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フロスブルグの薬売り  作者: 李音
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    弾圧の狼煙2

 リリナはある貴族の屋敷にいて薬を配っていた。そこにカールが入ってきて言った。

「ついに摘発が始まったようだ。街は大荒れだよ」

「あの、摘発って、どういうことですか?」

「騎士団が特効薬の摘発に乗り出したんだ。しかし、あれは摘発というよりは、ただの暴力だな。中には摘発と称して略奪や虐待を行っている騎士達までいる。リリナはしばらくここに居た方がいいだろう。騎士団は貴族には手出しできない。貴族は私兵を持っているからね、下手に手出しすると内戦にもなりかねんのさ」

 リリナはカールの言う事をほとんど聞いていなかった。もはやシェルリとミースの事を思うと気が気ではなくなった。

「行かなきゃ、お姉様とミースが危ないわ」

 リリナが扉に向かって走ろうとすると、その腕をカールが強く掴んだ。

「だめだ、ここに居るんだ。街になど出たらすぐに捕まって殺されるぞ」

「殺される!?」

「そうだ、君が薬売りとばれたら確実に殺される。薬売りどころか、特効薬を持っているだけで殺されている人々までいるんだ」

「そんな、そんな……酷い……」

 想像の範疇を遥かに超える最悪の状況を知って、リリナは顔を覆って泣き出した。街にいるシェルリとミースの事を思うと、更に涙が溢れた。


 シェルリは街中で身を隠しながら逃げていた。騎士達が多く、なかなか隠れ家に近づけなかった。そうしているうちに街は夜の闇に覆われていった。

 街には悲愴が溢れ、街のあらゆる場所から悲鳴が続いていた。騎士の手に剣が光り、多くの人々が血を流した。騎士たちの狂気は特効薬を持つ持たぬに関係なく、街中の人間に向けられるようになっていった。

 シェルリは明かりのない細い裏路地を走る。複数の薬瓶がぶつかる音を鳴らしながら、息を切って重い足を前に出した。足元が見えないので時々躓いて転びそうになる。路地の先に街の光が見えていた。それに近づくと、シェルリはその日何度目かの悲鳴を聞いた。闇に身を隠して光の向こう側にある大通りを覗くと、一件の仕立屋に数人の騎士達が入って行くところが見えた。その仕立て屋には墳血症の娘がいて、シェルリは朝に仕立屋の主人に特効薬を渡していた。店の中から悲鳴と言い争う声が聞こえてきた。シェルリはじっとしていられず、仕立て屋に近づいて窓から中の様子をみた。

「この薬は渡さんぞ! 絶対に渡すものか!」

 店の主人が叫んでいた。その周りを鎧をまとった四人の騎士が囲み、店主の妻は墳血症の娘がいる隣の部屋で震えて見ていた。

「手に持っている物を出せ、その薬は麻薬にも等しい違法な薬だ」

「いやだ!」

 その瞬間、店主の顔面に拳が飛んできた。鼻血を出しながら倒れた店主は、その場に蹲って言った。

「これは娘の命そのものなんだ!」

「薬を渡せ!」

 それから騎士達は、主人に執拗に暴行を加えた。中には暴力が楽しいと言うように笑いを浮べる騎士もいた。拳と足が何度も打ち下ろされ、騎士たちの手はやがて血に濡れた。残虐極まるが、シェルリはその恐ろしい光景から目を離す事ができなかった。店主が力尽きて薬を手放した時、その姿はボロ雑巾と化し、血に塗れた顔面はもはや原型を止めていなかった。

「馬鹿め、大人しく薬を渡せばいいものを!」

 騎士の一人がそう言いながら、店主の手から零れた薬瓶を踏みつぶした。

 騎士達が出ていくと、妻は呆然としながら変わり果てた夫の前に来て跪いた。

「あんた……」

 返事をしない夫に、妻は覆いかぶさって声を上げて泣いた。それは悲鳴などではなく、狂気に対する恐怖と悲しみそのものを表す怨嗟の声だった。シェルリは独りでに体が動いて、仕立て屋の入り口のところに立ち尽くし、闇よりも暗い悲しみに打ちひしがれる店主の妻を魂を亡くしたような姿で見ていた。やがてそれに気づいた妻は、深い悲しみの中に怒りを交えて叫んだ。

「あんたが、あんたがこんな薬を持ってきたから! こんな薬さえなければ、この人は死ななくて済んだのに!!」

 外の通りにまで響くほどの呪詛の叫びがシェルリの胸を抉った。少女の目から涙が溢れて止まらなくなり、体は言い様のない暗い思慮に襲われて震えた。空気を通して体中に恐怖が染み込んでくる、そんな異様な感覚があった。その時、死んだと思っていた店主の手が上がった。その手はまるで何かを掴み取ろうとするかのように天井に向けられた。

「……薬を……娘に薬を…………」

 店主の命が消えて手から力が抜けて崩れ落ちた時、奥の部屋から墳血症の娘が苦しそうに呻く声が聞こえてきた。シェルリは一瞬の葛藤の末、両目をぎゅっと閉じて涙を落とし、店主の願いの通りに特効薬を足元に一つ置いてその場から走り去った。また特効薬のせいで仕立て屋の妻まで不幸な目に合うかもしれない、しかし死の間際まで娘を思う店主の願いを聞かないわけにはいかなかった。


 闇が降りてからリリナはカールが呼んだ馬車で隠れ家に向かっていた。貴族の馬車なので、騎士達に狙われることはない。リリナは窓から街の様子を見ていた。街中を闊歩する騎士達に、人々は恐れをなして隠れ、街人の姿はほとんどなかった。闇に沈む景色の中で、リリナは男が騎士に殴られて吹っ飛ぶ瞬間を目にした。大した理由もなく、いきなり殴られていた。その光景はリリナの心に永遠に消えない傷となって残った。


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