第6話 フロスブルグの白き乙女
「アリア・フェローナの特効薬の手順書は解明できました。そろそろ薬王局で特効薬の製造を行いたいと思います」
レイスレイが宰相に特効薬の作成を直訴しているところだった。王国に対して何度も特効薬製造の申請を行ったが、何故か許可が下りないので、薬王局長は痺れを切らして直訴という手に出たのだ。
「まだ駄目だ、もう少し待て」
ディオニスが言うと、レイスレイは少しばかり眉をひそめた。彼としては、できるだけ早く薬王局から特効薬を出して、人々に特効薬は薬王局のものという認識を与えたかった。悪く言えばアリアの手柄を奪うと言う事だ。それはディオニスにとって良いことのはずだが、何故か首を縦に振らない。今まで釈然としていなかったレイスレイだったが、ディオニスに会って、その様子から何かあると思った。
「それよりもレイスレイ、王に薬を届けさせるのを忘れぬようにな」
「分かっています、薬は必ず届けさせます」
薬とは墳血症の薬の事である。特効薬の申請を許さず、治りもしない薬を届けさせるこの矛盾に隠されたものの大方をレイスレイは悟った。レイスレイは薬というところをわざと強調して言ったが、ディオニスは何食わぬ顔を崩さなかった。
宰相の元を去り、城内を歩きながらレイスレイは思考した。
――愚王は墳血症になったか。宰相は治らぬ薬を与え続けて王を殺すつもりだ。
そこまで分かるとレイスレイは蔑むような笑みを浮べ、胸の奥から溢れたものを口にした。
「悪魔だな」
レイスレイが去った後、ディオニスは副将軍を呼んだ。そしてルインが顔を見せるなり、ディオニスは憤怒で赤面して仁王のような表情で叫んだ。
「ルイン! レインブルグに違法薬を売る輩がいそうではなか、まだ捕らえられんのか!」
「申し訳ございません、これもすべて我が力の至らなさによるものです」
ルインは一切の言い訳はせずにただ頭をたれた。その謙虚な姿にディオニスは余計に怒りを募らせる。
「役に立たん奴め!」
ディオニスは手を後ろで組みつつ歩き出し、バルコニーを仕切るアーチ型の大窓から外を眺めた。城の最上階に近い宰相の執務室は、湖側の日当たりの良い場所にある。城自体が高台に位置しているので、城に従うように広がる街々と街と城に寄り添うように広がる湖、そして街の周りを包み込むような森まで一望することができた。幾艘かの船が輝く湖面に浮かび、その上を無数の鳥が横切る風景が宰相の目に映った。多少なりの感性を持つ者ならば感銘を受ける絵だが、ディオニスはそれを一度も美しいと思ったことがなかった。人々が息づく街の美しさも柔らに光を放つ湖の優しさも、権力に取り付かれた魔性の男を諌める事はできない。ディオニスは憤怒に歪む表情のままに言った。
「薬王局で認可されていない薬を売るということは、麻薬を売るに等しい! 決して許されざる事なのだ! 一刻も早く捕らえよ!」
「はっ」
ルインは頭を垂れたまま服従の意を示す。しかし、この男は騎士道に順ずる者で、ディオニスが現状で王国の代表であるから従っているに過ぎない。ディオニス自身もそれを理解していた。
「……時にルイン副将軍、グラニドが裏切ったおかげで将軍席が空いておる。おぬしを将軍に据えて、副将軍には騎士隊長のガンドルフを置くことにする」
それを聞いてルインは顔を上げた。その様子には思わぬ事を聞いて思わず相手を見たという驚きがあり、感情を出さない顔には何となく暗いものが差していた。
「お言葉ですが、ガンドルフは武勇には長けていますが、副将軍としての器ではありません。何卒ご再考下さい」
ルインは自分が将軍に置かれた事への礼を差し置いてそう言った。ガンドルフという男が副将軍になるという事が、ルインにとってはそれほどの異常事だったのだ。そんなルインをディオニスは忌々しそうに見下げ、足を上げる。
「貴様の意見など聞いてはおらんわ!!」
ディオニスはルインの肩を足蹴にして踏みにじった。ルインは顔色一つ変えずに再び頭を下げていた。
「良いかルイン、わしがこの国の意志なのだ! お前はわしの言うことを聞いておればよいのだ!」
「……出すぎたことを申しました」
「ガンドルフにはわしから直接に命令を下す。お前は一刻も早く薬売りを見つけろ」
「御意に」
ルインが出て行くと、ディオニスは再び窓からの景観に視線を移した。その目には薬売りに対する憎しみの焔が揺らいでいた。
「冗談ではないぞ、今特効薬など売られてたまるか。殺してやる、必ず見つけ出して殺してやるからな!」
「ああ…………」
フロスブルグに入ると、シェルリは悲愴深い声を漏らした。街に入った瞬間に、もはや異界と化した空気が漂っていた。暗闇の奥底に沈んだような重さと静けさが街全体を覆っている。フロスブルグは墳血症の蔓延で見捨てられたと言われていたが、シェルリは街に入るなりそれを肌で感じた。故郷のフロスブルグは、もはやシェルリの知らない世界になっていた。
ニイナはシェルリの案内で、かつてシェルリの生家があった噴水のある広場へと馬を駆った。道程にはいくつも墳血症で死んだと思われる遺体が転がり、中にはかなりの間放置されていたものもあり、酷い臭いを放っていた。街人は一人も見当たらず、多くの家やアパートが廃墟と化していた。
噴水広場には焼かれたフェローナの家がそのままの状態で残っていた。噴水は相変わらず地下深くから汲み上げた綺麗な水を噴き上げて輝きを撒き散らしている。水路には山女がさっ水中を走り水の美しさを強調していたが、それだけが今のフロスブルグで唯一無二の平穏な世界であった。噴水の周りには水を求めて集まった人々が事切れていた。その誰もが全身血塗れで転がっている。
シェルリは街の状況があまりにも絶望的で、焼け落ちた自分の家を見てもなんとも思わなかった。早く街の人たちを助けなければ、その思いだけが今のシェルリを突き動かすものだった。
「こいつは想像を遥かに越えてるな、薬を売るどころの話じゃないぞ」
ニイナは御者台から降りて辺りを見渡す。近くの家からすすり泣きが聞こえ、どこか遠くの方からは呻くのか叫ぶのか分からないような気味の悪い声も聞こえてきた。
ニイナは片手で頭を押さえて悲嘆の深いため息を吐いた。
「ニイナお姉ちゃん、お薬売らないの?」
そういうミースの声は周りの恐ろしい状況に慄いて震えていた。
「商売の成り立つ状況じゃないよ。薬を作る為の材料も必要だし、わたし達も生きていかなきゃならない。その為には特効薬を売ってある程度は稼ぐ必要があるんだが、街がこんな状態じゃね……」
「やれるだけの事はやりましょう」
シェルリは何も恐れてはいなかった。凛として言う姿には、何があっても人々を救うという強い意志に溢れている。それに対してニイナは暗い陰のある顔に微笑を浮かべながら言った。
「この状況でやれる事って言ったら、薬を無償で配ってわずかな人間の命を救うことくらいか……」
「それでも、何もしないよりはましです」
「そいつは自殺行為だ、この街の病人と一緒にわたしらも破滅するよ」
「それでもやるんです」
「それでもやるか、強いな。気持ちは分かるが駄目だ。じいちゃんが命を懸けて守ったあんた達を死なせるわけにはいかない。他に手がないか考えるよ」
ニイナは御者台に座りそこで考え込んだ。ミースは荷物の中に身を埋めるようにしてうとうとし、シェルリは焼け焦げた自分の家をじっと見つめていた。そんな時だった、遠くから馬の嘶きが聞こえ、三人ともはっとして馬の鳴いた方を見た。追っ手がやってきたのかと思ったのだ。近づいてくるのは一騎で馬上の人は旅装だった。
「レクサスさんだわ!」
シェルリの表情が暗闇に日が差し込むように明るくなり笑みの花が咲いた。
レクサスは蹄の音を響かせながら広場に入り、荷馬車の横に馬を付けて降りた。
「ようやく追いついたぜ」
「シェルリの騎士かい、今朝は助かったよ」
ニイナの言い方にシェルリは恥ずかしいような気持ちになったが、今はそんな事を気にしている時ではない。
「無事で良かったです」
「あんな奴らに後れを取るような俺じゃない」
「喧嘩では負けていたみたいですから、とても心配だったんですよ」
「いや、あれはだな……」
レクサスは言いかけてたが黙った。ニイナの様子が余りにも陰気なので気になったのだ。
「……どうしたんだいお姉さん、随分暗いじゃないか。まあ、こんな場所にいたら暗くなるのも無理はないか」
「確かに酷い街だが、暗いのはそのせいじゃない」
レクサスはニイナから事情を聞くと、シェルリに向かって言った。
「大丈夫だ、シェルリ。お前には王子が付いている」
シェルリは胸に熱い思いを抱きながら頷いた。何があっても王子を信じる事ができた。だからこそシェルリは強くなることができた。
「材料はこちらで何とかする。お前たちはこの街の人達を助ける事だけを考えろ」
「本当にあてになるのか? 薬で病人を助けるのがいいが、材料が届きませんでしたじゃ洒落にもならないぞ」
「お願いですニイナさん、王子様を信じて下さい! 信じてこの街の人達を助けましょう!」
「シェルリ……」
祈るように手を組んで懇願する純真無垢な少女の姿に、ニイナは優しい微笑を浮べた。
「いいだろう、そこまで言うならやってやろう。ミースもそれでいいかい?」
「わたしはお姉ちゃんの事を信じるよ!」
「よし、決まりだ」
「ありがとうございます!」
「礼を言う程の事じゃないさ。あんたと一緒になった時から覚悟は決めているからな」
ニイナの言う覚悟に、シェルリは感謝の余り瞳に涙が浮かび、言葉も出なかった。
「じゃあ俺は行くぜ」
レクサスは馬を歩かせて少し先を行くと、そこで止まったシェルリを振り返った。
「いいかシェルリ、お前には王子が付いている。何があってもそれを忘れるな」
その言葉を残しレクサスは馬に鞭を入れて風のように去って行った。レクサスはあっという間に街の大通りを走り抜けて、その姿はシェルリ達の視界から消え去った。
レクサスがいなくなるとニイナが言った。
「少し歩こう、こんな所にいても仕様がないからね」
シェルリはニイナがどうするつもりなのか気になったが、とにかく馬車の荷台に乗った。それからニイナは大通りを馬車で至極ゆっくり進んで左右を見ていた。かつては賑わっていた場所だが、今は一人として人の姿がなく閑散としていた。やがて街の中心地を抜けると貴族街に入った。シェルリもミースも、ニイナが何の為に移動しているのか分からずに少し不安になってきた。そんな時にニイナは立派な屋敷を指さして言った。
「お、あれなんか良さそうだね」
ニイナは馬首を巡らせて当然のように開け放たれた鉄門をくぐって貴族の屋敷の庭に入った。予想外の事にシェルリは慌てた。
「ニイナさん!? そんな、勝手に入ったらまずいですよ!」
「大丈夫だよ、良く見ろ。この屋敷はもう捨てられるんだよ。ここだけじゃない、貴族街の屋敷の殆どが無人さ。金持ちは墳血症を恐れてさっさと別の場所に逃げたんだよ。この街に残されているのは病人とか貧乏人とか、逃げたくても逃げられない事情がある奴だけさ」
ニイナの言う通り、屋敷内には人の気配がなく、しばらく人の手が入っていない為に、どこか殺伐とした雰囲気があった。出入り口の鉄門も開きっぱなしだったし、屋敷の出入り口も開け放たれて、強い力で反対側に叩きつけられている扉は、この屋敷の主が余程急いで出ていった事を如実に語っていた。ニイナはこの扉の前に馬車を止めると、自分の家であるかのように堂々と屋敷の中に入った。玄関口だけでも異様な広さがあった。入り口から正面に向かって二階に続く階段があり、床から階段に赤い絨毯が続いている。その幅は人が五、六人は横に並んで歩けそうだった。庶民の暮らししか知らないシェルリとミースはそれだけで圧倒されて立ち竦んでいた。一方、ニイナは上機嫌に軽快なステップで二階にあがっていく。
「うわ、広い寝室! ベッドもふかふかで温かそう!」
ニイナは階段の手摺から顔を出し、未だに突っ立ったままの少女たちに言った。
「何やってんのあんたたち、早くこっち来なよ。疲れたから少し休もう」
「二、ニイナさん、本当に大丈夫なんすか!? やっぱり持ち主にお断りしないとまずいと思うんです……」
「それは不可能だ。わたしがさっき言った事を聞いていただろう。万が一にもないと思うけど、持ち主が帰ってきたら適当に誤魔化すさ」
すごく適当な答えが返ってきた。でも、シェルリは悪いと思いながらも、もしもの時でもニイナならこれ以上ない位にうまく誤魔化す事を確信したので安心していた。
「わあい! ミースもふかふかのベッドで寝るー」
「その前に風呂だ。きっと風呂場も凄いぞ、三人で一緒に入ろうじゃないか」
「ニイナさんと一緒にお風呂なんて、そんな危険です……」
思わず口にするシェルリを、ミースが不思議そうに見上げていた。
ニイナの言った通り、風呂場も庶民の思考を遥かに超越した作りになっていた。脱衣所からして部屋として使っても問題ない位の広さがある。風呂場に至ってはシェルリは絶句した。石床や壁には野に咲く花々が描かれていて、立っているだけで本当の花畑にいるような感覚になる。大理石の浴槽は広く三人なら軽く入れるくらいだし、浴槽の近くには女神像が立っていて、それが持つ瓶からお湯が流れ出る仕掛けになっていた。あまりにも大仰すぎて、シェルリは驚くよりも、風呂場にここまで力を注ぐ貴族に呆れた。
温泉を汲み上げているので、バルブを捻るだけでお湯が出た。ニイナは風呂の用意ができると居間で休んでいた少女たちに言った。
「さあ、風呂の用意が出来たぞ子供たち。お姉さんと一緒に入ろうじゃないか」
「わたしは遠慮します」
シェルリが素っ気なさに対して、ニイナは腕を組んで言った。
「遠慮なんてするな、わたしたちは運命共同体だ。どこに行くにしてもわたし達は一緒なんだ。だから風呂も一緒に入るんだよ」
まるで聞き分けのない子供に優しく言い聞かせる母親のようであった。それはシェルリの心を逆撫でするだけのものだった。
「どういう理屈ですか!? どうせ変な事するに決まっているんですから、絶対に嫌です!」
「ちぇっ、せっかく可愛い少女の素肌が見れると思ったのに」
「早く先に入って下さい!」
「いーよ、いーよ、じゃあミースと二人で仲良く入るさ」
「わーい、ニイナお姉ちゃんと一緒にお風呂入る!」
「あ、ミースはわたしと一緒に……」
シェルリが言い切る前に、ニイナはミースを連れて脱衣所に入っていた。それから風呂場の方から、楽しげなミースの声と、お湯を掛けあっているような音が聞こえた。シェルリはそれを聞きながら妙に寂しくなり、やっぱり一緒に入れば良かったと思うのだった。
シェルリ達は風呂を出てから軽く食事を取り、まだ昼前だったがニイナの言いつけで今日一日は休む事になった。シェルリはミースと一緒にベッドに入った。少し前の隠れ家のベッドと比べると、それは桃源郷だった。優しく包み込む布団の温かさと柔らかさを感じるだけで、体に溜まった疲れた取れていくように思える。ミースはすぐに寝入ったが、シェルリは眠れなかった。体は疲れているはずなのに、思考から生まれる精神の鋭利な部分がシェルリを眠りから遠ざけていた。
「フロスブルグは、今どうなっているの……?」
ここに来るまでにもフロスブルグの悲惨さは体感できたが、まだ見えていない部分の方が多かった。自分の生まれ育った街がどうなっているのか、シェルリはいてもたってもいられずにベッドから抜け出していた。シェルリは着替えると、特効薬を幾つか鞄に入れて屋敷から出ていった。




