第8話 貴族と薬売り
王城の一室では、苦痛から漏れる意味の分からない言葉の羅列に周りのメイドたちは耳を塞ぎ、患者の末期的な状況に医師も少しばかり顔をしかめた。病床にあるロディス王は墳血症が進行し酷い有様だった。顔中から出血があり、加えて高熱にも苦しめられていた。出血の方は侍女たちが常にふき取ってくれるのでまだ恵まれていたが、医者はもう王は長くはないと見立てていた。
「……エ…エリオ……どこだ……」
死を目前にして王は憎んでいた息子を求めた。当然、エリオには王に会いに来るよう再三の要求があったが、当人は以前に王から受けた叱責で拗ねたふりをして、部屋から一歩も外に出ず、ルナリオンだけが部屋に入る事を許されていた。
「王子、また王の侍女が外に来ていますわ」
「放っておくんだ。父上が求めているのは今の愚劣なエリオではなく、母上が死ぬ前の賢い子供だったエリオだ。今の僕が会いに行っては、病状を悪化させる事にもなりかねない。どうして侍女たちはそんな事も分からないのか」
エリオはテラスへの扉の前に立ち、ガラス越しに向こうの景色を見ていたので、ルナリオンには顔が見えなかった。しかし、エリオは両手を強く握っていて、その後ろ姿には重篤の父を見舞う事も出来ない悲愴があった。今のエリオが見ているものは外の景色ではかった。
「レクサスからの連絡が途絶えてどれくらいになる?」
「一週間になりますわ、フロスブルグが焼かれた直後から連絡が取れていません」
それを聞くと、エリオの中に怒りがマグマのような熱をもって煮えたぎった。フロスブルグを焼くということは、人々の生活の営みを、希望を焼き捨てるのと同じ意味を持っていた。
「やってくれたなディオニス」
その時、エリオの激しい怒りの炎の中を涼風が駆け抜ける。彼は怒りを鎮めて少女の事を思った。
「シェルリ、君は今どこにいるのだ」
その頃、シェルリは城下町で薬を配り歩いていた。王宮からのお触れがあるので、目立たないように裏路地を回り、一軒ずつ訪ね歩き、墳血症の患者がいる家に薬を置いていく。訪ねた家では、ほとんどがシェルリを変な目で見たが、薬はもらってくれた。墳血症は手の施しようのない病気だ、少しでも家族が助かる可能性があるならと、皆藁をも掴む思いであった。患者がいない家では頭を下げて、なにか聞かれる前に素早く辞退しなければならなかった。
ミースとリリナが貴族街にいた頃、シェルリも貴族街の近くまで来ていた。しかし、街中と違って近づきがたい屋敷ばかりだった。門前に衛兵がいる場合は、シェルリは必ず怪訝な目で見られ、近づく事すらできなかった。衛兵がいなくて門が少し開いているような屋敷でも、入ろうかどうか迷った挙句に素通りした。貴族街などシェルリには縁のない場所だったし、城下街との余りの空気の違いに驚き戸惑った。たまにすれ違う馬車にシェルリは委縮して、必要以上に道の端に寄って避けた。その時も、馬車の中から貴族の夫人か紳士が自分を怪しげな目で見ているような気がしてならなかった。貴族街の雰囲気に息が詰まってしまったシェルリは、ついに諦めて街の方に戻ろうと歩き出した。
それから、シェルリが少しでも早く貴族の領域を出ようと早足で歩いていると、前から令嬢が馬を駆ってやってきた。シェルリよりも幾つか年上だろう、その余りにも美しく凛々しい姿に、シェルリは我知らずに足を止めて見とれていた。シェルリが令嬢を目で追うと、一瞬視線が合った。そして、令嬢とシェルリがすれ違った次の瞬間、
「どう!」
令嬢が手綱を引き絞り、馬が嘶いて足を高く上げた。令嬢は馬を急停止させると、馬首を返してシェルリを見つめた。するとシェルリは、何か失礼があったのかもしれないと思い身を縮めた。
「あなた、こんな所で何をしているの?」
声を掛けられると、シェルリは息を飲んで馬上の少女を見上げた。よく見ると長い金髪に碧眼の目の覚めるような美貌だった。少し癖のある髪が頬にかかっていて、その様子は美しさを更に際立ったものにしている。上着もズボンも真紅で、まるで騎士のような姿であり、腰には細剣を携帯していた。その令嬢は馬から降りて、呆然としているシェルリの前に立った。
「何をしていると聞いているのよ、答えなさい」
「あ、ああ、あの、薬を売っています」
「薬ですって? 何の薬を売っているの?」
「それは……その……」
シェルリは口ごもった後に、思いついたように言った。
「そうだ、貴方の家に墳血症の方はいませんか?」
「墳血症ですって!? まさか、墳血症の薬を売っているの!?」
問い詰められたシェルリは、相手の気炎に気圧される形で頷いていた。そうすると、令嬢は刺すように鋭い目でシェルリを見つめた。
「王宮からお触れがあったわ、墳血症の薬と偽って麻薬を売っている薬師がいると」
「麻薬なんかじゃありません!!! 本物の墳血症の特効薬です!!!」
今までてんで弱気だったシェルリが、いきなり挑みかかるように言うので、令嬢は少し圧倒された。
「……本当なのでしょうね?」
「本当です!」
その刹那、何かがシェルリの視界の中で煌めいた。そしてあっと思う間もなくシェルリの首筋に細剣の刃が当てられていた。令嬢の剣の腕は相当なものであった。しかし、シェルリは冷静だった。先ほど令嬢に対して気おくれしていた姿など、もうどこにもない。
「貴方の言う事が嘘だと分かったら、その命貰います」
「かまいません、もしわたしの言う事が嘘だったら、この命喜んで差しあげます」
シェルリは毅然として言うと、令嬢は剣を引いて頭を下げた。
「貴方の言っている事が本当か試しました、無礼をお許し下さい」
「え? あ、あああ、あの、そんな、無礼だなんて……」
シェルリは令嬢の急な変化を前にてんぱっていた。すると令嬢は可笑しくなって笑った。
「面白い子ね、剣を突き付けた時はあんなに毅然としていたのに」
それから令嬢は、急に真剣になって言った。
「その薬、買わせて頂きますわ。わたしの妹が墳血症で、お医者様からはあと三日と持たないと言われているの」
「お金いりません。どうぞ、お持ちになって」
「そういう訳にはいきませんわ、それで本当に墳血症が治るのなら、それ相応のものは払わなければ」
「いえ、本当にいいんです」
「それではわたしの気がすみません、是が非でも代金を受け取ってもらいます」
令嬢はシェルリから薬を貰うと、有無を言わさずにシェルリの手に金貨の入った小袋を握らせた。それは一般家庭の半年分の生活費に相当するものだった。それを見たシェルリは驚いて返すという言葉が出かかったが、令嬢の有無を言わさぬ態度を見て言葉を飲み込んだ。代金を返すと言っても、彼女が認めるはずはなかった。
「わたくしの名は、ルーテシア・ヴァ―ミリオンと申します。貴方の名を聞かせて頂けるかしら?」
「あ、あの、シェルリです、シェルリ・フェローナ」
「シェルリ」
「は、はい!」
「もしこの薬で妹を助ける事ができたら、その恩はお返しします。あなたが本当に困ったその時に、必ず駆けつけると約束しますわ」
「ありがとう、その気持ちだけで十分です。わたしは墳血症で苦しんでいる人が一人でも多く助かれば、それでいいんです」
ルーテシアは、そういうシェルリの姿を見て微笑を浮べた後に馬上の人となった。
「また会いましょう、シェルリ!」
ルーテシアは馬を走らせてシェルリの前から去って行った。シェルリはルーテシアの姿が見えなくなるまで手を振り続けていた。
貴族と薬売り・・・終わり




