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フロスブルグの薬売り  作者: 李音
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    少女と錬金術師2

 丘の上の黒い館は二階建てで古木材が剥きだしになっていて、何やら不気味な雰囲気を漂わせていた。シェルリはその館の扉の前でしばらく迷っていたが、勇気を出して扉を叩いた。しかし、反応がまったくなかった。シェルリが扉を押してみると、それはいとも簡単に奥に向かって開いた。

「あの、すみません、誰かいませんか」

 シェルリの遠慮がちな声では、屋敷の奥までは届かなかった。シェルリは悪いと思いつつ、屋敷の中に入って扉を閉めた。

「そうじゃ、これじゃ、これに違いない!」

 屋敷の奥の方で声が聞こえた。シェルリが声のした方に行ってみると、一階の奥の部屋に様々な機器が設置された研究室のようなところがあり、そこで白髪に黒衣老人が騒いでいた。

「長きに渡る研究の成果が、ついに実を結ぶ時がきたのじゃ! ついに賢者の石が完成するぞい!」

 その時、老人は研究所の入り口でまごついているシェルリを見つけた。

「おお、お嬢さん、ちょうど良い所に来たのう。世紀の瞬間じゃ、こっちへ来て良く見るのじゃ」

 老人はシェルリを怪しむどころか、歓待して招き入れた。

「これからこの中で賢者の石が出来上がるのじゃ」

 シェルリは不可解な顔で金属の器の中にあるものを見た。そこには金とダイヤモンドが入っていた。

「この世にある究極の物質の融合こそが、賢者の石を生み出す秘密じゃったのだ。この二つの物質に熱を加えて融合させ、賢者の石の基礎を作り、さらにあらゆる物質を融合させて賢者の石が誕生する」

「あの、ダイヤモンドに熱を加えたら炭になっちゃいますよ」

 シェルリが言うと、老人は少し黙ってから、小娘の戯言を嘲笑った。

「お嬢さん、ある特殊な条件下ではダイヤモンドは燃えずに溶け出し、他の物質と融合する事ができるのじゃ、この推論は正しいはずじゃ、そうでなければ賢者の石は生れん!」

 シェルリは老人の突拍子もない推測に唖然としてしまった。その傍らで、老人は世紀の瞬間の訪れに胸を高鳴らせつつ、器を火にかけた。

「むむ、金が溶けてきたぞ」

 それからすぐにダイヤが煙を噴き始めた。老人はそれに慌てるどころか、嬉々として言った。

「よし、ここじゃ、ここで様々な物質を加えるのじゃ!」

 老人は煙を噴く器に植物の根っこやら鉱物やら何か分からない粉やらを入れていく。煙は更にもうもうと上がり、研究所の天井に溜まり始めた。更に器の中が燃え上がり、シェルリはそれに驚いて研究所の隅の方まで下がって物陰に避難した。

「どうした、賢者の石はまだ現れんのか!?」

 本気になって言っている老人に、シェルリは苦笑いを浮かべるしかなかった。やがて器の中身が爆ぜて老人は煙に巻かれ涙目で咳を繰り返した。シェルリがはらはらしながら見ていると、老人はたまらずに器の中に水を入れて火を消した。煙が収まると、老人は咳き込みながらシェルリに手招きをして言った。

「お嬢さん、これを見てどう思う?」

 シェルリは恐る恐る近づいて、湯気を上げている器の中身を見た。

「……真っ黒こげですね」

「つまり、実験は失敗という事じゃ~っ!」

 老人は頭を抱えて叫んだ。それを見ていたシェルリは、帰った方が良いような気がしてきた。

 大きなため息を吐いて肩を落とした老人は、ふと気づいて今更ながらに言った。

「ところでお嬢さん、どこから入ってきたんだね?」

「あ、あの、何度か呼んだんですけど、誰も出てこなくって、それで扉が開いてたから勝手に入っちゃいました、ごめんなさい」

「それはつまり、稀代の錬金術師、このリド・エインに用があるということかい?」

 シェルリは特効薬の作成をこの老人に頼むのはちょっと不安だったが、自分一人ではどうにもならない事なので、思い切って言った。

「あの、墳血症の特効薬を作りたいんです! それで、お力を貸して頂きたいんです!」

 それを聞いた老人は、シェルリに対して至極つまらないものを見るような目を向けた。

「なんじゃ、病気の薬か。そんなものは薬師にでも頼め。不老不死の薬を作ると言うのなら、喜んで協力するがの」

 老人が言った途端に、シェルリは涙の雫を零した。ここで断られるという事は、特効薬の作成を諦めるに等しかった。

「勝手な事を言ってるのは分かってます。でも、どうしても特効薬を作らなきゃいけないんです。だから、お願いします」

 目の前の少女が胸の前で手を組んで涙ながらに訴えるので老人は慌てた。

「……むう、仕方ないのう。こんな可愛いお嬢さんに泣かれたら断り切れんわい」

「手伝ってくれるんですか?」

「手伝ってやるわい、だからもう泣くな」

 シェルリは泣き顔から笑顔に急反転して、瞳や頬を涙で濡らしたまま頭を下げた。

「ありがとうございます!」

「……まあ、手伝うのは良いとして、さすがのわしも何もない状態から薬など作れんぞ。せめて、材料の種類くらいは分らなくてはな」

「材料は覚えています、とても多いからペンと紙があれば書き出します」

「その前にお嬢さんの名前を教えてくれ、特効薬とやらが出来上がるまではここに居るつもりじゃろうから、名前が分からんと不便じゃわい」

「わたし、シェルリ・フェローナと言います」

「シェルリちゃんか。わしはロディス王国一の偉大な錬金術師、リド・エインじゃ、良く覚えておくがいい」

「はい……」

 正直に胡散臭いなと思ってしまうシェルリであった。


 それからリドは、とりあえずシェルリを居間のようなところに案内した。そこからリドがペンと紙を取りにどこかへ行くと、シェルリは辺りの様子を探った。そこは食事やお茶を飲む場所らしく、狭い部屋にある四角いテーブルとその周りの四脚の椅子以外のものは埃塗れで目も当てられなかった。特に箪笥の上に置いてある器やコップなどは、中に埃が厚く堆積していて、十年は放置してあろうかという状態で、綺麗好きなシェルリは何だか体がむずむずした。

「ほれ、紙とペンじゃ、材料を書いてみい」

 リドが用意した紙に、シェルリは万年筆で一つずつ材料を書いていった。その作業は何と小一時間も続いた。その間、シェルリは万年筆にインクを付けては書いてを繰り返した。最終的に九〇種類以上の薬草と、鉱物や動物性の物質、(かび)(きのこ)等、合わせて一〇七種類の材料が紙にびっしりと書きだされた。それを見たリドは密かに舌を巻いた。

 ――この娘、これだけの材料を覚えていたのか! この記憶力は孫娘と良い勝負かもしれんな……。

 それからリドは、少し面倒そうに材料の書いた紙を見つめた。

「ううむ、薬草はその辺に取りに行くしかないのう。やたらと高価な材料がいくつかあるが、それは用意できそうじゃ。それにしても、青黴やら鉱物の粉やら、まるで訳の分からん物があるのう」

「薬草は一つもないんですか?」

 シェルリが言うと、リドは何故か偉そう顎を撫でながら言った。

「薬草などという庶民的なものは、錬金術では扱わないのじゃ」

「そうですか……」

 シェルリは本当かなと思いつつ、それ以上は突っ込まない事にした。

「薬草なら森にもあるが、ここから近い旧ロディス城に行くと良いぞ。二〇〇年も前に放置された城じゃ。中庭や裏庭で薬草や木の実が良く育つんじゃ、と孫娘が言っておった」

 どうやらリド自身は、旧ロディス城に行った事はないようだった。

 シェルリが外を見ると、もう夕日が沈みかけていた。この日の夜はシェルリの書きだした材料とリドの持つ機器類を元にして、特効薬の調合法をざっと検討した。シェルリはアリアが特効薬を調合しているのをいつも間近で見ていたので、出来る限り思い出して調合法や調合に必要な器材を記した。肝心のリドはと言うと、頭を悩ませるばかりで全く役に立ってくれなかった。しかし、リドが特効薬の根幹を成す高価な材料を全て持っていたのは幸運だった。薬草は森に行けば手に入るが、それ以外の材料、例えば薬効があると言われている緑柱石や、滋養強壮の効果がある龍燐の粉などは、専門店に行っても手に入らない希少なものだ。リドは、希少な材料で調合に挑んでこそ錬金術師、という妙な(こだわ)りを持っていて、それがシェルリを助けた。


 旧ロディス城、それは戦乱の時代を象徴する遺物だった。二〇〇年ほど前にロディスは隣国から攻撃を受けていて、その為に攻め辛い森の中に城を構え、その周辺に城下町もあった。戦争が終わると、栄えるには適さない森を捨てて、今の湖周辺の平地に城と城下町を移動したのだ。旧ロディス城は打ち捨てられ、今は無人の街と廃城に草木が生い茂り、ちょっとした名所になっていた。

 翌朝、シェルリはリドから旧ロディス城のある場所を教えてもらい、地図を借りて森に出た。両手には大きなバスケットを持ち、道中で見つけた薬草をそれに入れていった。

 リドの館から近い川を辿って下って行くと、旧ロディス城に近づく事が出来る。薬草を採取しながら歩いていたシェルリは、館と旧ロディスの中間辺りで小さな山小屋を見つけた。どこか寂しげな山小屋で、その周りだけ寒い空気の底に沈んでいるような異様さがあった。シェルリは横目で小屋を見て通り過ぎ、まっすぐ旧ロディスに向かった。

 シェルリが廃墟と化した街に足を踏み入れた瞬間、そこには神秘的な世界が広がっていた。崩れかけた家も多いが、街並みは当時の姿を残していた。家々には弦草や苔等に覆われてほとんど緑一色に染まっていた。中には家の中心から大木が突き出て、窓から枝葉を茂らせている不思議な光景もあった。街の大通りだった赤煉瓦の道は面影を残しているが、そこには大小、様々な種類の樹木が茂っていて、地中から芽吹いて成長してきた木々に煉瓦は押しのけられて木の根元で盛り上がっていた。街に一本走っている水路は二〇〇年前とそう変わらない姿を残していて、水路の底にたまった泥がはっきり見える透明な水が豊富で、緩やかに流れている。

「うわあ、とても綺麗……」

 シェルリは初めて目にする光景に、今の辛い状況を忘れる程に感動した。それからシェルリは、水路に沿って街の向こうに見える旧ロディス城を目指した。

 城は正門が開け放たれた状態で、誰でも中に入る事が出来た。シェルリはこの正門の前でも息を飲んだ。城全体が(つた)歯朶(しだ)、苔等に覆われ、周りでは小鳥が飛んで(さえず)っている。壮観さと不可思議さが一体となった巨城は、少女にメルヘンの世界にいるような錯覚を与えた。

 シェルリは感動するのはそこそこにして、城の中に入って薬草を探した。リドの言った通りで、春の訪れと共にさまざまな植物が城中そこかしこに生えていた。一時間もすると、シェルリのバスケットが薬草で一杯になった。

 意気揚々とリドの館に戻るシェルリは、必然的にまた山小屋の近くを通った。その時、誰かが泣く声が聞こえてシェルリは足を止めて、そっと山小屋に近づいた。すると、小屋の前で男女が抱き合って泣いていた。二人の会話の内容から、どうやら夫婦らしいと分かった。

「ああ、どうしてわたしたちの娘がこんな……あんまりだわ、残酷すぎる…………」

 嘆く妻を夫が抱いて言った。彼の目にも涙が光っていた。

「もう諦めるしかないんだ。ここにいても辛くなるだけだから行こう」

 大木の後ろに隠れて様子を見ていたシェルリは、その時に夫婦を見張っている男がいる事に気づいた。何だか妙な感じだった。

 夫婦が去ると、シェルリは山小屋に近づいた。そうすると、中から人の唸るような声が聞こえた。シェルリはこの山小屋が存在する意味を薄々感づいていた。シェルリが小屋の戸を開けると、中には想像した通りの光景があった。


 リドが昼ごろに居間でお茶を飲んでいると、シェルリが走って館に入ってきてた。リドが居間の戸をあけて廊下に顔を出すと、ちょうどシェルリが走って向かってきていた。リドはシェルリの持つバスケットを見て言った。

「大量じゃのう、よかったじゃないか」

 シェルリはリドの言う事など聞こえていなかった。さっさとリドの工房に入ってバスケットを置くと、また廊下を走って外に向かった。

「ちょっと出かけてきます!」

「出かけるって、今帰ってきたばかりじゃろうか!?」

 リドが言っている間に、シェルリは外に出ていった。

「元気な娘じゃのう」

 そう言うリドは孫娘を見るような目をしていた。

 それからさらに夕方近くなってから、シェルリは帰ってきた。実験室にいたリドは足音を聞きつけて出迎えの為に廊下に出た。そこで出会ったシェルリは酷く疲れていて息を荒くしていた。怪訝に思ったリドが、シェルリが背負っている者に気づくと顔が蒼白になった。

「あうぅ……うう……」

 シェルリの背中で七つか八つくらいの少女が呻いていた。両方の鼻の穴に紙が詰めてあり、それにはじわりと血が滲んでいた。

「ま、まさか!!? その娘は墳血症か!!?」

「そうです、まだ初期症状ですから、特効薬を作れば助かります」

「山小屋だな!! 山小屋からその娘を連れて来たんだな!!」

 リドが慄きながら言うと、シェルリは驚きもせずに息を落ち着けてから口を開いた。

「知っていたんですね、あの山小屋の事」

「あれは、近くの村で使っておる、伝染病にかかった病人を隔離する為のものじゃ。悪い事は言わん、はようその娘を山小屋に戻すのだ」

「どうしてそんな酷い事を言うんですか!!? あんな所に置いておいたら、この子は確実に死んでしまいます!!」

「馬鹿もん!!! その娘をここに置く事など出来んぞ! 火の付いた爆弾を抱えて歩いているようなもんじゃ! 早く小屋に置いてこい、でないとわしもお前も墳血症にかかって死ぬぞ!」

 リドは目を剥くと、孫娘に叱りつけるように激しい声を飛ばした。シェルリはそれに対して静かに行った。

「嫌です」

「なら、その娘を連れてここから出てゆくがいい!」

「分かりました、山小屋に戻ってこの子を世話をします」

 シェルリの強い意思に打たれて、リドは未練があるようにシェルリの方に手を伸ばして言った。

「まてまて、冷静になれ。おぬしは墳血症の特効薬を作る為にここにきたのじゃろう。それも成さずにその娘と心中つもりか?」

 リドが言うと、苦渋の選択を迫られたシェルリは下唇を噛んで黙った。重い沈黙が訪れる。少しの間、シェルリに背負われている少女の呻き声だけが聞こえていた。

「……リドさんが言う事の方が正しいって分かってます。でも、わたしにはこの子を見捨てる事なんて出来ません」

 その瞬間のシェルリは、老骨のリドがどきりとする程の魅力があった。リドは半ば唖然として、半ば感嘆して目の前の少女を見つめていた。

――この娘、なんという目をするんだ。

 シェルリの少女らしい可愛らしさの中に、歴戦の勇士か勇者か、何者をも恐れずに立ち向かう勇気があった。シェルリの意志が覆せない事を知ったリドは、体の中の空気を全て吐き出すような深い深い溜息を吐いた。

「わしの負けじゃ」

 リドが言うと、途端にシェルリの顔に笑顔の花が咲いた。

「ありがとう、おじいさん」

「ただし! 隔離はせざるを得ん。地下室があるから、その娘はそこに寝かせるんじゃ。わしゃ一切触らんからな。お前さんが責任を持って世話をするんじゃぞ」

「はい!」

 シェルリはリドに頭を下げると、すぐに地下室を探しに走った。

「一番奥の階段を下りたところが地下室じゃ、寝具はその辺の部屋から適当に持っていくがいい」

 シェルリは、ありがとうございます、と言葉だけを残して走り去っていた。それからリドは、もう一度深く溜息をついた。

「まったく、とんでもない事になった。しかし、他人の為に命を懸けられる人間というのは初めて見たわい」

 錬金術師の老人の中には、墳血症の少女を家に置く恐ろしさよりも、シェルリに対する驚きと感動の方が勝った。リドはシェルリをとんでもない少女だと思ったが、同時に人間として深い尊敬と好感を持った。


少女と錬金術師・・・おわり

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