第9話 弾圧の狼煙
シェルリが薬を配っり終えてから倉庫の地下室に帰ると、先に帰っていたミースとリリナが待っていた。ニイナは薬を作る手を休めて三人の報告を聞いた。その時にシェルリの口からルーテシアの名前が出て、それを聞いたリリナは驚いて言った。
「お姉様は、ヴァ―ミリオンのルーテシア様とお会いになられたのですか?」
「うん、貴族街で会ったわ。色々お話しして、それから特効薬を買ってくれたの。リリナはルーテシアを知っているの?」
「貴族なら誰でも知っている名です。ヴァ―ミリオンは五千の私兵を持つロディスで一番の大貴族なのです。ルーテシア様そこの御令嬢です」
「そ、そんなに凄い人だったの!?」
リリナが頷く。その時にシェルリはルーテシアの去り際の微笑を思い出した。ロディス一の大貴族と言われても、物怖じするような気持ちはなかった。シェルリにはルーテシアと心が通じ合っているという確かな感覚があった。たった一度、短い邂逅だったが、互いを分かり合える人間ならば、それだけで十分だった。
ニイナは少女たちの報告を一通り聞くと言った。
「よし、これからは三手に別れて薬を配る事にする。ミースは貧民街、リリナは貴族街、シェルリはそれ以外の場所を頼む。これで話は終りだ、お前たちは薬が出来上がるまで休んでいろ」
「ニイナさんも少し休んだ方がいいですよ」
シェルリが言うと、ニイナは立ち上がって両手を上げて重い体を伸ばしつつ言った。
「そんな暇はない、これからは夜通し製薬作業さ。短期間でどれだけの薬を配れるかが勝敗の鍵なんだ」
「だったら、わたしも薬作りを手伝います」
「お前も休め、と言いたいところだが、今は時間が惜しい。手伝ってもらえると助かるよ」
それからシェルリはニイナと共に薬を作り、少女たちは一日おいてから鞄に薬を詰めて街に出ていく事になった。
三人の少女たちは再び街に出た。
この日、ミースが貧民街に入ると、前に追いはぎをしようとした少年たちがまた現れた。彼らの表情は明るく、喜びに溢れているのが分かる。
「やあ、お前から貰った薬が効いて、母さんが元気になってきたんだ。お前に恩を返したい、俺たちにも手伝わせてくれ」
その時ミースは、自分に見える世界が一瞬にして光輝いたように思えた。
「ありがとう」
胸がいっぱいになり、少年たちに対して、その言葉しか出てこなかった。
年長の少年はミースの持つ鞄を指さして言った。
「よし、みんな、この薬をせいぜい高く売りつけてやろうぜ」
「お金なんていいんだよ、このお薬はただで配っているの」
「馬鹿だな、こんな薬をただで配るなんてもったいないよ。いいから俺たちに任せておけって」
少年たちはそれぞれ幾つか薬を持って、四方八方に走り去っていった。それからミースが少し残った薬を配ろうと歩き出すと、すぐに人が集まってきた。もうすでに、墳血症の特効薬があるという噂が街中に広がっていたのだ。
一方でリリナは、貴族のカールの力添えがあり、墳血症の患者を持つ貴族たちに引き合わせてもらう事が出来た。歯車は急速に回転を始めていた。
特効薬の噂の広まり方は早く、それが敵の耳にも入る事にもなった。噂を聞いたディオニスは激怒し、将軍と副将軍を呼びつけて、憤怒を彼らにぶつけた。
ルインとガンドルフは、急な召集に応じて宰相ディオニスの元に集まり、宰相の元で膝を折って低頭していた。ディオニスは彼らを歯軋りをしながら見下ろした。
「貴様ら、何をしていたんだ、あーっ!!! 薬売り共は既に城下街に来ているようではないか!!」
「申し訳ございません、こんなに早く街に入って来るとは……」
「ええい、言い訳など聞きたくないわっ!!」
ディオニスはルインに向かって吐き捨ててから、息を荒げつつ狂気的な形相のままに言った。
「ルイン、お前は薬売り共を見つけ出して殺せ!! ガンドルフは違法な薬を持つ者共を捕えよ!! 手段は問わん、容赦はするな、抵抗する者はその場で処刑せよ!!!」
『御意に』
二人は同時に承認の意思を示した。それから、ルインは国の意思に忠実な騎士として淡々と、そしてガンドルフは悪意と狂気の炎を内に燃やしながら、それぞれの任を遂行するために部下を引き連れて街へと出ていった。
この日、街中に突然物々しい様相の騎士達が隊列を組んで現れた。街の人々は何事かと訝しんで彼らを眺めていた。一番前を行くガンドルフが手を上げると、隊列の行進はぴたりと止まった。
「これより違法薬の摘発を開始する! 悪魔の病の患者がいる場所を全て調べ上げる! 徹底的に調査せよ! 違法薬を持つ者は拘束し、薬はその場で処分せよ! 抵抗する者には容赦するな!」
騎士達は剣を高く上げてガンドルフに同意を示した。
シェルリは街の中で薬を配り歩いていた。墳血症の患者を探す必要はなく、多くの人々がシェルリの周りに集まってきて人だかりになり、特効薬を求めていた。シェルリが忙しく立ち回っているその時に、薬を貰う為に並んでいる主婦たちの声が耳に入った。
「王様も悪魔の病で死にそうっていう噂だよ」
「王子も気狂いだし、この国はどうなっちまうんだろうね」
それを聞いたシェルリは、顔が悲愴の色に染めて薬を配る手を止めた。
「王様が、王子様のお父様が墳血症……」
その時だった、遠くの方から異様な声が聞こえてきた。まるで、恐ろしい化け物が街にやってきて、それから逃げ惑い恐怖するような人々の叫び、シェルリだけではなく薬を待っている人々まで声の聞こえてくる方向を見つめた。
「……何?」
恐怖に染まった叫びは次第に近づき、遠くに見える十字路の角から必死に逃げる人々が姿を見せた。続いて人々の背後に数騎の騎士が現れる。先頭の騎士は一人の男を執拗に追った。シェルリはついさっき、その男に特効薬を渡していた。
「待て貴様! その手に持っている物を渡せ!」
「渡すものか! これで妹が助かるんだ、これで!」
状況を飲み込んだ人々は、蜘蛛の子を散らすように逃げ始めた。しかし、シェルリは動かない。男と騎士のやり取りから目を離す事が出来なかった。騎士は馬に乗っている、到底逃げ切れるものではない。騎士は男のすぐ後ろまで迫ると、手に持っていた槍を振り上げ、そして男の背に向かって投げつける。槍は背中から男の胸を貫いた。男は胸から刃を覗かせながら、足をもつれさせて転がるように倒れた。その手から離れた薬瓶が音を立てて転がった。
「がはっ……あ……」
男は声にならない叫びをあげながら、必死に先に転がっていく薬瓶を取ろうと手を伸ばした。そして、薬に手が届く前に血を吐いて絶命した。
余りに凄惨な出来事に、シェルリは思考が追いつかずに当然と立ち尽くした。
「何をしているんだ、早く逃げろ! 殺されるぞ!」
見知らぬ男がシェルリの腕を掴み、無理やり引っ張って細い路地裏へと連れ込む。シェルリは家の壁に隠れて男の遺骸に群がる騎士達を見た。騎士は男が手を伸ばした先にある薬瓶を拾い上げていた。
「こんなもの、こうしてくれるわ!」
騎士は薬瓶を地面に叩きつけて微塵に砕き、中の特効薬が飛び散って路面を濡らす。シェルリは突然、深淵から来る恐怖に襲われてその場から逃げ出した。
ガンドルフ率いる騎士団の行いは弾圧を越えて凶行と化した。特効薬の摘発の為にはどんな手も許される。権力の元で無限の権威を与えられた人間たちは、際限なく狂気の度を増していった。
墳血症の子供を抱えるある民家では、ミースが薬を渡した直後に、いきなり数人の騎士が押し入ってきていた。ミースは心配になって外の窓から中の様子を見ていた。この家は母と若い娘、その弟の三人家族で、弟が墳血症でベッドに寝ていた。
「いきなり入ってきて、何ですか?」
「薬を出せ! 隠すと為にならんぞ!」
「薬なんてありません、何なんですか本当に……」
娘が騎士達に対して嘘を言った。特効薬は騎士達が来る前に床下に隠していたので見つかる心配はなかった。
「探せ!」
騎士達は娘の言葉など聞かずに家の中を探し始めた。そして、信じられない光景がミースの目に飛び込んできた。騎士の中で指揮官らしき男がベッドの横に来たかと思うと、いきなりシーツを掴んで引っ張り墳血症で苦しむ少年を引き摺り下ろした。母親が悲鳴をあげて床に転げ落ちた少年を抱き起す。少年の鼻や目じりからは血の雫が滴っていた。
「何をするんですか!? 息子は重症なんですよ!!」
母親が抗議しても騎士達は答えずに黙々と薬を探していた。ベッドをひっくり返し、棚や箪笥の引き出しを全て開けて中身を辺りにばら撒いた、あらゆる場所を探しても薬が見つからないと、意味もなく棚などを押し倒して家の中を荒らし始めた。その中で母と娘は病気の弟を抱きながら震えていた。
「おい、薬はどこだ」
そう言う騎士の形相は普通ではなかった。魔物にでも取りつかれたかと思うような狂気を帯びている。娘はそれに向かって言った。
「薬はありません」
「本当か? もし薬が見つかったら貴様ら全員死刑だぞ」
「ありません!」
「ほう、そこまで言うなら証明してもらおう。そこに立て」
騎士は部屋の中央を差して言った。娘は騎士の言う通りにした。
「そこで服を一枚ずつ脱いでいけ、お前が何も持っていないと分かったら許してやる」
「そんな……」
娘は耳を疑い、本当に彼らは騎士なのかと疑惑の目を向けた。その時に一人の若い騎士が言った。
「隊長、いくらなんでもやりすぎでは、これではやっている事が野盗と変わりありません」
隊長と呼ばれた騎士はゆっくり振り向いて、狂気の沈む目で若い騎士を睨んだ。
「何だぁ? 貴様、我々を野盗と変わらないと言ったな、今そう言ったな!!」
若い騎士はそれに答える事が出来なかった。隊長の剣が腹部に深々と突き刺さっていたからだ。
「がっ、かはっ……」
「薬の摘発を邪魔する者は処刑する!!」
隊長の剣が若い騎士の腹部を貫いて背中のマントまで突き通る。剣が引き抜かれると、騎士は腹を押さえて両膝をつき、ゆっくりうつ伏せに倒れた。彼の腹部から流れた血が瞬く間に床を赤く染めていく。若い娘は両手で口を押えてそれを見ていた。その民家は一瞬にして狂気に満ちた世界に突き落とされた。
「早くしろ! 一枚ずつ服を脱ぐんだ!」
言う通りにするしかなかった。娘は好色に満ちた騎士たちの前で泣きながら上着を脱いだ。そして全裸にされた後、弟と母親の前で辱めを受けた。ミースは途中で見ていられなくなって民家から逃げ出した。
「おかしいよ、こんなのおかしいよ、どうかしてるよ」
ミースは何度もおかしいと言いながら、徐々に狂気に支配されていくロディスの街中を走り続けた。
「いたぞ、あいつだ!」
それを聞いた瞬間、ミースはぞっとして立ち止まる。見ると騎士達が馬に鞭を打って迫ってきていた。何故か騎士達はミースが薬を売っていると知っていた。
ミースは逃げて馬では入れない細い路地に身を躍らせる。騎士達は馬を下りて幼い少女を追いかける。騎士達が後ろから何か喚いてるのが聞こえたが、ミースは振り向かずに走る。鞄の中で薬瓶がぶつかり合って音を鳴らしていた。
「ミース、こっちだ!」
先の方で少年が民家の後ろから顔を出していた。かつては追いはぎをしようとし、今は特効薬を売る為に奔走してくれた年長の少年だった。ミースはまだ彼の名前を知らない。少年は走って来てミースの手を握った。
「逃げ道があるんだ、こっちだよ」
少年に手を引かれながらミースは狭い貧民街の網の目状に広がる路地を走り抜けた。そして辿り着いたのは、行き止まりの袋小路だった。そこにはミースの薬売りを手伝ってくれた少年たちが集まっていた。
「あれれ、ここ行き止まりだよ?」
「大丈夫、梯子がある。屋根の上を伝って逃げるんだよ」
少年たちは屋根まで届く長い梯子をかけた。
「ロディ、お前も一緒に行ってミースを案内するんだ」
「わかった、まかせとけ」
ロディというミースと同じくらいの歳の少年が、梯子を素早く昇って行く。
「次はミースだ、早くしないと奴らが来るぞ!」
ミースを頷いて梯子を上がり、屋根の上に上るとロディと一緒に袋小路にいる少年たちを見下ろした。年長の少年は梯子を下ろすと言った。
「よしみんな、梯子を壊せ!」
少年が地は思いっきり踏みつけたり棒で叩いたりして梯子を壊し始めた。ミースは何でそんな事をするんだろうと不思議に思っていた。その時に何者かが走ってくる足音が近づいてきた。
「騎士団だ! 隠れて!」
ミースはロディの言う通りに体を伏せて隠し、下の様子を見ていた。間もなくして三人の騎士が少年の一団の前に現れた。
「貴様たち、ここに薬売りが来ただろう。どこに行った?」
「さあ、俺たちずっとここで遊んでたけど、そんな奴来てないよ」
その時、騎士の一人が少年たちの足元にある壊れた梯子に気づく。これはどうにも隠し様がなかった。
「その梯子は何だ? 貴様らそれで薬売りを逃がしたな? 分かっているのか、薬売り共は重罪人だ、それに加担したとなれば貴様たちも唯では済まん」
その時、一番年上の少年が騎士に飛びかかった。
「みんな、逃げろ!」
年上の少年たちが次々と騎士達に組み付き、小さい少年たちはその隙に逃げ出す。
「貴様たち! 許さんぞ!」
一番年上の少年が騎士に殴られて地面に転がる。彼はすぐに立ち上がり、激痛に耐えて顔をしかめ、鼻から血を流していた。それでも少年は再び騎士に向かっていった。
「ミースが逃げる時間を稼ぐんだ!」
少年たちは殴られても蹴られても、何度も立ち上がって騎士達に立ち向かい傷ついていく。それを見ていたミースは涙が止まらなかった。
「行くぞ、ミース」
ロディは仲間の傷つく姿にも臆せず立ち上がり、ミースの手を引いて屋根の上を走った。ミースの為に傷つく仲間をみたからこそ、この少年の心は強くなった。
二人はしばらくひしめくようにある家の屋根伝いに走り、アパートの屋上に跳び移ってから、アパートの階段の踊り場に隠れた。
「ここで夜まで待つぞ。大丈夫、このアパートは誰も住んでいないんだ」
ミースは何も言わずに座り込んで下を向いていた。先ほど見た少年たちが傷つく様子は、ミースにとって衝撃的であった。
「これを見ろよ、ミース」
ミースが顔を上げると、ロディは皮袋を持っていた。
「お前から貰った薬を売った金だ、すごいだろ」
皮袋は金銀銅貨で膨らみきっていた。
「持っていけよ」
ロディが持ち上げた袋を見てミースは首を横に振った。
「それは貴方にあげる。お兄ちゃんたち、きっと病院にいかなきゃいけないから」
「……ありがとうよ」
ロディは金を懐にしまった。それから二人は夜になるまで一言も話さなかった。騎士達に向かっていく悲壮な少年たちの姿を思い出すと、もう何も言えなかった。




