希望をつなぐ命の薬 2
シェルリの鞄に残った薬は五つ、騎士団に見つからないように隠れながら、特効薬を必要としている人を探し続けた。
薬売りの噂は人々の間に密かに広まっていた。目印は鞄に描かれた白い翼と試験管が交差するマークだ。それは特効薬を求める人々にとって希望の翼だった。まず、その翼を見つけた少女がシェルリの前に現れた。
「……」
「何か?」
「ごめんなさい、あなたの鞄の刺繍を見ていました。わたしに薬を譲って下さい。お母さんの病気を治したいんです」
年の頃はシェルリと同じくらいの長い黒髪の少女は、まっすぐにこちらを見つめて言った。その目には強い光がある。彼女に対して特効薬を得る事によるリスクを語る必要はなかった。
「どうぞ、お母さんに持っていって下さい」
「ありがとう」
少女は青い薬の入った瓶を受け取ると深く頭を下げた。
「どうかお気をつけて」
「あなたもね」
少女はシェルリに言うと、薬を服の下に隠して走り去った。その次には墳血症の娘を治す為に若い母親が来た。強気な女で騎士団などくそくらえだと言っていた。それから今度は若い男が恋人を助ける為にやってきた。こうして五個あった特効薬はあっと言う間になくなり、たった一つの特効薬がシェルリの鞄の底に残った。
この時、街に異常な事態が起こっていた。シェルリがそれに気づくのに時間はかからなかった。
街の広場は凍りつくような恐怖と闇よりも深く暗い悲愴の底に沈んでいた。そこには騎士団によって無理やり引きずり出された墳血症の患者とその家族が磔にされていた。しかもそういう家族が三組もいて、丸太を十字に組んだ磔台の数は十を越えている。彼らの足元には薪が積まれていて、火刑の準備が整っていた。墳血症の患者達はいずれも重傷で、眼や鼻から流れ出た血が薪の上にしたたっている。患者の中には子供もいて、隣で磔にされている母親が心配してしきりに名を呼んでいる。しかし返事はない、子供は昏睡していて危険な状態だった。その悲惨な様子を数千という人々が集まって見ていた。
「我々が何をしたと言うんだ! ここから降ろせ!」
「貴様らは違法薬所持の罪で処刑になるんだ」
「わたしは特効薬など持っていない!」
「黙れ! 罪人の言う事など聞く耳持たん!」
喚いているのは騎士団を率いる副将軍ガンドルフだった。
シェルリはその光景を見て震えた。少女は優しい神父が殺された瞬間がフラッシュバックして小さな悲鳴をあげて頭を押さえつける。
余りにも異常な光景、そしてシェルリにとってはこれ以上ない酷な光景だった。
「お姉様……」
はっとして振り向くと、そこにはミースとリリナがいた。薬を全て配り終えて戻って来たのだ。二人とも広場の光景を見てこの世の物とは思えないような顔をしていた。その時、ガンドルフの声が響いた。
「良く聞け薬売り共! こいつらは貴様たちのせいで死ぬんだ! 貴様らが違法な薬を配り歩いたせいでな!」
ガンドルフの叫びに合わせるように、空に暗い雲が立ち込めてくる。ガンドルフは薬売りをいぶり出す為にこの狂気そのものと言える舞台を作ったのだ。処刑の対象になった家族に対してろくに吟味もしていない。特効薬をもっていようがいまいが関係なかった。彼らは薬売りを誘き寄せるための生贄でしかなかったのだ。
ミースとリリナはこの恐ろしい状況にどうして良いのか分からずに震えるばかりだった。そんな二人をシェルリは抱き寄せる。無言で妹とも言える二人を強く抱きしめた。そして二人を放すとシェルリは言った。
「ここであなた達に会えてよかった。二人とも、元気でね」
シェルリは走りだし、人だかりの中に消えていった。幼い少女たちは、それをただ見ている事しか出来なかった。
「もう止めて下さい!! 薬売りはわたしです!!」
シェルリが叫ぶと人々が道を開けた。シェルリは割れていく人の道を走って広場に飛び出した。ガンドルフは出てきた少女を見て邪悪な笑みを浮べた。シェルリは騎士達の前で跪き、祈るように両手を組んで言った。
「薬売りはわたしです、全部わたしが悪いんです、だからその人たちは助けてあげて下さい」
涙ながらに訴えるシェルリ、それを見たガンドルフはいきなり大笑いした。会心の笑いである。自分の目論み通りに事が進んだのが愉快でたまらなかった。
「貴様が薬売りかあぁっ!!!」
ガンドルフはシェルリに近づくと、髪を掴んで引き上げる。シェルリは髪を無理やり引かれる痛みで呻いた。それからガンドルフは目を見開くと、シェルリの頭を落として地面に押さえつける。
「きゃぁう!」
頭に衝撃を受けてシェルリは悲鳴を上げた。
「よし、そいつらを処刑しろ」
「そんな!!? 止めて下さい!!?」
ガンドルフの恐ろしい言葉にシェルリは戦慄した。
「これは違法薬を配った貴様に対するお仕置きだ。貴様のせいで焼け死んでいく人間をよく見るがいい」
「殺すのはわたしだけにして……」
「駄目だ、お前を殺すのはこいつらを処刑した後だ」
ガンドルフは少女を虐待する快感に酔いしれながら言った。
自分のせいで多くの人の命が失われる。それは自分が死ぬ事など問題にならない程に恐ろしい現実だった。シェルリはガンドルフの狂気の前に恐怖と悲しみのどん底に叩き落とされ、救いようのない現実の前に、いつかの時のように涙で地面を濡らした。
「……お願い、もう…止めて……」
異様な沈黙の中で、救いを求めるシェルリの弱々しい声が人々の耳に届いた。何人かの騎士は燃え上がる松明を持って罪もない磔刑人に近づいていく。他の騎士たちはガンドルフが少女を虐待する様子に魅入っていたので、周りに集まった数千という民衆から異常な感情の膨張がある事に気づいた騎士はほんの数人だった。
「あの少女を助けろ!!」
誰かが叫んだ。その瞬間、民衆の怒りが爆発した。騎士団の周りを囲んでいた民衆の輪が一気に狭まり、人の波が騎士達に襲いかかった。
シェルリを押さえつけていたガンドルフに、近くで見ていた男たちが次々と向かってきて組み付く。
「き、貴様ら、どういうつもりだ!!?」
ガンドルフは組み付いた男たちを振り払い、剣を抜いて卓越した剣技で三人を次々と斬殺した。だが、その程度では人々の勢いは止まらなかった。一度に十数人もの人間が襲ってきては、剣などほとんど役に立たなかった。ガンドルフは完全に押さえつけられて剣を奪われる。
「な、何をするつもりだ!? やめろ、止めてくれ!!!」
剣を奪った男は、逆手に柄を持って振り上げると、ガンドルフの大腿部にそれを突き刺した。狂ったような悲鳴が上がるが、それは周りの異常な喧騒にかき消された。ガンドルフは奪われた剣で矢鱈目ったら斬りつけられ、殴られ、踏みつけられて袋叩きにされた。
「暴動だ、暴動が起こったぞ!! 逃げろ!!」
迫る民衆に騎士達は剣で応戦する。多くの人々が斬りつけられて犠牲になるが、余りにも数が違いすぎる。もはや民衆は唯の人ではなかった。数千人の人間が一塊となり、怒り狂う巨大な怪物へと変貌していた。それに囲まれた騎士達に与えられた選択は、何とかして逃げ出すか、ガンドルフと同じ運命を辿るかのどちらかだ。もはや騎士達の戦意は喪失した。命からがら逃げだす者もあれば、袋叩きにあったり、民衆の波に飲まれて踏み潰される者もあった。
シェルリは地面に座ったまま呆然と人々が磔刑人を助け出す様子を見ていた。自分の命が助かった事を喜ぶのを忘れて、現実とは思えない光景にただただ見入っていた。
「もう我慢の限界だ! 我々は王国には従えない!」
「このままでは全員が悪魔の病で死ぬぞ!」
「我々の命を守るために戦うんだ!」
人々は口々に叫んで猛り狂った。そして、怒り狂った怪物は移動を始める。その時、上空の雲はさらに厚さと暗さを増し、街全体が薄暗くなっていた。
人々の流れに巻き込まれてシェルリも歩き出す。そうして彼らがどこに向かっているのか悟った時、シェルリの中に更なる絶望の闇が広がった。何故なら、暴動の波が城に向かっていると分かったからだ。人々を弾圧した度重なるお触れは王宮を通して出されていたので、怒りがそこに向くのは当然であった。
「駄目! そっちへいっちゃ駄目!」
少女の声が誰彼の耳に届くような状況ではなかった。それでもシェルリは叫び続けた。
「皆さん、止まって下さい!! そっちには何もないんです!!」
無駄であった。怒り狂う怪物は真っ直ぐ城へと向かっていく。さらに集まってきた人々が合流してその大きさも増していた。シェルリ一人の力でどうにかなる状況ではない。シェルリは立ち止まり、絶望のあまり泣き出した。
「どうしよう、お城には王子様が……ああ、神様、止めて、止めて下さい……」
今の状況で非力な少女が出来る事と言えば、神に祈る事くらいしかなかった。




