フロスブルグの白き乙女3
教会はシェルリが思ったほど酷い状態ではなかった。教会や修道院には、五十人を超える墳血症の患者が寝かされている。死への恐怖と病の苦しみで阿鼻叫喚の様相を示す患者が何人もいたが、死を間際にしても驚くほど落ち着いている患者もいた。何よりもシェルリは、教会内で患者の為に献身する女たちに惹かれた。エレーナのような修道女も多かったが、そうでない人も沢山いた。その人数は二十人程で、こんな酷い状況の中にも関わらず、女達はエレーナと同じように強い輝きを持っていた。それは覚悟を決めた者が放つ光、女たちは闘っているのだ。墳血症患者の世話をする事自体が命がけの闘争なのである。有事の時に発揮される女性の精神力というのは凄いもので、女性は驚くほど大胆で、かつ強靭な意志を持って行動する事が間々ある。精神の強さにおいては、男では足元にも及ばない。
忙しく働く女の中にシェルリ位の少女がいて、その子はエレーナの所まで駆けてくると言った。
「エレーナさん、痛み止めの薬を作ってもらえませんか。後、熱さましの薬もなくなりそう」
「分かりました、すぐに調合します」
少女は忙しそうに走って施設内に入っていった。シェルリは少女が言った事に驚いた。
「エレーナさんって、調薬が出来るんですか?」
「患者さんの苦しみを少しでも取り除きたいと思って薬草の事を勉強しました。付け焼刃ですけど、多少の物なら作れます。すぐに貴方を案内したかったのですけど、少し時間がかかりそうです」
「わたしエレーナさんをお手伝いします」
シェルリはエレーナの案内で修道院内にある一室に入った。そこには調合に使う道具が一通り揃っていた。周りにあるガラスで仕切られた棚には材料も豊富にある。それらは、修道院には似つかわしくない物ばかりだった。
「街を逃げ出した薬師のお店にあったものです。お借りしているつもりですけど、盗んできたという言い方が正しいでしょうね」
エレーナとシェルリは細やかに笑いあった。盗んだと言っても、持ち主が逃げ出しているのだから分かりはしない。
それからエレーナは、薬研の受け皿に生の薬草や乾燥した植物の根等を入れて、薬研の車を引き始めた。彼女は調薬を続けながら言った。
「わたしは薬師の免許を持っていません。これは明らかな違法行為で、捕まっても文句は言えないのです。けれど、今はそんな事を気にしている時ではありません。この身がどうなろうと、墳血症の人々の助けにならなければ」
それはシェルリにと言うより、エレーナ自身に言い聞かせるような調子だった。シェルリはエレーナの強さに打たれると、自分も出来るだけ役に立とうと動き始めた。熱さましと痛み止めに必要な材料を探しだしてエレーナの所まで持ってくる。
「これも必要ですよね」
「シェルリさん、良く分かりますね。貴方は薬草の知識を持っているのですね」
「母が薬師でいつも手伝っていたから、いつの間にか材料とか覚えていたんです」
「そうでしたか、とても助かります」
シェルリは自分の手伝う事はもうないと見ると、薬の入ったカバンを肩にかけた。
「わたし特効薬を墳血症の人達に持っていきます」
「よろしくお願いします。症状の重い人から薬を与えてあげて下さい」
そうシェルリに言ったエレーナは、次の瞬間に急に表情を歪めてシェルリから顔をそむけた。シェルリの方からだとエレーナに何が起こったのか見えない。シェルリは心配になってエレーナに近づくと、白いハンカチが見えた。それには赤い物が付いていた。
「エレーナさん!!?」
シェルリが慌てて駆け寄ると、エレーナはハンカチで鼻の辺りを押さえていた。それを目の当たりにしたシェルリは、認めたくない現実の前に、何かを恐れるような気持ちで言った。
「貴方も墳血症に……」
エレーナは無言で頷いた。その姿には絶望も悲愴もなかった。ただ強い光を持った目でシェルリを見返していた。
「いつかこうなる事は分かっていました。わたしだけではありません。墳血症患者の中には、かつては世話をする側だった女たちがいます」
「……どうしてそこまでするんですか」
「死んでいく人たちに寂しい思いをさせたくなかったのです。死が避けられないと言うのなら、せめて安らかに眠らせてあげたい。それがわたし達の願い」
自分の死を覚悟してまで他人の為に尽くす、人間とはそこまでの献身を示す事ができるのか。シェルリは墳血症に立ち向かう女性たちに胸を打たれ衝撃を受け、実際に胸を何かで撃たれたかのように両手を添えた。
「もう誰も死なせません! わたしが助けます! エレーナさんも、他の人達も、みんな助けてみせます!」
「シェルリさん、それが本当に出来るとしたら、貴方は救世主です。貴方が救世主であることを心から願います」
シェルリは救世主などと言われると歯痒かったが、シェルリが救世主にならなければフロスブルグに残された人々には死しか残されていないのだ。シェルリはエレーナに強く頷いて、そこから出ていった。
鞄に入っていた特効薬は十数個程度だった。今あるのはそれが全てだ。シェルリは墳血症患者の世話をする女性たちに言って、症状の重い患者から特効薬を与えた。重篤な患者は子供や老人ばかりだった。
シェルリは教会で働く女たちの中に、とても気になる少女を見つけた。ブロンドショートボブの髪をしたミースと同じくらいの少女で、子供なのに大人に負けないくらい良く働いていた。シェルリはその少女が重そうな荷物を持っていた時に、その半分を持ってやり会話のきっかけを作った。
「ありがとう、お姉様」
お姉様等と言われるとは思ってなかったので、シェルリ何とも言えない気持になった。近くで見ると少女はとても品が良く、普通の子供とは明らかに何かが違っていた。その時は暇がなかったので、シェルリは一緒に荷物を運びながら名前だけ聞いた。
「わたしシェルリって言うのよ、貴方の名前は?」
「リリナと言います、よろしくお願いします」
そう名乗った少女は歩きながら頭を下げた。子供なのに妙に大人びていて、育ちの良さが伺える。
「リリナ……」
シェルリはその名前に聞き覚えがあった。しかし、どうしても思い出すことが出来ない。それが非常に重要な名であることを本能の部分が訴えていて、シェルリは胸につかえを残しながら貴族の館に帰る事になった。
シェルリが屋敷に戻る頃には夕方になっていた。その頃になると、シェルリは急激に重くのしかかるような疲れに襲われ、目蓋が重くなった。シェルリはとにかく寝たいと思って二階に上がると、寝室とは別の部屋から物音が聞こえた。もしかしたら家主が帰ってきたのかもしれないと思い、シェルリは恐れながら音がする部屋に近づいた。そこは書斎であった。シェルリは少しだけドアを開けて中の様子を伺う。様子が分かった途端に、少女の口から安堵の吐息が漏れた。書斎では寝ていたはずのニイナがもう起きていて、特効薬の精製を始めていた。シェルリが中に入ると、ニイナは憮然として言った。
「あまり心配させるな。休みもせずにどこにいってたんだ、街がどんな状態かも分からないんよ、勝手に出歩くな」
「ごめんなさい、どうしても街の様子が気になってしまって……」
「無事で良かったよ」
「あの、ニイナさん。聞いてほしい事があるんですけど」
「なんだい?」
シェルリは今すぐに眠りたいのを我慢しつつ、エレーナとの出会いから街であった事まで全て話した。ニイナは薬を作る手を休めずに聞いていた。シェルリが話し終わるとニイナは言った。
「エレーナって奴を明日ここに連れてこい」
「エレーナさんを?」
「そいつと話したいことがある」
ニイナは蒸留水を作る為のアルコールランプの火を見ながら言った。何でニイナが急にそんな事を言うのか、シェルリにはさっぱり見当がつかない。
「今日はもう寝ろ。これからが大変なんだ、しっかり休んでおかないと体が持たないよ」
「はい、ニイナさん。おやすみなさい」
シェルリは眠い目を擦りながら言って、書斎から出ていった。ニイナは夜が明けるまで特効薬を作り続けていた。
翌朝、シェルリは起きるとすぐに、ニイナに言われた通りに街に出てエレーナを連れて帰った。
エレーナは書斎に案内され、いきなり薬づくりに勤しむニイナに引合されると、相手の意図が分からずに少し戸惑った。
「急に呼び出して悪いね」
「どんなご用件でしょうか?」
「あんたには、今日から特効薬作りの手伝いをしてもらうよ」
「急にそんな事を言われても困ります……」
困惑するエレーナに、ニイナは小瓶を投げた。エレーナがそれを受け取りよく見ると、瓶の中には青い液体が入っていた。
「墳血症の特効薬だ、今すぐ飲め。特効薬を作る方が墳血症じゃ話にならない」
有無を言わさぬニイナの態度に、エレーナは怒りを覚えた。
「わたしには貴方を手伝っている暇はありません。もう病院に戻ります」
「戻ってどうするんだ? 墳血症患者への献身なんて、今となってはただの自殺行為だぞ」
「あなた、自殺行為と言いましたね……」
「ああ、言ったさ」
ニイナとエレーナの間にある空気が急に刺々しくなる。シェルリはとても心配になったが、二人の間に割って入るのは無理そうだった。
エレーナは床を強く踏みつけてニイナの前まで歩いてくると、今にも襟首を掴みそうな勢いで言った。
「貴方が言った事は、わたし達に対する冒涜です! 貴方に何が分かると言うのですか!! この街で起こった事など何も知らないくせに!! わたし達がどんな思いで看病しているのか、何も知らないくせに!!」
エレーナは怒りに身をまかせ、シェルリの観ている前で手を振り上げた。それに対して、ニイナわざわざ頬を差し出すように横を向いた。その奇行の為に、エレーナは怪訝な顔をして動きを止めた。
「殴りたいのなら殴れ、それで気が済むのならな」
そう言われると急に殴る気が失せた。エレーナは冷静になって、振り上げていた手をゆっくりと下ろすが、ニイナに対する怒りには些かの変化もなかった。
「あんたたちが今までして来たことを全て否定しているわけじゃない。『今となっては』と言っただろう。特効薬で墳血症を治せる今は、墳血症患者への献身など自殺行為だと言いたかったのさ」
ニイナの話を理解して、エレーナの怒りは燃え上がる炎に水を投げてかき消されるように冷めた。さらにニイナは言った。
「シェルリから聞いたよ。お前は薬師としての腕をもっている。なら、特効薬の作成を手伝え。本当に墳血症の患者を救いたいと思っているのなら、そうするのが道理だ」
「……おっしゃることは良く分かりました。けど、わたしがいなくなると、病院の看護婦達をまとめる人がいなくなってしまいます」
「その点は問題ない、シェルリがやってくれる」
それから一瞬の間があった。すぐにシェルリが仰天して声を上げた。
「えええぇっ!!? いきなり何言ってるんですか!!?」
「今ので理解できなかったのか? お前がエレーナの代わりになるんだ」
「話の内容は理解しています! いきなりそんな事いわれて、出来るわけありません!」
「問題はお前よりも、エレーナの方さ。エレーナがシェルリを信用できるかどうかだ」
「シェルリさんなら大丈夫、信用できます」
間髪入れずにエレーナは言った。そこまで言われると、シェルリは不思議と心が強くなり、こうなったらやるしかないという気持ちになった。
「わたしなんかを、みんな信用してくれるのかな。わたしはまだ子供だし、わたしよりも年上の人ばっかりだったし……」
「大切なのは、墳血症の人を救いたいという思いです。シェルリさんは、誰よりも強くそういう思いを持っています。それならば、みんなは信用してくれます」
「……わかりました、わたしやってみます」
まずは、シェルリにエレーナが付いていき、病院でエレーナからシェルリが紹介された。病院でシェルリの事を知っている人は僅かで、それも昨日見かけた程度なのでほとんど初対面に近い。エレーナの話を聞いて最初は皆驚いていたが、エレーナのシェルリに対する信用が深い事を知ると、誰もが納得した。エレーナは廃墟と化したフロスブルグで、たった一人立ち上がり、ここまで皆を引っ張ってきた人だ。もはや多くの言葉は必要なかった。この死と背中合わせの極限の世界では、互いに信頼し合う事だけが希望だった。
しかし、たった一四歳の少女がいきなりエレーナの身代わりをするというのだから、その重責はあまりにも大きい。シェルリが不安になったのは言うまでもないが、今まで何度も命の危険を乗り越えてきたシェルリだ、肝は据わっていた。
病院に入った初日のシェルリは、仕事を覚える事に終始した。分からない事は物おじせずに何でも聞いたし、エレーナ程ではないが、シェルリも痛み止めや傷薬くらいは調合できるので、三日も経つと皆自然とシェルリを頼るようになっていた。シェルリはこれが生涯の仕事とでもいうように必死に働いた。王子や母の事を考えると、もっと頑張らなければと思うのだった。
特効薬の第一陣が来たのはシェルリが病院に入ってから四日目だった。
「お姉様、痛み止めをお願いします。マドックさんの容態がよくないんです」
「そう……今作るね」
シェルリは痛み止めを調合しながらリリナ言った。
「リリナは一人なの?」
「いえ、家には家政婦が一人います」
「家政婦!? じゃあお金持ちなんだね。お父さんは偉い人なのかな?」
「お父様は……」
リリナが口を開きかけた時、外から女たちが騒ぐ声がした。
「特効薬が来たわ!」
それを聞いたリリナは、シェルリとの話を打ち切って嬉々とした顔で外に走り出た。修道院の庭で鞄一杯の特効薬を持ったエレーナが来ていた。エレーナの様子は疲れ切っている。顔だけではなく、体全体から疲労が漂っていた。それでも彼女は笑顔を見せていた。
「さあ、これで墳血症の方が助かりますよ」
「エレーナさん、ありがとうございます!」
シェルリが走り寄って言うと、エレーナは希望に輝く笑みを見せて言った。
「シェルリさん、よく皆をまとめてくれていますね。貴方なら必ず出来ると思っていました」
「そんな、わたし皆に助けてもらってばかりですよ」
シェルリは特効薬の入ったカバンを受け取ると、近くにいたリリナに薬瓶を一つ渡した。
「早くマドックさんに飲ませてあげて」
リリナは薬を受け取ると走って院内に入って行く。
「みなさん! 症状の重い方から特効薬を飲ませて下さい。 大丈夫、特効薬はまた来ます。全員助かりますよ!」
シェルリが言うと、看護婦達からわっと歓声があがった。特効薬があるのなら、もうフロスブルグは地獄ではない。もう誰も死なないで済む。新たな希望の光が心優しき女性たちを照らし出した瞬間であった。
「シェルリさん、レクサスと言う騎士が来て、材料を沢山おいていきましたよ。あのお方はもしもの時の為に街に止まるそうです」
「レクサスさんが!」
さらなる希望を得て、シェルリは心軽やかになった。あのレクサスが近くにいてくれるなら怖い物はなにもない。
闇に覆われていたフロスブルグに光が差しつつあった。
ロディス城、宰相の執務室に一人の男が訪れる。騎士ガンドルフである。この男は長身であり、ごつい顔をしている上に髪を剃っているので、その姿には見る者を恐れさせる威圧がある。性格は粗暴で執念深く、そのくせ武勇には長けているので同僚の騎士達からは恐れられていた。
「よく来たガンドルフ、ルインが将軍になり、副将軍の席が空くので、それをお前に与える」
「ははっ!! ありがたき幸せ!!」
ガンドルフは宰相の前で跪いでこうべを垂れつつ、思ってもいなかった副将軍の任命に感激した。
「これはここだけの話なのだが、ルインと言う男は騎士道に正直すぎてどうにも使いづらい、お前こそがわしの懐刀だと思っておる、お前にはこのディオニス直轄の家臣となってもらおう。これから役に立ってもらうぞ」
「それは、身に余る光栄でございます」
ディオニスは低頭するガンドルフに向かって口を歪めて、憎悪と喜色の入り混じった気味の悪い凄絶な笑みを浮べる。頭を下げているガンドルフにはその笑みは見えないが、彼自身の顔にもディオニスと似たような、喜びと凶暴性から出来した笑みが表れていた。
「早速だが、レインブルグで違法薬を売っていた罪人どもが、フロスブルグの方に向かったという情報がある。至急調べて参れ。罪人どもはその場で殺してもかまわん。やり方は全てそなたに任せるぞ」
「はっ、必ずやディオニス様のご期待に添えて見せましょう!」
ガンドルフはディオニスの前から去り、執務室から少し離れた石廊で、我慢しきれずに声を上げた。
「やった、やったぞ!!! 俺が副将軍だ!!! しかもディオニス様の後ろ盾まである! ルインの若造は将軍になったが、俺の方が遥かに優位だ!」
ガンドルフは気持ちを少し落ち着けると言った。
「これからはあの若造に頭を下げる必要はない。対等以上の立場と言っても過言ではないだろう。面白くなってきたな」
このガンドルフの副将軍就任が、ロディスに史上かつてない悲劇をもたらすことになる。なぜこのような男をディオニスは副将軍にしたのか、それは彼が容赦のない男だと知っていたからだ。何としても特効薬を売る薬師共を排除したい、その思いが狂気となり、シェルリたちに牙をむき始めたのだ。




