希望をつなぐ命の薬 4
前にリリナを助けた貴族カールは、集まった民衆が薬王局に向かっていると知ると、すぐさま屋敷に他の貴族たちを集めた。彼らはリリナから特効薬を貰っていた貴族たちであった。カールは集まった貴族たちに呼びかけた。
「今、民衆が薬王局にむかっているという。それを率いているのは、あの大貴族ヴァ―ミリオンのルーテシア様だ。彼らは特効薬の為に戦いを起こしたのだ」
貴族たちの間に妙な空気が流れた。カールがこれから何を言うのか警戒している者もあれば、期待を寄せている者もあった。
「我々も共に行こうではないか」
保身を考える貴族たちは、困惑して何も言おうとしなかった。そんな者たちを見て、カールは少しばかり怒りを含ませて言った。
「君たちは特効薬で助けられただろう。家族や恋人の命、自分自身の命を助けられた方もいよう、今こそその恩を返す時ではないのか!」
そうすると、カールの言葉から逃げるように一人が言った。
「行けば我々も暴動の片棒を担ぐことになりますぞ。それに、ルーテシア様は私兵に武器を持たせていないと聞いている、一体何を考えておられるのか……」
「あのルーテシア嬢の事だ、何か意味があるのだろう」
それから煮え切らない貴族たちの前で、カールは立ち上がって言った。
「わたしはある限りの兵を率いて民衆を守る」
カールがその部屋から出ていくと、集まった貴族の半分程がその後に続いた。
漆黒の雲が天を覆い、やがて雨が降ってきた。その中で人々は行進する。民衆を先導するルーテシアは、わざと歩みを遅くしていた。そうしている間に民衆の意気が信じられない勢いで街に広がり、街中の人々がルーテシアの元に集まってきた。その数は二万、三万と、急速に膨らんでいった。さらに私兵を率いた貴族たちも合流し、薬王局に至る直前では五万を越える集団となった。雨が降りしきる中、民衆は泥にまみれながら前を見据えて歩き続ける。どんなに薄汚れた姿になっても、彼らは胸を張って進み続けた。その大集団の一番前を、ミースとリリナが固く手を結んで歩いていた。
民衆の集団が向かっている事が、ついに薬王局にも伝えられる事となった。
「ディオニス様、民衆は薬王局に向ってきているようです」
「な、にゃにぃ!!?」
ディオニスは驚きすぎて、呂律がおかしくなっていた。それに対して、ルインは淡々と気味が悪い程に冷静に報告した。
「ガンドルフ副将軍は、民衆の暴動に巻き込まれて死亡したもようです。彼らはもう薬王局の目の前まで来ています」
「そんな馬鹿な事があるか!!? 暴徒は城に向かっていたはずだろう!!?」
「民衆を薬王局へ先導している者がおります」
「誰だ!? 誰なんだそいつはっ!?」
「ルーテシア・ヴァ―ミリオンです」
それを聞いた瞬間、ディオニスは本当に息が止まりそうになった。普通の貴族なら権力で握りつぶすことも出来たが、大貴族のヴァ―ミリオン家が相手ではそう簡単ではない。ヴァ―ミリオンは王国騎士団に次ぐ兵力を持ち、政治にも深く関わりがある。あらゆる権力を手にしたディオニスに対抗できる、唯一の勢力なのだ。
「何故だ、何故ヴァ―ミリオンが暴動を先導するのだ、これはどう言う事なんだ……」
到底想像しえない状況に、ディオニスは混乱した。
もうどうにもならない、ルインはそれを悟り、後は宰相をどのようにして守るかという事を考えた。
薬王局前の広場にルーテシアを始めとする民衆の集団が入って来た。すると薬王局から武装した騎士達が出てきて入り口の前で陣形を整えて守りを固めていた。
「王国騎士団が城も守らずにこのような場所にいるとは、どう言う事なのでしょう」
ルーテシアの冷静な突っ込みに対し、誰も答える事はできなかった。ルインは弓隊が駐留する二番目の階層からそれを見ていた。
「やはり耐え切れなかったか……」
ルインは命令があるまでは動かないようにと騎士達に通達していた。しかし、数万もの民衆の大軍を前にして、恐怖に駆られた騎士達は外に出て守りを固めてしまったのだ。それを見たルインは、弓隊に命令した。
「全員弓を床に置け、何があっても民衆を射てはならぬ」
弓を持った騎士達は命令通りに弩を床に置いた。
薬王局前の広場は集まった民衆で一杯になっていた。ルーテシアは頃合いを見計らい、守りを固めて緊張する騎士達など気にも掛けずに叫んだ。
「出てきなさい、レイスレイ・ギル! わたしは知っています! 貴方が特効薬を闇に葬ろうとしている事を!!」
レイスレイは、最上階のテラスに姿を現して階下の様子を見て息を飲んだ。何万と言う民衆が薬王局前の広場にひしめくように集まり、さらに広場に納まりきれない人々が薬王局に繋がる道々を埋め尽くしている。その圧巻の光景にレイスレイは感動すら覚えた。
更にルーテシアの攻撃が続いた。
「貴方は自分のプライドと薬王局の面子を守る為に、一般人の作った特効薬を認めなかった!! それが人々にどれ程の恐怖をもたらし、どれだけの命を奪ったのか、分かっているのですか!!」
ルーテシアのすぐ後ろで、ミースとリリナはレイスレイを見上げていた。この男のせいで、シェルリは散々苦しめられ、多くの人が死んでいった。二人ともそう思うと、怒りが収まらなかった。
レイスレイは民衆の怒りを一身に受けながら、黙して広場を見下していた。
「何だ、何が起こっているのだ!?」
そう言いながら、ディオニがテラスに出てくる。彼は一目見て、群衆の有り得ない壮大さに驚愕して情けない悲鳴をあげながら腰を抜かした。それを目の当たりにしたレイスレイは、ある意味では目の前に広がる光景を見た時よりも驚愕した。
「宰相殿、この場に出てこられるとは、愚かな事をしましたね」
「……」
ディオニスは混乱の余り、言葉を返す事が出来なかった。
薬王局の前には、街中にいるほとんどの人間が集まっている。彼らは宰相の姿を目撃したのだ。何で宰相がこんな場所にいるのか、そう疑問に思う者が大半だったが、ルーテシアはその瞳に獲物を狙う雌豹のような鋭さを湛えた。
「貴方が黒幕でしたか、宰相ディオニス!!」
「な、何を言うか! わしは何も知らんぞ!」
そう叫んでディオニスは奥に引っ込んだ。ルーテシアの攻撃対象はディオニスに移った。姿など見えなくとも関係なかった。
「墳血症の王を殺す為に特効薬を消し去りたかった、そうでしょう宰相!!」
ルーテシアの言葉は鋭い牙となり、ディオニスの胸に深く食い込む。ディオニスは、心の底から恐怖した。
――あの娘、どこまで知っておるのだ。消さねば、何としてもあの娘だけは消さねばならん!
臆病と恐怖から生まれたものが、ディオニスを突き動かした。彼は一階下に急いで行って、弓隊に命令した。
「あの娘を撃ち殺せ!」
いきなり現れた宰相の命令に、騎士達は床の弩を拾おうとする。ルインは興奮する宰相を即座に制した。
「お待ちください宰相、弓を引いてはなりません」
「邪魔をするのかルイン!! お前まさか、あの娘の言う事を信じているのではあるまいな!!?」
「そうではありません。小娘の戯言でございます、どうかお聞き流しください」
「このわしに対してあのような無礼な言動、殺されて当然だ!」
「いけません、彼らは武器をもっていません。それを攻撃すれば、ほとんど全ての民衆を敵に回す事になります。それだけではありません。あの中には多くの貴族とその私兵も混ざっている、平民のみならず貴族にまで反感を抱かれては致命的です」
ディオニスはルインの説得により、何とか自制しようとしていた。それを見計らったような絶妙のタイミングで、ルーテシアの声が飛んできた。
「ディオニス!! 貴方の狙いは王を病気で殺し、知恵遅れの王子に王位を継がせて傀儡とし、この国の全てを手に入れる! 大方そんなところでしょう! そんな下らない理由の為に、多くの人々が犠牲となったのです!!」
民衆から怒りの声が涌きあがり、熱を帯びた無数の怒りが焔となって薬王局を包み込んだ。現実に熱を感じる程の怒りの声であった。もう、ディオニスは耐えられなかった。
「弓を持て貴様らーっ!!!」
ディオニスの凄まじい剣幕の前に、騎士達は弩を拾った。ディオニスは凄まじい形相でテラスに出てくると、ルーテシアを指さして叫んだ。
「あの娘を撃ち殺せ―っ!!!」
テラスに出てきた騎士達は横に並び、下に向けて弓を構えた。
「よせ、お前達!」
ルインが珍しく声を荒くしたが、狂気を帯びた宰相の剣幕の方が遥かに勝っていた。
「撃て、早く撃てーっ!!」
宰相の命令で一斉に弩が撃たれた。無数の矢が空を裂き、唸るような音をあげながらルーテシアに降り注いだ。ルーテシアは咄嗟に腕を上げて頭部を守った。その腕に二本の矢が突き刺さった。さらに左の肩と太腿にも矢が突き立つ。ミースとリリナの足元にも数本の矢が突き刺さった。それでも少女たちは微動だにせずに宰相の姿を見つめていた。
「まずい!?」
近くにいた騎士リチャードと共に、数人の騎士がルーテシアを囲んで第二派の矢から主を守ろうとした。するとルーテシアは激怒した。
「見苦しい! 退きなさい!」
ルーテシアの一喝で、リチャードたちは渋々離れる。ルーテシアは上で弓を構えている騎士達に言った。
「さあ、もっと撃ちなさい! 撃って己の弱さを証明するがいい!!」
その一声は、王国騎士団に計り知れない衝撃を与えた。上階の騎士達は弓を捨て、薬王局の入り口を守っていた騎士達も武器を捨てた。彼らは自分たちが敗北した事を思い知らされた。階上のルインは、大怪我を負っても顔色一つ変えないルーテシアの姿を見ていた。
「……見事だ」
騎士達が武器を捨てた時、雨は止んでいて向こう側の陽光の存在を誇示するように雲が光を含んでいた。その雲が割れて光が地上を照らしていく。その時、手を繋いでいたミースとリリナの目に涙が溢れた。わたしたちは勝ったんだ、そういう気持ちと共に、歓喜の涙が零れ落ちた。
薬王局の前に集まった人々は勝利を確信して喜びを露わにしたが、その中にシェルリの姿はなかった。




