第13話 夢見る少女
城の中庭でシェルリはエリオと向き合った。
「シェルリ、君のおかげでディオニスを倒す事が出来たよ」
「そんな、わたしなんて何も……」
面と向かってそう言われただけでシェルリの鼓動は高まり、王子の顔をまともに見る事が出来なかった。
「今はやらねばならぬ事が多い、後でゆっくり話をしよう」
そこにルインが来て、エリオの前に跪いた。
「王子、もう一人裁かねばならぬ者がおります」
「それは何者か?」
「このわたしでございます。知らぬ事とはゆえ、今まで王子に弓を引く行為を繰り返してきました。貴方様を助けたその少女を捕まえて殺そうともした。極刑をもって裁いて頂きたい」
それを聞いたルインの部下たちは、何か言いたそうな顔をしていた。エリオはそれを素早く察し、全て分かっているとでも言うように騎士達に対して手を挙げた。
「ルイン将軍、君の命は僕が預かる。これからは僕の為に働いてくれ」
それを聞いたルインは王子の計らいに感動し、深く頭を垂れた。
「そうだ、牢屋にいるあの人を呼んできてくれ、きっとシェルリは喜ぶと思うから」
「牢屋にいる人って……」
それは誰なのか、母とエリオ以外に会いたい人間と言えば、シェルリには一人しか心当たりがなかった。もう二度と会えないと思っていたその人が生きているかもしれない、シェルリの中で希望が膨らんだ。
しばらくして、その人は何人かの騎士に付き添われて姿を現した。
「ようシェルリ、元気そうじゃないか」
シェルリはこれ以上ない喜びの笑みを咲かせながら、ニイナの懐に跳び込んだ。ニイナはシェルリを抱き込んで言った。
「よくやったな、シェルリ」
「ニイナさん、もう駄目だって、会えないって思っていました……」
ニイナが生きていた事に安心すると、シェルリは涙が止まらなくなった。
「いやあ、わたしも生き残るとは思わなかったよ、お前にさよならまで言ったのにな」
それからニイナは、ルインの方を見て言った。
「あのお兄さんが助けてくれたのさ」
「……助けたわけではない。薬売りの情報を聞き出す為に捕えて幽閉しただけだ」
ルインは無感情に言った。するとシェルリがルインの前まで来て言った。
「それでも感謝しています。ニイナさんを助けてくれてありがとうございました」
シェルリが深く頭を下げると、ルインは無言のまま、滅多に変わらない表情に驚きを示した。ルインはシェルリを殺そうとしていたのだ、そんな人間に向かって礼を言う少女の姿は衝撃的であった。
エリオは中庭にいる騎士達に命令した。
「まずは墳血症の対策だ、もはや一刻の猶予もない。近衛騎士団は持ち場に戻れ、王国騎士団は街の治安の正常化と墳血症の患者の数を至急調査だ!」
エリオが言うや否や、ルインは部下たちを引き連れて外に出た。彼の行動は常に素早い。
その後、エリオは中庭に残ったアリアとニイナに言った。
「アリア・フェローナ、貴方を薬王局長に任命する。ニイナ・エインは副局長だ、薬王局の薬師を総動員して特効薬の作成にあたってほしい」
本来ならば、薬王局長の人選は大臣を集めて協議しなければならないところだが、そんな余裕はないのでエリオの一存で全てが決まった。
「薬王局長の任、謹んでお受けいたします」
アリアが胸に手を当てて頭を下げている横で、ニイナは明らかに戸惑い、自分を指さして言った。
「わたしが副局長だって? こんな小娘が副局長でいいのかい?」
「そんな事を言っている暇はないのよ、行きますよニイナさん」
「あ、はい……」
アリアの有無を言わさぬ態度の前に、ニイナは後について行くしかなかった。
「シェルリ、君は城で休んでいてくれ、色々あって疲れているだろうからね」
エリオが気を使ってくれているのでとても心苦しかったが、シェルリは首を横に振った。
「王子様、わたしはお母さんを手伝います」
「そうか、ではよろしく頼むよ」
二人はほんの少しの間見つめ合ってから離れた。そしてシェルリは母とニイナの後を追った。
「お母さん、ニイナさん、わたしも一緒に行くわ!」
それからシェルリは、目の回るように忙しい時間を過し、その中でミースとリリナとも再会した。そして夜になった。エリオからの心遣いで、シェルリ達は住むところが見つかるまでは城で寝泊まりする事になった。
その夜、シェルリはルナリオンから城の屋上に行くようにと伝えられた。何でも、そこでエリオが待っているのだと言う。王子様と屋上で二人きりなど、年頃の少女にとっては夢のような状況だが、シェルリは恐れ多いという気持ちの方が勝っていた。屋上で何を言われるのだろうか。今のシェルリは極度の緊張で、そんな事を想像できる状態ではなかった。
はたして屋上にはエリオが一人でいた。夜空には月が出ていて、屋上を淡い光で包み込んでいた。月光を受けるエリオの姿は、余りにも凛々しく、屋上に来た少女の心を打った。
それからシェルリは、何故かエリオから少し離れて周りを気にしていた。
「あの、従者の方はいないんですか?」
「従者なんていないよ、君と二人きりで話がしたかったんだ」
「二人きりで……」
シェルリの顔は火のように熱くなった。
「そんなに緊張しなくていいよ」
エリオは言うが、緊張するなと言う方が無理である。シェルリはカチカチに固まった状態でエリオの前まで来た。
「君に謝りたかったんだ」
それを聞いた瞬間に、シェルリは緊張を解いてエリオの顔を見上げていた。
「君がどんなに辛い目に合って、どんな酷い目に合っていたのか、僕は全て知っているよ。それなのに、僕は何もできなかった」
「そんなことありません! 王子様は、わたしを何度も助けて下さったわ!」
「本当は君の近くにいて助けてあげたかった。でも、見ている事しかできなかった。だから、ごめん」
シェルリはもう言葉がでなかった。王子のその気持ちだけで、幸せいっぱいの気持ちで、もう十分すぎる程だった。
「話はもう一つある」
「はい」
「君がこの城を出て行ったら、もう会う事はないだろう。だから、はっきり言ってしまうよ。僕の妃になってくれないか、もう君以外には考えられないんだ」
「……え?」
余りに理解の範疇を越えた出来事に、シェルリの思考が停止した。衝撃を受けすぎたシェルリは、即座に答えを導き出した。
――これはきっと夢なんだわ。わたしはいつの間にか眠ってしまって、こんな夢を見ているのね。何てはしたない夢なのかしら、王子様に失礼よ……。
シェルリは今この瞬間を、夢と信じて疑わなかった。どうせ夢なら、いくところまで行ってしまえとシェルリは思い切った。
「あの、わたし王子様のことを、ずっとずっとお慕いしていました」
「では、僕の妃になってくれるね?」
「はい、王子様」
「王子様ではなく、名前で呼んでほしい」
「……エリオ様」
シェルリは気恥ずかしくて、小さな声でエリオの名を呼んだ。それから二人はしばらく見つめ合い、やがて月光に映し出された二人の影は深く重なり合った。月だけが愛し合う二人の姿を見つめていた。
翌朝、シェルリは起きたとたんに、ベッドの上で両手で顔を隠し、恥じらいのあまり小さな悲鳴をあげた。
「わたしったら何て夢を……もう王子様に顔見せ出来ない……」
シェルリはベッドの上でしばらく悶々としていたが、夢の事は忘れてやるべき事をやろうと決めた。しばらくはアリアとニイナの手伝いがある、呆然としている暇などない。
シェルリが身を引き締めて着替えが済んだところで、ルナリオンが訪ねてきた。彼女はシェルリの部屋に来るなりこう言った。
「シェルリ様、王子からお話がありました。今は王様のご病気に、墳血症の事もあるので、結婚の話は御内密にお願いします。状況がある程度落ち着きましたら、式の日取りなど詳しい事を各方面との話し合いの上で決定いたします」
「あのー」
「はい、いかがなさいました、シェルリ様」
「ルナ様は何のお話をしているんですか?」
シェルリはこの時までルナリオンは何を言っているのか理解できていなかったが、心の奥底にはもしやという気持ちが少しだけあった。
シェルリが本当に分からないような顔をしているので、ルナリオンは怪訝な面持ちになる。
「王子から昨日の晩にシェルリ様と結婚の約束をしたと伺っていますが、違うのですか?」
「え? でも、あれは夢じゃ……あ、そうか、まだ夢を見ているんだわ」
シェルリは自分の頬をつねってみた、現実のはずがないと強く確信していたので、力加減などしなかった。
「痛い!!?」
「シェルリ様、何をなさっているのですか!?」
「ど、どうしよう、夢じゃなかったんだ……」
シェルリは呆然とする。もうルナリオンの呼ぶ声も聞こえなかった。そして、昨日の屋上での記憶がフラッシュバックすると、今度は恥かしさのあまり顔を覆って悲鳴をあげた。
「いやあぁーーーーっ!! わたし、何てとんでもない事を!!」
「シェルリ様!? どうなさったのですか!?」
ルナリオンは慌てふためいた、シェルリが謎めいた行動からいきなり悲鳴を上げたのだから無理もない。
そして更に悪い事に、シェルリの悲鳴を聞きつけてエリオが飛んできた。
「悲鳴がきこえたけど、何があったんだい?」
「それが、結婚のお話をしましたら、シェルリ様が急に取り乱しまして……」
エリオが現れてしまっては、もう今のシェルリにまともな会話をする事など出来なかった。
「どうしたんだい、落ち着いて話してごらん」
「あの、その、ごめんなさい!」
「何を謝っているんだい? 君は何も悪い事はしていないよ」
「何ていうか、だ、駄目ですよ結婚なんて!」
「駄目なのかい? 昨日は約束してくれたじゃないか……」
エリオはシェルリに振られたと思って、たいそうショックを受けた。その落胆ぶりは、はた目からでも良く分かった。それでシェルリは更に取り乱した。
「ち、違うんです!? そうじゃないんです!? わたしなんか王子様、じゃない、エリオ様にはとても釣り合わないっていうか、ああ、もうどうしよう!?」
部屋の外に侍女なんかも集まってきて、大変な騒ぎになってきた。エリオとルナリオンは、どうしたらシェルリが落ち着いてくれるのか分からず困り果てていた。そこに今度はニイナがやってきた。
「何だ、何を騒いでいるんだ?」
「ニイナさん、どうしよう!? わたしすごく大変な事しちゃった!?」
「何が大変なんだ? どうなっているのか説明してもらえないかい?」
ルナリオンがニイナに耳打ちした。それでニイナはおおよそを理解する事が出来た。
「なるほどな。まず、王子と従者の方には一度出ていってもらおう、わたしがよく話を聞いてみる。シェルリはその方が話しやすいはすだ」
エリオとルナリオンは部屋の外に出されてしまった。ルナリオンは集まっていた侍女たちを追い払った。
「見世物ではありませんよ! 早く仕事に戻りなさい!」
一方、ニイナはシェルリを落ち着かせてよくよく話を聞いていた。そして、話の全容が明らかになった途端に腹を抱えて笑い出した。部屋の外からその笑い声を聞いていたエリオは、気になって仕方がなかった。
「いやあ、いかにもお前らしいな」
「笑い事じゃありませんよ、わたしはどうしたらいいんですか……」
「どうもこうもないだろう。もう王子を呼ぶぞ」
「待って、まだ心の準備が」
ニイナはシェルリに構わずにエリオを部屋に招き入れ、シェルリが昨日の夜にあった事を夢だと信じ込んでいた事を話した。ルナリオンはまさかそんな事だとは思いもよらなかったので、目を丸くして驚いていた。一方、エリオの方は、そんなとんでもない勘違いをするシェルリが可愛らしく思えて、微笑を浮べつつ優しく語りかけた。
「夢なんかじゃないよ、シェルリは僕と結婚の約束をしたんだよ」
エリオがはっきりとそう言うと、またシェルリの様子がおかしくなった。ぽかんとして意識はどこか別の世界に飛んでしまっていた。
「こりゃ駄目だな。王子、シェルリが現実に戻るまで待つしかないよ」
「大丈夫なのかな、シェルリは……」
その日はシェルリにとって大変な一日になった。心の整理もつかないうちに王子との結婚の事を母に打ち明ける事になり心労が募った。特効薬や墳血症の事もあるし、もう頭が破裂してしまいそうだった。ようやく落ち着いたのは夜になってからだった。
シェルリは一人で城の屋上に立った。夜空には満天の星が煌めいている。昨日この場所でエリオと結婚の約束をしたなんて、今だに信じられなかった。
シェルリは、いつかニイナが言った言葉を思い出した。シェルリが挫けそうになって、いつまで薬を配ればいいのかと聞いた時、ニイナは言った、『お前の世界が変わるまでだ』と。シェルリは最後まで命を賭けて薬を配り続けた、そのおかげでシェルリを取り巻く世界は大きく変わったのだ。
憧れの王子様に告白までされて幸せいっぱいのはずなのに、シェルリは急にどうしようもない悲しみが押し寄せて涙が溢れて止まらなくなった。本当に辛くて、誰かにこの悲しみを受け止めて欲しいと思った。
「シェルリ、泣いているの?」
後ろから声を掛けられて振り向くと、そこには母アリアの姿があった。シェルリは何も考えずに母の胸に飛び込み、腕に抱かれた。
「悲しい事があったのね」
「お母さん、沢山の人がわたしを守ってくれたの、命をかけて守ってくれたの……」
それ以上はもう言葉にならなかった。錬金術師リド、グラニド将軍、神父ニコル、シェルリの為に命を捨てた彼らに対する深い悲しみはシェルリの心に刻まれて永遠に消える事はない。
「貴方は幸せにならなければいけないわ、貴方を守ってくれた人達もそれを望んでいるでしょう」
シェルリは母の懐で泣きながら、小さく頷いた。
夢見る少女……おわり




