生まれて来たのが。心にそれが無かったのが幸いだったと思うしかない。真の力は僕の罪の証だ、だからどんな敵から守ろうと必死だった……だが、真は…………とっ、済まない、つい話に力が入ってしまった、どうやら行くしかない様だヘルヴェルトと言う場所に」
つまり私達に協力してくれると解釈して良いのだろうか。
もしそうならこの男はパルテスだ、向こうへの行き方を知っている可能性が出て来た。そうならばまだ希望を棄てずに済む。
「私達に協力してくれる? 皆川真と佐波峻を助けに行きたいの……」
「佐波峻か、真の幼馴染みだったね。そして大切な人になった。彼も助け出したいが……一つ気になる、マギサと言ったね、どうして仲間を裏切ってまで彼を助けようとする? 僕にはそれだけが理解出来ない。良ければ話してくれないかな?」
やはり誰でも疑問を持つだろうな、私が何故佐波くんに固執しているのか。
この人になら話せる、パルテスであるし、それに……。
「分かりました、お話します。きっと貴方だったら理解出来る話だから……」
丁度良くお子様二人は夢の中だ、支障は無い。
心地良さげに眠る双子を一瞥した後、私に関する全てを話して聞かせた。
彼が『横』を管理しているならきっと分かってくれると信じている。
はて、話を始めてどれ程時間が経過したか。
もう真夜中に差し掛かっているのを時計が知らせて鳴く。
「……これが私の全てです」
「そう、だったのか……君は……」
サングラスを外して見せる、話した事が全て真実だと証明する為に。
どうしてこの人がパルテスだったのだろう、まさかこの話を聞かせるとは。
「そうか、そうだったのか……だから君は佐波峻を…………分かった、力になろう。こんな僕で良ければ力になるよ」
「ありがとう」
月夜が綺麗な夜に私は全てを晒け出した。
必ず君を助けに行く、私は…………だから。




