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フロスブルグの薬売り  作者: 李音
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第1話 悲しみの少女と絶望の炎

 母がいなくなってから、シェルリの悲しみに打ちひしがれる日々が始まった。たった一四歳の少女にとって、いきなり母親を連れ去られる悲しみは余りにも深かった。それでもすぐに帰ると言った母の言葉に希望を見出し、二日までは我慢して待つことが出来た。しかし、三日経ち、四日経っても母は帰ってこなかった。シェルリは悲しみのあまり涙に暮れた。

「お母さん、寂しいよぅ、早く帰ってきてよぅ……」

 シェルリは悲しくて食事も喉を通らなかった。カーテンが閉まっていて薄暗い店内も、家の中も、シェルリの心を投影するように寂寥とした静けさの底に沈んでいた。

 夜になり、シェルリは泣き疲れて机に伏して眠っていた。それから時間が経ち夜中になった頃、誰かが店の扉を叩いた。シェルリはしばらく気付かずに眠っていたが、その音は止むことなく続き、扉を叩く人間の必死さが伝わっていた。やがて音に気付いたシェルリは、恐る恐る店の方に出ていった。お店の扉は壊されてしまって、ただ立てかけてあるだけだったので、隙間から人の姿が見えていた。

「お願いです、薬を売って下さい」

 扉を叩いていたのは中年の男だった。シェルリは男の言う薬というのが、墳血症の特効薬だと確信して、急いで店に出ていくと扉の近くの窓を開けた。シェルリの姿を見た男は救われたと言うように必死の形相が和らいだ。

「よかった、誰も出てくれないかと思いましたよ」

「あの、墳血症の特効薬ですよね?」

 男は頷いて言った。

「妻が悪魔の病気にかかってしまったのです」

「待っていて下さい、すぐに持ってきますから」

 シェルリは急いで地下室から薬を持ってきた。男は青い薬の入った小さな瓶を受け取ると、代わりに金を差し出した。シェルリはそれを断った。男の身なりから貧しい暮らしがうかがえたし、母がいない今は薬を作る為の費用も必要なかったからだった。感謝して何度も礼を言う男にシェルリは先ほどから疑問に思っていた事を言った。

「どうしてこんな夜中に来たんですか?」

「お嬢さん、知らないんですか? この薬は違法だと王宮からお触れがあったのですよ。売った者はおろか、薬を使った者まで罰則の対象になるんです」

「そんな……」

 シェルリは大きな衝撃と共に、急に客足が途絶えた理由を知った。例え墳血症の特効薬が欲しいとしても、王宮の勅命で罰せられると言うのでは、おいそれと手出しはできない。

「違法だとしても、わたしは妻の命を助けたい。薬を売ってくれたお嬢さんには感謝していますよ」

「奥さん、良くなるといいですね」

 男は頭を下げると、周りを気にしながら急ぎ足で夜の街に消えていった。

 シェルリは男が去った後、眠れなくなり母の書斎に行ってランプを灯した。それからベッドに横になり、母の匂いを感じながら考えた。アリアが人々の命を救う為に作り上げた薬、それを売っても使っても罪になるなど、国の処置は余りにも非道だ。まだ一四歳のシェルリでも、そこに恐ろしいものがあると分かり始めた。それから、自分が先ほど違法な薬を売ったという事実を再認識し、怖くなって体を縮めた。しかし、シェルリが悪意に対して恐怖したのはその一瞬だけだった。少女は思い至ってベッドから起き上がり、立ち上がった時には毅然としていた。

「薬の数だけ人の命が助かるんだ、わたしは一人でも薬を売る、お母さんだったら必ずそうすはずだよ」

 シェルリは本棚からアリアの言っていた薬の調合法が書いてある本を懐に入れてお守りにし、夜中の内に薬を鞄に詰めて準備を整え、日の出と共に街へ出た。シェルリは母の事を思うと、怖いものなど何もなくなった。

 シェルリは家が沢山ある通りを選ぶと、手に持っていた小さな鐘を鳴らした。

「墳血症の特効薬ありますよ~! 悪魔の病気がたちどころに治る良く効くお薬です~!」

 朝日に照らされた街の通りに少女の声が響き渡った。その声に道行く人々は立ち止まり、周りの家の窓が開いて住人が顔を出す。全ての視線がシェルリに集中した。シェルリは勇気を出して何度も同じことを叫んだ。見ていたほとんどの人間が、墳血症の特効薬と聞いただけで、王宮からお触れのあったあの薬だと分かった。やがて近くの家から一人の老人が出てきてシェルリに言った。

「お前は馬鹿か!! そんな事を大声で叫んで捕まりたいのか!!」

「あの、違法なお薬を売ってる事は分かっています。でも、これで墳血症の人が助かるんです、沢山の命を助けられるんです」

 老人はシェルリの話を聞くと言った。

「ちっと、こっちゃこい」

 老人はシェルリを目立たない裏路地に連れて行く。それから老人は神妙になって言った。

「その薬が欲しい奴は山ほどいるぞ、だからもっとうまくやれ、おぬしが捕まったら誰が薬を売るのだ」

 老人はシェルリを心配して怒っていたのだった。シェルリはそれを知り、嬉しさと共に涙が出そうになった。老人はそんなシェルリに向かって言った。

「わしはその薬を買うぞ、孫が悪魔の病気にやられているのでな」

「どうぞ、お持ちになって下さい、お金はいりませんから」

 それからまた何人かが裏路地に入ってきて薬を求めた。その中の誰もが薬王局の認めない薬だと分かっていたし、薬が見つかれば罰を受けると知っていた。それでも大切な人の命を助ける為に覚悟をして薬を手にしていた。

 シェルリは老人に言われた通りに、今度は大通りで大声で呼びかけるような事はせず、裏路地に入って薬を売ったり、墳血症の病人がいる家の窓を叩いたりと、目立たないように薬を配り歩いた。シェルリがただで薬を配るのは、その方が病気で苦しむ人により早く薬が行き渡ると思ったからだった。シェルリは病に苦しむ人々の命を助けたいという母の意思を受け継いで、自分の事など一切考えずに街中を走り回った。百個程あった薬は、夕方頃にはなくなっていた。


 ロディス王国の王宮の状況は非常に良くないと言われていた。ロディスの国民にその事を尋ねれば、まず間違いなくその最大の要因として軟弱で馬鹿なエリオ王子の事が出てくる。王子の歳は十八になり、すらりと背は高く、整った顔立ちにブロンドと青い瞳がよく映えていた。白い制服に甲冑などを着けて剣を携えて黙っていれば、乙女なら誰でも憧れる白馬の王子様なのだが、その行動は幼稚で言動も拙く、少々知恵遅れではないかと言われている程だった。その上、ロディス王も病弱で王宮内の事も政治的な部分もほとんど宰相のディオニスが取り仕切っていた。このディオニスという男も良い噂がなく、権威をかさに着る独裁的なやり方で国民を苦しめていた。

 シェルリが薬を売り歩いていた日の昼頃、王子は優雅な食事を楽しんでいた。

 長いテーブルに居並ぶご馳走を前にして、王子のエリオはスープの皿の端をスプーンとフォークで叩いて、辺りに異音をまき散らしていた。王子の食事には宰相と複数の侍女が立ち会うようになっている。王子一人で食事をさせると何をしでかすか分からないからだった。

「野菜は嫌いだっていっただろ! 何でニンジンと玉ねぎを入れるんだよ!」

「王子、いい加減になさい、子供ではないのですから」

 そう言ったのはディオニスで、彼は髭を蓄えた背の低い小太りの男で、赤を基調とした上下に右手には宝石の付いた杖を持ち、背のマントは白で王のように堂々とした振る舞いをしていた。

「このスープはいらん、下げろ!」

 エリオは宰相の足元にスプーンを投げて言った。宰相は馬鹿な王子に辟易しながらスプーンを拾い上げると、侍女の一人に目で合図してスープを下げさせた。

「うん、これはうまい、やっぱり肉が最高だな」

 肉を食べる王子の姿をみたディオニスは、思わず嘲笑を浮べた。何と王子は、手づかみでローストビーフを食べていたのだ。その手はソースでべたべたに汚れていて、周りの侍女たちは軽蔑的な目で王子を見つめていた。

「一国の王子が手掴みで物を食べるとは何事ですか! フォークとナイフを使いなさい!」

「うるさいな、手で食べる方が旨いんだよ」

「いい加減になさい、王子!!」

ディオニスが怒鳴ると、エリオは舌打ちをして席を立った。

「うるさい奴だな! もう食事は良い、僕は昼寝をする!」

 すっかり機嫌を損ねたエリオがその部屋から出ていくと、何人かの侍女が慌てて後を追いかけた。その後で食い散らかされたローストビーフを見て、ディオニスは言った。

「まったくどうしようもなく馬鹿な小僧だ。まあ、あれが馬鹿なおかげでこの国の権威をものにできたのだから、少しは感謝せねばならんか。後は病弱な王さえなんとかすれば……」

 ディオニスが囁くように言っていると、そこへ一人の若い騎士がノックをしてから入って来た。

「失礼いたします」

 ロディス騎士団には 胸に太陽を背にする鷲の紋章がある上着にズボンという統一の制服があった。色はいずれも白で、高く立った襟は二つ折りになっている。その上に甲冑やライトメイルを着込むのだ。部屋に入って来た騎士も当然その制服を着て、腰に長い剣を差していた。彼は騎士団の副将軍でルイン・リスナーと言う。銀髪で灰色の瞳の光は鋭く、まったく隙がない。周りに与える印象はどこまでも冷たく、そして初めて見る者に彼が一流の騎士であると悟らせる空気を持っていた。この国で最高の権威を持ったディオニスでさえ、ルインと話をする時は緊張してしまうのだった。

「何かあったか?」

「フロスブルグで例の薬を配っている者がいるようですが、如何いたしましょう」

「捕まえろ! 抵抗したらその場で殺してもかまわん!」

「承知いたしました」

「時にルイン副将軍、グラニド将軍はどうなっておる?」

「将軍はもう駄目ですな、娘が流行病にやられて正気を保っていられないよです。将軍の勇猛は認めますが、精神的に脆い部分があります」

 ルインは宰相の前で上官をあっさり切って捨てた。それを聞いたディオニスは背筋が寒くなった。このルインという男の冷徹さは騎士団の中では有名で、例え家族や友人全員が流行病で倒れたとしても、平然と騎士としての務めを果たすような男だった。

「よし、騎士団の全権はおぬしに委ねる。法を犯す者どもを捉えて罰せよ」

「御意」

 ルインは敬礼をして、宰相の前から去った。


 王城が近いフロスブルグには貴族街があった。その名の通り貴族たちが住まう領域なのだが、その中にも小貴族から大貴族まで様々な館がある。騎士団の上官には貴族が多く、グラニド将軍の館は貴族街で二番目に大きく目立っていた。今その館は嘆きの海の底に沈んでいた。

 その部屋のベッドは少女の流した血で赤く汚れていた。主に鼻や耳などの出血が多いので、枕は特にひどい状態だった。ブロンドボブの少女はまだ八歳という幼さで、グラニド・ベルクの娘であった。グラニド将軍は娘のすぐ近くで椅子に座って呆然としていた。可愛い娘のあまりにも陰惨な姿に、もはや考える事も出来なくなっていた。娘のすぐ近くには年老いたメイドがいて、かいがいしく世話をしていた。

「ああ、リリナ様、お可哀そうに……お母様を早くに亡くされても健気に生きてこられたのに、どうしてこんな酷い事に……」

 今まで母親代わりを務めていたメイドは、グラニドとは対照的に声を上げて嘆き悲しんでいた。それはもはや助ける術はないという、諦めの深い悲愴だった。その時に昏睡していたリリナが目を開けた。そして少女は呆けている父を見て言った。

「お父様……リリナ、大丈夫だから……心配……しないで……」

 娘は死を間近に控えた弱々しい声で言った。鼻や口から血を垂らしながら、父を心配させまいと健気に振る舞う娘の姿は、グラニドに言いようのない衝撃と絶望感を与えた。それからリリナは再び昏睡した。このままリリナは死ぬ、その拭いようのない悲劇の前に、グラニドは突然立ち上がり頭を両手で鷲掴みにした。

「ああ、があああああっ!!!」

 突然、発狂したグラニドに、メイドは面食らって怪物でも見るような顔をして固まった。グラニドは外に駆け出ると、自分の中にある抑えようのない怒りと悲しみを夜空にぶつけた。それは獣の咆哮のようであり、近くに住んでいる貴族の何人かに、化け物が外にいると思わせる程だった。

「何故だ!!! 何故リリナがこんな目に合う!!! 神が運命を定めていると言うのなら、そいつをこの手で叩き斬ってやる!!!」

 グラニドは腰に差していた剣を引き抜くと、矢鱈目ったらに目の前の虚空を斬りつけた。その姿はもはや狂人で、誰かに見られていたなら騎士団を呼ばれて捕まってもおかしくはない。疲れ果てるまで剣を振り続けたグラニドは、最後に跪いて四つん這いになり涙を流した。その時、自分が捕えたアリアの姿が、彼の中に閃光のように過ぎった。彼は決心して立ち上がると、それから馬に乗ってフロスブルグの小さな薬屋に向かった。


 シェルリは街で薬を配って帰ってきてからは、再び母のいない寂しさに耐えかねて泣いていた。母の意思を継ぐと言っても、自分にはもう何も出来る事はない。それが分かると例えようのない虚しさと悲しさに押しつぶされ、涙が止まらなくなった。少女は夜になっても明かりも付けずに、母の部屋にあるベッドの上で泣いていた。そんな時だった、誰かが大声で呼ぶ声が聞こえた。シェルリはそれに最初は驚き、やがて怖くなって震えたが、すぐに呼ぶ声の必死さに気づいて恐る恐る階下の店舗に降りて行った。

「頼む、薬を売ってくれ!! 娘が死にそうなんだ!!」

 それを聞いたシェルリの恐れは吹き飛び、階段を駆け下りると店に置いてあったランプに火を入れた。淡い光が広がった店の中には一人の大柄な男が立っていた。シェルリはその男を見て怪訝な顔をした。確かに覚えのある顔だったのだ。

「お前は俺を恨んでいるだろう。当然だ、俺がお前の母を捕えたのだからな」

 男がそう言うと、シェルリは目を大きく開いて引きつるように大きく息を吸い込んだ。その時にようやく分かったのだ、目の前にいるのがグラニド将軍だと。薬屋に踏み込んできた時は鎧兜を着込んでいたが、今は軽装なのですぐには分からなかった。

「将軍様……」

 シェルリが戸惑って立ち尽くしていると、グラニドは少女の足元に土下座して床に頭を擦りつけた。

「頼む! あの薬を売ってくれ! このままでは、娘が、リリナが死んでしまうんだ! 俺が憎いのなら、この命をくれてもかまわん、その代わりリリナを助けてくれ!!!」

 将軍と呼ばれ、勇猛を謳われた男が、少女の前で涙を流して必死に訴えていた。その姿を見たシェルリから戸惑いが消えて、代わりに決然とした表情と内には深い慈愛が生れた。シェルリは店の奥に行って、秘密の地下室に入ると薬が残っていないか探した。そして見つけた、地下室の隅の方に小さな瓶が光っていた。

「あった! 一つだけ残ってた!」

 シェルリは急いで店舗の方に戻ると、そこで待っていたグラニドの大きな手を、華奢な両手で包み込んだ。シェルリの手が離れると、グラニドの掌には小さな薬瓶が置いてあった。

「これで早く娘さんを助けてあげて下さい」

 そう言うシェルリには、グラニドに対する憎しみなど欠片ほどもなかった。それどころか、優しげな微笑まで浮べている。グラニドはまだ涙の晴れない顔で言った。

「お前は、俺が憎くないのか?」

「正直言うと、良く分かりません。ただ、今はこうする事が一番正しいと思うんです。それに、お母さんだったら、やっぱり同じことをすると思うから」

 グラニドは感嘆と同時に瞳を閉じて一粒の涙を零した。これは悲しみの涙ではなく、シェルリに対する恩義と感銘の涙だった。

「お嬢さんの名前を聞かせてくれ」

「わたし、シェルリ・フェローナです」

 少女の名を聞くと、グラニドは片膝を突いて低頭した。

「俺は今からシェルリという一人の少女の騎士となろう。そして必ず、この恩義に報いることをこの場で誓おう」

「いいんです将軍様、そのお気持ちだけで十分ですから。それよりも、早く娘さんの所に行ってあげて下さい」

 グラニドは頷くと店から出ていった。その後シェルリは馬の嘶きと、それに続いて遠ざかる蹄の音を聞きながら、リリナという女の子が助かるようにと心から祈った。


 翌日から、墳血症の特効薬を全て売りつくしたシェルリは無気力になってしまった。母は未だに帰ってこない。自分がこれからどうなるのか、何をすればいいのか、先の見えない暗さに鬱々となってしまう。特効薬の材料はシェルリの頭の中に入っているし、薬の調合法は母の書いた本に記してはあるが、薬の調合には様々な器具が必要で少女一人の力で作るのは不可能だった。

 シェルリは母の書斎に引きこもり、母の匂いを頼りに、いつか母が帰ってくるその日を夢見て時を過ごした。母のベッドでいつしかシェルリは寝てしまい、やがて昼が過ぎた。

「お……に…ろ!」

 誰かが薬屋に向かって叫んでいる。シェルリは目を覚ますと、眠い目を擦りながら窓を開けて外を見た。すると、眼下には昨日薬をあげた老人がいた。

「お嬢さん、逃げろ!!! 騎士団が来るぞ!!!」

 老人の余りに激しい剣幕にシェルリは立ちすくんだ。

「昨日、お嬢さんに薬をもらった者のほとんどが捕まった! 何か恐ろしいものが、お嬢さんを狙っている! 気を付けろ!!」

 シェルリに必死に訴える老人の背後から、数人の騎士が馬を駆って迫ってくる。そして、一番前を走る騎士が剣を抜き銀の輝きを放つ刀身が斬り下ろされた。シェルリに訴えかけていた老人は背中を深く断たれて、声もなく前のめりに倒れた。シェルリは悲鳴をあげて、倒れて血に塗れていく老人を見つめた。次々と馬に乗った騎士が現れて、見る間に小さな薬屋を囲んでいった。老人に対するあまりに酷い仕打ちに、シェルリは不意に怒りが込み上げて、自ら外に出て騎士たちと相対し、涙を流しながら激して言った。

「どうしてこんな酷い事するの!? 皆、ただ大切な人を助けたかっただけなのにっ!! それなのに…………」

 それ以上は言葉にならなかった。目の前のこと切れて血を流し続ける老人を見ながら、シェルリはその場に崩れ落ち、両手で顔を覆って声を上げて泣いた。

 ――わたしのせいだ、わたしが薬を配らなければ、この人は死なずに済んだのに……。

 薬屋の近くに住む人々は家に閉じこもり、窓からシェルリの様子を気の毒そうに見ていた。

「その娘を捕えよ」

 無常なルイン副将軍の声が響き渡ると、騎士たちは馬から降りてシェルリに殺到した。

「あうっ!?」

 シェルリは蹴倒されると、頭を押さえつけられ、両手を後ろ手縛られた。それから騎士たちは、油の入った袋を店に向かって投げつけた。それを見たシェルリは、最初は何をしようとしているのか分からなかった。

「焼き払え」

 ルイン副将軍が命令すると、燃え盛る松明を持った騎士二人が前に出た。全てを理解したシェルリは慄然としながら必死に訴えた。

「止めて!!! お願いだから、そんな事しないで!!!」

 何者もシェルリの声を聞く者はなく、松明が投げ込まれ、アリアの店に無慈悲な炎が燃え広がった。

「いや、やだ、こんなの嫌、お母さんのお店が燃えちゃうよぅ……」

 燃え上がる炎の赤が、シェルリの涙を宝石のように輝かせた。幼気(いたいけ)な少女に出来る事は、ただ大切な物が消えてゆくのを見つめ、ただ絶望することだけだった。

「お前、何を持っている」

 ルインがシェルリが懐に抱いていた本を見咎めると、それを素早く取り上げた。ルインはシェルリから奪った本を、炎の光で照らして見た。

「返して! お母さんの本、返して!」

 ルインはシェルリに向かって、さらに残酷な仕打ちを行った。大切なシェルリの本を燃え上がる店の中に打ち捨てたのだ。それを見たシェルリは、あまりに酷い衝撃に声も出なかった。炎は店の中にまで広がり、木材や薬瓶が弾ける音が絶え間なく聞こえ、様々な物が焼けていく臭いが辺りに充満していた。店と共にシェルリがお守りにしていたアリアの本も燃え尽き、やがて炎は二階に燃え移ってアリアの書斎まで焼いた。

「酷いよ、あんまりだよ……」

 未だに押さえつけられているシェルリは、絶え間なく流れる涙で地面を濡らしていた。


悲しみの少女と絶望の炎・・・おわり

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