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フロスブルグの薬売り  作者: 李音
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    神父様と女神の像2

 翌朝、シェルリはニイナに起こされて目が覚めた。その時はもう昼に近い時間だった。ニイナはシェルリが起きるなり、とてつもなく恐ろしい事を言いだした。

「シェルリ、落ち着いて聞いてほしいんだが……」

 ニイナの様子から、シェルリは不吉な予感を抱いた。

「昼から公開処刑が始まるそうだ。処刑されるのは、若い教会の神父だ。もしかしたら、お前が話していた教会の神父かもしれない」

 瞬間に、シェルリは魂が打ち砕かれるような衝撃を受けた。

 ――そんなはずない、あのお優しい神父様が処刑だなんて……。

 シェルリのその思いは、もはや祈りと言っても良かった。ニイナに何も言う暇を与えずに出ていった。ただニコル神父の無事を祈っていた。ニイナの言う事が間違えであってほしいと祈っていた。

 街の広場に人が集まっていた。シェルリは路地裏の物陰から様子を見ていた。追われている身なので、広場に出ていく事はできなかった。不幸と言うべきか幸いと言うべきか、そこからでもこれから処刑されようとしている人の姿は良く見えた。その人は十字に組んだ高い木杭に(はりつけ)にされていたからだ。その姿を見てシェルリは思わず悲鳴をあげそうになった。磔にされていたのは酷く傷ついたニコル神父だった。シェルリは余りにも過酷な現実に打ちのめされ、訳が分からなくなって広場に飛び出そうとした。とにかく神父様の側に行きたい、そういう思いだけがシェルリを突き動かした。路地裏から飛び出そうと一歩踏み出した瞬間、シェルリは腕を掴まれてそれ以上前に進めなくなった。振り向くとそこにはニイナがいた。

「行ってどうする、お前も一緒に処刑されたいのか?」

 ニイナを見つめるシェルリの瞳から涙が伝い流れ、頬に光の筋を描く。

「いい人なんです、それなのに……どうして……」

「あの男は覚悟をしていたんだろう、そういう目をしているよ」

 シェルリは神父の姿を再び見つめた。するとニコル神父とシェルリの目が合った。高所に磔にされている神父からは路地裏に隠れているシェルリの姿が見えていた。その時、ニコル神父は微笑を浮べた。最後に貴方に会えてよかった、心からそう言っているような微笑だった。恐怖も悲しみも、負を司るような感情は一切ない。今の彼の中にあるのは聖職者としての役目を果たそうという誇りであった。

 ニコルはシェルリを見て思った。

 ――シェルリさん、貴方の勇気は人々を変えるでしょう。後は誰かが叫べばいい、それはわたしの役目だ。

 その時、広場に集まってきた騎士の一人が言った。

「これより反逆者の処刑を始める! この男は危険な違法薬を売っている薬師に手を貸していた愚か者だ! よく見るがいい!」

 広場に集まる人々のざわめきが一際大きくなった。

「貴様はこれから火刑に処する、じわじわと焼け死んでいくのだ。反逆者にはふさわしい末路だな」

 磔にされている神父の下には薪がくべられ、それには油が撒かれていた。そして、騎士達の中には松明を持つ者があった。

「最後に何か言いたいことはあるかね?」

 騎士が死出の言葉を促すと、ニコルは顔を上げて叫んだ。

「なぜ王国は特効薬を消し去ろうとするのか!! 墳血症の患者にとってあの薬は命そのもの、それを奪うという事は命を奪うということと同じです!! なぜ騎士団はそのような非道を平然と行うのか!! これは悪魔の所業ではないのか!!」

 青天の澄んだ青空に響き渡る青年の声、ざわめいていた人々は嘘のように静まり返ってそれを聞いていた。

「貴様!? 黙れ、黙らんか!!」

 慌てる騎士の声が民衆の間から聞こえていた。ニコルを高い所に磔にしていたので、すぐに黙らせる事ができなかった。青年は叫び続けた。

「このまま黙っていれば、騎士団はもっと多くのものを我々から奪っていくでしょう!! 財産を、命を、平然と奪っていくでしょう!! 黙っていてはいけないのです! 声を上げるのです! 皆さん、今こそ立ち上がらなければいけません!!」

 その時、風を切って飛来した弓矢がニコルに胸に深々と突き刺ささり、民衆を揺るがす声が消えた。

「撃て撃て! さっさと射殺してしまえ!」

 次々と矢が飛んできてニコルの体に突き刺さっていく。死を目前にしても青年の瞳から戦う意思が消える事はなかった。

「……皆さん、戦うのです! 戦わなければ奪われるだけだ!!」

 ニコルは最後に血を吐きながら叫んだ。それからがっくりと項垂れると、シェルリの方を見て口を動かした。もう彼には声を出す余力すらなかったが、『あなたは悪くない』、そう言っているのがシェルリにははっきり分かった。そしてニコルは目を閉じて命を火を消した。シェルリは非現実的とすら言える光景に呆然としていたが、ニコルが死んだと分かると魂の底から悲愴深い悲鳴をあげた。近くにいたニイナは危険を感じてシェルリの腕を無理やり引いて広場から離れていった。


 隠れ家に帰ってからのシェルリは、抜け殻のようになってぼんやりとして椅子に座っていた。受けた衝撃が余りにも大きすぎて、心が逃避している状態だった。待っていたミースとリリナがそんなシェルリを見て不安になるのは当然であった。ただでさえ暗い隠れ家の空気が、鉛のように重く沈んでしまった。

 ニイナはしばらく少女たちの様子を眺めた後に、いきなりシェルリの前に特効薬を出した。

「シェルリ、特効薬はまだあるぞ」

「……いや、もういやぁ」

 それからシェルリは、押し寄せる恐怖と悲愴に耐えかねて言った。

「薬を配れば配るほど、悲しい事ばかり起こる……もういやです……」

「そうか、無理もないな。ここまで頑張ったんだ、王子だって褒めてくれるだろう。お前は本当に今までよくやったよ、後はゆっくり休むといい」

「……どうして」

 シェルリは涙に濡れた顔を上げ、ニイナをまっすぐに見つめた。ニイナはどこか悲しそうな表情を浮かべていた。

「ニイナさんに優しくされると、自分がとても悪い子だって思えてくる。もう嫌なのに、でもこのまま止めるなんて出来ない!」

「お前はちゃんと分かっているんだ。ここで止めたら、神父の死が無駄になる、じいちゃんとリリナの父さんもそうだ」

 シェルリは怖くて悲しくて仕方がない。それでも、多くの人の思いを背負い、それに突き動かされて立ち上がる。そこから生まれる苦しみは、一四歳の少女にはあまりにも過酷だった。シェルリはその苦しみを吐露するように言った。

「ニイナさん、教えて下さい。わたしはいつまで薬を配らなければいけないんですか……?」

 ニイナはシェルリの両肩を掴み、しっかりと目を合わせて言った。

「それは、お前の世界が変わるまでだ」


神父様と女神の像……終わり


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