第11話 ニイナと最後の薬
街中に教会の鐘が響き渡った。人々は上を向いて両手を合わせて祈りを捧げた。人々の視線の先には、射殺され血に塗れた若い神父の姿があった。騎士団は見せしめの為に神父の遺骸を晒しながら街中を巡っていた。騎士団はそれはが人々に恐怖を与え、支配の力を強めると思い込んでいた。実はそれが全くの逆効果だとは思いもよらなかっただろう。若き神父の死を目の当たりにした民衆は、心の奥で密やかに怒りの炎を燃やし始めていた。
残された特効薬の材料はもう少なかった。ニイナはそれらを使って最後の特効薬を作り始めた。
他の少女たちは隠れ家にはいない。神父の最後を目にしてもシェルリは立ち上がった、だからミースとリリナもそれに愚直について行った。街にどんな危険があっても、少女たちが薬売りを止める事はなかった。
時を同じくして、宰相ディオニスの元に報告があった。何故か城下街からずっと離れた街や村から、薬王局が墳血症の特効薬を認めない事に対して批判の声があがってきていたのだ。その波は日を追うごとに広がっていた。それを聞いたディオニスは憤懣やるかたなしという顔でじだんだを踏んだ。
「これはどう言う事だ!? 何でここからずっと離れた街や村に違法薬が流れておるのか!?」
「どうやら別の場所で薬を作って流している者があるようです」
ディオニスはそれを聞くと、報告に来た役人が悪いとでもいうような形相で睨んだ。当然、役人は委縮した。
「おのれい、許さんぞ!! どいつもこいつもわしの邪魔ばかりしおって!!」
ディオニスは騎士団の全兵力の七割方を各地に派遣する事にした。さらなる弾圧によって民衆を黙らせようと言うのだ。ロディスの城下街を見るだけなら残りの三割がいれば十分だった。
それから何日間か、少女たちは騎士団の手を逃れながら薬を配り歩いた。リリナには貴族たちから要請があったし、ミースは貧民街の人々と協力して薬を配っていた。神父を失ったシェルリは、以前と同じように一件ずつ家を回りながら、墳血症の患者がいる家に声をかけていった。
一方、副将軍ガンドルフは薬売りがなかなか捕まらないので焦り始めていた。その焦りは更なる狂気となって人々を襲う事になった。
シェルリは逃げていた。
「あそこにいるぞ、捕まえろ!」
真夜中の事だった。この時間なら騎士団に見つかる可能性は少ないのだが、思わぬものがシェルリに襲いかかってきた。それは、賞金稼ぎを気取った街人だった。彼らは王宮からの報酬欲しさに、薬売りを探していたのだ。彼らは命令で動いている騎士と違って我欲から薬売りを捕まえようとしているので、その追跡は執拗だった。
「待ちやがれ!」
シェルリは必死に逃げながらニコルの言葉を思い出していた。光もあれば闇もある、それが人間というものなのだ。シェルリは今こそその言葉の意味を理解した。シェルリは今まで誰の為に薬を配って来たのか、墳血症という恐ろしい病に苦しむ民衆の為だ。その民衆が自分に牙をむいてきている。理不尽な事だが、シェルリの中では負けるものかという闘志が燃えていた。人間、本当に覚悟を決めると強くなるものだ。
シェルリが路地を曲がった時、すぐ先の家のドアが少し開いているのが見えた。何も考えずにその家の中い跳び込んで内側からドアを閉める。それからシェルリはドアに背中を預けて荒い息を出来るだけ抑えていた。ドアの向こう側で走ってくる人の足音が複数近づいた。それから何かを言い合う声がドア越しに聞こえてくる。ドア一枚隔てた向こうに追手がいるのが分かった。シェルリを見失った彼らはやがてちりぢりになって離れて行った。ドアの向こうに人の気配がなくなると、シェルリは大きく安堵の息をついた。その時になって自分が飛び込んだのが空き家だということに気づいた。薄暗く薄く埃が積もった家の中でシェルリは思った。
――王子様見ていて下さい、必ず約束は守ります。
シェルリは息を整えてから、再び墳血症の患者を求めて街に出る。鞄の中にある特効薬の数はあとわずかだった。
街の中央通りを騎士団が疾走していた。馬蹄が石畳を蹴る音が響き渡る。一番前を行くのは将軍ルインだった。彼らが向かう先には、打ち捨てられた倉庫があるはずだった。
ニイナは残り全ての材料を使い切って、十数個の特効薬を作り上げたところだった。そこへ薬を全て配ったミースとリリナが戻ってきた。
「ニイナお姉ちゃん、お薬なくなっちゃった!」
「わたしも全て配ってしまったので、新しい薬を頂けませんか?」
ミースとリリナは工房に入って来るなり言った。ニイナは眠そうな顔で欠伸をした後に言った。
「これが最後の薬だ、もう材料がない」
「後これだけですか……」
リリナの顔が曇った。特効薬を求める人がまだまだ多く数が足らないのだ。
「じゃあ、二人で分けっこだよ」
ミースは二つの鞄に薬を一つずつ順番にいれていった。その時だった、上の方から物音が聞こえてきた。
「二人とも静かにしろ!」
ニイナはミースとリリナを黙らせ工房から廊下に出た。そうすると、上の出入りが開いて地下に光が差しこんできた。ニイナは工房に戻ると内側から鍵を掛けた。
「何かあったのですか?」
「この場所が騎士団に見つかった。こんなに早く嗅ぎつけてくるとは、騎士団には有能な人間がいるようだな」
ニイナの言葉は二人の少女を一瞬で恐怖の闇に突き落とした。震えだした二人にニイナは言った。
「お前たちはそこの通気口から逃げろ。辿って行けば地上に出られる」
ニイナが指さす天井に、ぽっかりと四角い穴が開いていた。
「じゃあみんなで逃げよう」
ミースが言うと、ニイナはどこか悲しげな微笑を浮べながら言った。
「それは無理だ。その通気口は子供が入るのが精一杯なのさ」
「じゃあニイナお姉様はどうするのですか? ちゃんと逃げられるのですよね?」
「この地下室には他に逃げ道はないよ。それに、逃げる必要なんてないんだ、わたしたちは正しい事をしてきたんだからね、正々堂々と対決してやるさ」
いきなり工房の扉が強く叩かれた。外にいる者たちは、ドアに鍵がかかっていると分かると鈍器のようなものを打ち付け始めた。一撃ごとに鉄製のドアが変形していった。
「お前たちは逃げなきゃ駄目だよ、最後の薬を無駄にしないでくれ」
ニイナの覚悟を知ったミースとリリナは、瞳を潤ませて今にも涙が零れそうだった。
「泣くな! 今は泣いている時じゃない! さっさと逃げろ!」
ニイナは近くにあった足の長い金属製のテーブルを通気口の下にもってきて言った。
「これに乗って通気口に入れ」
最初にミースが通気口に入った。それからリリナが通気口に入る前にニイナは言った。
「リリナ、ちょっと待て、シェルリに会ったら伝えて欲しい事がある。あいつはわたしがいなくなったら挫けるかもしれないからな」
ニイナはリリナに言葉を託した。
「シェルリを元気にする魔法の呪文さ」
「必ずお伝えします」
「頼んだよ」
その時、ドアが大きな衝撃を受けて蝶番の一つが弾け飛んだ。リリナはニイナの姿を見るのはこれが最後だと思った。彼女はとても悲しかったが、思いを振り切って通気口に跳び込んだ。
それからニイナは、テーブルに寄り掛かって悠々とした態度で破壊されて吹き飛ぶドアを見ていた。それからすぐに騎士達が工房に雪崩れ込み、先頭にいた初老の騎士が必要もないのに周りにあるフラスコや試験管などの道具を叩き壊しながらニイナに近づいてきた。そして騎士はニイナの目の前に来ると、手の甲でニイナの頬を殴った。ニイナは吹き飛ばされて近くの棚に背中を強打した。棚の上にあったアルコールランプと何かの液体が入った三角フラスコが落ちてきて床で砕ける。ニイナはその騎士を睨みつける、口の中には血の匂いが広がり、彼女の薄桃色の唇の間からは朱が流れてきていた。
「薬売りはどこだ?」
「薬売りは今日も忙しく働いているのさ、誰かの命を助ける為に、特効薬を配っている、お前達とは正反対だな」
「薬売りの居場所を教えろ!」
「言うと思っているのか」
「言わねば死ぬだけだ」
騎士が剣を振り上げた時、それを制止する者ががあった。
「待て、まだ殺すな」
そう言ってニイナと騎士の間に割って入って来たのはルインだった。
「一つ聞かせてもらおう。何故少女一人の為に命まで投げ出す? 薬売りの少女にそれほどのものがあるとも思えん。お前だけではない、グラニド将軍といい、錬金術師の老人といい、まったく訳がわからん」
ルインは無表情の中に隠し切れない困惑を露わにしていた。それを知ったニイナは、嘲るような笑みを浮べて言った。
「あんな良い子が命がけで頑張っているんだ、助けたくなるのが人間というものだろう」
それを聞いたルインは、たったそれだけの理由なのかと言いたげな顔をしていた。ニイナはルインに言葉をはさむ隙を与えなかった。
「さあ、殺すがいい! いくら殺してもお前たちは勝てやしない! 人の思いを剣で制する事など出来やしないのさ!」
「……そうか」
ルインの持つ剣が地下を照らすランプの炎で輝いた。その刀身に自分の姿が映っているのをニイナは見た。その瞬間、死が確かな予感となって迫ってくる。彼女は心の底から恐怖し、震えた。
――十九年か、短い人生だったな。けど悔いはない。
そう考えると、ニイナは死を意識を越えて自分でも驚くほど冷静になっていた。
――シェルリ、お前は必ず生きて幸せになれよ。
ニイナは心の底からそう願い、そして最後に言った。
「さようならだ、シェルリ」
夜が訪れたほの暗い街の中で、シェルリはミースとリリナに出会った。二人とも泣いていて、シェルリは何かあったのだと悟らされた。
「二人とも、何があったの!? 教えて!」
「ニイナお姉ちゃんが、ニイナお姉ちゃんがぁ……」
ミースはそう言って泣きじゃくった。その様子だけでも何があったのか想像するのは容易だったが、追い打ちをかけるようにリリナが言った。
「隠れ家が騎士団に見つかりました、ニイナさんはわたし達を逃がしてくれたのです……」
「ニイナさんは……?」
「……ニイナさんは隠れ家に残りました、騎士団と対決すると言って…………」
リリナの目から更に溢れた涙が零れていく。
シェルリが手に持っていた鞄が手から落ちた。まだ特効薬がいくらか入っていたので、薬瓶がぶつかり合って微小な音を奏でた。シェルリは大きな心の支えを無くし、自分自身が崩れ落ちて行くような異様な感覚に襲われていた。心がどこか遠くへ離れて行くようにも思えた。それに合わせて体から力が抜けて地面に座り込んでしまう。リリナはシェルリの目から輝きが失われていくのを見て、ニイナに言われた事を思い出した。
「お姉様! ニイナさんは言っていました、最後まで王子様の為に頑張れって、そう言っていたのです!」
それを聞くとシェルリの体に少しだけ力が戻ってきた。少女は落とした鞄を掴むと、気力を振り絞り絶望を振り切って立ち上がった。
――そうだ、あの方がいてくれれば、わたしはまだ前に進める。
シェルリは特効薬がいくらか入った鞄を強く抱きしめて目を閉じた。するとニイナが『頑張れ!』と言っている姿が浮かんだ。
ニイナと最後の薬……終わり




